第44話 クスノキ祭④

 結局、その日父に会うことは叶わなかった。理由は単純明快。父が忙しくて帰られなかったからだ。帰ることを許されなかった、と言えば良いのかもしれないけれど、しかしながら、僕にとっては『聞きたかったこと』が聞けなかったので少し残念に思う。僕にとっての考え方が、僕にとっての理論として、間違っていないと言える証明となるのだろう。それがどうなるのかは、僕には分からなくなってしまうのだけれど。しかして、僕は考える。今聞くべき話題なのだろうか、と。今僕が聞くべき話題で合っているのか、と。もしかしたら両親を敵に回してしまうのではないか、と。そう思ってしまうからこそ、僕は今その場に立ち尽くしていたのかもしれない。それが何処まで正しいことなのかは分からないけれど。


「父さんが帰ってこなくて残念だけれど、でも、仕方ないよね。仕事が忙しいって言うんだから」

「うん……そうだね」

「仕事が忙しいって言うんだから、仕方ないわよね?」

「……え?」


 何で今繰り返したんだろう。

 まるで僕の気持ちを読み取っているかのような、そんな感覚に陥らせるものだった。


「そう。仕方ないのよ。……ほんとうは母さんも会いたかったけれど」

「そうか。……でも、仕方ないよね。仕事が忙しいって言うんだったら」


 ほんとうに仕事が忙しいのかどうかは分からない。

 それは本人の言葉を信じるほかないのだ。


「そう! 仕事が忙しいって言う父さんのことはなしにして、今日はぱーっとご飯を食べることにしましょう」


 ぱーっと、って。

 何か臨時収入でもあったのか、なんて思えてしまうぐらいの言い方だけれど。


「……何かあったの?」

「え? 何かあったと思ったの?」

「……いや、何でもないけれど」

「……いっちゃん、たまに変なことを言うね」

「言われたくない人に言われて、ちょっと傷心気味だよ」

「……それは悪いことを言ってしまったね」


 悪いこと、だったのだろうか? 僕には分からない。というか答えが見えてこない。父が瑞浪基地の秘密を知っていると分かっていて、それをどうやって聞き出せば良いのだろうか? 全然答えは見えてこない。ならば、無視してしまうのも一興じゃないだろうか。そこには何もなかった――そう思ってしまうのも一興なのではないだろうか。

 一興、という言葉を使いすぎてほんとうに正しい意味で使えているかどうか定かではないけれど。



   ※



 週明けから、クラスの出し物の活動は本格的になってきた。とは言っても、そんな大々的に出来ることは多くない。メニューをどうするだとか、メイド服をどう着こなすだとか、そういう話ぐらいになってしまうのが普通だった。え? メイド服が何だって? メイド服の話は、今はどうだって良いじゃないか。取り敢えず、話としてはあんまり進んでいないというのが実情。僕にとってみれば、原稿が進むからどうでも良いのだけれど。


「ちょっと、いっくん、何でも良いけれど、少しはクラスの出し物を手伝ったらどうかな?」


 言ったのはあずさだった。ちなみにあずさは、今メイド服を身に纏っている。……というか、クラスの女子全員がメイド服を身に纏っているのだ。別の空き教室で着替えてきたみんなが続々とやって来た、と言えば良いだろうか。何というか、どうしてこのタイミングで着替えてくるのかさっぱり分からない。

 あずさのメイド服は、はっきり言って似合っていた。似合っていたけれど、別に今話をする必要はなくない? と思うぐらいだった。


「……別に良いだろ、メニューを決めることぐらい他の人間だって出来ることだ。僕がいちいち首を突っ込む話じゃない」

「でも、そうしたら後で首を突っ込む権利を失っちゃうよ?」

「僕はそういうの気にしないの。……あずさの方こそ、部活動に注力していると、後で変なシフト組まされるかもしれないよ?」

「私のシフトはもう組み込まれたから大丈夫! 部活動は新聞配るだけだから、特に問題ないしね!」


 それもそうか。

 寧ろ完成させるまでが問題、と言えるところだろう。


「……原稿は完成したの?」

「全然!」


 全然、って。

 そんな肯定されても困るんだけれど。


「あと二週間切っているんだけれど、出来るの? 僕は未だ全然だけれど」

「それ、つまり私と同じってことよね? なら、全然自慢出来る段階にないと思うのだけれど」

「でも僕よりはマシだろ。あずさは何を書くのか知らないけれど、僕は未だテーマすら明確に決まっちゃいないんだからさ」

「そういえばアリスはどういうテーマのものを書くつもりなの?」


 そういえば。

 確かに聞いたことがなかった。

 いや、正確に言えば聞いたことはあったけれど、そのときは……何て答えていたっけ?


「私は、未だ」


 つまり、三人とも出来上がっちゃいないってことか。

 この様子でクラスの出し物に全力を注ぐ訳にもいかない。やっぱりある程度力を抜いて部活動の方に力を注がなくては……。


「おや、何をしているのですか。いっくん」


 そう言ってきたのは、栄くんだった。


「栄くん、いったいどうして……」


 メイド服なんて着ているんだ?

 僕の言おうとした言葉を読み取ったのか、栄くんは話を続けた。


「いや、僕が着たくて着ている訳じゃないんだけれどね? クラスの女性陣が是非とも着て欲しい、って言ってくるから。着ないと気が済まないと思ったんだよ。だから一度着ておかないと困った訳であって。決して僕が着たいと思った訳では……」

「分かった、分かった。言わずとも分かるよ」

「それ、分かっていない口ぶりだよね……?」


 おや、分かってらっしゃったか。

 てっきり僕は分かっていないと思っていたのだけれど。


「……で? メイド服なんだけれど」


 アリスとあずさが僕の方にずい、と近づいてきた。


「ん? 何かあったっけ?」

「似合う? 似合わない?」

「……ああ、そういうこと?」


 似合うか似合わないかと言われたら、似合うの一択でしかない訳であって。


「似合うよ、それがどうかした?」

「その適当ぶりは相変わらずね……」


 相変わらず、と言われても。随分と長く付き合っているような感覚に陥っているように見えているけれど、実は僅か数ヶ月での出来事なんだよな。だから全然長い付き合いをした、ってつもりがない訳だし、それをどう考えようったって、結局は何も見つからない話になる訳であって――。


「で? 『似合う』って、具体的には何処が似合う?」

「何だろうねえ……。そんなことを言われても困るんだけれど……」


 かといって。

 じろじろと人の身体を見る訳にもいかないし。


「……やっぱり、胸がないとメイド服って似合うものなのかな?」


 ……殴られた。

 正直に言ったつもりだったのに。



   ※



 正直に言うことが間違っているんだよ、と藤岡さんに言われてしまったので以後気をつけることにする、と言って僕は謝罪した。二人は直ぐに納得してくれたのだが、しかしながら、購買で何か甘いものを一つ購入してくるように、と言われてしまい、僕はそれに従うしかないのだった。メイドが主人(主人と言って良いのか?)に逆らうとは何ということだろうか。まったくもって理解できない。

 それにしても、あずさとアリスのメイド服は悪くなかった。無論、他のメンバーのメイド服も充分だった。けれど、あずさとアリスはそれについて群を抜いていたと思う。もっとも、二人はあまり気にしていなかったようだけれど。高嶺の花、とはあのことを言うのだろうか、なんてことを思いながら僕は購買に向かって歩いていた。


「よう、いっくん。こんなところで何しているんだ? 俺みたいに油でも売っているのか?」


 ……池下さんだった。

 池下さんが購買に居たのだった。別に居ることは悪くない。しかしながら、池下さんのクラスは確かお化け屋敷(余談だが、部長と池下さんは同じクラスである)だったはずなので、その準備に取りかからないといけないような気がしたのだけれど――。


「俺には絵心がないんだよ、絵心が。だからお化け役を担った訳だけれど……。お化け役なんて準備必要ないだろ? 特に持ち運ぶものだってない訳だし。まあ、家から黒いローブぐらいは持ってくるかもしれないけれど」


 黒いローブなんて家にそうあるものだろうか。

 僕はそんなことを思いながら、うんうんと話を聞いていた。

 キットカットを三つ(僕の分も含めて)購入すると、池下さんは待ち構えていた。

 池下さんは、まあ歩いて話でもしようや、と言わんばかりの態度を取っていた。

 仕方がないので、それに従うことにする。二年と一年の教室はそう離れている訳でもない。だから遭遇することもそう容易いことじゃないんだけれど、だからといって話をすることが多いって訳でもない。まあ、こういう機会がなければ話なんてしないだろうな、ってぐらいだと思う。


「……ところで、部活動も最近はとんとご無沙汰だな。原稿は進んでいるか?」

「……いまいちです」

「だろうな。進んでいたら、さっさと出していると思うし」

「そう思うのが普通でしょうね……。池下さんは完成したんですか?」

「俺はぼちぼち。後は写真担当の野並が何とか見つけてくれればお終い、って寸法よ」


 部長は文章を書かないのか。

 そんなことを考えていたら、教室棟に到着した。

 玄関に入る前に、池下さんに声をかけられた。


「なあ、いっくん」

「何ですか、急に改まって」

「……お前はあずさとアリス、どちらを守りたい?」


 唐突だった。

 風も止まって、空気も止まったような感覚に陥った。僕と池下さん以外の時間が止まってしまったような、そんな感覚だった。

 池下さんは話を続ける。


「なあ、いっくん。お前はどっちを選ぶつもりだ?」

「……そんなことを言われても」

「いっくん。俺は自衛隊の関係者だ」


 唐突に。

 カミングアウトされた。


「いっくん。言ってやろうか。もう時間は少ない。あの二人に『日常』はもう残されていないんだよ。強いて言うならば、今回の文化祭をもって決着を着けることになるだろうな」

「決着を、着けるって」


 僕は震える声で質問した。

 答えなんて、とっくに分かりきっていることなのだろうけれど。


「戦争だ」


 池下さんは、そう言い放った。

 短い言葉だった。だが、それゆえにダメージは大きかった。


「戦争が起きるとどうなるか分かるか? 今お前達に起きている平穏も全て無駄になっちまうんだ。分かりきっている話だろう? 何十年も前に起きた戦争が、もう一度この国で起きようとしている。今度は、宇宙を舞台にして」

「宇宙を……舞台にして?」

「それは今度説明してやろう。もし機会があるのなら、な」


 池下さんは教室棟に入って、告げる。


「いいか、いっくん。もう一度言ってやる。二人に残された日常はあと僅かしか残されていない。その日常をどう過ごすかは、あいつらにかかっているんだ。この平穏をどう守っていくか、この平穏をどう過ごしていくか……。何せ戦争では、死んでしまうかもしれないんだからな。誰も彼も、全員」


 池下さんは、言葉で僕を責め立てる。


「いいか、いっくん」


 繰り返すように、そのフレーズを口にする。


「世界は、終わりを迎えようとしている。そしてその日常を噛み締めている人間が多いこともまた事実だ。そうして、世界が終わっていくのを待ち構えている。しかしながら、大半の人間はそれを知り得ていない。世界が終わるというのに、それを知らないんだ。まったく、おかしな話だろう? だが、それが事実。それが運命。それが真実だ。世界がどうなろうったって、知ったこっちゃないと思っているなら、そのままでも構わないが、」


 池下さんは、そこで一息。


「いっくんがどう思っているのかは――いっくん自身が決めることだな」


 そう言って、池下さんは教室棟に入っていった。

 僕はただその場で、立ち尽くすことしか出来なかった。


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