第59話 夢と現実の狭間で②
三日目。
さらに彼女の記憶退行は進んでいた。
クスノキ祭についてしつこく言わなくなったのは有難かったのだが……。
「ねえねえ、いっくん。どうして私達、学校に行かなくて良いの? 学校に行かないと、部活動が大変なことになるんじゃないかな?」
「……良いんだよ、別に」
僕はぶっきらぼうに彼女にそう語りかけた。
「良くないよ! 学校に行かないとね、えーとね、誰かがね、悲しむんだよ」
「誰が悲しむんだよ」
「えーと、誰だろう……。うーん、ここまで出かかっているんだけれど……」
もしかして、記憶を取り戻そうとしている?
記憶を取り戻したら――あずさはどうなってしまうのだろうか。
答えは見えてこない。ただの希望的観測に過ぎないのだけれど、僕は記憶を取り戻すことで、彼女の闇が見えてくるのではないか――そう思えてしまうのだった。
※
「……今日は三人とも登校していないようだ」
部室。
部長である野並がそう二人に語りかける。
「あの三人、休むような人間には見えなかったけれど……」
言ったのは金山だった。
「……そうだな」
それに続いたのは、池下だ。
「ちょっとトイレに行ってくる」
池下は席を外し、図書室を後にした。
「……計画は順調のようね」
通り過ぎようとしたところで、桜山が声をかけてきた。
桜山の話は続く。
「今、彼らは茨城にある実家に潜伏している。そして調査員の報告によれば、予定通り、彼女の記憶が退行を始めているとも言われている」
「……そうか。ならば、やはり実験は成功だと言うことだな?」
こくり、と桜山は頷く。
「難しいことかもしれない。けれど、今からでも計画を変更することは出来ないかしら」
そう言ったのは桜山だった。
「変更とは? 元々、この計画には賛同的だったじゃないか。それを今更……」
「難しいことは分かっている。けれど、これは彼らにとって、やり過ぎじゃないか、と言いたいのよ! 上も何を考えているのかさっぱり分からないし……」
「桜山。俺達の目的は何だ? 一般市民を戦争に巻き込まないためだ。そのためなら、どんな非人道的行為だってやってのける。それが俺達の目的ではなかったのか?」
「彼は一般市民ではないというの!?」
「……彼はこの計画に『不幸にも』巻き込まれた人間ということにしておけば良い。それ以上のことは求めない。だから、俺達は存在している」
「だからって……」
「嫌なら、辞めれば良い」
はっきりと。
池下はそう言い放った。
「辞めれば良い、ってそんなこと簡単に……」
「出来ないのか? だったら口出しするな。これは『上』が決められたことだ。俺達はただそれに従っていくしかない。ただそれだけのことだ」
そして、二人の会話は、半ば強引に終了するのだった。
※
四日目。
彼女の記憶退行は止まらない。
とうとう僕と出会った日のことまで記憶が退行してしまっていた。
「……いっくん、はどういう人間なの? 私、初めてあなたに出会ったから分からないの。それに、ここは何処なの? 全然分からない。早く場所を教えてよ……」
「僕の名前はいっくん。そしてここは僕の実家。君は心配しなくて良い。だから、僕の言うことを聞いて……」
「嫌だ! 家に帰してよ。どうして、私はここに閉じ込められなくてはならないの? まったく理解できない。教えてよ。どうしてここに居なくちゃいけないのか、誰か教えてよ……」
「それは……、」
言えなかった。
言えるはずがなかった。
教えられるはずがなかった。
普通に考えてみろ? 僕が君達を助けるのは、自衛隊から君達を守るためだと、誰が言える?
言える訳がない。言えるはずがない。
「いっくん、だったよね」
そして、彼女は記憶の中から僕という記憶を抽出して、そうして、あるものを差し出してきた。
「それは……、昔君が着けていたペンダント……」
「今は、あなたが持っていた方が良いような気がして」
「良いの?」
「うん」
アリスはその光景をじっと眺めている。
アリスは、そういえば僕の行動に否定的ではなかった。彼女はずっと記憶があると思い込んでいたのだけれど、彼女もやはり逃げたかったのだろうか。
そんなことを思っていたら、すっくと彼女は立ち上がった。
何処へ向かうのだろうか? そんなことも僕は聞けずにいた。
それぐらい、僕の精神は疲弊していたのかもしれない。
※
トイレ。
誰にも聞こえないようにこっそりとスマートフォンを取り出し、高畑は誰かに電話をかけた。
「もしもし。私です。高畑です。高畑アリス。……コード、0439。……うん、そう。そうです。定期報告の連絡をしに来ました」
一息。
「連絡の内容は、伏見あずさの記憶について、です。はい、六月まで戻ってきました。あと少しで記憶が元に戻ると思います。そうすれば、彼女は自動的に元に戻るだろうと、そう推測出来ます。はい。はい。だから、そのときになれば、私達を迎えに来てください。そうすれば、問題なく、進行出来ると思います。彼? 彼については、そちらにお任せします。消す以外の手段を執って貰えれば、それで充分かと。はい。はい。分かりました。お願いします」
そう言って。
彼女は電話を切った。
※
その日の放課後。
空き教室に呼び出された池下は、その人物の顔を見て溜息を吐いた。
「……何よ、私に呼び出されるのがそんなに嫌だった訳?」
「嫌ではない。だが、お前に呼び出されるということは、明らかに何か嫌な予感がする、と思っただけのことだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……やっぱり嫌なんじゃない……。まあ、良いわ。さっき、『彼女』から電話があった。誰か、ということについては言わずとも分かるわよね?」
「高畑アリス、か」
「そう。彼女からの連絡だった。彼女は、伏見あずさの記憶が戻りつつある、と連絡してきたわ。……まったく、立派なことね。まさか彼女側からコンタクトを取ってくるとは思いもしなかったけれど」
「彼女はいったい何だと?」
「だから言ったじゃない。伏見あずさの記憶が戻りつつある、と……」
「違う。彼女自身について、だ。それについては何も言っていなかったのか?」
「……ああ、それについてなら、簡単なことよ。伏見あずさの記憶が元に戻ったら、自動的に元に戻るだろう、と。だから、そのときになったら私達を迎えに来てくれ、と言っていたわ」
「……くくく、ふはは! そうか。そんなことを言っていたのか。だったら、その通りにしてあげれば良いじゃないか。悩む必要性はない。ただそれに従えば良いだけのこと。……それにしても彼女も大変だね。自らスパイ役に打って出ようだなんて! いっくんも流石にそこまでは予想出来ていなかっただろうに」
「いっくん……ええ、そうね。彼も、とても悲しむでしょうね。高畑アリスが元から我々と繋がっていると気づけば」
「そうさ。そもそも、高畑アリスは俺達に仕えている存在。それをいっくんは理解しているはずなのに、彼女も助けようとした。それが彼の大きな失敗だった」
「……悲しむでしょうね」
「だろうね。けれど、俺達には関係ない」
「そうね。関係のないことね」
「そうとも。俺達には、関係のないことだ。……この国が救われるというのならば」
そうして。
笑いながら、池下は部屋を出て行った。
残された『彼女』もまた、不敵な笑みを浮かべながら、その場に佇んでいた。
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