第28話 八月三十一日④

 バーベキューも終わり、時刻は午後八時を回った辺り。すっかり片付けを済ましており、着替えも済ましている状態になっていた僕達は、一緒に江ノ電に乗り込んでいた。

 流石にこの時間にもなれば江ノ電も空いていて、椅子に座ることが出来た。とは言っても数駅だから立っていても何ら変わりないのだけれど。それを考えたところで、僕は思い出していたのだが、他のメンバーが腰掛けたので仕方なく椅子に座ったといった次第だった。


「……そういえば、宿題終わった?」

「終わったよ」

「終わったよ、当然だろ?」

「終わったよ。……その質問をするってことは、いっくんは全然終わっていないってこと?」

「そうだよ、悪いかよ」

「悪くはないけれど、宿題はきちんと終わらせた方が良いと思うよ」

「そりゃ分かっているけれどさ! ……帰ったらやるよ、帰ったら」

「ほんとうに?」

「僕が嘘を吐いたことがあるかい?」

「あるかどうかと言われたら、ないと思う」

「だったら、大丈夫だろ。それぐらい理解してくれよ」

『間もなく、七里ヶ浜でございます。お忘れ物御座いませんよう、ご注意ください』


 アナウンスを聞いて、僕達は立ち上がる。

 やがて、七里ヶ浜駅のホームに到着した電車から降りて、僕達はICカードの簡易改札機のSuicaをタッチする。


「それじゃ、また明日」


 部長の言葉を聞いて、手を振る僕達。

 僕とあずさも別れて、僕だけに相成った訳だ。

 相浜公園を歩いていると、ブランコにまた『あいつ』が居た。


「御園、芽衣子……」

「どうした? やっぱりお前は俺を呼ぶときはフルネーム限定なのか?」

「フルネームでしか呼べないだろ、お前のことなんか」

「ほら。お前と呼んでくれた。未だ若干良い方だ」


 御園は笑みを浮かべて、俺にパンを一切れ差し出してきた。


「残念ながら、夕食は済ましてきたばかりでね」

「焦げ臭い匂いが染みついていらあ。バーベキューか何かしてきたのか?」

「ご明察」

「バーベキューとは随分と立派なことをしてきたものだね。全くまあ、俺みたいな人間にゃ出来ないことだ」

「そりゃ、殺人鬼の君には出来ないことだろうね」

「俺だって好きで人を殺しているんじゃない。金を貰うから人を殺すんだ」

「殺し屋みたいなものだったっけ?」


 こくり、と頷く御園。


「でも、それが何だって言うんだ? それ以外は普通の人間じゃないか。それに、君が殺したという証拠は一切残っちゃいないんだろ? だったら普通の人間のように暮らしていけるじゃないか。……それでも出来ないのか?」

「出来ないねえ。俺は戸籍を持たないから」


 戸籍、か。

 そりゃ一番の問題だな。

 御園の話は続く。


「それに、俺は普通の生活なんてできっこない。だったらこんな風に鼻つまみ者でも生きていくしかないのさ。それが俺の生きていく道なら、致し方ないって訳だよ」

「そういうものか」

「そういうものだ」


 ブランコから降りる御園。

 そうしてそのまま彼女は立ち去っていった。

 何のために彼女はここに居たんだろう――そんなことを思いながら、僕は家に帰るのだった。



   ※



 伏見あずさの家は、七里ヶ浜駅の近くにあるマンションの一室にあった。

 彼女は一人暮らしだったが、家に入ると、誰かが居る気配があった。


「……誰?」

「貴方が一番良く知る人物ですよ、伏見あずさ。いいや、ナンバーナイン」


 彼女を『ナンバーナイン』と言ったその存在は、ゆっくりと影から出てきた。

 黒いスーツに身を包んだ女性だった。サングラスをかけていた彼女は、いったいどういう人間なのかは分からない。

 しかし、伏見にはそれが誰であるか分かっていた。


「マスターチーフ。……いったいどうして今日はやって来たというの?」

「貴方の存在、貴方の居る意味。分からないとは言わせない」

「……とどのつまり、時が近づいたと言いたいのね?」

「その通り。貴方がやるべき時間が、遂に迫ってきている、と言いたい訳だ」

「いつ?」

「九月から本格的に始動するでしょうね。……それともう一つ」

「もう一つ?」

「あなた、『タイムリーパー』を使っているわね?」

「…………、」


 伏見は何も言わなかった。


「タイムリーパーを一般人に使うことがどれ程の悪影響を及ぼすか、貴方も知らない訳ではないでしょうに! どうして貴方はタイムリーパーを使ったのですか!」

「…………それは、」

「まさか、貴方、人間に情が湧いたなんて言わないでしょうね?」

「!」

「……図星、ね。残念ではあるけれど、はっきり言ってそれは間違いよ。我々にとって、人間との邂逅は確かに有意義なものかもしれない。カミラ博士もそう言っていた。けれど、それはあくまでも『きっかけ』に過ぎない。普通の人間にとってみれば、単純なことかもしれないけれど、私達にとってみればそのきっかけ以上のことをしてはならない。それぐらいは、貴方も重々承知のはず」

「分かっているわ。けれど、これは重要なセンテンスだったのよ」

「タイムリーパーを一般人に使うことが、ですか?」

「タイムリーパーの使用回数は未だ限界を超えていないはずですよ」

「越えていようが越えていまいが、一回使うだけで副作用に問題があるのですよ」

「副作用はそれ程問題ではないはず。……せいぜい、記憶の欠如が見受けられるぐらいでしょうか」

「だとしても、です。それを『なかったことにしなければ』ならない。それが我々の役目なのですから。九月以降、貴方には頑張って貰わなくてはなりません。たとえ、タイムリーパーを一般人に使うということがあったとしても」


 そう言って、彼女は家を出て行った。



   ※


 

 家に帰って、時刻は九時半。

 五時間分の夏休みの宿題が残されており、その宿題を片付けるのに必死になっていた。

 しかし、やっぱり遊び疲れたのか眠気が半端ない。

 普通ならそこで眠ってしまうものだろうけれど、そう簡単に眠気に誘導される僕でもない。

 簡単に眠ってしまったら、それはそれで抗っていないことを意味している。

 それは勉強に対する姿勢がなっていないということが意味しているのではないか?

 分かっている。そう簡単に物事が解決しないことぐらい。

 けれど、眠気には抗えないことだってことも分かっている。

 だったら、どうすれば良いのか?

 眠気の限界まで、勉強に励むしかない。

 終わらせることが出来なかった、夏休みの宿題に取り組むしかない。



   ※



 そして、幾度目かの八月三十一日を迎えた。


「今日も……八月三十一日か」


 僕は深い溜息を吐いたまま、宿題を鞄に仕舞う。

 どうせ片付かない宿題なのだ。学校でやってしまえば良いのではないか?

 そんなことを考えて、僕はそれを持って行った。


「おはよう、いっちゃん」


 階下に降りると、母さんがいつものように食事を作ってくれていた。

 何度目になるだろうか、このメニューも。

 そんなことを思いながら、食卓に着くと、パンを一囓りした。



   ※



 登校もいつも通り。

 だから、語るべきことではない。

 強いて言うなら、あずさがやってこなかったことぐらいだろうか。

 それぐらいの変化で、僕が八月三十一日を乗り越える何かを得ることが出来るだろうか。

 答えは見えてこない。

 けれど、それは、きっと一縷の望みになるに違いない――なんてことを僕は思ってしまうのだった。


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