第13話 「待ち人の町」

 季節は春から夏、夏から秋へと移り変わっていく。モヒト教授が言うには、このはざまの世界は地上よりも一歩先に季節が進んでいるのだということだった。そして四季に応じて様々な天候とも出くわした。

 問題の三叉路をゴブリンの長の言う通り北へと伸びる道を通り過ぎてからある程度時が経った。レイチェルはまさか待ち人の町までこれほどまで歩くとは想定していなかった。そうして改めて、自分が目指す闇の者達の支配地域にある風吹きの洞窟までの十年間と提示された道のりを、ようやく現実のものとして噛み締めたのだった。

 ここからは行く先々では当たり前の様に情報が次々と入って来た。待ち人の町というものがこの先に存在することはもはや確実だった。だが、殺さずのネリーと呼ばれている人物がネセルティーなのかは相変わらず分からない。しかし、行くしかなかった。

 やがて冬になり、ウィズダムという町に入った。この町こそが「待ち人の町」と呼ばれるところであった。

 ようやくたどり着いた。「ようこそウィズダムヘ」と記されたアーチの看板の下で、レイチェルは大きく深呼吸した。

「この町にネセルティーさんがいらっしゃるわけですね」

 モヒト教授が言うと、デレンゴが応じた。

「おう、まだそう決まった訳じゃねぇ。殺さずのネリーってのが本当にネセルティーなのかはまだ分かってないんだからな」

「確かに、すみません、迂闊でした」

 モヒト教授は気遣う様にクレシェイドの方を見ていたが、漆黒の戦士はその場に立ち尽くしているだけであった。

「クレシェイド」

 グレンが声を掛けると戦士はハッと意識を取り戻したようだった。

「すまない」

 彼はそう応えた。

「おう、しっかりしろよクレシェイド。まずはその辺の奴らに訊いてみようぜ」

 デレンゴが励ます様にそう言った。

 一行はウィズダム、待ち人の町を歩き始めた。

 行き交う人は多かったが、街の空気は重々しかった。誰も彼もが剣に、斧、槍に弓を提げて闊歩していたのだ。

 レイチェルはこの空気がかつての前線基地だったリゴ村に少し似ていると思った。

 程なくして一行は、どこからともなく集結してきた男達によって取り囲まれた。刃の先で脅す様にグルリと囲みながら武装した町の男は言った。

「見ない顔だな。正直に白状しろよ、お前達は盗賊団の斥候か?」

 刃がそれぞれ更に近付いてくる。

「俺達は旅人だ。人を探している」

 クレシェイドが答えた。

「人探し?」

「その通りだ。お前達はネセルティーという名前に心当たりはないか?」

 クレシェイドが問うと町の男達は驚いたように顔を見合わせた。

「ネリーさんなら、この町にいるが、お前さん方は一体?」

 レイチェル達は歓喜したいのを我慢してやり取りを見守った。

「俺は彼女の知り合いだ」

「ネリーさんの知り合い?」

 男達は再び顔を見合わせる。そして尋ねて来た。

「もしや、アンタの名前はクラッドか?」

「そうだ」

「まさかと思うが、ネリーさんの思い人、血煙クラッドか?」

 クレシェイドが頷くと男達は刃を下ろし、一転し喜びの顔を向けた。

「男なら誰でも知っている! 伝承に聞くあの血煙クラッドがこの町に来てくれた!」

「ネリーに会わせてくれないか?」

 クレシェイドが言うと途端に男達の顔が暗いものになった。

 何かあった。物々しい様子と合わせレイチェルにもそのぐらい察することはできた。

「来てくれ、案内しよう」

 そうして一軒の家に案内された。衛兵のつもりなのだろうか、見張りの男が立っていた。

 いざなわれた一室には、神官姿の若い女が居り、ベッドには慣れ親しんだ肖像画と瓜二つの人物が横たわっていた。

「ネリー」

 クレシェイドが進み出ようとすると、神官の女が止めた。

「どこのどなたかは知りませんが、今は、無理をさせてはいけません」

「どういうことだ?」

 クレシェイドが問うと、案内の町の男が答えた。

「毒矢だ。ネリーさんは矢の毒でこうなっちまった」

「毒矢だと!?」

 クレシェイドが声を上げると、グレンが彼を制して尋ねた。

「お前さん方、町の者達が武装していることに関係がありそうだな」

 案内の男は頷いた。

「実は大分前から、北の町を根城にしている盗賊団と俺達は戦ってきたんだ。盗賊共は突然現れて北の町を襲った。逃げ延びて来た町の者の話だと、酷い殺戮が行われたらしい。そして略奪し尽くして、その矛先が今度はこの町になったわけだ。ネリーさんは、俺達を率先して指揮してくれた。その剣術で敵を何人も打ち倒した。だが、その最中、毒矢を受けて、こうなってしまった」

 レイチェルはベッドに眠る美しくも可愛らしいはずの女性の顔色が明らかに良くないことを悟った。

「治療は進めているわ。私は慈愛の女神様に仕える神官なの。ネリーの具合はだんだん良くなってきていることだけは分かるの。だけど、次の戦いまでに意識を取り戻すかは分からないわ」

 神官の若い女性が顔を俯かせた。すると案内の男が言った。

「だが、アンタが来てくれた! 血煙クラッド!」

 その言葉に神官の女は驚きの顔を見せた。

「本当にこの人が、あの伝承の?」

「そうだ。ネリーの思い人にして最強の戦士! これはきっと運命神が俺達に微笑み掛けてくれているのかもしれない!」

 すると後ろからドカドカと武装した町の男達が現れ取り囲んだ。誰もが真剣な眼差しを向けている。

「クラッド様、どうか我らをお導き下さい! 残虐非道の盗賊団を討ち滅ぼすため、そのお力を我らに貸して頂きたい!」

 男達の代表が言った。

「待ちなよ」

 不意に男の声が割り込んで来た。

「お前はハーレス」

 武装した新たな男が現れた。腰の左右に剣を引っ提げている。端正な顔つきの体格の良い若い男だった。

「血煙クラッドの話なら当然俺も知っている。だが、伝承は伝承だ。本当に強いのか、俺達を従えるほどの力量があるのか、疑わしいところだ」

「何を無礼なこと言うか!」

 男達がハーレスを怒鳴りつけたが、ハーレスは引きはしなかった。

「確かにそうだな」

 クレシェイドが静かに応じた。そして言葉を続けた。

「俺はネリーのために、貴殿らに力を貸そうとは思ったが、どうやら次の一戦で勝敗は決してしまう状況の様だ。ならば、ここは冷静に動くべきだ。俺が貴殿らの期待に応えられるような実力を兼ね備えているのか、知りたいのが当然の流れだろう」

 ハーレスは頷いた。そして不敵な笑みを浮かべた。

「話が早いじゃねぇか。そうと決まれば表に出ろ。百人斬りのハーレス様がお前の力をはかってやる」



 クレシェイドとハーレスが対峙している。ハーレスは双剣を手にしていた。

 レイチェル達は群衆と共にその様子を見守った。

 静まり返った街の中に、誰が合図したわけでもなく、突然ハーレスが動き出した。

 咆哮と共に双剣を振り下ろしてくる。

 クレシェイドの剣が受け止めるや、ハーレスは目にも止まらぬ速さで反転し再び攻撃を叩き込む。クレシェイドが剣で受け止め、攻勢に出ると、ハーレスは振り抜かれた長剣を跳躍して避け、クレシェイドに再び流れる様な二撃を放った。漆黒の戦士はそれを受け止める。そして押し返し、両断する、ハーレスは素早く後退した。クレシェイドの長剣が空を切るや、剣を突き出す。しかし、クレシェイドはそれを掬いあげる様にして弾き飛ばした。ハーレスの剣の片方が手からすっぽ抜け宙を舞った。

 ハーレスが舌打ちするが、その時、漆黒の戦士は素早く間合いを詰め、剣を振り下ろした。ハーレスは一撃、二撃と避けたがついに剣でクレシェイドの攻撃を受け止めることとなった。その瞬間、彼の手からは残った剣も叩き落とされてしまったのだった。

「ちっ、馬鹿力め」

 ハーレスは悪態を吐くが、頭を振り、クレシェイドに言った。

「俺の負けだ。アンタの実力を認めよう」

 それからは北の町を巣窟にする盗賊団を退治するための会議が行われた。レイチェル達もその流れのまま会議に居合わせた。

 そして分かったことは、賊自体は武装した町民でも何とかなりそうだが、その首領が並外れて強いということだった。

「赤い肩のリレイガスだ」

 ハーレスが忌々し気に言った。恐らくは彼でも勝てなかったのだろう。それをクレシェイドが受け持つことになった。頭目さえ討てば賊は散り散りになるだろうという目算だった。



 二



 一行は武装した町の男達と共に今は閉ざされた北口に集結していた。

「友よ、赤い肩のリレイガスのことを覚えているか?」

 グレンがクレシェイドに尋ねて来た。

「俺が知っている相手なのか?」

 クレシェイドが尋ねると、グレンは笑って言った。

「お前と私が出会った、あのムジンリでの戦いの時だ。外で指揮していた賊の頭目が奴だった」

 そう言われ、クレシェイドは思い出した。圧倒的な蛮刀を手にしていたが、一刀で片付けた相手だった。

「分かっているとは思うが友よ、お前さんは昔のお前さんとは違う。くれぐれも自身の力を過信するな」

「わかった、グレン」

 クレシェイドは頷いた。確かにグレンの言う通り、かつて強敵どもと渡り合えた源である闇の力はもう無いのだ。今は生身の人間の戦士である。しかし、時折、戦いの中でそうであることを忘れてしまうのだ。今だってそうだった。勝つ気に溢れていた。グレンの忠告はありがたいことだった。

「俺だけで行く。皆はレイチェルのことを頼む」

 しかし、デレンゴが進み出た。

「レイチェルさんのことはよ、教授とじいさんだけで十分だ。雷鳴砲と魔術があるんだからな。と、いうわけで、俺様も同行させてもらうぜ、クレシェイドさんよ」

「だが……」

 クレシェイドが言いよどむと、グレンが言った。

「デレンゴの言う通りだ。レイチェル嬢ちゃんのことは私と教授で事足りる。今回は彼も連れて行ってやれ。念には念をだ」

 仲間達の視線を受けてクレシェイドは頷いた。

 町の者が駆け付けて来た。

「クラッド殿、御準備の方は整いましたか?」

「ああ、問題ない」

 クレシェイドが応じると、男は声を上げた。

「門を開け! 我らはこれより賊どもを討滅しに参るぞ!」

「おおっ!」

 男達が応じる。そうして軋みを上げて鉄製の門扉が開かれていった。

「出陣だ!」

 町の女達に見送られ、戦士の身なりをした男達が次々敵地へ向けて歩みを進めて行く。

「クレシェイドさん、デレンゴさん」

 二人揃って出ようとしたところをレイチェルに呼び止められた。

「必ず帰って来て下さいね」

 不安げな顔をしている彼女の右肩に手を置き、クレシェイドは頷いた。

 デレンゴが言った。

「安心しな、レイチェルさん。クレシェイドのことはこの剣豪デレンゴ様に任せときな、絶対死なせはしないぜ!」

 レイチェルが微笑んだ。クレシェイドは彼女に頷き返し、戦場へと足を向けたのだった。

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