第12話 「ゴブリンの洞窟」 (後編)
ゴブリンの勇者が咆哮を上げた。
まるで竜のようだった。空気を唸らせ、地を響かせ、大ゴブリンが襲い掛かって来た。
剛腕から振るわれる大斧をクレシェイドが避ける。刃は地面を穿った。そして反撃する間も与えず刃の応酬は続いた。
怪力だけの者にあのクレシェイドが負けはしない。レイチェルは勝利を確信していた。
すると大ゴブリンが突如攻撃を止めて、片言の人間の言葉で言った。
「どうした、攻めて来い」
その言葉を受けてクレシェイドは敵へ向かって行った。
突き出された長剣を大斧が受け止める。振るわれる長剣を大斧が受け止める。周囲に凄まじい剣風が吹き荒れた。大ゴブリンは見かけと、その武器を持ってしても圧倒的に俊敏だった。
そしてクレシェイドが吹き飛ばされる。
「そんな、クレシェイドさん!」
レイチェルは思わず声を上げていた。
漆黒の戦士は立ち上がり再び敵へと向かって行った。
だが大ゴブリンの重々しい一撃を剣で受け、次第に押され始めていた。
「嬢ちゃんの知っているクレシェイドとは違うのだ」
グレンが言った。
「どういうことですか?」
「以前の彼には強力な闇の魔力を糧とし、凄まじい膂力と瞬発力とを発揮することが出来た。しかし、今、彼はただの人間なのだ。自分の力量だけで活路を見出すしか手は無い」
「そんな……」
レイチェルは愕然とした。そして後悔した。そんな状態だというのに、相手を殺さないように加減しろと言ったことをだ。レイチェルは迷った。どちらの血も流したくはない。それにクレシェイドにも死んで欲しくはない。
「だが、心配するな。相手は確かに少しは強い。それだけの存在だ」
「ですが……」
レイチェルは不安を拭い切れず、決闘の場を見守る。
猛撃を受け止め、避けながらクレシェイドは後退して行く。
ゴブリンの方から歓声と、クレシェイドに対するヤジが飛ぶのが聴こえて来た。
強烈な一撃を受けてクレシェイドが吹き飛んだ。
大ゴブリンはすぐさま追撃に移った。
クレシェイドが倒れる。そこに斧の刃が振り下ろされる。クレシェイドは俊敏に転がって立ち、相手の懐へ飛び込んだ。
あっと思った時には、クレシェイドは飛翔し剣の柄で大ゴブリンの喉笛を殴打していた。
苦し気な呻き声を上げ大ゴブリンがよろめき、武器を地面に落とす。そして泡を吹きながら、ついに倒れて起き上がらなくなった。
「判定は?」
クレシェイドが誰ともなく尋ねたので、レイチェルはゴブリンの長に向かって相手の言語で大声で尋ねた。
「まだやりますか!?」
すると長は大きく溜息を吐いて言った。
「認めよう、人間、お前達の勝ちだ」
レイチェルはそれを仲間達に伝えた。
クレシェイドが戻ってくる。そして半ばからひしゃげ果てた剣を見せた。
「うわ、こりゃ、マジかよ?」
デレンゴが驚いたようにそう言った。
「ゴブリンの勇者の実力は本物だった」
クレシェイドはそう応じた。
ゴブリン達が長を先頭に歩んできた。
「それでお互いを知るということだが、まずはどちら側がその様を見せるのか?」
レイチェルは仲間達に長の言葉を訳して聴かせた。するとモヒト教授が言った。
「ならば我々の方から見せましょう」
レイチェルがそう伝えると金の冠を頂いたゴブリンの長は頷いたのであった。
二
村人達は困惑しきっていたが、幸い大きな混乱にはならなかった。何せ見知った旅人達がとはいえ、ゴブリンを、魔物を多数引き連れて戻って来たからだ。
「落ち着いてください、大丈夫、大丈夫です!」
モヒト教授が声を上げて、遠巻きにしている村人達を宥めすかしている。
「これは一体どういうことだ?」
壮年の村長が数歩進み出てレイチェル達に向かって詰問した。
「村長さん、村の皆さん、どうかお願いです。ゴブリンさん達を盛大におもてなししてあげて下さい。そうすれば北の洞窟のことも何とかなるかもしれません」
レイチェルがそう言うと、村長は表情を渋くして言った。
「確かに北の洞窟が通れるようになるのはありがたいが……。少しだけ協議させてくれ」
村長は村人達を集めて話し合いを始めた。
「まだか?」
ゴブリンの長が不機嫌そうに言った。
「少しだけ我慢してください。今まで私達は敵同士だったのですから、戸惑うのも仕方のないことです」
レイチェルがゴブリン語でそうたしなめた。
程なくして村長が進み出て来た。
「とりあえずもてなそう。数百ものゴブリンを相手にするのは分が悪い。たった一度のもてなしでそれが変わるのならば安いものだ」
そうして、村の者達は忙し気に自分の役目を全うしに走った。
そして村長の指名で奇術師が一人現れた。青年の奇術師は顔を青くしながらぎこちなく奇術を披露し始めた。ゴブリン達はその摩訶不思議な見世物にすっかり魅せられていた。
そうして奇術にも飽き始めた頃、ようやく食事の用意が整った。椅子にテーブルが運ばれ、村長とゴブリンの長が隣同士に座った。村長はおどおどしていたが、ゴブリン達はどこ吹く風、礼儀正しく背筋を伸ばして待っていた。
そして料理が運ばれてくる。
フォークやナイフもあったが、ゴブリン達は祈りの言葉を揃って述べると、手掴みで料理を食べ始めた。
村長と、村の代表達は同じ席に着きながらも呆気に取られてその様子を見ていた。
「美味い」
ゴブリンの長が言った。レイチェルがそれを村長達に聴かせると、ようやく我に返ったように村長達はワインの瓶を手にしてゴブリン達に酌をして回った。ゴブリン達はワインを飲み、料理を堪能していった。その最中にフォークにナイフ、スプーンの使い方を教えられていた。
そうしてようやくゴブリンの長が言った。
「お前達のもてなしはなかなか良かった」
レイチェルがそれを村の者達に伝えると、村長が少しだけ語気を強くして尋ねてきた。
「それで、これで洞窟の方は通れるようになったのだな?」
レイチェルがゴブリンの長に訊くと相手は答えた。
「何故、我々が洞窟の通行を許さないのか、今度はお前達が確かめに来い」
三
そうして今度は村長と代表達がレイチェルらと共に洞窟を訪れた。
洞窟に入るなり、甲高い金属の音色がそこかしこから聴こえて来た。
「そういうことか」
グレンが納得したように言った。
薄暗い洞窟を進んで行くと、途中、幾つもの分岐路が掘られていた。
「何だ、以前は一本道だったはずだ」
村の代表の一人が言った。
金属の音色は次々に大きく鳴り始めた。
程なくして、ゴブリン達が洞窟の壁に向かって鎚を振り下ろしているところに出くわした。
ゴブリン達は黙々と作業に精を出し、金槌を岩壁に押し当てた杭に振り下ろして壁を削っていた。
ゴブリンの長が懐から何か拳大程の物を取り出した。
松明の灯りを近付けると、それは綺麗に輝いたのだった。鉱石の原石だった。
「これはエメラルド、こっちは水晶。トロルとの取引に使うのだ。我々がここを住処としたのは、お前達人間がこれに気付き、横取りしないか恐れていたためである」
ゴブリンの長が言うのをレイチェルは伝えた。
「そうだったのか。だが、我々は断じて横取りなどしない」
村長が頑として応じた。言葉は通じなくともその目を見てゴブリンの長も納得したらしい。そして言った。
「お前達は我々を丁寧にもてなしてくれた。その言葉は信じられる。我らは安心して作業を続けるだろう。だが、人間達よ、お前達の作った得体のしれない美味な食い物はどうやって作るのだ?」
レイチェルが村の長達に訳して伝える。
「そりゃ、畑を耕したりするのさ」
畑を耕す? レイチェルはその言葉の訳が分からず困った。するとグレンがゴブリン語で応じた。それを聴いたゴブリンの長が答えた。
「我々は気が短い。畑を耕すとやらは向いて無さそうだ」
レイチェルがそれを伝えると、モヒト教授が言った。
「だったら、あなた方の鉱石と食べ物を交換すれば良い、料理の技術は無償提供にはなってしまいますが……」
「取引か。悪くはないかもしれない」
村長が頷いた。
レイチェルがゴブリンの長にそのことを言うと、相手もまた頷いた。
「良いだろう。だが、その料理とやらの技術の代わりに、我々ゴブリン族の勇者を有事の際は派遣することで合意しよう」
「それは悪くない!」
レイチェルが伝えるとモヒト教授が興奮気味にそう言い、村長と村の代表達の顔色を窺った。
「良いだろう、交渉成立だ。人間はこの坑道を通行はするが、採掘はしない」
レイチェルが伝えるとゴブリンの長が言った。
「決まりだ」
そして手を差し出す。村長がおずおずとその手を握り返した。こうして村とゴブリンとの間に新たな絆が生まれた。その現実を間近にしてレイチェルは自分が必死になってゴブリン語を覚えたことが間違いではなかったことを思い知り嬉しくなった。モヒト教授の方はよほど嬉しかったのか小躍りしていた。
「お前達はどこへ行くのだ?」
坑道を出口の方へ案内されていると、先を行くゴブリンの長が振り返って尋ねて来た。
「人を探しています」
「人探しか」
レイチェルはふと尋ねてみた。
「この女性に見覚えはありませんか?」
「無い」
肖像画を眺めるとゴブリンの長はそう答えた。
「では、待ち人の町と言う名に心当たりは?」
「無い」
長は答えた。するとグレンが言った。
「殺さずのネリーについて知っているか?」
するとゴブリンの長が急に立ち止まって腕組みした。
「我々はもともと北から来た。人間達に追い出されたのだ。もう昔、三百年ほど前になる。その中で刃の無い剣を振るう人間のことを見たことはある」
ハッとして、レイチェル達は顔を見合わせた。
「それがお前達の探している人間なのかは知らないが、随分勇ましく酔狂な女だった」
女!?
レイチェルは慌てて仲間達に長の言葉を訳して聴かせた。
「クレシェイド、どうだ、殺さずのネリーかは分からないが、お前さんの考えを聞かせてくれ」
グレンが尋ねると、漆黒の戦士は答えた。
「ネリー自身に俺は剣を教えた。並みの戦士以上の腕前はあるだろう。だが殺生を好む人柄ではない。殺さずのネリーか。あるいは彼女なのかもしれない。その女が北のどの方角にいるか尋ねてくれ」
レイチェルは頷きゴブリンの長に尋ねた。
「ここから先、三叉路になっている。それを北へ真っ直ぐ進め」
レイチェルがそのことを話すと仲間達は希望を取り戻したような明るい表情を浮かべた。そしてクレシェイドに判断を委ねた。彼は答えた。
「当てがあるなら、それを確認するまでだ。長の言う通り、三叉路を北へ向かおう」
レイチェル達は頷いた。程なくして洞窟の出口が見えてきたのだった。
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