スウィーティーローズ①
寝ぼけながら足先でつかんだものは、今まで俺が人生で触れたことのない感触をしていた。
引き寄せてみると、見覚えのある色のマニキュアの瓶が現れた。
あいつ、そういえばいつもこんな色の爪してたんだっけ。
今では『元』彼女となってしまった雛子のことを思い出す。
ホテルのベッドに転がりながら、あのとき俺は雛子を後ろから包んでいた。まだ付き合い始めて間もない頃の雛子は髪が短くて、ホテルのシャンプーが高級だったことに妙にはしゃぎながら風呂から上がってきた。その様子がたまらなく可愛くて、そのまま手を引き寄せて幸せな夜が始まった。
華奢な雛子は俺に包まれるのが好きで、行為が終わると大抵背中を向けてきた。こっち向いてよ、なんて言いながら雛子を包むのが俺も割と好きだった。背中越しにいつも丁寧に塗られた爪を眺めていた。その日もそうだった。
「この色綺麗でしょ」
先に口を開いたのは雛子だった。
「いいね」
仕事のある日、接客業をしている雛子は爪をを塗ることができない。そのかわり、休日は思いっきりネイルを派手にするんだといつも言っていた。何色に塗ってようが何柄を描いていようが俺には全く違いがわからなかったのだが、どうやらそういうものでテンションが上がるらしい。
その日の雛子の爪は濃いピンクだった。派手なわけではなく上品な、赤紫に近いような色をしていた。
エロいな、と思いながら手をさすった。雛子も笑いながら受け入れていた。雛子らしくて俺は好きだよ、という一度の発言をずっと心にとめていたのか、その日から大体泊りになるときは雛子はその色のマニキュアを塗るようになっていた。
けれど、雛子が『彼女』から『モトカノ』になった日。
あの日は違った。
雛子は爪に何も塗っていなかった。それがわかるくらい雛子の手をじっと見つめていた。
「私を大事にしてくれない人のことを、大事には出来ない」
意味が分からなかった。雛子のことは大事だと思っていたし、結婚もするつもりで準備を進めていた。連絡が減っていたのは仕事が忙しいからだし、雛子もそのことは理解をしてくれていたはずだ。大人しくて自立した雛子は歴代の彼女と違って、連絡が少ない時期も文句を言わずに待っていてくれた。記念日もそこまでうるさく言うほうではないし、いちいち祝わなくてもいいと思っていた。
すべて的外れだったと思い知らされたのは、雛子が最後に出ていくときだった。
「…別れても、たまに友達としては会えるよな?」
「無理」
今まで聞いてきた雛子の声の中で、最も芯がある声だった。
それほどまでに彼女を深く傷つけたのだと、その時初めて理解できた気がした。
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