オリンピカ⑪

歩き始めたものの、思考は煮詰まっていく一方だった。

恋愛ソングは苦しくなる一方だし、自分を励ますような曲は後悔と反省ばかり沸いてきてしまうし、明るい曲は頭の痛みを増加させるだけだった。

自分らしくない、と思いながら勢いよくイヤホンを耳から引っこ抜いてしまった。

こういう時の自分の行動は、いつも何だっただろうか。

彼氏に聞いてもらおうにも聞いてもらえなくて、一人になって泣くことは多かった。だけど独り身になった今、泣くことそのものが許されていない気がした。


仕事に身が入らないのを恋愛のせいにしかけている自分が、とてもかっこ悪いと思った。


もし仮に結城さんが本当にあゆみに対して好意を持っていたとしても、私がそれに態度から気が付けるような素振りを彼は一度も見せたことがない。

それどころか、結城さんが何かに落ち込んだり逆に幸せそうにしていたりという極端な表情を暖簾の表側で見たことがない。

いつも淡々と、優しく、誰にも平等な態度を彼は貫いている。口調が多少砕けていても、お客さんに対してもフランクな時があるとしても、自分の気持ちの上下を露骨に出していることは絶対にない。

対して今日の私は、”何かありました”オーラ全開で働いていたんだと思う。

正社員どころか社会人失格だ―面接で言いよどんでしまった理由がわかった気がした。


社員として、人として、彼の態度を心から尊敬していた。

彼に恋をしていて、同じレベルに自分がいたのならきっとここまで恋心も苦しくならなかった。



元彼と別れて一人になってから、私はより一人を意識するようになってしまった。そして一人で生きていかなきゃと無自覚の上に決意していたのに、一人で生きていくには未熟すぎる自分を先に自覚してしまったからこんなにも苦しいのだと。


携帯が震えている。


腕時計は閉店時間を指していた。反射的に結城さんの顔が思い浮かんだが、携帯を確認するのが怖かった。

フォローの言葉が並んでいても注意の言葉が並んでいても、今見るのはとても苦しい。

足が早まる。

苦しい、苦しい…と思うけれど、絶対に泣くもんかと足に力を入れて進む。

泣くもんか、と一歩踏み出したときに涙腺が緩んだ。

いや、絶対泣かないぞともう一歩踏み出したときに涙は零れ落ちた。

泣いてない、泣いてないと何歩も何歩も足の裏に力を入れて歩いていく中で落ちていく涙の粒が増えていく。


泣いたからって許されると思うな、雛子!


どんなに脳の片隅から厳しい私が叫んでも、緩んでしまった涙腺は元に戻ることがない。

もう一度携帯が震えた。今度は長く震えていた。鞄全体が震えているみたいで、とうとう無視できなくなった。

画面に表示されていたのは―。


「はい、佐久間です」

「ひよちゃん?まだ近くにいる?」

「はい」

「今上がるところだから、もし予定なかったら待っててほしい!こないだ言った居酒屋、予約取れたの!」

なんて優しい声なんだろう。


もう心はぐちゃぐちゃだ。


「…はい、駅にいるのでお待ちしています」

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