第12話 「ゴブリンの洞窟」 (前編)

 第一の地上へ残る仲間達の献身的な姿にレイチェルは感動を覚えていた。そして絶対に戻るという強い意志も改めて漲らせた。

 デレンゴのお手柄「待ち人の町」を目指して一行は幾つもの町や村を通り過ぎた。だが、それ以降、ネセルティーの消息も、待ち人の町の位置も情報が全く入って来なくなった。そして唯一手に入れた情報が、この先、道は三方に分かれるということだった。

「この広大な大地だ。道はいずれも果てしなく続いているだろう」

 グレンが言った。

「そうですね。最初に入る道を間違えれば途方もないほどの時間を食ってしまうでしょうね。どうにかして正確な情報を仕入れたいものです」

 モヒト教授が応じた。

 歩き続け一行は村に入った。

 恒例の如く、そこで仲間達は分かれて訊き込みを開始した。

 レイチェルはいつも通りグレンと組んだ。

「ネセルティー?」

 問われた村の男は肖像画を見ながら頭を振った。

「いや、見たことは無いな。それにそんな珍しい名前の人なら忘れやしないさ」

 確かにそうだろう。

「ネリーとも呼ばれてます」

 レイチェルが希望を込めてそう言うと、男は答えた。

「ネセルティーは珍しいが、ネリーなんてのは有り触れた愛称だろう?」

 それもそうだ。レイチェルは男に礼を述べて去ろうとしたが、男が思い出したように言った。

「だけどネリーって聴いて思い浮かぶのは、殺さずのネリーぐらいなものかな」

「殺さずのネリー?」

 レイチェルが尋ね返した。

「ああ。かなり腕の立つ人物で、北の方で悪党どもを相手に随分活躍してるらしいが、どういうわけか、絶対に悪党でも斬らないそうだ」

 レイチェルとグレンは顔を見合わせた。

「それでそのネリーの住む町は北のどの方角だ?」

 グレンが尋ねた。

「それはわからん。それに殺さずのネリーの噂を聴いたのも随分前のことだ。ついでに今は、途中の洞窟も通行止めになっていて、どの道、北への進路は阻まれてる」

「崩落事故でもあったのか?」

 グレンが訊くと男は答えた。

「ゴブリンだよ」



 二



 足早に旅立ちながらレイチェルは男の言葉を思い出していた。

 ゴブリンは数百規模の群れを成し、北への通路である洞窟を頑なに封鎖しているのだという。村の自警団も、流れの傭兵の一団でもどうにもできなかったとのことだ。

 一行の目の前に大きな山が見えて来た。そうして進んで行くと、ポッカリ空いた入り口も望むことができた。しかし、その眼前には数十のゴブリン達がうろついていたのだった。

「皆はここで待っていてくれ」

 クレシェイドが長剣を抜き歩もうとするのをレイチェルは慌てて止めていた。

「待ってください!」

「そうです、待ってください!」

 モヒト教授も続いた。

「今は止めて奇襲でも仕掛けようってか?」

 デレンゴが言うとレイチェルは頭を振った。彼女はホブゴブリンの仲間ガガンビのことを思い出していた。彼と過ごした時間は無駄ではなかったはずだ。それを今こそ証明しようと決意を固めたのだった。モヒト教授が説得するように言った。

「ゴブリンだからと言って敵だと決めつけてしまえば、血が流れることは必然です。ここは洞窟を通らせて貰えないかどうか、まずは交渉から始めてみませんか?」

「交渉? 言葉も分からないのに、交渉か?」

 デレンゴが鼻で笑った。

「確かに言葉が分からないのは致命的です。しかし、彼らにも洞窟を封鎖する理由があるはずです。まずはそれを知りましょう。その上で我々が力になってあげられること見付けるのです」

 モヒト教授が熱弁する。しかしデレンゴは溜息を吐いて嘲笑っていた。

「言葉なら分かります」

 レイチェルは応じた。仲間達の視線がこちらに集まった。レイチェルは改めて言った。

「ゴブリン語なら分かります。私に任せて下さい。ですから武器を収めて、彼らに会ってみましょう」

「おいおい、芋……じゃなかった。レイチェルさんよ、本当に奴らの言葉を知ってるのか?」

 デレンゴが問うと、クレシェイドが剣を鞘に戻した。

「わかった。まずは彼らと接触してみよう」

 漆黒の戦士が言った。レイチェルは嬉しくなって頷くと、緊張しながら先頭を進んだ。自分の隣にはクレシェイドがいる。彼はきっとあの地上へ意識だけが戻れた時に、ガガンビのことを見たのを思い出してくれたのだろう。だから期待してくれている。散開していたゴブリン達がこちらに気付き、入口の前の集結してきた。手に手に武器を持っている。

「争う気はありません!」

 レイチェルはゴブリン語でそう言った。一番大事な言葉だと彼女は思い、この言葉だけはしっかり胸に秘めていたのだ。

「私一人で行きます」

「いや、それは駄目だ。お前を信じていないわけではないが、俺に同行させてくれ。俺にはお前を守る責任がある」

 クレシェイドが言った。

 レイチェルは頷いた。そして歩んで行く。

 ゴブリン達がガヤガヤ騒ぎながら警告を発してきた。

「そこで止まれ!」

 ゴブリン語が飛び、レイチェルは従って足を止めた。

「あなた方と争う気はありません!」

 レイチェルは再び声を上げた。

 ゴブリン達は驚いたように口をあんぐり開けた後、ガヤガヤと相談しあっていた。

 そしてその中から五人が進み出て来た。毛むくじゃらの身体に皮の服を纏い、エメラルド色の瞳をしている。手もやはりレイチェルが知っているゴブリンと同じで長かった。

「お前か、我らの言葉を話したのは?」

 ゴブリン語で一人が尋ねた。

「私です」

 レイチェルは応じた。そしてゴブリン語で問答を始めた。

「何の用だ、人間?」

「ここを通らせてもらうことはできないでしょうか?」

「それはできない」

「何故ですか?」

「ここは我らのねぐらにして作業場だからだ」

 ゴブリンが応じた。

「作業場? 何かなさっているのですか?」

「いかにも、なさっている」

 ゴブリンは応じた。

「それは何ですか?」

「それは言えない。言えば、お前達が奪いに来るだろう」

「私達は、例えどんなものでも、あなた方から奪ったりしません」

「何故そう言える? 生前、お前達は我々の命を奪った」

「それは――」

 レイチェルが言葉に窮していると、背後からグレンが歩んできた。老魔術師はゴブリン語で言った。

「それはお前達もだ。人里を襲い、馬車を襲い、時には我々人間の命を奪った」

「それは仕方なかったからだ」

「そうだ仕方なかったからだ。お互いに歩み寄る努力を怠り、また相手を知ろうともしなかった。だが、今はこうして言葉が通じる。どうだろうか、この辺りで人間というものを知ってみないか? 我々もお前達のことを知ろうとも思う。こんな機会は滅多に無いはずだ」

 五人のゴブリン達が話し合いを始め、それが終わると、一人が言った。

「長を呼んで来る」

 そうして脱兎の如く洞窟の中へ飛び込んで行った。

 程なくして金の冠を頂いたゴブリンが威風堂々と姿を見せた。毛むくじゃらだが、老齢なのかその毛は他とは違い白かった。

「お互いを知るだと?」

 ゴブリンの長はそう尋ねた。

「そうです」

 レイチェルは応じた。

「だが、我々はわざわざ弱い者と話すような舌は持ち合わせてはいない。ゴブリンの勇者を倒せばお前達の話を聞いてやろう。さあ、どうする?」

 長がこちらを凝視した。

「レイチェル、奴は何と言っているんだ?」

 クレシェイドが尋ねた。レイチェルは訳を話した。

「承諾してくれ。俺が行こう」

「で、でも」

「ゴブリンは殺さない」

 クレシェイドがそう言い、レイチェルは頷いた。

「条件を飲みましょう。我々の代表はこの者がします」

 レイチェルはクレシェイドを指しながら言った。

「そうか」

 長は不敵な笑みを浮かべた。そして声を張り上げた。

「ギゴンガ!」

 叫びとも取れるそれはゴブリンの勇者の名前だったらしい。

 洞窟の入り口から体格の良いホブゴブリンが歩んできた。皮の胴衣を身に纏い、手には大斧を提げている。

 近付いてくると、ゴブリンの勇者はクレシェイド以上の背丈を誇り、そして近くで見て初めてその身体がどれだけ筋肉で引き締まっているのか窺うことが出来た。

 見下ろす様はまさに怪物だった。あるいはあのクレシェイドが負けるかもしれないと不安が過ぎって来た。それなのに自分は彼に手加減するように求めてしまった。

 モヒト教授とデレンゴが慌てた様子で駆け付けて来た。

「交渉が上手くいかなかったのですか?」

 モヒト教授が尋ねてくると、クレシェイドが答えた。

「いや、下がっていてくれ。まずは交渉権を得るためにこの大ゴブリンと俺が決着をつけねばならん」

「どうした怖気付いたのか?」

 長が口角を上げてそう言った。

「レイチェル、奴に言ってくれ。俺が必ず勝つと」

 レイチェルがゴブリン語でそう告げると、ゴブリンの長は鼻で嘲笑い言った。

「その自信だけは認めてやろう。さあ、関係の無い者は速やかに下がれ! 決闘の始まりだ!」

 レイチェルは仲間達に伝え下がらせる。

 背後を振り返るとクレシェイドが剣を抜き放ったところであった。

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