第10話 「復讐の刃」

 レイチェル達はリゴ村への旅を続けていた。

 朝晩も、最近では日のある時間帯でもグッと寒くなってきていた。

 そして北国の冬の便りが届いた。チラチラ灰色の空から舞い降りるそれはまさしく話に聞く雪であった。と、いうのもレイチェルの育った南では冬こそ寒くはなるが、そこまでで雪は降らなかった。

 彼女は続々と舞い散る白い欠片を夢心地の心境で、しばし眺めていたのであった。

「雪は初めてか、レイチェルの嬢ちゃん?」

 ヴァルクライムが尋ねた。

「はい。綺麗ですね」

 魔術師は愉快気に笑い言った。

「これからの旅路は嫌というほど雪を見るだろう。そうだな、馬車の利用を検討すべきかもしれんな」

「馬車ですか?」

「この雪が降り積もったら、リゴへ行くにも随分と苦労することになるだろう。その前に到着したいのなら馬車の力を借りねばならぬだろう」

 レイチェルは意味が分からず首を傾げた。



「レイチェルちゃん、起きて起きて!」

 小さな村の一室にリルフィスの声が響き渡る。

 レイチェルはまどろみの世界に浸りつつ、むくりと身を起こした。途端に寒さに身を震わせ、慌てて毛布を被った。

 カーテンは開け放たれている。リルフィスは窓の外を見て歓喜しているようだった。

「どうしたの、リルフィスちゃん?」

 好奇心が寒さに勝り、レイチェルは彼女のもとへと歩んでいった。

「ほら!」

 リルフィスが指さす方向を見る。

 レイチェルは驚いた。辺り一面が真っ白、いや、白銀に輝く世界になっていたのだ。

 彼女はしばし見惚れていたが、日課になっていた朝の訓練のことを思い出し準備を始めた。鎖鎧を被り、神官の衣装を羽織る。手には棍棒、背中には弩と矢筒を背負い普段の姿となった。少しでもこの格好に慣れねばならない。正直、背中の弩は重かった。

 外に出てその眺めにレイチェルは改めて目を奪われた。

 しかし、ハーフエルフの少女が足を踏み出した。幾つかの足跡が銀の世界に刻まれ、まるで傷物にでもなってしまったかのように思え、レイチェルは落胆した。

 できればこの銀の世界はそのまま残しておきたい気分だった。しかし、そうもいかないし、どの道、今に村の人々の足跡だらけになるのだ。自分も訓練に赴かなければならない。

 レイチェルが一歩踏み出した。雪は脛までをすっぽりと覆った。その時だった。

「見つけた」

 とても低い声音が聞こえた。

 レイチェルは殺気を感じ、振り向いた。背後には宿の扉があるだけだ。周囲を見回したが特に変わった気配はない。

 気のせいだったのだろうか。

「レイチェルちゃん、訓練行かないの?」

「ううん、今行くよ」

 レイチェルは雪をギュギュと踏みしめながら、疑念を抱きつつハーフエルフの少女のもとへと向かった。



 二



 訓練を終え、朝食も済ませると、レイチェルはリルフィスと連れ立って、弓矢の訓練のできる場所を探す予定だった。ここに武具屋があれば裏にあるであろう弓矢の訓練場を借りられたはずだが、生憎、立ち寄ったこの村に武器屋は無かったのだ。

 二人が外に出ると、目の前は大賑わいであった。

 子供達が集い、左右に分かれて互いに雪の球を投げ合っていたのだ。いや、正確にはぶつけ合っていた。

「わあ、雪合戦だ!」

 リルフィスが嬉しそうにそう言うと、子供達の中へ駈け込んで行った。

「ねえねえ、リールも混ぜてもらって良い?」

「良いよ」

 子供達は気前よく応じた。

「レイチェルちゃんもやろうやろう!」

 リルフィスが戻ってきて弓を置き、レイチェルの手を引っ張った。

 雪合戦は確かに面白そうだった。レイチェルは武器を置き、引かれるまま子供達の輪に加わった。

 途端に前方から無数の雪玉がレイチェル目掛けて飛んできた。

 雪玉はレイチェルの体と頭に当たって軽快に砕け散った。

「やーい、ウスノロ芋姉ちゃん!」

 向こう側でぶつけた子供達が囃し立て、レイチェルは年甲斐もなくムッとした。その脇でリルフィスが雪玉を投げている。

「レイチェルちゃん、反撃するよー!」

「うん!」

 レイチェルは脇目も振らず、雪玉を作っては投げ作っては投げを繰り返した。

 久々に楽しい思いをしたような気分だった。雪国の人達は毎回このようなことができて羨ましくも思った。

 その時、対峙する側の子供達が、一斉に雪玉を投げるのを止めた。

 レイチェルはそれが何か示し合わせた策略だと最初は思ったが、子供達の視線を辿ってゆき、そうではないことに気付いたのだった。

 宿の屋根の上に人影があったのだ。

 陽光が、その影の握っているであろう刃を煌めかせた。

 するとその人影は雪合戦上の真ん中に飛び降りた。

 身長は高く、体格も良い。鎧を着、片手には大振りの蛮刀を握っていた。向かい側の子供達が慌てて背を向けて逃げて行く。

 そいつは振り返った。毛むくじゃらで手が長く醜悪な顔をしたゴブリンであった。いや、おそらくはゴブリンの中でもホブゴブリンと呼ばれる格のある戦士の部類だろう。

 レイチェルは慌てて叫んだ。

「皆、逃げて!」

 周囲にいた子供達はその声で我に返ったようにワッと逃げ出した。

「見つけた」

 ホブゴブリンはそう言った。とても低い声だが人の言葉であったのにレイチェルは驚いた。

 素早い影が横切った。が、それをホブゴブリンは得物で弾き返した。矢だった。

「レイチェルちゃん!」

 弓を手にしたリルフィスが棍棒を投げてよこし、レイチェルは身構えた。そして、ふと、このゴブリンが、先日商人の馬車を襲い、討ち漏らしたあの親玉だと気づいた。

「私の仲間を殺したお前達を私は許さない」

 ゴブリンはそう言った。

「それはあなた方が先に物を盗んだからじゃないですか!」

「許さない!」

 ゴブリンは聞く耳持たず蛮刀を振り回した。

 レイチェルは避けた。避けながら、相手の巻き起こした風圧の凄まじさを悟った。これは強敵だ。

 リルフィスが矢を放つが、ゴブリンは再びそれらを得物で弾き返した。

 レイチェルは棍棒を振り上げて反撃に躍り出ようとしたが、身体がそうはさせなかった。相手が人語を口にする以上、傷つけることが躊躇われたのだ。彼女の眼には、相手が人間と同等に思えてならなかったのだ。

 自分はどうしたいのだろう。素早く知力を回転させる。分かり合いたいのだ。そのためには説得するしかない。

「手を引いてください! 無駄な争いはしたくありません!」

「お前達を許さない! 仲間の仇だ!」

 大きな刃が目の前を通り過ぎる。

「ここは人里です! これ以上、ここに踏み止まるなら、他に誰かが来てしまいます! その前に早く逃げてください!」

「許さない!」

 刃が寸前のところで空を切る。

 逃げた子供が助けを求めたのだろう。武器を抱えた村人達が集まってきた。

「どけ、お嬢ちゃん!」

 村人の一人が槍を繰り出すがゴブリンの蛮刀が、その木製の柄を断ち切った。

 呆けたように折れた槍を見ている村人をゴブリンが襲ったが、レイチェルが前に出て棍棒で牽制する。その左右から村人達が槍を突き出したが、ゴブリンはこれも半ばから分断した。

「こいつは手強いぞ!」

 村人達は、レイチェルと、ゴブリンとを遠巻きにしながら何やら話したり動いたりしていた。

 まずいとレイチェルは思った。村人は当然増援を呼びに走ったはずだ。このままでは人数で押し切られゴブリンは殺されてしまうだろう。

 クレシェイドさん! 獣神キアロド様、こういうときはどうしたら良いのですか!?

 説得するしかない。自分はしそうしたいのだから。

 レイチェルは再び呼び掛けた。

「早く逃げて! そうじゃないと本当にあなたは殺されます!」

「お前達を許さない」

 ゴブリンは得物を振るった。その刃がまともにレイチェルの棍棒にぶつかり、棍棒は手からすっぽ抜け、地面に転がった。

「レイチェルちゃん!」

 リルフィスが立て続けに矢を放ったが、全て弾かれた。

「リールが相手になるよ!」

 リルフィスが隣に並んだ。その手には短剣が握り締められていた。

 だがお互いの得物の大きさが絶望的に違いすぎていた。それでもリルフィスは躍り掛かろうという気配を見せていた。

「私に任せてもらおう」

 ヴァルクライムが姿を見せた。

「ヴァルクライムさん!」

 レイチェルは思わず歓喜の声を上げていた。

「お前も、仲間を殺した。覚えている」

 ゴブリンがヴァルクライムを見て唸り声を上げた。

「なるほど人の言葉を話せるか……」

「ヴァルクライムさん!」

 レイチェルは抱いている思いとともに、その名を呼んだ。こちらを一瞥だけして魔術師は頷いた。

「ならばゴブリン、私と一騎討ちをせぬか?」

「一騎討ちだと?」

「そうすれば水入らずで我々だけを狙うことができるぞ。見事に私を殺せば、同じくお前が憎む、この二人の娘のどちらかが同じように相手をする。お前が腕に覚えがあって、復讐を遂げたいと思うならば良い提案だと思うぞ」

「ヴァルクライムさん!」

 レイチェルは、あの一瞥で魔術師なら何とかゴブリンを説得してくれると思い込んでいたのでその提案に驚いた。

「やる。一騎討ち受ける」

 ゴブリンは承諾した。

「ならば、他の者は手出し無用だ!」

 魔術師は高らかに宣言し、腰から長剣を抜き放った。集まった村人達は不服そうだった。人数で押し切ればたかが一匹のゴブリンなんぞ仕留められるはずだと互いに不満気に囁きあっている。そして静かになった。

 仕掛けたのはゴブリンであった。

 蛮刀が空を切る。ヴァルクライムが長剣を繰り出した。

 レイチェルは悲鳴を上げそうになった。ゴブリンは首を刎ねられて終わりだろう。

 だが、刀身の腹でゴブリンは顔を殴打され倒れたのだった。少なくともレイチェルにはそう見えた。ゴブリンはそのまま起き上がらなかった。

 人々が見ている前で、ヴァルクライムはゴブリンを背負い上げた。おそらくは力を強化する魔術を使ったに違いない。そして村の入り口の方を目指して歩いてゆく。

「ちょっと待て! そいつにとどめをくれてやらなきゃ!」

 村人が数人、後を追い掛けてきて訴えた。

「そうとも、また村に危害が及ぶかもしれないぞ!」

 村人達はゴブリンの身柄を要求した。

 レイチェルはヴァルクライムと村人のやり取りをただ見守っていることしかできなかった。

「こいつに止めをくれてやるのは良いだろう。だが、この村の中では駄目だ。ゴブリンは鼻が利くし、群れを作る。血のにおいを嗅ぎつけて、残りのゴブリン達が押し寄せてくるやもしれんぞ」

 ヴァルクライムが言うと、村人達は黙り込んだ。

「私が人里離れた山の奥地でコイツに止めを刺そう」

 ヴァルクライムは歩み始めた。村人達は黙ってその背を見送っていた。

 レイチェルとリルフィスが追いつくと魔術師は言った。

「ヴァルクライムさん……。そのゴブリンは……」

 レイチェルが最後まで言う前に魔術師は答えた。

「心配いらん。眠りの魔術を掛けてあるだけだ」

 その言葉を聴いてレイチェルは安堵した。

「そういうわけで私は山奥へコイツを連れてゆく。山奥のそのまた奥ヘな。人里とは無縁の場所で生きてもらうとしよう。そこまで行くにも時間も掛かるだろう。嬢ちゃん達はここで私の帰りを待つか、先に二人だけでリゴ村へ行くか、どうする?」

 レイチェルとリルフィスは顔を見合わせた。

「私がいないと不安か?」

 ヴァルクライムが口元を歪めて尋ねた。

 レイチェルは頭を横に振った。正直不安だが、それでも自分だって幾つもの修羅場を潜り抜けてきたし、そろそろ半人前の冒険者を卒業しなければならない。これは言わば良い機会なのかもしれない。

「レイチェルちゃんどうする?」

 リルフィスが尋ねてきた。

 レイチェルは頷いた。

「ここで別れましょう。私達はリゴ村へ向かいます。それで良いかなリルフィスちゃん」

「うん、リールは構わないよ」

 ハーフエルフの少女は頷いた。

「決まりだな。嬢ちゃん達も気を付けて行けよ」

 ヴァルクライムは歩き出した。レイチェル達は、その背を見送ったのだった。

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