第52話 クスノキ祭⑫
シフトの時間がやって来た。その時間というのは虚無そのものである。そんなことを呟いていたら栄くんが「お客さんに迷惑だよ、その言葉」って言われてしまった。ごもっともである。しかしながら、休憩所として用意したこのスペースも人が捌けることがない。なんというか、常に人が居るんじゃないか、って思えてしまう。もしかしたら常にこの場所に居る奇特な人も居るのかもしれない。実際に調べてないから何とも言えないけれど。
「……とにかく、シフトの時間だけは真面目に働いた方が良いよ? じゃないと分配金がきちんと支払われない可能性が出てくる。ペイ出来ないのは問題だろ?」
それもそうだった。
元々支払ったお金は僕のお小遣いから支払われたお金であったため、それがペイされないのはそれはそれで問題なのである。幾らか戻ってくれないと、来月のお小遣いが……。
いや、そういう問題ではない。
今、話しているべき問題はそんな問題ではないのだ。
――逃げるなら今のうちだぜ。
昨日、池下さんに言われたその言葉。
その言葉を僕は忘れることが出来なかった。出来るはずがなかった。
「……どうすれば、逃げられるのかな」
「え?」
「ああ、いや、こっちの話。最近はまっている戦略シミュレーションゲームがあってね……」
「ああ、ああいう系は一度はまると面白いよね。で、何で急にそんな話題に?」
「えーと……、話す内容がなくなったから?」
「それ、本気で言っている?」
栄くんに本気で怒られてしまった。
まさか怒られるとは思っていなかったので、僕はひたすら謝ることしか出来ないのだった。
※
そんなこんなでシフトの時間も終わり、
「これから三人は暇?」
「暇というか、まあ、それを言うと微妙なところだけれど……」
「暇じゃないの?」
「要するに暇ってことだよ。いっくんの言葉遣いって回りくどいからねー」
あずさに補足されてしまい、僕はげんなりする。
というか、そんなに理解されにくい言葉遣いだったのかな……。
「だったら、僕達のクイズ大会の決勝に見に来ないか?」
「クイズ大会?」
ああ、そういえば、昨日栄くんと八事さんが決勝に進出していたっけ。
「決勝は二つのペアで対戦するんだ! きっと盛り上がること間違いなしだよ!」
「ねえねえ、どうせ見るものもないんだし、見に行ってみない?」
「うーん、そうだなあ」
出来ることならもっと見て回りたかったけれど……。
ぐう。
そんなことを考えていたら、腹が減った。
そういえば昼休みもぶっ通しでシフトに入っていたので、お昼を食べていないのだ。
「あはは。取り敢えず、昼ご飯にしようか。テニス部の特製焼きそばでも食べながら、歓談と行こうじゃないか」
僕はその意見に同意して、栄くんについていくことにするのだった。
※
「クイズ研究部を創立する?」
「うん。八事さんも同じことを思っていてさ。……どうせなら、全国のクイズ大会に参加出来るような器を用意してみるのはどうだろうか、って話になったんだよ。昨日のことがよっぽど手応えになったんだね」
「それは、栄くんだって同じことを言っていたじゃない」
栄くんと八事さん、それに僕とあずさとアリス。
そんな五人が、テーブルを共有して、テニス部の特製焼きそばを食べているのだった。
「良いんじゃない? 面白そうだし。私も応援するよ」
あずさの言葉に栄くんは少しデレデレしながら答えた。
「あ、ありがとう……。そう言われると少し照れちゃうな」
「照れるぐらいだったら、部活動作るの辞める?」
「そ、そんなあ……」
栄くんはすっかり八事さんの尻に敷かれているような気がする。
まあ、普段からそんな性格のような気もするししょうがないか……。
栄くんは焼きそばを啜った後、僕に語りかける。
「いっくんはずっと宇宙研究部に在籍するつもりかい?」
僕はそれを聞かれ、ドキッとした。
何かを知っているんじゃないか、と勘繰ってしまうレベルだった。
「どうして急にそんなことを口にするんだ?」
「いや、だって、宇宙研究部もずっとは続けていられないでしょう。やっぱり大会とかそういうものがない部活動は長続きしないよ」
「それって、クイズ研究部も似たようなものなんじゃないの?」
「クイズ研究部は意外と大会があるもんだよ。気になったら、後で調べてごらん」
「……うぐぐ」
そう言われると、何も言い返せない。
確かに宇宙研究部の表だった実績なんて何も出てこない。せいぜい怪しい雑誌にUFOの写真を掲載して貰うぐらいとか? でもそれが実績になるのかどうかは全然分からないけれど。
そもそも。
部長がどういう道を歩もうとしているのかが、さっぱりと見えてこない。この部活動は出来たばかりだというけれど、もしかしたら部長の一存で部活動が潰れる可能性だって、充分に有り得るのだ。もしそうなれば、僕はどうすれば良いのだろうか?
彼女達と出会えた、唯一の繋がり。
それを失うことになってしまうのだろうか?
それは悲しい。出来ることならそのまま残して欲しい、と思ってしまう。
「……いっくん? 箸が止まっているけれど、どうかした?」
僕はその言葉を聞いて、我に返る。あずさの言葉だった。
あずさはいつも元気だ。あずさも――アリスも――クスノキ祭が終わったら、戦争の道具として連れ去られてしまうのに、僕はいったい何をしているというのだ。
僕は何故ここで立ち止まってしまっているのか。
言われただろうが! あの殺人鬼、御園芽衣子に。
――いっくんがやりたいことを、やれば良いと思うぜ? 俺は。
僕はその言葉を胸に生きていくと決めただろうが! 池下さんにも言われた。逃げる機会が与えられているのは、僕だけだと。彼女達自身には逃げる機会など与えられてはいないのだと。だったら、逃げる手助けをしてやるのが僕の役目――じゃないのか?
「いっくん? おーい、いっくん。どったのさ。少しは反応して貰わないと困るんですけれどー!」
「……うん? い、いや、何でもないよ。少し考え事をしていただけ」
いつかは、話さなくてはならない。
そう思いながら、僕は焼きそばを啜った。
焼きそばの味など――とうに感じなくなっていた。
※
クイズ大会の決勝はあっという間に幕を下ろした。
残念ながら栄・八事ペアは敗れてしまったけれど――それでも楽しいクイズ大会だったのは変わりない。
クイズ大会が終わった後は、部長達のクラスの出し物であるお化け屋敷に向かった。かなりクオリティが高く、正直驚いた。まさかこんにゃくを釣り竿で釣って、それを人に触れさせるとは……。
「どうだった? 我がクラスのお化け屋敷は」
部長がわざわざ出てきてくれて、僕達に声をかけてきてくれた。
部長の言葉に、僕は頷く。
「……かなり怖いお化け屋敷でしたよ」
「そうか! 実は去年もお化け屋敷だったのだがな。色々と進化させているのだよ。来年もお化け屋敷にするつもりだ。ふふふ、お化け屋敷からもう逃れることは出来ないぞ、諸君……」
何だか、部長の面倒になるクラスも可哀想だな、と思いながら僕達は立ち去るのだった。
そうして、気がつけば十七時を過ぎていたので、後片付けに追われることになる。
一日の休息が与えられるとはいえ、片付けが今日中に終わらなければそれが充填されてしまう。だったらさっさと今日中に片付けを終わらせて、明日を八角にしてしまった方が良い。僕はそう思って何とか馬車馬のように働いた。
その結果、後片付けは女子の着替えを含めて二時間余りという短時間で終了するのだった。
「……あずさ、アリス」
「どうしたの?」
「……何?」
僕は意を決して、話を始める。
「明日、会わないか?」
「明日? 別に構わないけれど……アリスは?」
「私も良いけれど……どうして?」
「ちょ、ちょっと買い物でもしようじゃないか。文化祭も終わったし、暇だろ? 暇しているぐらいなら、外に出て買い物でもしようぜ、って話なんだけれど」
「それぐらいだったら問題ないよ。何処で集まる? 学校の校門が一番かな?」
「そうだね。そうしようか。アリスもそれで良い?」
こくり、とアリスは頷いた。
言質は取った。後は行動をするのみだ。
そう思って――僕は明日に備えるのだった。
※
「……遂に作戦の時がやって来たわね」
「ああ。俺達は『ある瞬間』まで手出ししない。そうだったな?」
「ええ。そうしないと彼女の記憶が元に戻らない。だから、それを利用させて貰う」
「……純情な子供の感情を利用するというのも、何だか悲しいものだよな。この国も何処まで落ちたんだろうな」
「あら? そんな国を守る仕事に就いているのが、あなたと私ではなくて?」
「……そりゃそうなんだけれどよ。でもやっぱりやっていることは残虐非道この上ないぜ。やっぱり今からでも作戦を変更するべきじゃ……」
「じゃあ、どうやって『記憶』を取り戻すつもり? 正直、今残されている方法で一番可能性が高いのはこのやり方しかないのよ」
「……分かっているよ。元はといえば、俺達のミスでやってしまったことだ。だから、あんたのやり方に従う。それで良いだろ?」
「最初からそう言っていればいい話なのよ。分かった?」
「分かったよ。それじゃ、これからは『監視』に移る。それで相違ないな?」
「問題ありません。私も仕事が残っているから、これからの連絡は出来ないのでそのつもりで」
「了解」
そうして、二人の通信は終了した。
※
夏が終わる、その前に。
出来ることなら、彼女達を助けることが出来るというのなら。
僕はその望みにかけてみたいと思っていた。
だから、僕は――『逃げる』ことを選んだんだ。
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