第23話 「戦士の魂」 (後編)
「姉ちゃんが……俺のせいで……」
石となった有翼人の少女の前で、突っ伏し泣きじゃくる少年を、ライラは優しく抱きしめるしかなかった。
「お前のせいじゃない」
しばしの後、サンダーは涙を振り払って言った。
「クレシェイド兄ちゃんは、大丈夫なの?」
「見て来よう」
ライラもクレシェイドのことが心配だった。マゾルクの言い分からすれば、相手は手加減はしたことになる。しかし、それでもあの凄まじい聖なる光りの放射を受けて、彼の鎧の内側に居る闇の精霊がどれだけ失われてしまったかが心配であった。ヴァルクライムもティアイエルもいないのだ。バルケルへ戻り、どこぞの精霊使いや、魔術師を頼ることになるかもしれない。その際の言い訳を考えねばならない。彼女は混乱をきたしそうな頭の中を振り払った。
そして屈み込み、クレシェイドを抱き起こした。
「従兄上、大丈夫ですか?」
「俺なら平気だ。しかし、レイチェルとティアイエルが……」
ライラは首を横に振った。
「従兄上のせいではありません」
だが、クレシェイドは言った。
「ライラ、お前の力で俺を浄化してくれ」
「何を、何を言っているのです!?」
ライラは我が耳を疑った。
「俺は皆を災厄に引き摺りこむことしかできない男だ。これ以上、この世に存在していてしまっては、また同じ過ちを繰り返すことになるだろう」
ライラは強く被りを振り訴えた。
「そのような弱気な事、おっしゃらないでください。我々でマゾルクを倒すのです。そのためには、あなたの力は我々に不可欠なのですよ」
クレシェイドはしばし、思案するかのように黙った後、頷いた。
「すまない。お前の言う通りだ。マゾルクに屈するわけにはいかない。皆を元に戻さなければ……」
クレシェイドは立ち上がろうとしたが、上手くいかないようだった。ライラは肩を貸した。凄まじい鎧の重さに身体が悲鳴を上げたが、歯を食いしばり、彼を支え続けた。
サンダーが駆け寄って来た。少年は妖剣ギラ・キュロスを収めた棺を背負っていた。
「サンダー、それは置いていってくれて構わない。もう役には立たないだろう」
クレシェイドがそう言うと、少年はしばし迷う様にして、棺を足元に置いた。
「だったら兄ちゃんのミノタウロスの剣を持つよ。それだって重いんでしょう?」
「すまない、頼もうか」
ライラが手伝ってミノスの大太刀をサンダーに持たせた。少年は尋ねた。
「これからどうするの?」
少年が尋ねたので、ライラは答えた。
「バルケルへ戻ろうと思う。まずは、従兄上の身体を回復させることのできる術師を探しだそうと思う」
ライラは、マゾルクがバルケルに希望の光りがあると告げた事を黙っていた。敵に塩を送られたと知れば、この二人が気を悪くすると思ったからだ。サンダーは頷き、そして言った。
「俺、どんなことがあっても最後まで付き合うからね。だから絶対に置いてかないでね」
その言葉にライラは思わず少年を抱きしめたくなった。
ふと、前方から一つの黒い人影が歩んで来るのを見た。サンダーは身構えたが、マゾルクではなさそうだ。
「クレシェイド?」
それは山の下で助けたセーガという女戦士だった。黒甲冑の女戦士は尋ねた。
「どうなったの?」
クレシェイドは頭を振った。そしてセーガは、石化したこちらの仲間の姿を見て気付いたようであった。
「次で勝負をつける」
クレシェイドが言うと相手は頷いた。そしてもう片側に回ってクレシェイドを支えた。
二
二日を掛けて苦労しながらバルケルへ戻ると、一行はさっそく宿を取った。ライラはその足でクレシェイドの状態を回復できる者を探しに出掛けなければならなかった。
闇の精霊を使役できる精霊使いか、闇の魔力を操ることのできる魔術師か、いずれにせよ冒険者ギルドへ足を運んだが、生憎、そこに居たのは用のない者達ばかりであった。クレシェイドの身体の複雑な事情故、勇気を出して声を掛けたが、彼らの仲間にも魔術師と精霊使いはいないとのことであった。
彼女は途方に暮れながら冒険者ギルドの外に出た。次はどこを当たれば良いだろうか。魔術師ギルドか。
そうして目を向けた先に、銀色に輝く大きな背を見付けたのであった。
ライラは驚愕した。目の前のことが信じられなかった。そして思った。彼がいれば、大きく勝ちに近付ける気がする。彼女はその名を呼んだ。
「エルド殿!」
銀色の鎧に身を包んだ身体が止まりこちらを振り返った。ライラは駆け寄っていた。そうしながら感激の涙が溢れ出し止まらなかった。
彼女は上手く話が切り出せず、ただただ泣くだけであった。
「ライラ殿か、どうされた?」
力強と冷静さを兼ね備えた、威厳のある顔が柔らかにそう尋ねた。
「エルド殿、どうか、どうか力をお貸し願いたい」
ライラは頭を下げ、どうにかそれだけ言い切った。するとエルドは答えた。
「仔細があるようだ。しかし、私で力になれる事なら喜んで手を貸そう」
「訳は訊かないのですか?」
ライラは驚いて尋ねた。
「道すがら、お話し頂こう」
相手が答えた。そうして相手が差し出したハンカチで涙を拭いた。
ライラは話した。強敵がいることをだ。仲間達は魔術の効かない石にされ、自分達はその術を解くために戦いを挑むのだと。そうしてライラは意を決して、クレシェイドの身体の事と、彼の呪われた運命のことも打ち明けたのだった。
「その者を倒すことによって、石化が解けたり、クレシェイド殿が元に戻ったりする確証は無い訳か」
エルドは静かに思案するように顔を歪めて言った。
「しかし、残された道はもうそれだけなのです」
ライラは答えた。
二人は宿の入り口を潜った。そこには仲間達が揃って待っていたのだが、一人だけ知らぬ顔がいた。いや、その線の細い体格と、色白で端麗な顔と、流れる様な長い金色の髪、そして種族特有の尖った耳を見て、ライラは、かつて面識のあったエルフのサナトゥースが居るのだとばかり思った。しかし、エルフは朗らかに笑顔を浮かべて答えた。
「お初にお目に掛かります。私はシューネルガテスと申します。シューとお呼び下さって結構です。エルフの仲間エリーの命により、かつてレイチェル殿から頂いた御恩をお返しするために参上しました」
「レイチェルの?」
ライラは驚いて尋ねるとエルフは涼やかな笑みを浮かべて応じた。
「そうです。レイチェル殿はエルフを助けて下さいました」
ライラは訳が分からずサンダーを見ると少年は答えた。
「何だか、大切な落し物をレイチェル姉ちゃんが見付けて届けたんだってさ」
「そうなのか」
と、言いつつ、ライラは光明の様なものを感じていた。エルドにエルフもいるのだ、これなら勝てるのでは無いだろうか。
するとクレシェイドが立ち上がった。
「従兄上、立てるのですか?」
ライラが問うとクレシェイドは答えた。
「シューネルガテス殿のおかげで、俺もセーガも普段以上の力を取り戻すことができた」
座っているセーガも頷いた。
「では、エルフ殿は、精霊魔術を心得ておられるのですね?」
ライラが尋ねるとシューネルガテスは頷き、静かに笑みを浮かべて尋ねた。
「そちらの方はどなたですか?」
ライラは慌ててエルドを皆に引き合わせた。
「エルド殿、すまない恩に着る」
「こちらこそ、貴殿とまた共に戦えて光栄至極だ」
クレシェイドとエルド、二人の戦士はがっしりと握手を交わした。
そして一行は一晩休み、明朝、一番鶏の鳴き声と共に出立した。
三
寂れた小道を行くと、二日目に火山に着く事ができた。
そうして山頂に辿り着いた。石となった仲間達がそのままの姿で佇立し、あるいは倒れている。
「皆……」
犠牲となった仲間達の姿を見て、ライラが呻いた。
真紅の屍術師は、音も無くふわりと上空から姿を現し舞い降りてきた。
一行が身構えると相手は言った。
「よくぞ、来ましたね。三度目の正直と言います。クレシェイド、セーガ、あなた方の呪われた運命をその身体ごと断たせて頂きましょうか」
「マゾルク、ここで決める」
「私達は身体を取り戻す。ここで必ず! キリーと、アルフェイオスの仇も討たせてもらうわ!」
クレシェイドが言い、セーガが後に続いた。
「それでは、さっそく始めましょうか。まずは……」
マゾルクは哄笑し、一同を見るや、残像を残して背後に回り込んだ。
その姿は一瞬でとても追い切れるものでは無かった。屍術師の腕がライラの背に当てられていた。
「ライラ!」
クレシェイドが叫ぶや、ライラの姿は青白い光りによって包まれた。
「従兄上……」
そう言い残すと、彼女の身体は黒っぽい石となってしまった。
「彼女は既に私が与えた役目を果たしました。さあ、クレシェイド、再びあなたが怒る手助けをして差し上げましょう!」
そうして敵は再び嘲笑う様にし周囲を駆け回った。一同は背中を合わせ、円陣を組み、影を残す敵の襲撃に備えた。
「次は、ここに生き残るはずもなかった君です!」
マゾルクの身体がサンダーの前で止まった。
「サンダー!」
クレシェイドが慌てて皆を押し退け、少年を助けに駆けた時、地を蹴り、セーガが割って入った。
突き出された刃をマゾルクは避けた。そこへエルドが神器にして大剣飛翼の爪を振り下ろす。エルドとセーガは代わる代わる屍術師に攻撃を繰り出し、その姿を遠ざけさせていた。するとエルフのシューネルガテスが言った。
「クレシェイド殿、風の精霊が告げています。この一戦に加わることを望む魂の存在を」
「魂だと?」
クレシェイドが尋ね返すと、エルフは頷いた。
「とても強い意思です。私はその魂を呼び寄せることができます。時間は掛かりますが、いかがなさいますか?」
アルフェイオスか、キリーの魂だろうか。味方は一人でも多い方が良い。犠牲者が出ても、この一戦を勝って終わらせさえすればどうにでもなるはず……。
彼が頷くとエルフは言った。
「わかりました。では、サンダー殿は、私の警護をお願いします」
だが、少年は頭を振った。
「お、俺も戦いたい!」
だが、同時にサンダーは俯いた。
「けど、俺は足手纏いだ。わかってるよ。ティアイエルのお姉ちゃんが庇ってくれなかったら、ここにはいるはずもなかったんだ。そんな戦力外の俺でもできるってんなら、やるさ。弾避けにでも何でもなるよ」
クレシェイドは少年の肩を叩いた。
「サンダー、すまないな。では、頼む!」
クレシェイドは戦場を向き直った。戦いは離れた火口付近で行われていた。彼もミノタウロスの太刀を引っ提げ、加勢に向かった。
マゾルクは左右から繰り出された剣を素手で受け止め、掴んでいた。そしてセーガとエルドを放り投げた。エルドは地に転がり、セーガは火口の中へと消えていった。
「セーガ!」
クレシェイドは怒りの太刀を繰り出すが、マゾルクは避けた。
「彼女もこれまでの運命だったということでしょうね。あなたはどうでしょうか、クレシェイド?」
「貴様!」
クレシェイドが再び太刀を振り下ろすがマゾルクは両手で挟んで受け止めた。ゆったりとした胴衣の袖口から覗く腕は細く脆そうだが、屍術師の腕力は凄まじいものであった。
彼は鎧の内側に漂う闇の精霊達を呼応させ、力を振り絞った。だが、ビクともしなかった。彼は攻めあぐねていた。そして天を呪った。何故、目の前の邪悪な男にこれほどの力を与えたのか。
脇から咆哮を上げ、エルドが加勢に現れた。振り下ろした剣は敵の両腕を分断した。マゾルクがよろけ、クレシェイドは自由になった。ここぞと、太刀を繰り出し、屍術師の胸板を貫いた。そして隣からエルドの剣は、その頭を首から切り離していた。
頭を失った胴体が、ミノスの大太刀の刃の中でビクビクと痙攣し、傷口から赤い血を噴き上げていた。
「やったか!?」
エルドが声を上げた。しかし、クレシェイドにはまだ勝利の実感が湧かなかった。血を噴き上げる頭と両腕を失った身体を彼は注意深く見詰めていた。
すると、先を失った腕が持ち上がり、こちらに向いた。その傷口が淡い聖なる白い光りに包まれた。そうして転がっていた左右の腕が磁石のように引き寄せられ、切断面にくっついた。途端にその開いた両の掌に聖なる光りが集結した。
クレシェイドは慌てたが間に合わなかった。聖なる光りが放たれた。彼は終わりを覚悟した。
しかし、エルドの手が伸び、彼もまた聖なる光りの宿った腕で、それを受け止めるや、そのまま猛進し、太刀に貫かれた敵の身体を遠くへ吹き飛ばした。
「間一髪だった」
エルドが言った。
「ライラ殿から貴殿の身体のことは伺った」
「忝い」
クレシェイドはそう述べ、前方を見た。マゾルクの身体はゆっくり立ち上がり、聖なる力に輝くその首には頭が戻っていた。敵はこちらを向いた。
「しかし、奴が聖なる力を操る者とは解せん。一体奴は何者か。それに凄まじい力の強さだった」
そう言われて相手の腕を見ると、鎧は吹き飛ばされ、剥き出しになった腕には深々と焼けただれた様な傷跡が残っていた。
敵の哄笑が響いた。
「私もこれほどまでに傷ついたことはありません。あなた方を褒め称えるべきなんでしょうね」
するとエルドが怒鳴った。
「聖なる力を操る者が何故、他人の生を脅かすのだ! その力は人を助けるために用いるべく、神より与えられたものではないか!」
だが、相手は道化の仮面の下で嘲笑った。
「そのような者にも、神は気まぐれや悪戯で力を与えたということでしょうか。もし、そうならどうなさいます?」
エルドは叫んだ。
「私が一命にも変えてでも、責任を持って消し去るのみ! ライラ殿と、シスターシルヴァンスのためにも!」
エルドは神器を振るい、敵へと打ちかかって行った。
マゾルクは愉快そうに笑うと、片腕を掲げた。すると、周囲の岩が浮き上がり、低い唸りを上げて宙を旋回した。そして岩はエルドに向かって飛んで行った。
銀色の巨漢にして神官戦士エルド・グラビスは神器の大剣を振り回し、次々降り注ぐ岩や土塊を破壊して突き進んで行く。すると今度は敵は聖なる光りを腕に集め始めた。
「クレシェイド殿は来るな!」
エルドも腕に神器に淡い白い光りを宿し始めた。
そうして敵から波の様な聖なる光りが放たれると、エルドもまた打ち返した。二つの白い光りは衝突し、そして物凄い風を巻き上げて飛散した。
だが、相手はすぐさま白い光りを集め始め放った。エルドもまた白い光りを宿した腕で受け止め、弾き返す。しかし、エルドはがくりと地面に膝をつき荒く呼吸を繰り返した。
「エルド殿!」
クレシェイドは駆けた。マゾルクの足が一歩ずつ、疲労困憊の巨漢の神官戦士へと近付いてゆく。そしてその手が銀色の鎧の肩に触れた。
屍術師の腕が青白い石化の魔術の色の光りに染まり始めた。その時、咆哮を上げてエルドが躍り上がり、敵に組み付いた。
「ならば、お前諸共、火口に身を投じるのみ!」
そうして敵を抱きかかえ、蒸気のの沸き立つ大穴へと駆けて行く。その身体が青白い魔術の光りに覆われ始めた。そうしてその足取りは力なく火口の手前で止まり、石になってしまった。
「実に惜しかった。これほど肝を冷やしたのは私も初めてのことです。エルド・グラビス。彼の運命もまた狂わせてしまいたいほどに、私は感動しました」
石となったエルドの懐から抜け出すと、相手はそう言った。
クレシェイドは覚悟を決めた。エルドは命を惜しまなかった。自分は果たしてそうしたことがあっただろうか。否、と彼は心中で被りを振った。自分も助かり、全ての犠牲者が元に戻ることを常に望んでいたのだ。
エルド殿、皆、すまない。俺自身に覚悟足りなかった。
すると、隣で風が吹き荒れ、一人の男の声が響いた。
「友よ、そこまでの覚悟をよく決めた。ならば、私もお前の望むとおりの結末になるよう、導き、戦うとしよう」
クレシェイドはその声を聞き、思わず驚きと感動で震えあがった。声の主は彼の隣に風と共に居た。あくまで霧の様な黒い人影にすぎないが、彼こそ、正真正銘、魔術師グレン・クライムであった。
「グレンか!」
「久しいな友よ」
懐かしい声に彼の身体は熱くなった。
「よく来てくれた、グレン!」
「私はお前の魔術師だ。いついかなる時も傍にいる。これまでも、多少離れてはいたがお前のことをずっと見ていた」
クレシェイドは霧の人影に向かって頷いた。
「俺を勝ちに導いてくれるかグレン?」
霧の影は頷き述べた。
「奴に勝つには、頭を叩き割る程度で無駄だ。形成する全ての力を奪い取らなければなるまい」
クレシェイドは頷き返し、思案した。そして脳裏にヴァルクライムの声が過った。
「妖剣ギラ・キュロスだ。そうだな、吸い取りの剣といったところか。今は闇の力を吸い、闇の剣となっているが、それを中和し、まっさらな状態にすれば、また新たな異種の力を吸い取り、増幅する事が可能なはずだ」
ギラ・キュロス。そうか。彼は遠くに転がる棺を振り返った。
「サンダー、ギラ・キュロスを持って来てくれ!」
クレシェイドが声を上げると、少年は慌てて棺に向かって走り、両手で抱えてよろめきながら急ぎ足で駆け付けてきた。
「ありがとう、サンダー」
クレシェイドはミノタウロスの太刀を置き、棺から妖剣を取り出した。以前、マゾルクの聖なる力にやられて、これまで纏ってきた闇の力は消え失せていた。中和されたまっさらな状態だ。
「兄ちゃん、何するの?」
少年が心配そうにこちらを見上げた。クレシェイドはその肩に手を置いた。
「奴を倒す方法を見付けたんだ」
クレシェイドが答えると、少年は言った。
「兄ちゃんは無事なんでしょ? 俺達皆、またずっと一緒だよね?」
クレシェイドは頷いた。
「いつでも一緒だ。さあ、再びエルフ殿を頼む。彼は今、偉大なる力を用いている最中だ」
少年は疑心暗鬼の目でこちらを見詰めた後、頷いて去って行った。
「グレン、覚悟は決まった。よろしく頼むぞ」
「うむ、行こうか、友よ」
クレシェイドは妖剣を構えた。
「エルフの力ですか。魂を呼び寄せるとは面白い事をしてくれますね」
「マゾルク、お前を倒し、俺は大切な全てを取り戻す!」
クレシェイドは猛然と駆けた。
四
クレシェイドはマゾルクに打ちかかった。
相手は鉄の如き片腕でそれを弾き返した。
「何か閃いたと見えますね。どのような運命が齎されるか、私も楽しみですよ」
マゾルクは片腕を突き出し、聖なる白い光りを放った。クレシェイドは避けた。そうして剣を繰り出した。この切っ先をどうにかして奴の身体に突き刺さねば。
「友よ、離れろ!」
魔術師の声がし、クレシェイドは脇へ飛び退いた。途端に大きな火柱が、真紅の屍術師の足元から噴き上げ、土塊を吹き飛ばし、その身体を覆った。
火柱が止んだ時、マゾルクの回りは橙色の魔法の壁によって包まれていた。クレシェイドは剣を振るい、魔術の壁を打ち破り、真紅の屍術師に向かって斬りかかった。
突き出した刃を払われ、振り下ろす刃を避けられた。
マゾルクは跳躍し、魔術を唱え、雷撃を繰り出したが、後方でグレンもまた同じ魔術を撃ち出し、二つの雷撃は絡み合い消滅した。
マゾルクは嘲笑いながら着地した。と、その時、グレンが、新たな魔術を詠み終わった。すると敵の周囲のその足元が俄かに土煙を上げ大きく陥没した。
相手がよろめき舌打ちする。
「今だ友よ!」
グレンの声が轟くがままに、クレシェイドは敵へ向かい刃を突き出した。身体中の闇の精霊達が明滅する。渾身の切っ先は真紅の屍術師の胸に刺さり貫いた。
「がふっ」
おそらく仮面の下で血を吐いたのだろう。マゾルクは言った。
「何をするのかと思えば、このようなことですか。私には致命傷にはなりませんよ。それよりも」
マゾルクは両腕を掲げた。聖なる白い力が宿り、煌めいた。
「これにて決着ですよ。愚かな最後でしたね」
マゾルクは刃に突き刺さりながらも、こちらに歩み近付いてきた。そして振り上げていた両腕を振り下ろした。クレシェイドの両肩に聖なる力が叩きつけられ、すぐに身体中の闇の精霊達が侵入してくる力に呑まれ悲鳴を上げた。
「それはこちらの台詞だ、マゾルク!」
クレシェイドが言った途端に、肩に置かれていた聖なる光りは消え失せた。
「こ、これは?」
マゾルクが狼狽する。ギラ・キュロスの刃が聖なる光りに包まれ始めた。みるみるうちに刃に宿った聖なる白い光りは大きくなり始めた。そうなるに連れ、剣越しに腕から侵入する聖なる光りが、クレシェイドの中の闇の力を中和させ、蒸発させていった。
彼はよろめき、片膝をついた。だが、マゾルクが刃の中から逃れようともがくのを見るや、即座に片腕を伸ばし、力強く胸に抱いて捕らえた。
鎧の内側で無数に漂う闇の精霊達が爆発して散ってゆく。意識が薄れて行く。その時、肩に力強い腕が振れ、闇の力が身体中に注がれた。
「友よ、力を貸すぞ」
背後でグレンが言った。意識が僅かばかり戻ったが、それは苦しいせめぎ合いであった。彼は必死に持ち堪え、敵を抱く腕に力を籠め続けた。
長い時間そうして耐え続けた。まだ勝ったわけではないし、これを逃してしまえば、もう勝ちなど見えないだろう。彼は必死であった。
貪欲な妖剣は喰らった聖なる光りを巨大に膨らませていた。それに連れ、こちらの意識も力も、聖なる浸食を受けてみるみる内に少なくなってゆく。だが、彼は耐えた。気を持ち続けた。もはや、力を生成する闇の精霊が一片も残っていないことを知っていた。残るは、水溜り程の、身体中に残る闇の力のみであった。
「こ、この私が最期を迎えるとは思いませんでしたよ」
マゾルクが言った。
「ですが、これも、いやこれが私自身の運命。そして、まさか、あなたの腕に抱かれて最期を迎えられるとは思いませんでした」
「さようならクラッド。私の完敗です」
もはや大きくなり過ぎた妖剣に宿った光りの中で、マゾルクの身体は萎び果て、そして呑まれるようして消えてなくなった。
奴をやった。クレシェイドは立ち上がろうとしたが、地面に崩れ落ちた。全てが真っ暗になり、身体中にあらゆる力の感触を感じなくなった。どうなってしまうのだろうか、俺は。次に目を開けば、心配する仲間達が顔が揃っているのだろうか。もう一度、仲間達の顔を見たかった。彼は一人一人の顔を思い浮かべ、そしていつの間にか、無の世界に呑まれていた。
五
太陽の光りに思わずレイチェルは瞬いた。
そうして思わずよろめいて地面に倒れてしまった。手を砂利につきながら、その感覚がどうにも久々に感じた。身体中の関節が強張っている。彼女は立ち上がり、背伸びをした。やはり、関節は強張っていたようで、バキバキと小気味の良い音を立てたのだった。
彼女はぼんやりしながら、考えた。自分は何をしていたのだろうか。
クレシェイドの姿が脳裏に映り、そして彼の追っている真紅の屍術師とその道化の仮面が続き、全てを思い出した。自分は無力にも真っ先に敵の手に掛かり、石にされたのであった。そうだとすれば、どういうことだろうか。彼女は自分の両手を見た。石になっていない。それは、つまり! 彼女の心が躍った。
そうして火山の荒れ地を見渡した。途端にどこからか、人の泣く声が聴こえた。目を向ければ、見覚えのある背が幾つか、ある場所に集っていた。
レイチェルは「おーい」と、呼び掛けたかったが、誰かの泣く声がそれを制止させた。
一体何があったのだろうか。彼女は訝しんで近寄って行った。
泣き声を上げているのはティアイエルであった。彼女は地面に突っ伏し慟哭を上げていた。
「あ、姉ちゃん」
サンダーが気付いて振り返った。だが、少年の顔は暗いものであった。
「私、石になって、それでさっき気付いたんだけど」
レイチェルが言うと、サンダーは頷いた。
「うん」
サンダーはそれだけ言うと、突然、顔を背けた。レイチェルは驚いた。何か不謹慎なことを言ってしまっただろうか。その時、彼女は誰かに抱き締められた。それはライラであったが、彼女もまた泣いているのを見て、レイチェルは驚き戸惑うしかなかった。何があったのか尋ねようとした時、ライラが言った。
「レイチェル……」
「どうしたんですか、ライラさん?」
ライラは涙を流しながら告げた。
「従兄上が亡くなられた」
レイチェルは一瞬、何の事を言われたのかわからなかった。
ライラさんの兄さんって誰だったかな。そして思い出した。クレシェイドのことだ。
彼女は驚き、相手を見上げた。そして地面に積もったそれを見た。それは夥しい量の灰の山であった。クレシェイドはどこだろうか。彼女は戸惑いながら、徐々に自覚していった。クレシェイドは灰になってしまったのだ。
「嫌よ、嫌々!」
ティアイエルが灰の山を前に取り乱し泣きじゃくった。
本当にクレシェイドは灰になってしまったのだ。レイチェルは、在りし日のクレシェイドの姿を思い出していた。
そっか、もうあの深い綺麗な音色のような声も聞けないんだな。
その途端、身体中に震えが走り、胸が苦しくなった。ライラが抱き締める。レイチェルはその胸の中で泣いたのだった。
六
皆が悲しみに暮れている。
彼はその様子を虚空から見下ろしていた。
己の運命に皆を付き合わせ、最後は泣かせてしまった。
己を不甲斐無く思った。せめて、一言皆に礼と詫びを言わねば。
彼は空に溶けた身体を精一杯、下に向けて駆けようとしたが無駄だった。空気に壁ができたかのように、いや、何者かに襟首を掴まれているかのように、それ以上、下に降りることはできなかった。
「良い仲間達だな」
彼の隣で、同じく空に溶け込んだグレン・クライムが言った。
「ああ」
クレシェイドはそう応じた。
「だが、もはや、彼らの運命は我らの手の届かぬ所へ行ってしまった」
グレンが言った。
「そうか……」
グレンの見えない腕が彼の肩に置かれた。
「行こうか友よ、我々の行くべきところへ」
「そう、するとしよう」
クレシェイドは天を見上げた。太陽の光りが眩しかった。そうして彼の身体は徐々に浮かび上がっていった。
彼は最後にもう一度、仲間達を振り返った。
「皆、世話になったな。今までありがとう」
そうして彼の姿は天高く昇って行き、消えていったのだった。
冒険者レイチェル 第一幕 完
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