第17.5話 断章3 「ゴブリンの戦士」
どれほどの夜を過ごしただろうか。つい先日までは雪の積もる深い深い森の中へと魔術師は踏み入っていたのだが、今はその踵を返して歩んで来た方へ引き返していた。しかし、彼だけではなく、その隣には付き従う者の姿も一つあった。
「ガガンビ。友よ、今日はこの辺りで休むとしよう」
そうして薪を重ね火の魔術を放つ。
燃え上がる焚火の向こう側では、ホブゴブリンの姿があった。
本来ならこのゴブリンを眠らせたまま、人里からずっと離れた場所へと放逐するつもりでいた。しかし、状況は一変したのだった。
ゴブリンの戦士が目を覚ますと、ヴァルクライムは有無を言わさず眠りの魔法を掛け続けていたが、ゴブリンの戦士が口を開いたのであった。
「腹が減った」
確かにそうだろうとヴァルクライムは思っていた。そして自分の鬼の様な所業を顧みた。この数日間、ゴブリンが目を覚ませば即座に魔術で眠らせ続けていたのだ。ヴァルクライムとしては、完全に人里とは無縁の場所でこのゴブリンには生きていてほしかった。それがレイチェルの望みでもあったからだ。もしもうっかり、こんな近辺で逃してしまえば全てが水の泡となる。ゴブリンは復讐鬼となって再び人を殺戮するだろうと思ったのだ。
しかしながら、状況は一変したのだ。
ゴブリンは一心不乱に干し肉を食い千切っていた。水の入った袋をやるとそれも一気に呷っていた。
やがてゴブリンは一息吐いた。
「俺をどうするつもりだ?」
ゴブリンがエメラルド色の目を向けて、人の言葉でそう尋ねてきた。
「お前さんを更に森の奥深くへ連れて行って解き放とうと考えていた」
ヴァルクライムが応じるとゴブリンが今度はゴブリン語で尋ねた。
「何故俺を生かそうとするのだ?」
「棍棒を手にしていた少女を覚えているか?」
ヴァルクライムもゴブリン語で応じた。
「白い服の小娘か?」
「そうだ。その彼女の願いだからだ」
ややあってゴブリンが答えた。
「わからない。だが……」
ゴブリンがこちらを見詰める。
「どのみち俺はお前に負けた。あの一騎討ちとかいうもので」
ゴブリンは言葉を続けた。
「妙な気分だ。お前は俺に勝った。俺の命はお前のものなのかもしれない」
ゴブリンが言った。
「ならば、勝者たる私が命じる。森の奥深くへ行き、お前は二度とそこから出てはいけない」
ヴァルクライムがゴブリン語で言うと、ホブゴブリンは喉を唸らせた。苦悶しているようであった。
「それはできない。俺は強くなりたいのだ。お前は俺を倒した。いつかお前を超えたい。しかし、どうすればいいのかがわからない。ただ、森の中にそれは無いということだけは分かっている」
ヴァルクライムは、しばし、思案した。だが、ゴブリンは、人と違い純粋だと感じた。その口から出る言葉全てが本心なのだろう。
「……ならば、私についてくるか? 少々窮屈な思いをするかもしれんが。確かに一生をこんな森深き場所で過ごすとなると、更なる強さを求めるお前の気が狂ってしまうかもしれないな」
ゴブリンは顔を上げた。
「俺は人間の敵だ」
「そうだな。だが、人の世界でゴブリンの身でありながら武功を上げれば、世の見方も変わってくるだろう。幸い、これから向かう場所に、その機会がある」
ヴァルクライムが言うと、ゴブリンは頷いた。
「決めた。俺は、お前についてゆく」
「私はヴァルクライム。歓迎するぞ、友よ」
ヴァルクライムが手を差し出すと、鋭い爪のある毛むくじゃらの大きな手が応じてきた。
「俺は、ガガンビ。ホブゴブリンの戦士ガガンビだ」
こうしてゴブリンのガガンビが新たな一行に加わる予定となった。レイチェルは喜ぶだろう。サンダー少年も戸惑いはするだろうが、歓迎してくれるだろう。リルフィスも心から迎え入れてくれるだろう。問題は有翼人の少女だ。しかし、この純朴なゴブリンを前にし、頑なに敵だと決めつけるようなティアイエルではないと信じている。
火に当たりながらガガンビがゴブリン語で尋ねてきた。
「ヴァルクライム。機会のある場所まで、俺は姿を偽る必要があると思う」
「確かにそうだな。窮屈かもしれんが、俺と同じ格好をしてみるか?」
魔術師のゆったりとした全身を覆う胴衣と頭巾なら、ゴブリンの身体を覆い尽くすことが可能だろう。
「お前と一緒の格好、楽しみだ」
ゴブリンはそう答えた。
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