第11話 「誓い」

 北と西への分岐路の前で一行はレイチェルの意見に従い北に行くことを決めた。

「どれ、こんなもんだろう」

 デレンゴが側の木に短刀で傷をつけていた。その傷は文字だった。

「デレンゴ様参上」

 と記されていた。レイチェルは呆れてしまった。

「無闇に木を傷つけないで下さい」

「別に良いじゃねぇかよ。ここには戻ってくるんだぜ。その時にこの傷を読んだら何だか帰って来たって感じになって絶対嬉しくなるはずだぜ」

 デレンゴは得意げにそう答えた。そうして一行は分岐路を北に北に向かった。しかし世界は広いし、その分、幾つもの街道が通っていた。真北なのか、それとも北東、北西なのか、その辺りが分からなかった。なので、辿り着いた町でもいつもの様にレイチェル達は肖像画を持ち、訊き込みに奔走していた。

 そうして夕暮れ時、酒場と宿を兼ねる店で合流して成果の報告をした。

 レイチェルとグレンの組は全く成果が出なかった。クレシェイドも、モヒト教授も駄目だった。

「今回も駄目だったか」

 クレシェイドが多少気落ち気味にそう言うのをレイチェルは聴いた。

「おいおい、まだ俺に訊いてねぇだろう?」

 デレンゴが言った。

「もしや手掛かりがあったんですか!?」

 モヒト教授が勢いよく尋ねた。

「いや、無かった」

 デレンゴがきっぱりと答えた。モヒト教授は危く椅子から滑り落ちそうになり、レイチェルは溜息を吐いた。

「運命神サラフィーが微笑むのを待つしかあるまい。さあ、今日のところは終わりだ。あとは美味い料理に舌鼓を打って眠るとしよう」

 グレンが仲間達を気遣う様にそう言った。

 そうしてレイチェルは部屋に戻った。念のためクレシェイドと同じ部屋だった。今のレイチェルの立場は神々から依頼された貴重品その物だ。それを片時も見放すわけにはいかなかった。そうやって宿に泊まる時はいつもクレシェイドと同室だった。かつては眠る事さえ許されなかった戦士が、暗くなった寝室で、今はか細い寝息を立てていた。それを聴く度、レイチェルは微笑ましく思っていた。そうして彼女も目を瞑る。今日の晩もよく食べた。そのためだろうか、すぐにまどろみの世界が訪れたのだった。



 二



「クレシェイド、クレシェイド。レイチェルはそっちにいるんでしょう? 見つけてないのなら早く見つけてあげて。もしも側にいるなら早く身体に戻してあげて。お願い……」

 哀願する声には聞き覚えがあった。その少女の声にクレシェイドは目が覚めた。

 ふと、自分が見慣れぬ部屋にいることに彼は気付いたのだった。

 ベッドに眠る少女が目に入る。紛れもなくレイチェルだった。そしてその傍らには神官の服装をした桃色の髪の少女と、ティアイエルがいた。

「クレシェイドさん」

 不意にレイチェルの声がし、彼はベッドの中の彼女を見たが、肩を叩かれた。そこにはレイチェルが立っていた。

「レイチェル。お前も来たのか」

「はい。ここはエイカーの獣の神の聖堂の地下にある大きな病院です」

 レイチェルが答えた。もう一人のレイチェルは相変わらずベッドの中で寝入っていた。

「私達、夢の世界に来てしまったのでしょうか?」

「夢か現実かは分からない。だがティアイエルの声を俺は聴いた。その声に導かれたのかもしれない」

 すると桃色の髪をした神官の少女が言った。

「やっぱり心臓は動いてるんですよね。呼吸もしてますし、何故目覚めないのでしょうか」

「アタシにも分からないわ」

 ティアイエルが応じる。

「じゃあ、また来ますので。ティアイエルさんも少しは外の空気を吸われた方が良いですよ」

「わかったわ」

 有翼人の少女が答えると桃色の髪の少女は去って行った。

 ティアイエルが歩み出し、眠っているレイチェルの頬を指でつついた。

「ねぇ、レイチェル。アンタどうして起きないのよ」

 そしてティアイエルは眠るレイチェルの横顔と自分の顔を近付けた。そして言った。

「あの時、アンタのおかげで、ヴァルクライムは助かったわ。アタシ達は何もできなかったけど、ヴァンパイアロードも討ち取ったし……だけど、アンタが目覚めなきゃ、終わらないのよ。あの戦いはまだ続いてる。ガキの頃、遠足で言われたことあるでしょう? 帰るまでが遠足ですって。今はそんな感じよ。だからアタシ達はアンタが目覚めるのを待ってるわ。ずっとずっと、戦いが終わるのをね」

 そうして有翼人の少女は立ち上がった。そして天を仰いで言った。

「クレシェイド、お願いよ。レイチェルのこと見つけてあげて。そして彼女をここに戻してあげて」

 ティアイエルの目から涙が零れ落ちるのを見た。

 クレシェイドは歯痒いを思いをした。傍らのレイチェルもそうだろう。

「ティアイエルさん、心配かけてごめんなさい。なるべく早く帰ります。だから――」

 レイチェルが言ったが、勿論、相手には聴こえていないようだった。その時、開け放たれている扉から三人組が入って来た。

 ティアイエルは涙を振り払っていた。

「姉ちゃん、戻ったよ」

 サンダーが言った。ヴァルクライムと、信じられないことにゴブリンの姿もある。

「あのゴブリンも仲間なのか?」

 クレシェイドが驚いて問うと、レイチェルは頷いた。

「ガガンビさんです」

 するとゴブリンが有翼人の少女に近付き、巾着袋を渡した。

「レイチェルの入院代を持ってきた」

 ティアイエルは受け取った。

「で、今回はどんなことしたの?」

「ジャイアントだよ。デカくて凶暴なヤツ。そいつを討伐してきた。後は貴重品の配達だよ」

 サンダーが言った。その腰にはクレシェイドが彼に譲った飛礫の小剣が提げられていた。

「いちおう、言葉が通じるかどうか説得はしたんだけど、駄目だった。オーガーの方が可愛いぐらいだよ」

「そうだな、少年」

 ヴァルクライムが微笑んだ。

「レイチェル嬢ちゃんの具合はどうだ?」

 魔術師が続けて尋ねるとティアイエルは頭を振った。

「相変わらずよ。本当に魂だけ抜けちゃったみたいだわ」

「一生の不覚だった」

 ヴァルクライムが言った。

「誰もおっちゃんを責めてないよ。俺だってあのままおっちゃんがヴァンパイアになるのを黙って見ていられなかったよ。だけど、俺にはそれを防ぐ力が無かった」

 サンダーが気落ち気味に言った。

「そうだよ、レイチェルちゃんにしかできないことだったんだよ……」

 ハーフエルフの少女が現れた。

「リルフィス……」

 クレシェイドは思わずその名を口にしていた。彼女はもう石ではなかった。そうして彼は改めてゴブリンを含めた仲間達を見渡した。

「良い仲間達だな」

「はい」

 隣でレイチェルは涙を零しながらそう答えた。

「こんな素晴らしい仲間達がお前を待っているのだ。時間は掛かるだろうが、必ず元の世界に帰してみせるぞ、レイチェル」

 クレシェイドは心から感動しながらそう言った。

「ありがとうございます、クレシェイドさん」

 不意にクレシェイドの隣に立つレイチェルの姿がおぼろげになり始めた。そうして彼女の姿は消えていった。

「ティアイエルちゃん、たまにはリールがレイチェルちゃんの看病するよ」

「俺も看病する」

 リルフィスとゴブリンのガガンビが申し出たが、有翼人の少女は軽く笑って答えた。

「大丈夫よ。アンタ達もそろそろ宿に引き上げなさい。もう遅い時間だわ。アタシもそろそろ眠るつもりだし」

 仲間達は頷いて、おやすみの挨拶を残して部屋から出て行った。

 ティアイエルは溜息を吐いた。その目がこちらを凝視した。

「クレシェイド?」

 そう問われ、クレシェイドはドキリとしつつ応じた。

「そうだ、俺だ。お前には俺が見えているのか?」

 彼が答えると有翼人の少女は言った。

「そんなわけないわよね。アイツにはレイチェルのことどうにかして貰わないとならないんだから、こんなところで油を売ってるようならぶん殴ってやるんだから」

 そうして突き出された拳は、クレシェイドの身体を突き抜けていた。

「クレシェイド頼むわよ」

 ティアイエルが言った。

「……わかった。任せてくれ。必ずレイチェルをお前達の元に送り届ける。誓おう」

 クレシェイドは自分の身体が薄らいでゆくのを見た。そうして真っ暗な世界へと戻っていったのだった。



 三



「クレシェイドさん、昨日のことですけど」

 レイチェルがそう言ったので、クレシェイドは頷いた。

「俺も覚えている。夢じゃなかった」

「そうですよね」

 レイチェルが微笑んだ。クレシェイドは言った。

「必ずお前を元の世界へと帰そう。改めて約束する。我々の仲間達に誓って」

「ありがとうございます」

 レイチェルは頷いてそう答えた。

 そうして朝食の席に下りた時だった。既に他の三人は勢揃いし、まるで待ち兼ねた様子でこちらを見ていた。

「おはようございます」

 レイチェルが挨拶をすると、デレンゴがそれを呑み込むように息せき切って言った。

「おはようなんか言ってる場合じゃないぜ!」

 デレンゴは力強い笑みを浮かべてそう答えた。

「何かあったのか?」

 クレシェイドが問うとデレンゴは答えた。

「見つけたんだよ、手掛かりをよ!」

「本当か?」

 クレシェイドは驚いて尋ね返した。するとモヒト教授が言った。

「北の方に待ち人の町と呼ばれていた町があるらしいのです」

 彼が言うとデレンゴが喚いた。

「おいおい教授、俺が言うつもりだったのによ!」

「すみません。では、デレンゴさんどうぞ」

 モヒト教授が譲ると、デレンゴは気を持ち直したように言った。

「でよ、そこの町ってのが、名前の通りなんだよ。待ち人を待つ町だ。ただ、昔にそう呼ばれてただけで、今はその名もけっこう廃れちまったらしい。だがよ、そのオメェの恋人はずっと昔に死んでるだろう? もしかしたら町の噂を聞いてそこに残ってるかもしれないぜ。まさか、当ても無く、オメェが死ぬまでの長い長い時間を、さすらってるとも思えないしな。そういうところで待つのが賢いってもんだろ? 一応訊くが、オメェの恋人は賢いよな?」

 クレシェイドは頷いた。水鏡の塔の結果からすれば、彼女はこの三百年間、ずっと待っていてくれたのだ。その長い年月の間に待ち人の町の噂も耳にしているはずだろう。賢いネリーなら、無謀なすれ違いの旅を選ばず、この俺も噂を聴きつけて現れるのを待っていてくれているだろう。

「デレンゴ、ありがとう」

 クレシェイドが言うと、デレンゴは頭を掻いた。

「いやぁ、やっぱし俺様ってすげぇだろう?」

 そして大笑いした。

「良かったな友よ、希望が見えて来たぞ」

 グレンが言いクレシェイドは頷いた。

 ネリーを探し出し、レイチェルを元の世界に帰す。これが今の自分の使命なのだと改めてそう自身に誓ったのだった。

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