オリンピカ③
休憩時間になるころには、心身ともにクタクタになっていた。
たかが街のセレクトショップなのに、難癖をつけてくる客が稀に現れる。わざわざ電話までかけてきたお客さんに対して追い返すわけにもいかないが、心の底から帰ってほしいと思い続けていたら休憩時間が押すほどに対応が延びてしまった。
―あなたねえ。そっちのミスで不良品よこしたのに何なのその態度は。
―私は覚えてるのよ。対応したのはそっちの店員さんじゃなくてあなたでしょ。あなたの責任でしょ!
申し訳ございません、と頭を下げるのにはもう感情が入らなくなった。接客業だけじゃないだろう、仕事をしていれば誰でもこのスイッチは切り替えられるようになる。前職にいた時からそうだった。だけれどそれを見抜かれてしまうあたり私は社会人としてまだまだなんだな、と密かに思う。
後ろであゆみが心配そうに見守っているのが分かった。私の記した対応注意ノートを見た時から「げえ」と彼女らしからぬ声を上げていたし、ひよちゃんにもっかい対応させるなんてありえない、対応代わるから来たら絶対言って、とまで言ってくれていたのにお客さん本人から追い払われてしまったのだから心配になるのも当然だ。
見た感じは普通のおばさんだった。一点物のかわいらしいグラスに目をつけていたため、私が案内をし購入まで気持ちを持って行ってくれたところまではよかった。
「え、ラッピングお金かかるの?何で?」
「当店では一律包装料は別とさせていただいておりまして…」
これが彼女の逆鱗に触れたらしい。そんなの聞いていない、雰囲気の良い店なのでこれからも利用したいと思っていたのに残念だなど綺麗なところだけを抽出すればそのようなことを仰った後勢いよく出ていってしまった。しょうがないからグラスを棚に戻してその日は終わったのだが、彼女は次の日もやってきた。
「昨日のグラス買おうと思ってきたんだけど」
狙ってなのかどうかわからないが、よりによって対応したのが昨日いなかったスタッフだったのだ。一瞬のぽかん、とした表情に彼女の怒りのメーターが再び上がり、私が対応できるようになることには手が付けられなくなっていた。更にグラスを棚に戻してしまったことも、現品限りだったことがPOPに記載されていたため私がレジで説明していなかったことも火に油を注いでしまったようで、店内で文字通りぎゃんぎゃん騒ぎだしてしまった。最終的には『折れてやるわよ』くらいのテンションで会計までなんとか説得できたのだが、包装料は店持ちになった。
ほっとしたのもつかの間。
その日の閉店間際に彼女はもう一度やってきた。
「返金してほしいんだけど」
耳を疑った。
念には念を入れて返品も交換もできないことは説明したし、あろうことか彼女は商品もレシートも持っていない状態でやってきた。事情をきくと一度使ってみたがやっぱり他人に触られたものなんて気持ち悪いし、説明がなかったのはそちらの不手際なんだからこちらがお金を払う必要はないと堂々と言ってのけたのでそんな場合ではないのだがむしろ感心してしまった。
何はともあれ商品もレシートもない状態では返金にも返品にも応じかねるということを伝えるとやはりお怒りになったが、出来ないものは出来ないのでしょうがない。あゆみと二人がかりで説得し、持ってきてもらった商品の状態次第で上長が判断する、と伝えて何とか帰ってもらった。無駄な残業代だーお前がその分の金払ってくれんのかよーとあゆみがクローズしてからキレていたのは言うまでもない。
それでいざ来てみたらレシートの説明はされていないし渡されていない、そもそも現品しかない説明はされていなかったのだからそちらの不手際、返金できて当然という態度でやってきた。
あゆみが出ていこうにもこの店員が悪いんだの一点張りで言うことを聞かない。さすがに心が折れそうになった時に、す、と私の横に立つ影があった。
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