第60話 夢と現実の狭間で③

 五日目。

 とうとう記憶は僕と出会う前まで遡ってしまった。しかしながら、僕と居た記憶は残っているようで(何と都合の良いことか……)、僕のことを忘れ去ってしまっている、ということはないらしい。良かった、そこは一安心である。


「……ねえ、いっくん。私、怖いの。どうしてここに居るのか分からなくて……」

「大丈夫、大丈夫だよ、あずさ。僕はずっとここに居る」


 それは嘘ではない。

 それは感情的ではない。

 論理的に、論じて、確実に、話をする。

 それが僕にとっての一番のポイントであり、それが僕にとって最大のポイントだった。

 僕にとって――なのか、彼女にとって――なのか。

 それは分からない。

 それは分かりようもない。

 分かるはずもない。

 分かり合えるはずがない。


「ねえ、いっくん」


 あずさは言った。

 僕はあずさの言葉に頷いて。


「どうしたの、あずさ」


 そう、呟いた。

 あずさは僕の表情をじっと見つめたまま何も言わずに俯くと――ただ一言そっと呟いた。


「ううん、何でもない」


 それはどういう意味だったのか、僕には分からない。

 分からないからこそ、分かり合えないからこそ、分かり合おうとしたのかもしれない。

 だとしても。

 僕がここで過ごしていく意味は、あるのだと思っている。

 ない訳ではないのだ。

 絶対に、そう、絶対に。



   ※



 その日の夜、僕は夢を見た。その夢は長い川を下っていく夢だった。川の途中には、あずさやアリスが居る。あずさやアリスはその川を守るべく何かに乗り込もうとしている。……あれは、UFO? UFOに乗り込もうとしているのだ、あずさとアリスが。そんなこと、させるものか――僕はそう思って彼女達の居る場所に手を伸ばそうとする。しかし、川の流れは激し過ぎる。どうしても、手を伸ばしても、届きようがない。届きそうにない。届くはずがない。分かっている。分かっている。分かっているのだが――でも手を伸ばしたくなる。そうしたくなる。そうでありたくなる。そうなりたくなる。そうしようと思いたくなる。だが、手は掠め取られてしまう。何に? 分かりきっていることだ。それは、川の流れだった。川の流れは思ったより激し過ぎて、僕が手を伸ばしてもとても届きそうにないのだ。届かなくたって良い。僕はただ、その手を伸ばしたいだけなんだ――! そう思っても、意味がないのかもしれない。分かっている。分かっているんだ。でも、それが答えではないとしても、僕は生きていく意味がないのかもしれない。それが、意味があることだとしても? そうだ、そうであるべきなのだ。僕は、生きていかねばならない。この激流に、置いて行かれないようにしなければならないのだ。僕は、そういう人間だ。そして、みんなとともに生きていく。あずさとアリスの居る平穏な日常を守っていく。たとえ、それが、世界を滅ぼすことになろうったって。僕は変わらない。生きていく意味には、変わらない。僕はそう思って、手を伸ばそうとして――しかし、それを止めた。僕は何も出来ない。僕はその激流に飲み込まれることしか出来ない。僕はあずさとアリスを守り抜くことは出来ない――。

 そして、目が覚めた。



   ※



 六日目。

 朝、起きるとあずさが僕の目の前に立っていた。


「あずさ……? いったいどうしたんだ」

「行かなくちゃ……あの場所に、」


 あずさは動き出そうとする。

 しかし、僕はそれを食い止める。


「何をしているんだ、あずさ! 僕達はずっとここに居て良い。ずっとここに居て問題ないんだ!」

「違う。違う。違う……、私は、行かないといけない場所がある……」

「そんな場所何処にもない!」

「ある……私には、その場所がある……」

「ない! ないってば、絶対に、そんな場所はない!」


 あずさの力は思ったより強く、引き留められそうにない。

 アリスに助けを求めようとしたが――アリスもただその光景をじっと眺めているだけだった。

 畜生! やっぱりアリスはこちらの味方ではないのか……?

 だけれど。

 だけれど。

 だけれど、だ。

 僕はそれを止めなくてはならない。

 僕はその行動を――止めなくてはいけないのだ。


「あずさ。あずさ。あずさ。僕の話を聞いてよ。頼むから……」

「駄目。たとえいっくんの言葉であっても、私は行かなくちゃいけないの……」

「行くって何処に!?」

「『ブラックボックス』……」

「ブラックボックス……?」


 そこまで聞いたところで――僕は意識を失った。

 後ろから殴られたのだ、ということに気づいたのは、それからしばらくしてのことだった。



   ※



「いっちゃんをどうするつもりですか」


 家の前には、黒いリムジンが待機していた。

 そしてリムジンの前に立っていたのは――桜山だった。


「ご安心ください。彼には、『最後の別れ』を行わせてあげるつもりです。そのために、私達に同行して貰います。……終わったら、七里ヶ浜の家に帰してあげますので、ご安心を」


 そう言って。

 桜山は、『彼』を担いだ男、そしてあずさとアリスを乗せたのを確認して、リムジンに乗った。

 彼の祖父と祖母はそれを見送ることしか出来なかった。

 彼の祖父と祖母は――ただ彼の安全を願うことばかりしか出来ないのだった。



   ※



 リムジンの中で、桜山は電話を取った。


「もしもし……。私だ」

『その様子だと、無事「回収」出来たようだね? 桜山くん』

「ええ、兵長、ご安心ください。彼らは無事に『回収』することが出来ました。また、彼女の記憶が元に戻っていることも確認済です」

『そうか……。ならば問題はない。急いで瑞浪基地へ運んできたまえ。話はそれからだ。……「彼」は眠っているのかね?』

「ええ、問題なく。起こしますか?」

『いや、良い。今は起こす必要もあるまい。とにかく、彼らを無事に基地まで運ぶこと。それがお前達の役目なのだ。しっかりと役目を果たしたまえ。では、以上だ』

「かしこまりました。……ちっ、ほんとうに人使いの荒い兵長だこと。あ、これオフレコね。オフレコ」

「……相変わらずあんたは口が悪いなあ。桜山『兵長代理』」

「お互い様でしょう、池下『副兵長』」


 二人は、普段使わない敬称をつけて呼び合った。

 それが珍しいことでもあるかのように、二人は笑い合う。


「いや、しかし、何だ。この敬称で呼び合うのも久しぶりのような感じがしてならないな」

「そうね。……それにしても、何とか間に合ったわね。彼女が『記憶』を失って早三ヶ月……。まさかこんなにも早く記憶が元に戻るなんて」

「それぐらい、彼が冷酷で残酷な人間だった、ってことだろ。逃がしたつもりだと思っていたのだろうけれど、結局は孤独を生み出しただけに過ぎない。そして、その孤独を癒やしてやることも出来なかった訳だ」

「可哀想な子」

「可哀想、ね……。確かにそうかもしれないけれど、結局悪いのはいっくんだ。いっくんが悪いことをしなければ、何も進まなかった。我々が『救出』することもなかった」

「結局はそう……。彼のせいということになるわね」


 車は高速道路に乗っていく。

 そのまま高速道路に乗って、南へと向かっていく。

 目的地は、江ノ島に程近い場所に存在する自衛隊基地――瑞浪基地。



   ※



 夢を見ていた。

 二人がUFOに乗り込んで、敵を倒す夢。

 シンプルだったけれど、現実的だった。

 どうして現実的だと思ったのか? それは僕にも分からない。

 けれど――僕はそれをして欲しくなかった。


「やめろ、やめてくれ!」


 僕は叫んだ。

 叫んでも、その言葉が二人に届くことはなかった。

 そして僕の意識は――ゆっくりと遠のいていった。


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