序-2

 明かり一つない真っ暗な土手道を、御戸永憐(みとえれん)はたった一人で歩いていた。辺りに人の気配はなく、虫の鳴き声がそこら中でうるさく響いている。エレンはTシャツにショートパンツという軽装だったが、歩いているだけで絶え間なく汗が滲み出てくるほど今夜は馬鹿みたいに蒸し暑かった。

 エレンはこの街の高校に通う十六歳の少女だ。女子高生が深夜にライトも持たず一人で土手を歩いている状況は些か無用心に見えたが、エレンはそんなことなど微塵も気にしていない様子で、激しく苛立っていた。

 スニーカーを履いた足は乱暴に地面を蹴り、息遣いは不快感に苛まれているように荒い。鋭い目に宿るのは暴力的な感情だ。

 エレンは元々整った顔立ちをしていた。目は鋭くとも瞳は大きく、鼻筋も綺麗に通っており、一目見て端正な顔であることが分かる。しかし色濃く張り付いた不機嫌な表情がそれらを台無しにしており、後ろ髪が外側に跳ね返ったミディアムショートの髪型も、更に棘々しい性格を強調していた。

 なぜこんなにも苛ついているのか。彼女をこんなにも不快にさせているものは何なのか。

 実のところ、特定の原因はなかった。強いて言うならこのむさ苦しい暑さには苛々しているが、たとえ今が適温だとしても、きっと別なものに対して苛ついていただろう。

 エレンは常に何かに対して苛立っている。身を取り巻くあらゆるものに対してストレスを抱くのが、彼女の特性だった。

 やがてエレンは土手道の階段を下りて河川敷へやって来た。芝が整備されたこの広大な敷地は普段は市民の憩いの場として利用されているが、当然今の時間帯は誰の姿もない。

 こちら側の岸と対岸とを結ぶ大きな道路橋が近くにかかっている。橋の照明の仄かな明かりを受けながら、エレンは真っ直ぐ川の見えるところまで足を進めた。

 向こう岸が遠くに見えるほど幅の広い川だ。流れは穏やかで、波も立っていない。

 エレンはざっと足元を見回した。掌に収まる程度の大きさの石を見つけると、白く細い五指でそれを拾い上げた。

 石を右手で強く握り締め、きつく睨みつける。辺りに満ち溢れる不快要因を吹っ飛ばしてやりたいという感情をエネルギーに変えて右手へと送り、結集させるイメージを思い描く。

 石を握る掌の内側が次第に熱を帯びてくる。想像ではなく現実として、計り知れない力が右手に瞬く間に溜まっていくのが分かる。やがて破裂せんばかりに蓄積されたことを確認すると、エレンは石を握る手を指先が正面を向くような形で真っ直ぐ川の方へ突き出した。

 一呼吸置いた後――エレンはぱっと掌を開き、同時に『力』を解放させた。

 轟音と共に、尋常ならざる強力な衝撃波がエレンの手中から放出される。周囲の空気をも震撼させるほどの突発的な力だ。それによって弾かれた石は、目にも留まらぬ速さで前方へ飛んでいく。

 まさに銃弾。石は一直線に空(くう)を裂き、そのまま川面を貫いた。人の手による投石が齎したものとは到底思えないほどの大きな水飛沫が上がり、穏やかだった水面が荒々しく波打つ。野球選手の全力投球よりも遥かに高速な投擲を、エレンは無動作で成し遂げた。

 『拒絶の力』――エレンはそう名付けている。

 不快を一掃してやりたいという攻撃的感情を強烈なエネルギー波に変えて外部へ一気に放出するという、エレンだけが持つ異端の能力だ。

 やがて川の水面が鎮まる。エレンは不満そうに舌打ちをし、今度は別の場所に落ちていた石を見つけて思い切り蹴り飛ばした。

 蹴りに併せて、脚部から拒絶の力を放つ。石は衝撃波によってまたも轟々と吹き飛ばされ、隕石を思わせる破壊力を纏って川に着水した。

 先ほどよりも格段に派手な水柱と爆音が巻き起こった。しかしエレンの表情は晴れることはない。

 そう、エレンは爽快感が欲しかった。この力を振るって憂さを晴らし、心地良い気分になりたかった。しかし、いくら石を川に投げ込んだとしても一向に快感など得られるはずがない。残るのは虚しさだけだ。

「……足りない」

 唸るように、エレンは呟く。この力を得て一月ほどが経とうとしていた。最近ようやく力のコントロールができるようになり、となると次はこの力をどのように使うかを見つける番だった。

 手応えだ。もっと手応えが欲しい。拒絶の力は破壊的エネルギーだ。であれば何かを壊してこそ、その本領を味わうことが出来る。

 エレンは周囲を見渡す。道路橋を支える太い橋脚の一本がすぐに目に入った。

 エレンは閃き、足早に橋脚のところへ向かう。他の橋脚は川の中に立っている中、その一本だけは河川敷に立っている。壁のように横幅が広く、厚みもあり、見るからに頑丈そうな柱であることが、近づいてみて改めて分かった。

 エレンは橋脚から数歩下がった地点に立ち、重厚感のある壁面を見据えながら右の拳を強く握る。短く息を吐き、エレンは軽い助走をつけて柱に殴りかかった。

 拳が柱にぶつかる直前に腕全体から拒絶の力を思い切り放出する。

 まるで鉄球でも激突したかのような大きな音と地響きが迸った。エレンの繰り出した衝撃波は図太い橋脚の表面に数本の罅を生じさせ、破片を撒き散らした。

 普通の人間の拳打では絶対に作れない罅だ。エレンは自分でも信じられないといった様子で目を見開き、しかし口には薄笑みを浮かべていた。想像を絶する破壊力に驚いたのと、それを実感して快感を得たことに対する喜びが入り混じったような、不気味な顔。

 間髪入れずに、今度は左の拳を壁に叩きつけた。衝撃波が再度爆発し、亀裂が更に増えて広がった。橋自体も揺れる程の衝撃。こんな時間に橋の上に人も車もいないだろうし、いたとしても関係なかった。

 すぐに病みつきになった。今度は拒絶の力を蹴りに乗せて放った。盛大に破片が飛び散り、ついに壁面が凹んだ。重機と同等の、あるいはそれ以上のエネルギーが自分の体から意のままに繰り出せていることに、思わず興奮気味の声が漏れた。

「凄い……ッ」

 エレンは狂ったように何度も何度も柱を攻撃した。殴り、蹴り、殴り、蹴り――そのたびに獰猛な風が巻き起こり、頑丈であるはずのコンクリート製の壁がどんどん砕けて窪んでいく。

 なんて爽快なのだろう。なんて快感なのだろう。

 エレンは無我夢中で拒絶の力をぶつけ続ける。穏やかであるはずの夜空の下に、異質な轟きが雷鳴のように何度も響いた。

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