第54話 逃避行のはじまり②

 僕が――優しい、って?

 それは全然理解できないことだった。今まで僕は自分が優しいなんて思ったこともないし。

 しかしながら、殺人鬼の発言を鵜呑みにする僕も僕だけれど。


「僕が、優しいって? それは何処をどう見て言っているんだよ」

「他人のことをそこまで思える人間なんて、優しい以外の何者でもないだろ? 俺はそう思うぜ」

「そういうものなのか?」

「そういうもんだぜ。少しは他人の意見を受け入れろよ。それも大事なことだぜ?」


 そんなことを言われても、だな。

 僕にとってみては、殺人鬼の発言を鵜呑みにする訳にもいかないんだよな。


「……やっぱり殺人鬼の発言は鵜呑みに出来ないっていうのか?」


 僕の心を読んだような発言に、一瞬ドキッとした。

 しかしながら、僕は何とか必死に首を横に振った。


「……そうかい。なら良いんだけれどよ。……あんまり気張るんじゃねーぜ? 考え方は人によるだろうけれどよ、少しは楽に考えた方が身のためだよ」

「それは分かっているんだけれど」


 それは分かっている。

 分かっていても、理解しきれないところがあるというのも、ご理解願いたい。


「……でもまあ、いっくんが気にする気持ちも分からんでもないがな。俺にもさ、昔はちゃんとした生活があったんだよ。人を殺したのは、九つのときだ。師匠を殺したんだ。俺にとってかけがえのない人間だった。けれど、殺したかった。殺したい衝動が、勝っちまったんだ。分かるか? その気持ちが」

「師匠を……殺した? でも、証拠は残さなかったんだろう?」

「証拠? そんなものは残さないようにしているさ。殺人鬼としての常識だよ」


 殺人鬼の常識がどうだかは分からないけれど。

 僕の常識が充分通用しないというのは分かる。


「……それから十五人ばかし殺したかな。証拠は全て残さないことも出来たけれど、私は敢えて同一犯であるという証拠だけ残しておいた。なんだろうな、殺人鬼としての性が働いたとでも言えば良いのかな。或いは承認欲求と言えば良いのかもしれないな」


 さっきの発言と矛盾しているような気がするけれど、それは無視して良いのだろう。僕はそんなことを考えながら――、僕はブランコを漕ぎ続ける。


「いっくんの考え方に立ち返ろうぜ、少しは」

「……立ち返る? どうして?」

「だって、悩んでいるのはいっくんだ。いっくんの考えに立ち返らなければ、話にならない。そうとは思わないか?」

「そりゃそうかもしれないけれど……。でも、僕の悩みなんて君にとってはどうでも良いんじゃないか?」


 どうでも良い。

 僕ははっきりとそう言い放った。


「……どうでも良いって思えているなら、それはただの失敗だよ。俺にとっての悩みと、いっくんにとっての悩みは全然違う。だからって、それを共有出来ない訳がない。共有出来るからこそ、悩みは悩みと言えるんじゃないか?」

「……まさか、殺人鬼に正論を言われるとは思いもしなかったな」


 僕は溜息を吐きながら、ブランコを止めた。


「どうして君は帰ってきたんだっけ?」


 話題を変えよう。明るくない話題であったとしても、今の話題を長く続けていることが問題なのだ。だったら、別の話題に切り替えた方が良い。一度話した話題であったとしても、だ。


「だから言っただろ。俺が帰ってきたのは実家に近かったからだ、って」

「ということは、昔は君も普通の人間だったのか?」

「普通の人間という定義がどうかは分からないけれど、殺人鬼ではなかったのは事実だな」

「普通の人間という定義、ね」


 確かに僕にも分からなかった。

 普通の人間、というのはどういう立ち位置で言えば良いのかさっぱり分からない。僕は純然たる普通の人間として生きてきたつもりだったけれど、しかしながら、それが普通の人間じゃないと言われてしまえばそれまでである。僕にとって、その価値観は変えたくないし、変える必要がないと思っている。それがどうであれ、僕の価値観を変える可能性のある出来事になってしまうかどうかは、それはまた別の話だったりする訳であるのだ。

 では、それはそれとして。

 芽衣子が小さい頃はどういう生活を送っていたのだろうか?

 そして、どうして殺人鬼という人生を歩むようになってしまったのだろうか?

 答えは見えてこない。そして、答えが見えてくるはずもない。

 僕はただ、出口の見えない迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。


「……芽衣子は、どうして殺人鬼になろうとしたんだ?」

「なりたくてなったんじゃない。……師匠がそういう人間だった、ってだけだ」

「師匠が、ねえ? でも、殺したんだろ」

「ああ、殺したよ」

「どうして殺したんだ?」

「殺したくなったから殺したんだ。……師匠曰く、『それが修行の最終段階』だったらしいけれどよ。俺にとってはちょっと辛かったかな。まあ、一応育ての親みたいなところもあった訳だし」

「だよな……。育ての親を殺すってことは、そう簡単なことじゃないよな」


 人を殺すってこと自体が難しいことなのだろうけれどさ。

 分かっている。というのは、ちょっと僕の考え過ぎなのだろうか。


「でも、今は後悔していないよ。別に育ての親を殺したからといって、縁が切れた訳じゃない。俺にとっては、ただの価値観の違いがあったから、というだけに過ぎないのさ。だから、俺にとっては全然問題なかった。だから、俺は俺を褒め称えてやりたいと思っているぐらいだ」

「褒め称えてやりたい、か……」


 分からなかった。

 僕にはその意味が理解できなかった。

 人を殺した自分を、褒め称えてやりたいという思いが理解できなかった。


「……でもまあ、悪くないのかな。その考えも」

「そりゃそうさ。だから俺は俺として生きている。依頼を受けりゃ何でも引き受ける、殺し屋みたいな人間として生きていくのが俺にとってはちょうど良いのさ」

「……ちょうど良いのか。分からないな、お前の生き方って奴が」

「そういうもんだぜ。人間の生き方は他の人間には分からない。それが人間の良いところだと思うぜ、俺は」

「そういうもんかなあ……」


 僕は再びブランコを漕ぎ出していく。

 そこに答えはないのかもしれない。

 そこに道標はないのかもしれない。

 そこには何もないのかもしれない。

 けれど、僕は前に突き進むことしか出来ない。

 退路は既に断たれている。だったら、前に進むしかないのだ。


「話を戻すけれどさ」


 芽衣子がブランコに座りだして、話を続ける。


「いっくんはやっぱり、『助けたい』という思いが強い訳?」

「……そりゃそうだろ。やっぱり助けたいという思いが強いに決まっているだろ。だけれど、それはやっぱり難しいところがある……というのも確かに間違っているのかもしれない」

「間違っている、と?」

「ああ、そうだろうね」

「いっくんは、どう考えている訳? ……この先、どうすれば良いと思っているんだ?」

「僕はやっぱり、一緒に居ることが出来ればそれで良いと思っているんだ」

「そこに覚悟はあるのか?」

「覚悟?」

「そう、覚悟だよ。俺は殺人鬼になるときは殺人鬼になるべく、覚悟を抱いた。だが、いっくん、お前はどうだ? お前は、一緒に居ることが出来れば良い……でもその覚悟を抱いているのか、と言っているんだ」

「覚悟……」


 ある、と言えば嘘になるのかもしれない。

 でも、ない、という訳でもない。



 ――僕はどう答えれば良い?



「覚悟……。僕は、それを持っていないのかもしれない」

「うん」

「けれど、」

「けれど?」

「一緒に居たいという気持ちは……誰よりも強いと思う」

「思いは、誰よりも強い……ねえ。いっくんらしいといえば、いっくんらしいのかな?」


 芽衣子は話を続ける。


「俺はそんな思いを抱いた人間に出会ったことがないから分からないけれど、一度だけ、家族に会いたいと死に目に言った人間は居るよ」

「その人は……結局殺したのか?」

「ああ、結局殺したよ。だってそうじゃないと、殺人鬼としてのメンツが保てないだろ?」

「…………そうか、殺したのか」

「どうした? 情でも湧いたか?」

「別にそんなつもりはないけれどさ……。その人は可哀想だな、と思ったんだよ」

「どうして、だ? 殺人鬼に殺されるぐらい運が悪くて、どうしようもない奴だったんだぜ?」

「そうかもしれない。そうだったかもしれない。けれど、やっぱり、可哀想だな、って思うんだよ。死に目に家族に会えなかったのは、可哀想だな、って」

「じゃあさ、一言だけ言っておくよ」


 芽衣子はブランコから降りて、公園の外に出ようとする。

 芽衣子はそのまま話を続けた。


「……家族と『守りたい人』。どちらが大事か少しは考えてみた方が良いよ? どちらも居るというのなら、猶更、ね」


 そう言って。

 芽衣子は公園を出て行った。

 誰も居ない相浜公園は――一気に沈黙と化していくのだった。


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