第10話 「ネセルティー」 (後編)

 長い時間を費やし、北へ北へと向かい、ようやく待ち人の町へ二人は到達した。

 町は人に溢れていた。

 ネリーとユキは一先ず住まいを見付けて、二人で住むことにした。

「でもこれからどうやって稼いで行けば良いのかしら?」

 ネリーは底の尽きそうな財布を見ながら言った。

「御薬屋さんでもやってみる?」

 ユキが言った。

「薬屋ですか、でも、私、薬の知識ありませんし……」

 ネリーがそう言うとユキが頼もしい笑みを浮かべて言った。

「大丈夫よ、私が知ってるから」

 それから二人は近くの山に入っては薬の材料を収穫した。ネリーは薬の材料のことを教えてもらいながら、天日干しすることと、充分に乾燥したそれを、すり鉢と乳棒で粉にし、別の薬の材料を調合して、初めて薬になることを知ったのだった。

 ネリーとユキの薬屋は順調に軌道に乗り始めた。

 そうして薬を売る傍ら、ネリーはユキに色々なことを教わった。料理に裁縫、洗濯、掃除、王女の自分にはどれも無縁のことばかりで毎日が新鮮だった。

 いくら待ってもクラッドは現れなかったが、ユキといるおかげで毎日が楽しく、少しも寂しくは無かった。

 毎日が平和だ。運命神サラフィーが自分達に微笑んでくれていると、その時ネリーはそう思っていた。



 二



 燃え上がる家屋、悲鳴に罵声が待ち人の町を包み込んだ。

 赤い鎧に身を包んだならず者集団が略奪に訪れたのだった。

 ネリーとユキは、剣を帯び、ならず者集団に襲われる人々を助けに走った。

 だが、無力な人々は次々斬られ、血の跡を残して消えてゆく。

「北の町から援軍が来る! それまで耐えろ!」

 どこかでそう呼び回る男の声が聴こえた。

 武装している町民達は賊を相手にしながら、弱き人々のために戦った。

 中でも旅の途中だったという戦士が凄腕の大剣の使い手で、彼一人で五十人もの賊を切り捨てていた。これには半数以上も手下を失った賊の頭目も色を失い退却を口にしていたが、その首もまたその戦士の手によって討ち取られていた。

 ネリーと、ユキも戦った。だがユキは、まるでネリーに戦わせまいとして自ら進んで敵へ斬り込んでいった。

「ネリーは人殺しをしたことがある?」

 賊を打ち倒しながら肩で息をしつつユキが尋ねた。

「無いわ。今のところは」

 ネリーは答えた。生前の最後の突貫でも自分の剣が敵に届く前に討たれていた。

「そう。だったらネリーは人殺しをしちゃいけないわよ」

 その時だった。ユキの剣に打たれて昏倒していた賊が起き上がり、ネリーに襲い掛かって来た。

「ネリー、危ない!」

 ユキが素早く間に割り込んだ。

「ユキ!?」

 賊の剣がユキの身体を貫いた。

「ちいっ、生き残りがいたか!」

 旅の戦士が大剣を振るい敵へと斬りかかり、その身体を切り裂いた。

「ユキ? ユキ!?」

 ネリーは自分の腕の中に倒れるユキを見て懸命に呼び掛けた。

「誰か、お医者か僧侶を、お願い!」

 ネリーが言うと、近場に居た顔見知りの住民達が頷き、駆けて行った。

「や、やっぱり人を殺さないっていうのは甘いことなのかな?」

 ユキが呻きながらそう言った。

「そんなことない! あなたのその高潔で優しい思いは立派だわ!」

 ネリーは声を上げてそう応じた。

「ねぇ、ネリー、私やっぱりあなたに人殺しはさせたくない。そのまだ血で汚れていない手は大切にすべきよ。その手で多くの人々を労わって上げて」

 ネリーは頷いた。彼女は涙を流していた。

「私の剣、あなたに上げるわ。不殺の剣よ……」

「ユキ、そんなこと言わないで! この剣はあなたの物よ! だからしっかりして、もう一度、この剣を手にして立ち上がって!」

 ユキは力なく微笑んだ。

「分かるのよ。神様が、私の命を転生させようとしている。凄く安らかな気分だわ。次は何に生まれ変わるのかな……」

 ユキの身体が霧のように姿をおぼろげになってゆく。ネリーは必死に叫んだ。

「ユキ、駄目よ! 頑張って、諦めないで!」

 ユキは手を伸ばし、ネリーの頬に触れた。

「ネリー、ごめんね一人にしちゃって。あなたと一緒にいられて私は幸せだった……本当よ。じゃあ、さよならネリー……」

 ユキの身体が霞んでゆきそしてその姿は消えた。

 不殺の剣が石畳に落ちて音を響かせる。

 ネリーは声を上げて泣いたのだった。



 三



 それから長い長い時が経っていた。

 レイチェル達は分岐路の前で立ち止まっていた。

 北か西か。どちらかを選ばねばならなかった。

「さて、レイチェルの嬢ちゃん、心は決まったか?」

 グレンが尋ねた。レイチェルはもうずっと前から心を決めていた。

「北へ行きましょう」

 彼女が言うとクレシェイドが尋ね返した。

「本当にそれで良いのか、レイチェル? 俺に気遣いは無用だ。地上へ早く戻って、ティアイエル達を安心させてやるのもお前の役目ではないかと俺は思うのだが……」

 レイチェルは頭を振って力強く微笑んで見せた。

「北に行きたいんです。北へ行って私もネセルティーさんに早く会ってみたいんです」

 しばしの沈黙の後、クレシェイドは言った。

「すまない、レイチェル」

「よし、これで決まりだな。芋姉ちゃんが言うんだ、北へ行こうぜ」

 デレンゴが陽気に言うと、傍らのモヒト教授も笑みを浮かべて頷いた。

 こうしてレイチェル達は北へと旅をすることになったのだった。

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