オリンピカ④
小綺麗にしている20代男性(しかも、そこそこ顔は整っている)に対してこのオバサンはちょっと弱かった。いきなり猫なで声に変わり「ねえ、店長さあん」と妙にくねくねした態度に変わったのだ。
しかし、柔和な笑みを浮かべながら店長はとんでもないことを言った。
「この度はうちのスタッフが大変失礼をいたしまして誠に申し訳ございません。このままでは言った、言わないの押し問答になってしまいますので、宜しければ別室でご一緒に監視カメラをご確認いただけませんか」
彼女の表情が一変した。
「幸いなことにうちの監視カメラは非常に優秀でしてね、マイクも高性能なものを搭載しております。先日のデータもございますのでお客様の主張が正しかったことを証明するためにお役に立てると思いますので、ご一緒にご確認をお願いいたします」
「そっ…そこまでしていただかなくて結構ですわ。私はただお金さえ返していただければ…」
「申し訳ございませんが、これは会社の信用に関わることですので。お客様がおっしゃったことが本当であると証明されるならば彼女にはしかるべき処分を下さなくてはなりませんし、もし万が一…そのようなことはないと思いますが、お客様の思い違いであったのであれば我々は不当な解雇をはたらいたとして彼女から訴えられてしまうかもしれません。その際にあなたのおっしゃったことがあなたを巻き込んでしまうかもしれません。事情の知らない第三者が介入してきたときにはあなたの思い違いでは済まされなくなってしまう可能性があります。それだけは避けたいのです」
彼女の顔色がさっと青くなり、「結構よ。もう来ないわ!」と言い捨てて彼女はお店を出ていった。
私と彼の肩から同時に力が抜けていくのがわかった。
「て…店長。ご対応いただいてありがとうございました」
「いやー、よかった。でも佐久間さんのヒントのおかげだよ。俺だけじゃ、思いつかなかったもん」
「ヒント?…ああ」
対応注意ノートに『万引き目的の可能性あり:来店時店内巡回強化をお願いします』と書いたことか。
混雑時、それもスタッフの少ない時間を見計らって難癖をつけてくるやり方にはどこか見覚えがあった。困ったスタッフがバックルームで上長に相談しているうちに別の商品を盗み、目的の商品は難癖をつけてみて折れるようであったら頂戴する。無理そうだったら一度買っておいて返品や値引きを要求する。同じやり方で過去万引き犯にまんまと逃げられ、店長から叱られはしなかったものの注意不足の指摘を受けた悔しさは今でも覚えている。
おそらく最初からあのグラスが狙いだったのだろうけれど、現品のみのPOPを見たのと私が一向にバックルームにひかないのを見て方針転換をしたのだろう。最終的に無料で手に入れば何でもいい、と手口を変えてくるあたりは手慣れている感じがあった。一度目の来店では気づかなかったのだが、二度目の対応をした後にもしかしたら、と思って付け加えたのがファインプレーだったようだ。実際に万引き目当てだったかどうかまではわからないが。
「ああ…でも、惜しいことしちゃいました。あのグラス、本当に綺麗だったのに」
彼女が目をつけていたグラスはとあるガラス工芸作家さんの作品で、ガラスの色合いも彫り込まれる絵もとても素敵だった。個人の趣味の範囲内で作られているとのことだったが、前の店長の時代から近所であることと店長がこの作家さんの大ファンだったことから特別に新作の販売許可をもらっていた。同じようなファンも多く、この作家さん目当てに来店してくれる人も少なくない。それだけに、こんな形でもらわれてしまうのは非常に悲しいことだった。
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