第16話 「無情」
レンギルの町はコロイオスほど大きな町ではなかった。
昼に出て今は夕暮れである。
「覚えておけ、神官さん。オーガーは破壊と殺しが好きな狂った連中で、それしか考えないのさ。第一俺らの言葉だって通じない。そんなどうしようもない連中に情けをかければ、次に死ぬのはテメェ自身だぞ」
黒い戦士の声が思い出される。同じ黒い戦士と言えど、あのオザードは何もかもクレシェイドの足元にも及ばないだろう。しかしレイチェルはこんな時クレシェイドがどんな言葉を掛けてくれるのかまでは想像がつかなかった。
そういえば以前にティアイエルにも言われたことがあった。情けを掛ければ殺されるのは自分自身だと。しかしレイチェルは思い返す。自分の言葉にオーガーがたじろぐ気配を見せたことをだ。言葉は通じなかったがあの瞬間気持ちは通じたのではないか。
今ままでそんな魔物や妖魔と呼ばれる者達を自分は殺戮してきたのではないか。
いつぞや、ゴブリンの群れに意気揚々と奇襲を提案し仕掛けたことを思い出す。残ったのは血と消えることのない憎しみだけだった。
胸が重くなる。彼女はその場に跪いた。雪に身体が沈もうが気に掛ける余裕もなく、自分が主と崇める獣の神に一心不乱に問うた。
自分がこれまでしてきたことはただの無益な殺戮だったのか。自分はこの先冒険者として、神官として、どのような道を辿れば良いのだろうか。これも立派な神官になるための試練なのか。
神から答えは無かった。
「レイチェルちゃん、大丈夫?」
ハーフエルフの少女の気遣わし気な表情を見てレイチェルは祈りを止めた。
最後に人と敵対している多くの者とどうか分かり合える時代が来ますように。
「大丈夫だよ。暗くなるし宿屋さんを探そうか」
「うん。そうだね」
程なくして二人は宿を見つけた。
そこは典型的な宿で、一階が酒場になっており二階から上が泊まる部屋だった。
酒場は既に大いに盛り上がっていた。その大半が冒険者風の者達であった。
川魚の甘露煮と、コーンのポタージュ、焼き立てのパン、塩抜きのトマトジュースを注文した。普段ならその味に舌鼓を打つのだが、今日はそんな気分じゃなかった。食欲もさほど感じられず、自分が何を食べているのかさえわからないまま料理を食べ飲み下していた。
時間が少し経つと賑やかな店内は更に賑やかになった。レイチェルはもう引き上げようかと思ったが、出された料理はまだ残っていた。
半ば仕方なくそれらを口に運んでいると、騒がしい声のどこからか、こんな話し声が聴こえてきた。
「マンティーコアがいるらしいぞ」
マンティーコアとは何だろうか。だがその口調からすると魔物の名前に感じられた。
「へぇ、近頃は未開の森の奥深くにでも行かなきゃ出会えないだろうに珍しいな」
「だろ? 木こりギルドが冒険者ギルドに正式に退治依頼を出したらしいんだが、出て行った冒険者達は這う這うの体で逃げて来たって話だ。だが、それでも、奴らが言うには重傷を負わせることはできたらしい」
「ほぉ、つまりは横から掻っ攫うには丁度良いわけだな。マンティーコアは強敵だ。報酬も弾むだろうな」
また無益な殺生が起きようとしている。レイチェルは残った食事をさっさと平らげた。もう一秒だってここに居たくない気分だった。
「リルフィスちゃんごめん、私先に寝るから」
「うん、リールももう少ししたらお部屋に戻るね」
ハーフエルフの少女の言葉を背にレイチェルは階段を上って行った。
二
その日レイチェルは夢を見た。
黒い鎧兜で全身を覆った懐かしき仲間がそこにはいた。
「クレシェイドさん!」
レイチェルは駆け、戦士の身体に飛び付いた。そして彼女は泣いた。
「レイチェル、悩みがあるのか?」
その深い音色のような声に感動に身を震わせた。レイチェルは相手の顔を見上げた。
「はい。私達は魔物に妖魔に蛮族と色々な方達と敵対しています。お互いが殺し合い、それが憎しみを生んで積み重なってゆくのです。彼らと仲良くなることは不可能なのでしょうか?」
クレシェイドからの返事はすぐに来なかった。こちらを見下ろす面の下りた兜を見ていると、戦士は答えた。
「不可能ではないと俺は思う」
レイチェルの心が一気に明るくなった。戦士は言葉を続けた。
「だが、並大抵の、個人の努力だけでは難しいだろう。そのためには気持ちを通わせなければならない。そしてそれを数多くの人々に認めてもらわなければならない。その感じ方、もしかすればお前がそのあらゆる和睦の急先鋒を行くのが運命なのかもしれないが、これだけは覚えておいてくれ。俺はお前に死んで欲しくないということを。だが、レイチェル、我々にはミノタウロスの例があったことを忘れてはいけない。あの時、我々は二つの種族を和解させ、世間に認めてもらう事に成功したのだから」
レイチェルは頷いた。心が大いに励まされ、感動が感動を呼ぶのを感じた。
クレシェイドとはいつの間にか別れ、そして彼女は目覚めた。
正式には苦しみ咳き込む声で目が覚めたのだった。
カーテンの向こう側は明るかった。
苦しみ咳き込む声の主は隣のベッドで寝ているリルフィスだった。
レイチェルは慌てて駆け寄った。
「リルフィスちゃん、大丈夫?」
心配しながら様子を伺い、ハーフエルフの少女の額に手を当てるとそれは酷い熱だった。
神官の魔術では傷は治せてもこういう類にはまるで通用しなかった。疲労をある程度取ることはできるが、それでも病気の根本までは消滅させることはできない。
「リール、ちょっとだけ風邪引いちゃったみたい」
リルフィスが咳の合間を縫ってそう言った。
「ちょっとじゃないよ。凄い熱だよ。お水持ってくるから待ってて」
レイチェルは慌てて部屋を飛び出し厨房から水を貰って来た。それと薬屋か、できれば医者だ。彼女は外へ飛び出し、雪の積もった街中を駆けていた。そして宿から大分離れたところで、医者の家を宿の者に訊くべきだったと思ったのであった。医者が医者の看板をぶら下げていても、広い街中ですぐに見つけることは困難なはずだ。早朝、人はまだ外に出ていなかった。レイチェルはひとまず宿に戻ろうと踵を返した。
その時、背後から声を掛けられた。
「何か困りごと?」
振り返るとそこには町の娘と思われる人物が立っていた。年の頃は同い年か一つ上ぐらいだろう。ティアイエルやライラを思い出させるような眩しくさらさらした金色の長い髪をしていた。美しい少女だった。その美しさに呆気にとられた後、レイチェルは言葉を発した。
「この町にお医者さんはいますか?」
「いるわよ」
「すみませんが、お住いの方を教えて欲しいのですが」
レイチェルが言うと、相手はややあって頷いた。
「案内してあげるわ」
「ありがとうござ……」
「でも条件があるの」
レイチェルが礼を言おうとすると相手は声を被せてきた。
「条件ですか?」
「そうよ。アンタ神官なのでしょう?」
「ええ、そうですよ」
「じゃあ、アタシのおじいちゃんの具合を診て頂戴」
「具合ですか? どこか悪いのですか?」
と、言ってレイチェルは不思議に思い言葉を継いだ。
「私よりもお医者さんに診てもらった方が……」
「理由があるのよ。それでどうするの?」
レイチェルは頷いた。
「でも私で力になれるなら良いですけど」
「約束よ」
少女は先に立って歩き始めたのでレイチェルもその後に続いた。
程なくして医者の家が見つかり、宿でリルフィスのことを診察してもらうことができた。医者が言うには「風邪」だそうだ。解熱剤と後は風邪に効く薬を医者は巾着袋から取り出した。
「これを飲んでくれぐれも安静にしていること。大丈夫、熱はこれから下がるはずだ」
医者はそう言い代金を貰うと出て行った。
「レイチェルちゃんごめんね、リール迷惑かけてるね」
「そんなことないよ。私こそ、リルフィスちゃんのこともっと気遣うことができれば良かったのに、ごめんね」
すると咳払いが後ろから聞こえた。
金髪の少女がこちらを見ていた。
「これでこっちは解決。約束よ、次はアタシの番よ」
「はい、おじいさんのところに行きましょう」
レイチェルが答えると相手は言った。
「森に行くから用意があるならして頂戴」
「森ですか?」
相手は頷くだけだった。森と言えば魔物や蛮族と出くわす可能性がある。不意に、昨晩の夢をことと、同時にクレシェイドの言葉を思い出した。
「俺はお前に死んでほしくない」
レイチェルは弩と矢筒を背負い、棍棒を手にした。
「そちらは用意は大丈夫ですか?」
レイチェルが問うと、相手はコートの前を開け、短剣が括り付けてあるのを見せつけた。もっとしっかり準備した方が良いと思ったが、一般人の彼女を護るのもまた神官の使命なのかもしれないと自分を納得させた。
そして少女を先頭に町を発った。リルフィスの方は、幸い宿の女将が良い人で、面倒を快く引き受けてくれた。
三
まだ名前も訊いていない少女は慣れたように雪の積もる森の中を歩んでいた。普段から歩きに来ているのだろうとレイチェルは思った。そしてそれもそうだと思った。おじいさんがきっとこの森に住んでいるのだからだ。木こりをやっているのかもしれない。
途中、魔物にも蛮族にも出会うことは無かった。争い事が起きなくて幸いだった。何故なら、今の自分は先を行く少女の命も背負っているのだ。敵対するものを説得する暇はないも同じことだ。
やがて森が開けた。
小屋があるのではとレイチェルは思ったがそうではなかった。
横手に大きな大きな洞窟の入り口が見えた。
おじいさんは変わったところに住んでいるのだなとレイチェルは思った。
案内の少女が洞窟の前に来るとその暗い入口に呼び掛けた。
「おじいちゃん、私よ」
「サラか」
落ち着き払ったしわがれ声が聴こえた。
するとサラが振り返った。
「いい? 変な気は起こさない方がアンタの身の為よ」
レイチェルは頷くしかなかった。
そして予想よりも重たい足音が洞窟の中から聞こえ始め、老爺の顔が現れた。
しかし、それは常軌を逸した大きさであった。顔だけでレイチェルの背丈を超えるほどである。
思わぬことに唖然として見ているとその巨体が現れた。
四つ足である。左右に振れる尻尾があった。老爺の顔の後ろには鬣があり、赤い色の毛と蝙蝠のような翼の生えた大きな背があった。
これは魔物である。レイチェルは棍棒を握り締めながら、サラの言葉を思い出した。
「おじいさんですか?」
レイチェルがサラに問うと少女は頷いた。
「そうよ。さっそくだけどアンタに診て欲しいの」
サラが言うと大きな魔物が口を開いた。
口の中は鋭い牙が生え揃っていた。
「サラ、何だその小娘は?」
魔物が人の言葉を話していることにレイチェルはようやく気付き名乗った。
「私はレイチェル・シルヴァンスです。神官見習いをしております」
「お前はこのワシが怖くないのか?」
「怖くありません」
その時、魔物が大口を広げてレイチェルに僅かに迫った。レイチェルは逃げ腰になったが、挑むようにして踏み止まった。
「ふむ、その言葉に偽りは無いようじゃ」
魔物は愉快気にカラカラと笑い声を上げて言った。
「ワシは、お前達人間が言うところのマンティーコアだ。知らぬか?」
聞き覚えがあった。そして昨晩宿の食堂で偶然耳にした会話を思い出した。
「ほぉ、つまりは横から掻っ攫うには丁度良いわけだな。マンティコアは強敵だ。報酬も弾むだろうな」
レイチェルは慌てて声を上げた。
「大変です、冒険者達があなたを討伐しに来るかもしれません!」
「そのとおりよ。だからアンタに早いところ怪我を治して貰いたいのよ。それが終わったらおじいちゃんは安全なところに逃げられるわ」
サラが緊迫した表情でそう言った。すると、マンティーコアは答えた。
「まだそんなことを言ってるのか、サラ。何度言われようがワシはここから出て行かぬぞ。ここはワシの家であり庭だからな」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! どうしてそう頑固なの!?」
サラが言い返したところでレイチェルは割って入った。
「とにかく私でできることはします。どこを怪我されたのですか?」
「こっちよ」
サラが案内する。怪我は一目でわかった。後ろの右脚が骨が見えるほどまで切り刻まれていた。あとは、右の翼が半ばから失われていることにも気づいた。
「翼よりも脚よ」
サラに促され、もう翼は役に立たないことをレイチェルも悟った。ならば逃げるなら脚を治す方が意味がある。
レイチェルは神聖魔術の治癒の旋律を詠み、その両腕に宿った白い魔術の光りを患部に押し当てた。マンティーコアが呻いた。
「あの冒険者どもめ、賢しくも狙いをそこにばかり集中してきおった」
正直傷口が深くてレイチェル程度の腕では時間はかなり掛かりそうだった。しかし、今はやるしかない。このマンティーコアを狩らんと今頃どこぞの冒険者達が出立しているかもしれない。
治療している間、マンティーコアは、色々な事を語って聞かせた。大昔の英雄、猛雄フェルノス帝の武勲とその一生のことや、同じ時代を生きたトランケビア一族の話しに、北西の砂漠地帯を治めていたイージアという国の義兄弟オルスとイェーガの友情の話、三百年前に滅亡したマイセンという国の勇将、血煙クラッドと呼ばれた騎士と、彼を思っていたネセルティーという王女の話など、興味深い民話を語って聞かせた。
治療には随分かかったが、昼時ぐらいになってようやく傷口も塞がり始めてきていた。もう歩けるはずだ。しかしマンティーコアが譲らなかった。サラの必死な説得にも頭を振り、この地に留まると口にしていた。
「急いだ方が良いです! あなたにはたぶん高額な報奨金が約束されています! それを狙って冒険者ももう動き始めていますよ!」
レイチェルもサラと並んで必死にマンティーコアを説得したが、相手は頑として譲らず、ついに座り込んだ。
「覚悟はできている。ここに住み着いてからな。ワシはここが気に入っているのじゃ。それにもうすぐ死期が迫っているのもわかる。ならばこの愛着のある土地で天寿を全うできればと心から思っておるのじゃ。冒険者達なぞ、いつぞやのように追い返してくれるわ」
不意に声が聞こえた。
「こっちです、こっちにある洞窟にマンティーコアの奴がいるんです!」
レイチェルは戦慄した。おそらくはサラもだろう。少女は慌ててマンティーコアを急き立てた。
「おじいちゃん、急いで! お願いだから!」
しかしマンティーコアは頭を振り、むしろ悠然とした様子で身構えていた。
「お前達には世話になった。離れているといい」
マンティーコアはそう言った。玉のような先端に無数の針のある尻尾を振り上げマンティーコアが咆哮を上げた。
これでおしまいだ。レイチェルは絶望した。いや、だがマンティーコアが冒険者に敗れると決まった訳ではない。
「ここだ!」
声と共に四人の武装した冒険者が姿を見せた。そして最後に黒い鎧兜で全身を覆った見覚えのある顔が姿を見せた。
「オザードさん!?」
レイチェルが絶句していると黒塗りの大剣を肩に担いでいる身体がこちらを向いた。
「昨日の神官の嬢ちゃんか。だが、魔物を討伐しに来たって訳じゃなさそうだな」
レイチェルは訴えた。
「オザードさん、剣を引いてください! マンティーコアさんは大人しくここを出て行きますから!」
「ほぉ、そうなのか?」
「ワシはここを譲る気はないぞ」
マンティーコアが応じた。
「だ、そうだ。人の言葉を話せるとは驚いた。だがよ、ギルドから討伐依頼が出ている以上、逃がすわけにはいかねぇのよ」
オザードが応じる。するとサラが短剣を抜き放った。
「おじいちゃんを殺そうとする奴はアタシが許さない!」
サラが挑みかかろうとするとマンティーコアが止めた。
「落ち着けサラ。何もワシに勝機が無いわけではない。見ておれ、前の様にワシに挑んだことを後悔させてやるわ」
マンティーコアが身体を起き上がらせた。
冒険者達も身構え、動いた。
「囲め囲め! 奴の目だって二つしかないんだから!」
冒険者達がこちらを取り囲んだ。
「ふん、思う壺よ!」
マンティーコアがそう言い、尻尾を振るった。尾の先の無数の針が雨の様に周囲に飛んでゆく。
二人の冒険者が呻いて倒れた。太い針が革の鎧を貫通し突き刺さったのだ。
「その針には猛毒が仕込まれている。早く助けんとそ奴らが死ぬぞ」
マンティーコアが言うと、一人の冒険者が弩を構え引き金を引いた。
鉄の矢がマンティーコアの身体に突き刺さった。
「ふん、効かぬな」
マンティーコアは地鳴りを上げて突進し、その冒険者を弾き飛ばした。
「くそおっ!」
四人目の冒険者が大斧を振り上げて襲い掛かる。斧はマンティーコアの顎を切り裂き、薙ぎ払おうとしたときにはその大口が冒険者を捕らえ、不気味な音を立てて呑み込まれていったのだった。
「二人死んじまったか」
吹き飛ばされた冒険者の様子を見下ろしながらオザードが言った。
「退け冒険者よ。猛毒にやられている二人もこのままだと死ぬぞ」
「奴らのことなんざどうでも良い。それよりも、ここで退いたらせっかく地道に築き上げた黒剣のオザードの名が折れちまう。それに俺はそう簡単に殺せはしないぜ」
オザードは黒塗りの大剣を構えた。
「面白い」
マンティーコアが応じた。
仕掛けたのはマンティーコアだった。尻尾を震わせ無数の毒針を黒い戦士へと飛ばした。
オザードは黒塗りの手甲でそれらを弾き飛ばしながら突進してくる。
「カアッ!」
マンティーコアが跳びかかる。オザードはそれを避け、大剣を薙いだ。血飛沫が舞った。
マンティーコアが喰らい付いたが、オザードの外套だけがそこに残った。
戦士の姿はマンティーコアの頭の上にあった。
「だ、駄目!」
レイチェルが叫んだが、オザードの剣は無情にもマンティーコアの首に突き立った。鮮血が吹き上がる。
「おじいちゃん!」
サラが叫んだ。
マンティーコアは苦痛に顔を歪めながら真っ直ぐに少女を見て言った。
「サラ……。お前と出会えてワシは本当に良かったと思ってるぞ」
「い、いや、おじいちゃん!」
マンティーコアの断末魔の声が木霊し、その首は胴から離れた。亡骸からは血が吹き上がり、あるいは流れ出ている。
「紙一重だったな」
オザードがマンティーコアの首を抱え上げた。サラが短剣を振り上げた。
「よくも、よくもおじいちゃんを!」
サラが怒りと憎悪の声を上げてオザードに向かっていったが、戦士は短剣を握る腕を掴むと軽々と締め上げた。
「俺が憎いなら、もっともっと強くなるんだな。そしていつの日にか俺の首を取りに来ればいい」
そして少女を突き飛ばす。だが、サラは尚もオザードに挑みかかった。オザードはついにその腹部に強烈な膝蹴りを入れた。少女は地面に突っ伏し、苦し気に咳き込んだ。
レイチェルは不思議と怒ることのできない自分に苛立っていた。そして猛毒に呻く冒険者の二人が自分のことを呼び治療を懇願する声を聴き、どうすべきか迷った。この殺戮者どもを見捨ててマンティーコアへのせめてもの慰めにすべきか、だが、レイチェルはその内の一人の方へ歩み寄り、突き刺さった毒針を引き抜いて、解毒の神聖魔術を詠んだ。
ほどなくして二人の冒険者は何事も無かったかのように立ち上がり、オザードのもとへ集まった。そして黒い戦士を称えたが、オザードは煩げに手を振り回した。
「オザードさん、俺らも戦ったんだ! 報奨金は三等分してくれるよな!?」
「お前らはあっちの死体を回収しろ。もう一人は無理だ。骨ごと砕かれて腹の中でバラバラになってるはずだからな」
冒険者達は事を終えると、振り返る事もなく去って行った。
レイチェルは悲しみに震えていた。マンティーコアが昔話を語ってくれたことを思い出した。優しくそして大らかな声音だった。だが、彼女はオザードを憎むことはできなかった。同業者であるからだろう。食うために魔物を殺す。冒険者にとっては当たり前のことだった。
「サラさん」
少女は地面に突っ伏し慟哭を上げていた。
「来るな!」
サラが恐ろし気な声でそう言い、憎悪の形相でこちらを睨み付けた。
「お前も冒険者なんだろう!? あいつ等と同じなんだろう!? この裏切者! お前はあいつらを助けた! 死ね、死んでしまえ! いつか私がお前達冒険者と名のつく奴全部を殺し尽してやる!」
レイチェルは足を止めた。もはや弁解の余地は無かった。もうこの少女と笑いあえる日は来ない。
そう静かに悟ると踵を返し、森の出口へと足を進ませた。
「裏切者! お前なんか死ね! 死んじまえ!」
憎悪と怨嗟の声は、しばらくの間その背に止むことなくぶつかってきたのだった。
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