オリンピカ⑨
「入社してから今日までで、君は一体何が変わったの?」
答えに詰まってしまった。
目の前にいるのは結城さんだが、今私が話しているのは結城さんではない。
本社から来た正社員だ。
「え…っと」
「君の志望動機は”ここで働くことで何かが変われると思った”だったよね。君を採用した元社員はそれを期待したうえで採用したわけだけれど」
「はい」
「社員に志望したってことは何か変わるきっかけがあったってことでいいのかな。それは何?」
変わったことだったらたくさんあった。
真面目に商品のことを勉強したり覚えたりする姿勢は今までなかった。
働いていて楽しいと思うことも初めてだった。
自分の心境の変化はいくらでもあったけれど、それをここで言っていいのか迷いがあった。
ピピピピ、とタイマーが鳴ると同時に、目の前の人が”正社員”から”結城店長”に戻った。
「はいお疲れひよちゃん。んー、初めてにしては悪くないけどまだブラッシュアップしていけるところはあるかな」
「そうですね、最後の質問…絶対聞かれますもんね。対策しておきます」
「対策っていうか…そこを言えないとスタッフとしていくら優秀でも社員適性ないんじゃないかって俺だったら思っちゃう。ひよちゃんには当たり前だけど社員としてどう会社に貢献できるかの部分がちょっと足りてないのかな。自分のモチベーション維持はもう当たり前のことになって、今度は周りのスタッフを育てて会社に貢献してもらえるようになるもの社員としてひよちゃんがやらないといけないんだけど、会社側の目線が足りないとどうしても一スタッフとしての目線に偏っちゃうからね」
店長の言葉をメモに取りながら内心はものすごく落ち込んだ。
眠れていなくて頭が回っていないにしろ、今日の受け答えはちょっとひどかった。店長の言っていることも頭ではわかっていたしずっと考えていたことだったので、指摘を受けて余計に悔しくなった。
「志望動機自体はすごく素敵じゃない?だからそこから今日まで自分が何をしてきたか、まずは会社の目線とか考えずに書き出してみるといいよ。この店で働いて自分に起きたこと、全部」
「全部…」
そんなのかけるわけないじゃないですか、と口から滑りそうになる。
「まずは集めてみたらそこから気づけるかもしれないよ、自分の変われたところ。社員になってもっとたくさん雑貨に関わる業務をやりたい、っていう部分はそのまま私を社員にしたらこんないいことがありますよー!っていうのをもっとアピールしていかないとかな」
「いいこと…ですか。ありますかね」
「それを探すのも仕事だよ」
そんなことないよ、なんて甘いことは言われない。今私に対応しているのは彼の仕事の顔だ。口調や呼び方はプライベートと同じでも、彼は今私に対して仕事仲間として真剣に向き合ってくれているのだ。
それなのに一挙手一投足にドキドキして集中しきれていない自分が本当に恥ずかしい。
「はーい、じゃあ面接終わり。仕事もーどろ」
「はい」
むしろあまり褒められることがなくてよかったかもしれない。褒められていたら、もっとテンションが上がってしまっていた。
「あ、ひよちゃんは休憩の時間か」
「はい、お先いただきます」
備え付けの水道で手を洗っていると、後ろから”結城さん”モードになって話しかけられた。
「今日のお弁当なーに」
「…大したものじゃないです」
たぶんびっくりしているんだろうな、という微妙な間があって「ツンツンしないでよー」と結城さんの笑う声が聞こえた。
「今日は絶対に教えないです」
「えっなんでー?俺そんな嫌われた今のでー?!」
完全な八つ当たりなのはわかっている。
でも今日のお弁当の中身は褒めてほしくなかった。
ミニハンバーグもほうれん草のお浸しも卵焼きも、結城さんのことを思いながらぐちゃぐちゃになってしまった自分の心の中をそっくり映してしまったような崩れようにきっとなっているから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます