第5話 「クロスボウ」

 早朝のアルマンの町の外周を駆ける四つの影があった。

 ライラを先頭にし、サンダー、リルフィス、レイチェルが続く。

 ブライバスンの戦いの後、三人はライラに師事した。

 そうして宿の前まで戻って来ると、レイチェルは大きく息を吸ったり吐いたりし、すっかり疲れ果ててしまった。サンダーも、リルフィスも同じ様であった。

「少し休息を取ろう」

 ライラが気遣うようにそう言った。

 三人は顔を見合わせて、互いに頭を横に振った。強くなるには休んでいる暇など無いはずだ。

「ライラ姉ちゃん、俺達まだまだ大丈夫だよ。次、素振り五十本でしょう?」

 サンダーが尋ねると、ライラは驚き、戸惑ったように応じた。

「無理をするな。休むときは休んだ方が良い」

 今度はレイチェルが言った。

「いいえ、私なら心配要りません」

「リールも、心配要らないよ!」

 ハーフエルフの少女も息を整えながらそう言った。渋々というようにライラは頷いた。

「ならば素振りをやろう」

 レイチェルは力強く棍棒を振るった。この非力な腕が少しでも強くなれるよう、仲間達の、人々の役に立てるよう、そう思いを込めて、幾度も幾度も振るった。

 そのうち、腕の筋という筋と、肘が悲鳴を上げ始めた。しかし、彼女は挫けなかった。サンダーも、リルフィスも苦しそうだが、まだ諦めては無い。

 ライラの声がようやく五十を数えたところで、三人は腕を下ろした。肩が痛みの声を上げる。

 その表情に気付いたのか、ライラは心配するように顔を歪めた。

「明日からは素振りを二十五本に減らそう」

 驚くこちらの三人を見て、彼女は言葉を続けた。

「我々は冒険者だ。生活するために、難解な依頼に挑む事だって考えられる。その際に、身体が痛みや疲労に蝕まれていては、到底依頼の達成などは無理だ」

「いや、俺達疲れてなんか……」

 サンダーは、吐き出てくる息を収めようとしたが、無駄のようであった。

「頼む、無理は駄目だ。仕事や旅に支障が出ないように私も計画を組み直そうと思う」

 そう言われ、三人は不甲斐無いそれぞれの顔を見合わせた。

  


 二



「ギャアギャア」

 羽ばたく音と共に甲高い魔物の声が空を埋める。

 上空を翼を持った影が幾つも旋回していた。

 レイチェル達は、六日ほどの道のりのアルマンの北にある山に来ていた。そこで魔物退治に出向いた冒険者の四人組の一行が消息を絶ったということだ。依頼主は冒険者ギルドで、依頼内容は彼らの救出、あるいは死亡確認だった。

 山を登り始めてから、しばらくの間は何事も無かった。

 だが、もう少しで山頂というところで、不意に上空を舞う魔物の影を見つけたのだ。

 バサバサと空気を孕む翼の音が頭上から絶え間なく聞こえてくる。

 影は十ほどもあった。そのうちの一つが物凄い勢いで滑空してきた。

 冒険者達は避ける。風が衣服をはためかせ、魔物は再び空に戻って振り返った。

 一瞬だが、レイチェルにはその姿が見えた。緑がかった色で全身が染まり、両腕の代わりに鳥の翼が生えている。そして頭部は長い毛髪があり人のようだった。

「ねえ、あのさ、ティアイエルの姉ちゃんと同じ仲間なのかな? 話し合って俺達が敵じゃないってことを……」

 サンダーが言うと、有翼人の少女はその頭に拳骨を落とした。

「あれと私のどこがそっくりだって言うのよ! あれは、ハーピィ! 北ではハルピュイアと言われる魔物よ!」

 ハーピィ達は「ギャアギャア」と耳障りな甲高い声を上げて旋回し始めた。そして足先を向けて鋭く降下してきた。

 その猛禽のような脚はレイチェルを狙ったものだったが、ライラが横からレイチェルを庇い、オークから奪った槍で切り裂いた。血煙と羽毛を散らしてハーピィは倒れた。

 胸部の膨らみもそうだが、その顔は人の女にも似ていた。ただし裂けた口には牙が居並び、凶暴で醜悪な様相をしていた。

「敵が下りて来ないと、こちらも攻撃のしようが無いな」

 ライラが言った時、隣から一筋の影が上空に放たれ、それは旋回していた魔物の一匹に突き刺さり、射落とした。

 魔物は地面に落ちると、騒ぎ出したが、ライラがとどめを刺した。その亡骸を貫通する一本の矢を見て、レイチェルはリルフィスを振り返った。

 ハーフエルフの少女は再び弓矢を構えている。そして放った。矢はまるで敵の行く手を読むかのように見事にもう一匹に命中した。リルフィスは次々と一つも外すことなく魔物を地面に撃ち落していた。

 矢を受けても、まだまだ足掻こうとするハーピィに向かって冒険者達は冷酷にとどめを刺しに走った。

 レイチェルも棍棒を振り上げ、獣神キアロドに祈りを捧げつつ、一匹の瀕死の魔物を殴打したが、他の仲間とは違い、彼女の一撃では魔物の息の根を止めることはできなかった。非力なのだ。と、レイチェルは痛感した。

 今一度、暴れる魔物の頭に棍棒を振り下ろしたが、その頭から血が飛散しただけで、頭蓋を打ち砕くことはできなかった。

 魔物と言えど、楽に死なせてやりたい。その思いが彼女を焦らせた。再度棍棒を振り上げると、魔物の胸に槍が突き立った。

 見ればライラが立っていた。

「すみません」

 レイチェルが言うと相手は首を横に振った。

「良いのだ。これは戦士たる私の役目だ」

 リルフィスが矢を回収して戻って来た。

「今回はリルフィスの嬢ちゃんのお手柄だな。見事な弓の腕前だった」

「うん、リール、弓矢は得意だもん!」

 魔術師が言うと、遠慮することなく鼻高々にハーフルフの少女は応じた。

 


 三



 山頂の付近の茂みの中に一人の冒険者が倒れていた。

 それは若い男だったが、頭を自らの乾いた血溜まりの中に沈ませ既に事切れていた。

「おそらくは、ハーピィに捕らえられ、故意かは知らぬが、空から落とされたのだろう」

 ヴァルクライムが言った。

「残りは三人か。ここまでで発見できないとなると、魔物に捕らえられたと見るべきか」

 ライラが言うと、ティアイエルが応じた。

「そうね。それを確認しに山頂の奴らの住処に向かうわよ」

 全員が近付く山頂を見ると、そこからは新たに無数の影が飛び上がったのだった。

「ギャアギャア!」

 魔物の声がレイチェルの身を引き締めさせる。

 程なくして空一帯を魔物が覆った。

 こちらを見下ろすその数に圧倒された。途端に敵は鋭い爪のある足先を向けて一斉に滑空してきた。

 ヴァルクライムが魔術を詠み、オレンジ色の光りの壁が全員を包んだ。ハーピィ達の攻撃は魔術の防壁によって阻まれた。すかさずライラが光りの防壁を飛び出し、槍を振るって魔物を三匹を仕留めた。断末魔の声が響いた。だが、殺気立つ魔物の数は増えるばかりであった。

「さて、ティアの嬢ちゃんどうするね?」

 ヴァルクライムが言うと、ティアイエルが答えた。

「これだけの数をリールの弓に任せ切れないわ」

 ティアイエルは精霊魔術の旋律を詠み始めた。

「リールも手伝う!」

 リルフィスはそういうとサンダーに向かって言った。

「サンダー君、松明に火を着けてね」

 少年は言われたとおり、急いで松明に火をつけた。

「炎の精霊さん、リールに力を貸してね!」

 するとリルフィスもおそらくは精霊魔術と思われる言葉を口から紡ぎ始めた。

「防壁の魔術を解くぞ」

 稲妻の魔術で空を牽制しつつヴァルクライムが言った。

 レイチェル達を包んでいたオレンジ色の光りの壁が消えた。

 途端にティアイエルが空へ片腕を突き出した。

 凄まじい突風が吹き荒れるや、リルフィスもまた腕を空へ向けた。

 すると空に向かって炎を纏った旋風が舞い上がり、次々魔物を引き込んでは、灰へと変えていった。旋風の輪は広大な空へ広がり埋め尽くした。聞こえるのは魔物の断末魔の声と、風の唸りである。

 やがて炎の風はスッと消え去り、そこには空だけが広がっていた。

 ティアイエルとリルフィスが手を下げた。

「ま、悪くなかったわよ」

「うん!」

 ティアイエルが言うと、リルフィスは微笑んだ。

 山頂へ向かった一行を待ち受けていたのは、木々や枝々で作られた広い巣であった。羽毛と羽が散る中に、目的のものはあった。

 身に纏っていたものを残し、所々にしゃれこうべが転がっていた。

 レイチェルは驚いたが、慌てて心を落ち着け犠牲者の魂の行く末を仕える神に祈った。

 結局残る三人分の遺骸をそこで確認し、一行は山を降りた。遺品の一部を証拠に持ち出しはしたが、亡骸や他の遺品を本格的に回収するのはまた別の誰かがやることになるだろう。自分達の依頼内容はあくまで目標の生死の確認だけであるからだ。



 四



 日課となりつつある朝の訓練を終え食事を取る。ヴァルクライムが魔術師ギルドの用事で出ているため、一行はもう一日アルマンへ滞在することになった。

 レイチェルは考えに耽りながら、午後の太陽を身に受け街の中を歩いていた。

 そうして彼女は武器と防具の飾られている店の前で足を止めた。

 ライラの訓練に異論は無い。ただ、その成果が出るまでは相応の時間が掛かるだろう。それも自分が納得のゆく、例えば魔物の脳髄を一撃で叩き割るような腕力、膂力を手に入れるまでは……。

 クレシェイドが死に、前衛を努めるのは実質ライラ一人だけだ。サンダーも果敢に前衛であろうと行動はするが、結局は小剣と身のこなしで翻弄する戦い方が主だ。

 自分に前衛が務まるとは思えない。しかし、順等にゆけば少なくとも魔術師と精霊魔術師とを守る壁にならなければならないはずだ。そのための力が欲しい。この非力な力でも仲間の盾とも剣ともなれる力が。それを求めにここへ来たのだ。

 レイチェルは広い店内に足を踏み入れた。

 斧があった。大小、長短、様々なものだ。重さに任せて振り下ろす。これはもしかすれば良いかもしれない。

「何を悩んでいるの?」

 不意に静かな声が聞こえ、レイチェルは振り返った。

 そこには茶色の頭巾と外套を羽織った見覚えのある黒髪の少女が立っていた。

「イーレさん!」

 レイチェルは驚きと感動とで相手の名を呼んだ。

「久しぶり、レイチェル」

 イーレは持ち前の沈着冷静な声でそう応じた。そして展示されている斧を一瞥して言った。

「あなたには似合わないところにいるのね」

 レイチェルは項垂れるしかなかった。

「何か悩みがあるのね?」

 イーレがそう言うと、レイチェルは不意に感涙しそうになった。

「そのとおりなんです」

 どうにか涙を引っ込めながらレイチェルは答えた。

「私で力になれるかしら?」

 イーレが尋ねたのでレイチェルは頷いた。武器の相談なら、イーレの方が遥かに詳しいはずだ。

 レイチェルは話した。自分が訓練で力を手に入れるまでの非力さを補ってくれる武器があるかどうか。

 驚くことにイーレは頷いた。

「あるわ。来て」

 イーレに先導され、レイチェルは広い店内を進んでいった。内心そんな都合の良いものがあるわけが無い。あったとしても蓋を開けてみれば自分には扱えない代物だろうと考えていた。

 案内されたのは、弩弓の展示されている場所で、ここも大小様々あった。

 飛び道具は狙わなければならない。先日、山でハーピィを淡々と射抜いたリルフィスのような神がかった力を得るにもまた訓練が必要だ。

 レイチェルは気落ちした。結局、努力しなければならない。それはそうだと彼女は思った。

 レイチェルの前で、イーレは弩を手に取った。

「あなたには重いかしら?」

 イーレを巻き込んだのは自分だ。無駄でも彼女の助言を聞く事にしよう。レイチェルは無理やり気を明るくさせ、積極的にその弩を持った。

 それは重かったが、扱えないわけではなかった。ただ彼女は初めて弩と言うものを見たのだった。弓とは違い、少々複雑な形をしているようにも思える。当然弦があるが、他に取っ手とレバーのようなものがある。

「大きいほど弦が張って、強力な矢を撃てるようになるの」

「そうなんですか」

 レイチェルは気を遣って少しだけ驚いたようにして応じた。

「あなたは弩を間近で見るのは初めて?」

「ええ、そうです」

 レイチェルが頷くと、イーレは再び彼女を誘った。しかし今度は弩を持ったままだ。

 そこは店の奥にある広場だった。カウンターに眠たげな若い店員がいた。

 イーレがここを借りる旨を伝えると、店員は言った。

「こいつがボルトだ」

 店員がイーレに渡したのは鉄製の棒の切れ端であった。いや、よく見ると棒の先端は尖っていたので、さすがにレイチェルも気付いた。

「これが矢ですか?」

「そうよ。貸して」

 イーレはレイチェルから弩を受け取ると、弩の取っ手だと思っていたハンドルを回し始めた。ギリギリと重たい音を立てて弦が引かれてゆく。

 レイチェルはその造りに思わず目を奪われた。

 イーレはボルトと呼ばれた鉄製の矢を番え、狙いを定めた。その先にあるのは鉄の鎧であった。

 さすがに弾かれるだろう。レイチェルは苦笑を浮かべそうになっていた。

 一筋の鋭い風の音がし、矢は飛んだ。そして見間違いでなければ、それは鉄の鎧を射抜いていた。

「ちょっと、待って下さい!」

 レイチェルは慌てて的の方へ駆け出した。

 まさか矢が鉄の鎧を射抜くなんて、彼女にはとても信じられなかった。

 そして現実を目の当たりにした。的の鎧は間違いなく鉄製でそれに分厚かった。既に穴だらけではあったが、一本の矢が新たな穴を穿ち後ろの藁人形をも貫いていた。

 レイチェルは驚き、そしてそれが段々歓喜へと変わっていった。

 彼女はオークとの戦いを思い出した。これならあの光りと相対する闇の尖兵だって撃ち殺すことができるだろう。

 レイチェルが駆け足で戻って来ると、イーレはこちらの逸る気持ちを察するかのように弩を渡した。そして言った。

「このハンドルを回すのよ」

 ハンドルはきつく、どうにか最大限まで弦を引くことができたが、時間は掛かってしまった。

「ハンドルを回すときだけが無防備になるわ。だからこれは一撃必殺というところになるわね。連射するには相当な腕力が必要よ」

 イーレはそう言った。

 レイチェルは頷き、そして狙いを定めた。

「矢を撃つには、そこのレバーを握るのよ」

 レイチェルは言われたとおりレバーを握り締めた。

 重い反動で身体が弾かれた。

 矢はどうなっただろうか。

「残念、外れだな」

 若い店員がボヤくようにそう言った。だが、そんな嫌味すらレイチェルには気にならなかった。次だ。連射だ! 一刻も早くハンドルを回さなければ!

 レイチェルはきついハンドルを回そうとしたが、イーレが言った。

「先端の金具を足先に掛けて踏み締めると良いわ」

 確かに先端に輪になった金具があった。言われたとおり、それを踏み締めすると力が入りやすくなり回すのも多少は楽になった。

 そしてイーレから矢を受け取って番え、レバーに手を掛け狙いを定める。

 今度こそと、レイチェルはレバーを握り締めた。

 反動と共に矢は飛び、今度は鎧の端に突き立った。

 レイチェルは駆けた。そして矢が鎧と人体を模した背後の藁人形を貫いているのを見ると、一気に実感が湧いたのだった。

 これだ。これこそ、自分にとって大いなる武器となる代物だ。

 それからレイチェルはイーレと共に様々な弩を試し、夕暮れごろになってようやく決まった。最初の弩よりも少しだけ小型なものになった。

 だが、いざ、値段を見てビックリした。自分には少々手が出そうに無い。考えてみれば最近は目立った依頼をこなしていなかった。するとイーレが言った。

「ここは私に出させて」

 その冷静な瞳を見返しつつ、レイチェルはとんでもないと首を横に振った。

「今日、ここで新しい力と出会えることができただけでも大収穫です。弩は今度、お金を貯めて改めて私が買いますよ」

 だがイーレは譲らなかった。

「あなたにはお世話になったわ。あなた達と出会えて、今はシャロンお嬢様の師にもなれたもの。そのお返しがどうしてもしたいの」

 そう言われ、レイチェルは何も言えなくなった。ただの巡り合わせだと答えたくも思ったが、その言葉はイーレとの思い出を汚すような、そんな気がしたのだった。

 結局イーレが支払い、レイチェルの手には立派な弩と、筒に入ったボルトという矢が二十本、渡されていた。

「イーレさん、すみません。ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」

「使いこなせるようになるには少し大変かもしれない。けれど、あなたならきっとやり遂げられるわ」

 そうして通りの交わる中央まで来ると、そこで二人は別れることになった。

「じゃあね、レイチェル。あなたの無事を祈ってるわ。彼によろしくね」

「サンダー君に伝えます。イーレさんも、どうぞお元気で。お嬢様にもよろしくお伝えください」

 レイチェルは去ってゆくその背が消えるまで、感謝と感動の念で見送ったのだった。

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