第17話 「憎悪の森」
「アタシはアンタを許さない」
復讐鬼と化した少女、金髪のサラが、端正な顔を歪めて懐から短剣を抜き放って立ち塞がった。
「サラさん、落ち着いて下さい!」
レイチェルは内心慌てていたが相手をなだめる様に言った。ここは人通りの無い路地裏であった。短剣を手にした少女はゆらりゆらりと幽鬼の如く歩みを進めてくる。
静かな憎悪の宿った両眼はレイチェルの目から一瞬たりとも逸れることは無かった。
「冒険者! おじいちゃんの仇!」
サラが短剣を突き出しながら、こちら目掛けて駆け出した。
レイチェルはどうして良いかわからなかった。自分は冒険者だ。サラの大切な存在を無残に奪い去った冒険者なのだ。手は下さず彼女の敵にもならなかったが、それでも冒険者なのだ。自分がやったも同罪なのだ。そしてレイチェルは、マンティーコアの殺戮に加わった者達を助けた。その自責の念が彼女を惑わす。
「死ね! 冒険者!」
サラの憎しみの咆哮が木霊し、短剣が迫る。レイチェルはギュッと両目を閉じた。
夢だと気付いたのは、そこで目を覚ましたからだ。彼女はベッドの中にいた。まだ部屋は暗かった。隣でリルフィスが咳き込むのが聴こえた。きっとあの悪夢から引き戻してくれたのもリルフィスの咳だったのだろう。レイチェルはそう思い、先程の夢を思い出した。サラはやはり自分のことを憎んでいるだろうか。彼女に罵倒されたことを思い出した。そうだ、もう一緒に笑い合える時は来ない。
レイチェルはそう思い再び目を閉じた。
「レイチェルちゃん! レイチェルちゃん!」
自分の名を呼ぶ声が聴こえレイチェルは再び目を覚ました。部屋は明るくなっていた。
寝ぼけ眼を擦ると、ハーフエルフの少女の顔が目の前に現れた。
「リルフィスちゃん?」
するとハーフエルフの少女は咳き込んだ。レイチェルは慌てて彼女をベッドに寝かそうとしたが、自分達の姿を見詰める存在に気付いて振り返った。
そこには、あのサラがいた。レイチェルは身構えそうになったがそうしなかったのは、彼女が両手にそれぞれスコップを持っていたからだ。
「お客さんだよ、レイチェルちゃん」
リルフィスが言った。
「サラさん……」
レイチェルは、申し訳無い気持ちでその名を口にした。
「レイチェル、昨日のこと、礼を言っておくわ」
サラは笑顔さえなかったが、そう述べた。
「いいえ、私は結局何もできませんでした」
予想外の言葉に驚きつつ、レイチェルは心からそう言ったが、相手は表情を変えずに応じた。
「アンタにまた頼みたいことがあるの」
「頼み……ですか? 何でしょうか?」
まるで贖罪の機会を貰えたように思え、少しだけ心が明るくなるのを感じた。
「おじいちゃんの身体を埋めたいの。埋めて、アンタに祈りを捧げて欲しいの」
そう言ってサラは懐から巾着袋を取り出しこちらに放り投げた。
中身は銅貨と数枚の銀貨が詰まっていた。
「いいえ、お金は要りません」
レイチェルは巾着袋の紐を閉じると、相手に差し出した。
「やらせてください、是非」
レイチェルが強く申し出る。レイチェルはサラの目を真っ直ぐに見た。その固い意思が通じたのかサラは巾着袋を受け取った。
「言っておくけど、一日で終わる仕事じゃないわよ」
サラが覚悟を確かめるかのようにそう言ったので、レイチェルは強く頷いた。
「わかってます。最後まで付き合わせて下さい」
サラは頷いた。レイチェルはホッとした。そして全力を尽くすことを心に誓った。
「レイチェルちゃん、何処かに行くの?」
リルフィスが咳き込みながら尋ねてきた。
「リルフィスちゃん、駄目だよ、まだ寝てなきゃ」
レイチェルはハーフエルフの少女をベッドへ引き戻した。
「ちょっと、森に行ってくるから、リルフィスちゃんはしっかり寝てなきゃ駄目だよ」
「森に行くの?」
リルフィスが不安げに尋ねて来たので、レイチェルは弩を指差して答えた。
「大丈夫だよ。そんなに深いところまでは行かないから」
その言葉にリルフィスは頷いた。
「風邪を引いてるならこれを舐めてると良いわ」
サラが違う巾着袋を取り出してリルフィスの方へ放り投げた。
「飴だ!」
袋の中を覗き込み、嬉しそうにハーフエルフの少女が声を上げた。
「リールにくれるの!? ありがとう! えっと……」
「サラよ」
「サラちゃん! ありがとう!」
リルフィスは飴を口に放り込むと無邪気に微笑んだ。
「美味しいよ!」
そしてレイチェルとサラは部屋の外へ出た。レイチェルは気合十分だったが、途端に空腹感に襲われた。
「サラさん、朝食を食べてからでも良いですか?」
「良いわよ。私もまだ」
二人は適当な席に座った。人はまばらだった。
レイチェルは適当に食事を頼み、最後に付け加えた。
「トマトジュース、塩抜きでお願いします!」
「アタシも同じ。トマトジュース塩抜きで」
サラがそう答えたのでレイチェルは驚いた。
「トマトジュースに塩を入れる奴の気が知れないわ」
サラが言うとレイチェルはその言葉に感激して同調した。
「そうです! その通りです! トマトジュースは塩抜きに限りますよね!」
するとサラが僅かに微笑んだ。レイチェルは思わず嬉しくなった。
二
雪は降っていなかった。しかし人の出入りの無い森は雪に覆われていた。だが、昨日訪れた者達の足跡がその数だけ残っていた。それを辿ってゆくと、やがて見覚えのある景色が現れた。片隅にある大きな洞窟と、中央に横たわるマンティーコアの首の無い大きな亡骸だ。
レイチェルはマンティーコアの朗らかな声を思い出し、悲しみに落ちそうになったが、気合を入れてそれらを吹き飛ばした。
「アタシ達の力じゃ、そんなに動かせないから、すぐ側に穴を掘るわよ」
サラが言い、レイチェルは頷いた。
そして二人は墓穴を掘り始めた。
レイチェルもサラも無言で掘り続けた。
そして昼になった。レイチェルは宿で弁当を作って貰うべきだったと後悔したが、サラが皮袋からパンを取り出し差し出してきた。
「良いんですか?」
レイチェルが問うと相手は頷き、水の入った袋も差し出してきた。
「ありがとうございます」
レイチェルが礼を述べると、サラは特に何も言わず、作業していた時と同じように無言でパンに噛り付いていた。
それから二人は夕暮れまで作業を続けた。しかし、非力な女二人では思うように作業は捗らなかった。
「明日、またやりましょう」
無言で引き上げようとするサラの背にレイチェルがそう呼び掛けると、サラは振り返った。
「アンタはそれで良いの?」
「はい。最後までやらせて頂きます」
レイチェルがそう言うとサラの表情が明るくなった。その美しい笑顔に見惚れていると、サラの顔もやがて落ち着きを取り戻していった。
「物好きね」
サラが言った。
そしてサラが朝に迎えに来て、朝食を共にし、穴を掘りに出掛ける日課が続いた。早朝から、夜遅くまで作業をした。その甲斐あって穴は広く、そして深くなりつつある。今では穴から出るのにロープを使わなければならないほどだ。レイチェルはサラの役に立てることが嬉しかった。彼女が恨む冒険者の一人として、罪をあがなう気持ちもあった。
ただ一つ気になるのは、リルフィスの病気が一向に良くならないことだ。
さすがにレイチェルもリルフィスを一人を残して置くことに気が咎めた。宿の女将も心配し、療養施設で、手厚い看護を受けることを勧めてきた。レイチェルもそう思い、半日だけサラに暇を貰い、リルフィスを入院させてきた。
「ごめんね、レイチェルちゃん」
「気にしないでリルフィスちゃん。私も付き添って上げられなくてごめんね」
そしてレイチェルはサラとともに穴を掘り続けた。昼はもうお馴染みとなったサラが焼いてきたパンを食べた。パンは美味しかった。
そろそろ二人きりも長くなる。サラは相変わらず素っ気なかったが、それでもレイチェルは徐々にその沈黙に居心地の良さを見出すことができていた。
彼女達は一心不乱に黙々と作業を続け、そうしてようやく穴が完成する日に辿り着いた。
その翌日、朝食を終えるとレイチェルを待っていたのは四頭の馬だった。サラがその手綱を二本渡してきたので、レイチェルは半信半疑ながら受け取った。
「馬を四頭もどうするんですか?」
思わず尋ねるとサラは説明した。
「アタシ達じゃ、おじいちゃんの亡骸を動かせないでしょう?」
そうして肩に担いでいたロープの束を見せ付けた。レイチェルは考えて答えた。
「マンティーコアさんの身体にそれを括り付けて、馬に引っ張ってもらうんですね?」
「そうよ」
サラは短く答えると先に立って歩き始めた。レイチェルも後を追った。
三
凍えるほどの寒さのためか、マンティーコアの遺骸はさほど酷い状態ではなかった。
反対側にいる四頭の馬の身体にロープを括り付け、それぞれのもう一端をマンティーコアの四肢に結んだ。
サラが馬を歩ませると、遺骸はゆっくりと引きずられ、そして穴に落ちた。
「埋めるわよ」
サラはロープを切り離すとそう言った。
この何十日間の作業で積もりに積もった土の山を、今度はスコップで掬い、穴に落としてゆく。マンティーコアの身体の分だけ楽ができるとレイチェルはぼんやり考えていたが、無心でスコップを振るうサラを見て自分も再び頑張ることにした。
この作業は二日で終えることができた。
そして翌日、二人は墓の前に立っていた。墓標代わりなのか、サラが小さな植物の苗を埋めていた。
「お願い」
サラがそう言い、レイチェルは頷いて、祈りの言葉を述べた。
獣の神キアロド様、マンティーコアさんがどうか安らかなところへいけますように、何卒お導きの程を。
彼女は思いを込めて祈りを終えた。
レイチェルが振り返るとサラはぼんやりとした様子で墓を見下ろしていたが、やがて顔を上げた。
「終わりましたね」
レイチェルが言うと、サラはゆっくり頭を振った。
レイチェルは考えたが、これ以上することはないはずだった。
「……まだ終わってないわ」
サラが言った。
そしてマジマジとこちらを見る。
「おじいちゃんの供養のためにも殺さなきゃ」
肩を震わせるその表情は、涙を流しながら狂気に歪んでいた。戸惑うレイチェルの前で、サラは懐から短剣を取り出し鞘を放り投げた。
「冒険者を殺さなきゃ。やっぱり、冒険者は殺さなきゃ駄目なのよ!」
サラが短剣を突き出し、レイチェルは寸でのところで身を躱した。
「サラさん、落ち着いてください!」
レイチェルは相手を宥め様としたが、サラは声を上げて襲い掛かってきた。
弩も棍棒も離れたところに置いてきた。サラは何度も何度も切り掛かってきた。
「死ね! 死ね!」
我武者羅に振るわれる刃をレイチェルは避けつつ、その細腕を掴んだ。
「サラさん、落ち着いて下さい。サラさんが人を殺そうとするのをマンティーコアさんだって望んではいないはずです」
血走った目がこちらを見据える。
「望んでいるはずよ! アタシにはそれが分かる! ほら、おじいちゃんの声が聴こえる。冒険者を殺して殺して殺して、殺し尽くせってアタシに頼んでる! あの黒い戦士絶対に許さない!」
サラは心に傷を負っていたのだ。レイチェルはそう悟ったが手段が無かった。
「それは幻の声です! 耳を貸しては駄目です!」
「うるさい!」
サラがレイチェルの手から逃れた。
「それにね、アタシ、トマトジュースには塩を入れる方が好きなのよ。アンタは変わってるから、アンタだけは許したくて、慣れ合おうとしたけど駄目だった! おじいちゃんはね、全ての冒険者が憎いってそう言ってるから……だからアンタを許すこともできないの!」
「サラさん、あなたの知っているマンティーコアさんのことを思い出してください。私達に語って聞かせた、あの穏やかな声を思い出して! マンティーコアさんが、あなたに人殺しを勧めるはずがありません! そうでしょう!?」
「うるさい、冒険者め! お前におじいちゃんのことを言う資格はない! 死ね!」
サラが斬りかかろうという素振りを見せた時だった。
どこからか、ブオオオッと、間の抜けた鳴き声が聞こえた。
そいつは重たい足取りで洞窟の中から現れた。
片手に丸太を握ったトロルだった。レイチェルは思った。手に余る相手が現れた。手段はクロスボウしかない。と。
「こいつ! よくもおじいちゃんの家に!」
サラが怒りをあらわに絶叫した。
「サラさん駄目です! 逃げて!」
レイチェルは慌てて訴えたが、サラは短剣を手にしてトロルに襲い掛かっていた。
憎悪の宿った一撃がトロルの片足に食い込む。怪物は声を上げ、棍棒を振り上げた。
「サラさん、危ないっ!」
棍棒が振るわれ、サラは吹き飛ばされた。その身体は茂みの中へ消えてゆく。
トロルがこちらを見た。狙いを定めたようだ。
サラが気にかかったが、レイチェルは駆け足で弩のもとへ行き、そのハンドルを懸命に回し始めた。
だが、トロルの一歩は緩慢だが大きく、すぐに目の前に佇立していた。
レイチェルは距離を取り、どうにか弩のハンドルを最大限に巻こうとする。しかし、トロルも察したのかの様に、地鳴りを上げて躍り掛かり、棍棒を振り回した。
その時、一筋の矢が顔の横を通り過ぎ、トロルの胸に突き刺さった。
振り返るとそこにはリルフィスの姿があった。
「レイチェルちゃん、早く!」
ハーフエルフの少女が叫び、レイチェルは最大限に回した弩に鉄の矢を番えた。
リルフィスの矢がトロルの身体に突き刺さるが、それはトロルの固く厚い皮膚を破るだけに終わっていた。
自らに突き立った矢を払い落とそうとしているトロルの左胸に、レイチェルは十字の照準器を定めた。
トロルが咆哮を上げる。レイチェルは引き金を倒した。
鉄の矢は風の唸りを上げ、トロルの左胸を貫いた。
真っ赤な鮮血が噴水の様に吹き上がり、トロルは前のめりに倒れ、やがて自らの血溜まりの中で動かなくなった。
その苦しみもがく様子は、レイチェルの心を僅かばかり抉った。だが、説得する余裕が無かった。そう思うしかなかった。
背後で激しく咳き込む声が聴こえ、レイチェルは慌てて駆け寄った。
「リルフィスちゃん、来てくれてありがとう。でも、病院にいたはずじゃ無かったの?」
「精霊さんがね、教えてくれたんだよ。今日の森は危険だって」
リルフィスは再び咳き込んだ。
「それとね、サラちゃんに貰った飴、毒だったんだって……。お医者さんが言ったの。だから、レイチェルちゃんが危ないんじゃないかって」
「そうだったんだ……」
サラはどうやら最初からリルフィスを殺すつもりだったらしい。信じたくはなかったが、それが事実だ。
レイチェルはサラの憎しみと心の痛みを知ったように思った。
リルフィスが咳き込む。レイチェルは急いで病院に戻った方が良いと思ったが、リルフィスを待たせて茂みの中へ用心深く入って行った。
見覚えのある血に濡れた短剣があったが、サラの姿はどこにも無かった。大切な仲間に毒を盛り、自分へ憎しみのままに剣を振るった少女を、それでもレイチェルは憐れんでいた。
「レイチェルちゃん、何してるの?」
リルフィスに呼ばれ、レイチェルは茂みから出た。
「ううん、リルフィスちゃん。戻ろう。歩ける?」
「大丈夫」
リルフィスは頷いた。
「じゃあ、行こう」
二人は歩き始めた。そうしながらレイチェルは墓を振り返った。そして埋葬された者の冥福と、狂気に蝕まれてしまった一人の憐れな少女の人生に光りが射すことを心の中で祈ったのだった。
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