第十章 逃避行のはじまり

第53話 逃避行のはじまり①

 ここで一つ忠告をしておきたい。

 何故なら、ここから先は日常なんてものは存在しないと言うこと。

 僕達が戦い抜いた『記録』であるということ。

 そして、それを、全てを、知って貰いたい。



   ※



 日付は遡り――クスノキ祭前日。

 正確に言えば、零時を回っていたので当日であるとも言える。

 僕はある人物に再会していた。

 相浜公園のブランコで、またあいつに出会ったのだ。


「いっくん、やっほ。出会ったのは、久しぶりだね?」


 殺人鬼、御園芽衣子。

 かつて僕と出会い、話し合い、命のやりとりをした人物。

 そんな人間のことを――僕はすっかり忘れてしまっていたのだけれど、どうして、こんなところに居たのだろうか?


「何だよ、いっくん。生きているとは思わなかったか?」


 ぎこぎこ、と金属が擦れ合う音が響き渡る。

 夜中。誰も居ない公園にて、一組の男女が出会う。

 それだけ切り取れば、何だかロマンティックな風景にも見えてしまうけれど。

 生憎僕と彼女にはそんな関係性は存在しない。

 殺すか、殺されるか。

 ただその関係性でしかないのだった。

 もっとも、僕に殺人鬼を殺すことが出来るかどうかは――分からないけれど。


「何だよ、いっくん。もっと近づいて話しよーぜ。でないと流石に大声を出し続けていくのは近所迷惑になるだろ?」


 あ、殺人鬼にもそんな感覚ってあるんだ。

 僕はそんなことを思いながら、相浜公園に入っていく。

 隣のブランコに座ったところで、御園芽衣子はにひひ、と笑いながら話を始めた。


「実はちょっと前まで居なかったんだけれどさ、またここに帰ってきたんだよ。やっぱり、実家に近いところだとやりやすさが違うよな? そうは思わないか、いっくんは」

「僕は……ここに引っ越してきたばかりだから分からないな」

「そうだったっけ?」


 そうなんだよ。

 お前みたいに、常に逃げ回っている人間じゃないからな。

 僕はそう思いながら、ブランコを漕ぎ出した。

 ぎこぎこ、とブランコが揺れる音が聞こえる。


「でもまあ、しばらく見ないうちにいっくん、変わっちまった気がするな」

「どういうこと?」

「何だか知らねーけれど、ちょっとやる気が出てきたってゆーの? そういう感じというよりかは、少し覚悟を感じるようになったといえば良いのかな? いずれにせよ、何かあったんだな、って感じはするよ、あのときよっかは」

「……そうかな?」

「そうだぜ。周りが見えていないだけの馬鹿に見えたか、俺が?」

「いや、そうとは思わないけれど……。でも、それは正しいことだと思う」

「正しい? やっぱり、俺の言っていることは正しかったんだな。んで? いったい全体、何があったっていうのさ? 少しはこのおねいさんに話してみたらどうだい?」


 おねいさん、って。

 年齢もそんなに変わらないだろうに。

 僕はそんなことを思いながら――けれど、彼女になら話せるような気がした。

 彼女となら、腹の探り合いをせずに、話せるような気がしたのだ。


「実はさ……、友達が自衛隊に連れ去られそうになっているんだよ」

「へえ? 自衛隊ねえ。そいつは難儀な話だ」

「それで、彼女達は戦争の道具にされてしまいそうなんだ」

「戦争の道具に? たかだか十二、三歳の人間が?」


 それは、まるっとそのまま君に返してやりたい気分だ。


「そうなんだよ。たかだか十二、三歳の少女が、だ。そんなこと信じられると思うか? 僕は未だに信じられない」

「でも、それが真実だということは理解している、ってことだろ?」

「それは……」


 頷くことしか出来ない。

 答えることしか出来ない。

 否定することは出来ない。


「……それで? いっくんはどうしたいつもりな訳?」

「僕は……彼女達を助けたいと思っている。戦争の道具になんかさせたくない。だから、僕は彼女達を逃がすつもりで考えている」

「逃がす? いったい何処に? 相手は国家権力だぜ?」

「それは……」


 そうなのだ。

 相手はただの一組織じゃない。自衛隊――ひいては国家権力を相手にするということ。その意味が理解できていない訳ではない。僕にとって、それがどういう方向に近づいていくかなんてことぐらい分かっている。

 国が国なら、国家反逆罪で逮捕されているレベルだ。

 つくづく、ここが日本で良かった、と思える。


「まあ、いっくん。少し視点を変えて考えてみようぜ」

「視点を変える?」

「とどのつまりが、相手は国家権力。そして助けたいのは少女『達』」

「そうだ」

「だったら答えは簡単だ。好きなことをやっちまえば良い」

「好きなことを……やる?」

「簡単なことだぜ。難しい話なんて一言も話しちゃいねえ。要するに、俺みたいな人間が言える立場じゃないのかもしれないけれど、逃げちまえば良いんだよ。楽になっちまえよ、いっくん」

「御園芽衣子……」

「いつまでフルネームで呼ぶつもりだい? いっくん。たまには俺のことを『芽衣子』とでも呼んでみたらどうだ? それとも『御園さん』か? それとも『みーちゃん』とでも呼びたいか?」

「それ以上は止せ、芽衣子」

「……やーっと、私のことを芽衣子と呼んでくれたな、いっくん。嬉しいぜ。私はそういう柔軟な考えの持ち主が大好きだぜ」


 そんなことを言われてもな。

 僕は複数人の女性と付き合うつもりなんて毛頭ない訳なんだけれど。


「……いっくん、まさか今の言葉、本気で捉えているかい? だとしたら、少しは考え直した方が良い、その愚直な性格をだね」


 愚直?

 そうだろうか。

 僕がそんな性格に見えるだろうか。

 僕は――分からない。分からなかった。


「とにかく、いっくんの考えが俺には未だ分からないね。どういう風にするつもりだい? いっくんとしての考えを教えて欲しいんだけれど」

「言っただろう。僕はただ彼女達を救いたい。ただそれだけなんだ。そのためなら……どんな罪を背負っても構わない」

「へえ? それぐらいに、良い人間に出会ったんだな。良かったじゃないか、いっくん」

「良かったと言われても……。どうなんだろう、僕はただ逃げたい理由を見つけたいだけなのかもしれない」

「逃げたい理由?」

「うん。……考えを改めたくはないんだ。だが、僕としては、彼女達を助けたいと思っているだけなんだ。それだけ……なんだよ」

「だったらさ、いっくん」


 芽衣子はブランコから降りて、話を続ける。


「いっくんがやりたいことをやれば良いと思うぜ? 俺は」

「僕が……やりたいこと?」

「そうだぜ。だって一度きりの人生だろう? 人生は楽しくなくっちゃいけねーんだよ。。俺みたいに殺人鬼の人生を歩んでも良いかもしれねーけれどな!」


 それはどうかと思うけれど。

 あっはっは、と笑う芽衣子を見て僕は深々と溜息を吐く。


「……分かったよ、芽衣子。僕、やってみるよ」

「おう、やってみろよ、いっくん。そして俺に見せてくれよ、可能性を」

「うん。そうしてみるよ。ありがとう、芽衣子」


 そう言って。

 僕はブランコを降りた。


「もう話し合いはお終いにするつもりかい?」

「未だ話す内容でもある?」

「……最近何していたか、教えてやろうか? 私が」


 それは。

 ちょっと気になる話題だった。

 僕はブランコに再び腰掛け、話を聞く態勢を取る。


「実は、依頼されてさ。茨城まで遠征に行っていたんだよ」

「依頼? 殺人鬼にも依頼って来るのか?」

「来るぜ。来る来る。フリーランスみたいなもんだからよ。俺は人を殺すことしか取り柄がないからな。だったら人を殺すことで生計を立てていくしかない。それぐらい分かりきった話だろう?」

「そりゃそうかもしれないけれど……そうか、茨城か……」

「茨城に住む、豪商を殺してこいと言われてさ。どうやって殺すか悩んだけれど、毒殺してやったんだ。罪は奥さんに全て擦り付けて、な」

「それってずるいなあ……」

「そうか? ずるいかなあ。俺にとってみれば至極真面目なやり方だと思うんだけれど」

「それにしても、茨城、か……」

「何かあった? 茨城に知り合いでも居るのか? それとも殺して欲しい相手とか?」


 いや、殺して欲しい相手は居ないけれど。

 茨城には祖母が住んでいる。祖母を頼れば或いは……。


「……いっくん、黙りこくってないで少しは俺にも情報共有してくれないかな。少しは話してくれないとこっちだって困るんだけれどさ」

「……ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていただけだよ。芽衣子には関係ない」

「俺には関係ない、ねえ……」


 芽衣子が少しそっぽを向いたような気がした。

 そして、僕は話を始める。


「少し、頼れそうな人を見つけたんだ。だから、彼女達の居場所はそこに決めた。そこにしばらく身を潜めようと思う」

「出来るのか? それが。相手は国家権力なんだろ?」

「それでも……彼女達を助けられるなら、少しでも助けることが出来るなら、僕はやってのけるさ」

「へえ、いっくん、男前になったね」


 芽衣子は歩き出す。

 僕はただ――それを見つめることだけしか出来なかった。


「いっくんは、優しいよな」


 そうして、しばらく考えた芽衣子が発言したことは――僕にとって想像が出来なかった。

 

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