第23話 「戦士の魂」 (中編)

 彼女が気付いた時には既に二人の姿は無かった。

 レイチェルが目覚めた時、ティアイエル、サンダー、ライラの三人が目の前に居た。どうやら自分を起こしにきたらしい。

 しかし、三人の顔が焦っていることに気付き、レイチェルは自分が寝ている間に次の仕事が決まったのかと思い、慌てていた。

「すみません、すぐ着替えますから!」

 すると、サンダーが気落ちした様な顔を向けて言った。

「姉ちゃん。兄ちゃんと、おっちゃん、先に行っちゃった」

 その言葉を聞き、レイチェルは驚愕した。寝坊したせいで、二人に愛想を尽かされた。彼女はそう思ったが、ライラが羊皮紙を差し出してきた。

「これが机に置いてあった」

 羊皮紙には、紅茶に眠り薬を仕込んだ事と、二人が先にバルケルへ行った事と、自分達は決して後を追おうなどとは思わないでほしいという懇願が書かれ、謝罪と、必ず戻ってくる旨が記されていた。

「眠り薬?」

 レイチェルが問うと、ティアイエルが言った。

「書いてあるとおり、アタシ達、一服盛られたわけよ。その日から今日は二日目。御丁寧に五日分の宿の支払いが既にされていたわ」

「どうしてそんなことをしたのでしょう?」

 レイチェルが誰ともなく尋ねると、やや間を置いてティアイエルが答えた。

「アタシ達が足手纏いってことよ」

 有翼人の少女は苛立った様子でそう言った。

 レイチェルには合点が行かなかった。あの二人が、危険の高い依頼を見つけて二人だけでほいほいと行ってしまう様には思えなかった。宿の支払いも多めに済ませるという配慮もしてくれている。見捨てられたわけではない。そうだ、これには訳がある。レイチェルは再び手紙の内容を思い出した。二人は自分達にバルケルに来て欲しくないと言っている。その事情とは何だろうか。

「バルケルに何かあるんでしょうか?」

 他の二人もティアイエルを見た。

「きっと手掛かりを見つけたのよ」

 ティアイエルは言った。

「手掛かり?」

 サンダーが尋ね返した。

「そうよ。アイツが追っている奴のね。マゾルクとか言っていたかしら」

 レイチェル達は驚いて顔を見合わせた。

 マゾルクは、クレシェイドの故郷を一瞬にして殺戮し、彼の身体を生ける屍へと変えてしまった者である。

「俺達も追おうぜ! あの二人なら大丈夫だとは思うけど、念のために、俺達も行った方が良いよ!」

 サンダーの提案にレイチェルも素早く同意した。しかし、ティアイエルは冷厳な表情でこちらを見据えて言った。

「行くのはアタシとライラだけよ。アンタ達はここにいて」

 有翼人の少女の声には威厳があった。それが、レイチェルとサンダーに反論を許さなかったし、相手の心情が何と無くだが悟る事ができた。つまりは並々ならぬ敵だということだ。

「ライラ、支度するわよ」

 二人が口を開けずにいると、ティアイエルとライラは背を向けて部屋から出て言った。そして出て行く前にライラが振り返った。

「二人を必ず連れて帰ってくる」

 そうしてティアイエル達は旅立って行った。馬を引くその背が人混みの中に消えて行くのを見送りながら、レイチェルはようやく歯痒さを感じたのだった。つまり今度は自分達が足手纏いだと言われたのだ。だが、こればかりは気合でどうにかなるわけでもない。彼女はただただ己の無力さを嘆くだけであった。

 彼女が部屋に戻ろうとするとサンダーが言った。

「姉ちゃん、本当にこれで良いと思う?」

 少年の問いにレイチェルは合点がいかず首を傾げた。

「俺達仲間なのにさ。こういうときにこそ、役に立ちたいじゃん」

「それは、そうだよね。だけど、ティアイエルさんは私達の事を気遣って、ああいうふうに言ったんだと思うよ」

「それはわかってるよ。でも、俺、こういう時だから、やっぱりクレシェイド兄ちゃんの役に立ちたいんだ。弾避けでも何でもさ!」

 少年はそう言うと、通りを駆けて行ってしまった。レイチェルは結局自分だけが居残りをするはめになったので、バツの悪いをしていた。自分もサンダーを止めずに同意して行けば良かったんだ。しかし、この鈍足で今から駆けて追い付けるだろうか。

 彼女がヤキモキしていると、突然大きな影が彼女のすぐ傍に現れた。それは馬であった。そして馬上から手綱を握ったサンダーが見下ろした。

「姉ちゃんは、どうする? 俺は行くけど」

「待って待って! 行くよ!」

 そう答えると少年は笑顔を浮かべて、馬から飛び下りた。

「よし、早いところ支度済ませちゃおうぜ」

 二人は大急ぎで荷物を掻き集めると外に飛び出した。サンダーが先に馬に跨り、両手を差し伸べてレイチェルを前に乗せた。レイチェルは馬の硬いたてがみを掴んだ。

 そうして二人は街中を歩んで行き、街道へ出ると一気に疾駆したのだった。



 二



 レイチェル達が街道を馬で疾走してしばらくすると、後方から呼び止める声が上がった。

「待ちなさいアンタ達!」

 それは紛れもない有翼人の少女の声で、馬に跨った彼女とライラが脇の茂みから姿を現した。

 レイチェルは冷やりとした。おそらくは叱責されるだろう。自分達は待つように言われたのだから。

「よくわかったな、ティアイエル」

 ライラが言うと、ティアイエルは応じた。

「このぐらいお見通しよ。ついでにジミー、アンタね、レイチェルを誘い出したのは」

 ギラリと睨まれ、レイチェルの隣でサンダーはゴクリと喉を鳴らし、おずおずと答えた。

「俺だって、クレシェイド兄ちゃんの役に立ちたいんだ。止められたって行くからね」

「わ、私もです!」

 レイチェルは慌てて同調した。その二人の顔を、有翼人の少女は睨みつけると、溜息を吐いた。

「二人の意思は固いようだ。こうなった以上は共に行くべきではないか?」

 ライラがティアイエルを諭すと、有翼人の少女は溜息を吐いた。

「言っとくけど、アタシの言う事が第一で絶対よ。アンタ達が考えているほど」

「うん、わかってる」

 サンダーが割り込んで応じ、言葉を続けた。

「あのクレシェイド兄ちゃんが追う敵だもん、そのぐらいは分かってるし覚悟できてるよ」

 ティアイエルは続いてレイチェルに目を向けたので、彼女も素早く頷いて決意を示して見せた。

「だったら行くわよ」

 そうして街道を三つの馬影が疾駆した。

 東方の首都にして港町バルケルに着いたのはそれから三日後であった。

 馬を預け、一行はひとまず分散して宿屋を当たる事にした。

 だが、成果は無かった。どこの宿にもクレシェイドのような人物は泊まった形跡は見受けられなかったのだ。

 一行は話し合った。そして二人が既に町を発ったのではないかと結論を下し、冒険者ギルドへと顔を出した。そしてティアイエルが、ギルドの主に尋ねた。この辺りで探索できる場所はあるかと。返答としては洞窟が二つと、海の向こうにある小島が幾つか、他に溶岩石の採れる火山へ続く道があるということだった。

 有翼人の少女は冷静な表情で述べた。

「行くなら火山ね」

「何で火山なの?」

 少年が尋ねると、有翼人の少女は言った。

「そうね。何だかそんな気がするの」

 


 三



 一行は火山へ向かう荒れ果て寂れた道を行った。

 途中、日が暮れ、ティアイエルが仲間達を気遣い休息を告げようとしたが、レイチェル達はクレシェイドとヴァルクライムを思い、その足を止めることなく前進したのだった。

 夜を徹して歩みを進め、白々と空が開けた頃、見上げる程の黒い山が遠くに聳えるのを見たのだった。

 クレシェイド達はどうなっただろうか。間に合うだろうか。全て終わった後だろうか。

 そうして岩と砂利の斜面の入り口に、見覚えのある漆黒の鎧を纏った姿が横たわっているのを見つけたのだった。

「クレシェイド!」

 ティアイエルが叫んで戦士の元へ駆けて行く。レイチェルはその様を見ながら、ヴァルクライムの姿が無い事に気付き、嫌な予感が過ったのであった。

 クレシェイドは動けない状態のようだった。ライラが上半身を抱き起こし、呼び掛けたが反応が無かった。

 慌てた様子のティアイエルが戦士の胸に手を押し当て、何かを探る様に目を閉じて集中していた。

「闇の精霊は居るけれど、一握りにも満たないわね」

 有翼人の少女は深刻そうな顔で告げると、精霊を呼ぶ旋律を口走りながら草藪に飛び込んで行った。その姿を見送り、レイチェル達は順番に、ゆっくりとクレシェイドに話しかけた。

 鎧の戦士は首を僅かに傾け、こちらを見つめ返しながら、か細い声で言った。

「何故来てしまった?」

 レイチェル達は顔を見合わせた。サンダーが応じた。

「兄ちゃん、俺達仲間だよね?」

 クレシェイドは頷いた。

「皆、兄ちゃんの役に立ちたかったんだ。だから来たんだよ。置いてくなんてあんまりだよ」

「すまない……」

 クレシェイドは天を仰ぎ見ながらそう言い、言葉を続けた。

「だが、お前達はこれ以上、進んではいけない。奴がいる」

「わかってるよ、兄ちゃんがずっと追ってたアイツ、マゾルクがいるんだね?」

 サンダーが尋ねると、鎧の戦士は頷いた。次はライラが尋ねた。

「従兄上、ヴァルクライムはどうしたのですか?」

 レイチェル達三人が見詰める中、クレシェイドは答えた。

「彼は戻らなかった……」

 レイチェルは心臓が破裂せんばかりに脈打つのを感じた。背中に突き刺す様な寒気走り、そして目の奥から涙が溢れ出て来るのを止められなかった。

「おっちゃんなら……おっちゃんなら、生きているかもしれないよ。そう簡単に敵にやられたりするもんか。きっと大丈夫、まだまだ持ち堪えているよ」

 そうしてサンダーは火山の入口へ足を向けた。

「サンダー待て、何処へ行く?」

 ライラが呼び止めると少年は振り返った。

「おっちゃんを助けに行かないと」

 少年はそう答えた。

「確かに急を要する事だ。ヴァルクライムは生きているかもしれない。しかし、我々がバラバラで行ったところで何の役に立てるか。奴が生きているなら、単独行動はその足を引っ張ることになる。もう少し待て。ティアイエルが従兄上を何とかしてくれるまで」

 サンダーは戻って来た。その途中茂みの方に向かい棒のような何かを両手で拾い上げた。

「大きな剣だ。兄ちゃんのかな」

 茂みが揺れレイチェルが振り返った。そこにはティアイエルがいた。両手に黒の様な紫色の炎に似た闇の精霊の塊を掲げていた。

 ティアイエルはクレシェイドに触れ闇の精霊を鎧の内側へと導いた。やがて、鎧の戦士は両手を握り締めて言った。

「すまない」

 ティアイエルがその頬を平手で打った。

「この馬鹿! 何やってるのよ! アタシを連れてくって言ったじゃない! それを、ヴァルクライムまで失って……」

 ティアイエルは再び手を振り上げたが力なく下ろした。

 クレシェイドがゆっくり立ち上がった。

「皆、すまない。だが、俺の願いを聞いてくれ。俺はこれから山頂へ向かう。ヴァルクライムのこともある。それにマゾルクがまだそこにいるかもしれない。俺は奴を倒さねば……。この機会を逃せば、次に奴が気紛れを見せるまで何百年待つことになることか。俺は行く。だが、お前達はこれ以上進んでは駄目だ。後生だ、聞き届けてくれ」

 クレシェイドはサンダーから剣を受け取ると、火山の斜面へ足を踏み出し始めた。だが、その足が止まり、彼は近くの岩場へ向かうと覗き込んだ。

 そして腰を落としたかと思うと、その手にはクレシェイドよりも幾分小柄な鎧姿の誰かの姿があった。

 クレシェイドは抱きながら戻って来た。

「ティアイエル。すまないが、彼女の事を頼む」

 そう言って地べたに彼女と呼んだ鎧姿の戦士を横たえた。

 そうして彼は再び火山を上り、レイチェル達の前から去ろうとしていたが、ティアイエルが声を上げた。

「ふざけないで! アタシは、治さないわよ!」

 クレシェイドが振り返って言った。

「彼女も俺と同じ身体の持ち主だ。今は見ての通り瀕死の有様だ。お前しか彼女を治療することはできない」

「そんなのアンタなんかよりよくわかってるわよ! この誰かさんには闇の精霊の気配が全く無いわ! お生憎ね、放っておけばこのまま残り少ない闇の生命力も吸い尽して死んじゃうでしょうね!」

 クレシェイドは戻って来た。

「彼女はセーガと言う。頼む、お前の力で救ってやってくれ」

 レイチェルはふと、セーガと言う名前を思い出し、足元に横たわる戦士が、かつてティンバラの町で、トロルに殺されそうになったところを助けてくれた戦士だということに気付いた。

「取り引きよ」

 有翼人の少女はクレシェイドを見据えながら言葉を続けた。

「アタシ達を同行させなさい。そうすれば、この女を助けてあげても良いわ」

 クレシェイドはしばし迷う様に押し黙り、やがて頷いた。

「俺がやられたら皆ひたすら逃げろ。それだけ約束してくれ」

 彼は一人一人をじっくり見詰めがらそう言った。レイチェル達が頷くと、彼も頷き返した。

 ティアイエルが再び藪へ入って行く。そうして僅かながらの闇の精霊を宿して戻って来た。

「そんな小さくて大丈夫なの?」

 サンダーが心配そうに尋ねると有翼人の少女は答えた。

「これで充分よ。今は朝なの、闇の精霊なんてそう簡単にホイホイ見つかったりはしないんだから。それに一匹でも精霊を宿したなら、後は勝手に力を生成してくれるから、放っておいても問題無いわ」

 そうして有翼人の少女は告げた。

「だから行くわよ」



 四



 一行は山を上り始めた。岩と砂利だけの荒涼とした大地であった。

 山頂に着いたのはそれから太陽が真昼の位置に近付いた頃であった。

 蒸気の細い煙が噴き出る大地で、まず一行はギラ・キュロスを収めていた棺を見つけたのだった。そして、その傍には両膝を着いたままの石となった魔術師の姿があった。

「私が試してみる」

 ライラが進み出た。そして聖なる魔術の旋律を詠むと魔術師に片腕を触れた。ヴァルクライムの身体は黒の様な灰色一色となっていた。そして白い聖なる光りがその身体に染み込み、元に戻すことも無かった。

「強力な石化の術か。残念だが私程度の力では無理のようだ」

 ライラが力無く被りを振った。

 その時、魔術師の悲惨な姿を憐れむ間も与えず、女の忍び笑いがし、目の前に突然真紅の屍術師が姿を現した。

 クレシェイドはただの妖剣となったギラ・キュロスを捨て、ミノスの大太刀に手を掛けた。

 仲間達が左右で後ろで身構えるのがわかった。

「お前がマゾルクか!」

 サンダーが声を荒げて問い質す。すると相手は道化の仮面を頷かせた。

「威勢の良い少年ですね。しかし、クレシェイド、あなたはまた罪を犯しましたね。新たな犠牲の旅路に大切な仲間を引き連れてきた事です。彼の犠牲だけでは事足りぬと見えます」

 マゾルクはヴァルクライムを見下ろして言った。ふと、その顔が上がるや、こちらに右腕を向け、相手は魔術の旋律を詠み始めた。

 クレシェイドは素早く太刀を抜き様斬り付けたが、それは相手の身体を擦り抜けた。そしてその姿は霞と消えたが、嘲笑う様に旋律を詠む声は続いていた。

 彼が敵の行方を見回した時、その真紅の姿がレイチェルの背後に佇んでいるのを見つけた。

「レイチェル!」

 彼はその名を呼んだが、魔術は完成してしまっていた。青い光りが突き出した敵の腕から放たれ、神官の少女を包み込んだ。



 クレシェイドが叫んだとき、敵の女の声が自分の後ろから聞こえていることにレイチェルは気付いたのだった。

 しかし、青白い光りが身体を包むのを見た瞬間、全身の関節と言う関節が、巨人の手に握られたかのように締めつけられる様にして動かなくなったのを感じた。

 これが石化の魔術なのだと悟った時には、瞬きすら封じられ、息をするのも苦しくなってきていた。

 何もできなかった。結局、自分はこうして足手纏いなのだ。だが、このままただ消えたくは無かった。何としても役に立ちたい。一歩でも身動きして相手を驚かしてやりたい。しかし、全身を流れる力は消え失せ始め、手足に身体の感覚すら失われていた。

 彼女は考えた。どうすれば良いのか。

 その時、脳裏を涼やかな声が過ったのだった。

「あなたは、エルフを助けて下さいました。ですから、エルフの力が必要なときは、心の底から私の名前を呼んで下さい。必ずやお力になりましょう」

 レイチェルは今こそエルフの名を叫んだ。しかし、口は動かず喉も締めつけられていた。彼女の叫びは心の中で木霊し、それは意識が消え失せる僅かな間まで続いたのであった。



 五



 彼の目の前で神官の少女は灰色の石像と化してしまった。

「クレシェイド、どうします? 退きますか?」

 マゾルクが嘲り笑い、風のような足取りで彼らのずっと先に現れた。サンダーが叫び返した。

「退いたら、どうなるってんだよ! おっちゃんも、姉ちゃんも、元に戻してくれるのか!? クレシェイド兄ちゃんの身体も元に戻してくれるのか!?」

 マゾルクは声を潜めて笑った。

「それは無理と言うものです。あなたには私を倒すか、倒されるか道は残されてはおりません。この呪われたあなたの運命からは逃れることはできませんよ」

「兄ちゃんが、お前に何をしたってんだ!」

 少年は更に怒喝した。

「強いて言うならば、クレシェイドは選ばれたのです。そう、神の悪戯にですね」

 マゾルクが手を掲げ、新たな魔術の旋律を詠み始めた時、その背後から噴煙が上がり、土塊と岩石を吹き飛ばし、大きな身体が現れた。

 それは全身がマグマでできた巨人、ゴーレムであった。

「ふざけんじゃないわよ!」

 ティアイエルが槍を掲げて声を荒げた。ゴーレムは彼女が呼び出したもののようであった。

「ゴーレム、お前の主が告げる! 目の前の赤い奴を叩き潰してしまいなさい!」

 ゴーレムは燃え滾った片腕を振り上げ、太い鞭のようにしなった腕を振り下ろした。

 大地が激震した。マグマの手の平が地面に穿たれている。

 一同が固唾をのんで様子を見ていると、ゴーレムの腕が一瞬にして蒸気に変わった。

 マゾルクは生きていた。魔術の光りの宿った腕を掲げている。

「ゴーレム! 蕩けてしまいなさい!」

 ティアイエルが命ずると、ゴーレムの身体は瞬時にドロドロのマグマとなって崩れ落ちた。その灼熱の海がマゾルクを包んだ途端、それらもまた蒸気となり、消え失せてしまった。

「まだまだ!」

 ティアイエルが再び槍を掲げると、開いた大地の底から再び大きな炎の腕が現れ、大地の淵を掴み、伸し上がって来た。

「随分御若いのにこれだけの精霊を使役できるとは驚きましたね」

 ゴーレムが脚を振り上げ、潰そうとした時、それはまたしても蒸気となって全て消え去ってしまった。

 そうしながらも屍術師は、新たな旋律を詠み始めていた。

 クレシェイドは敵目掛けて駆けた。

 このままでは、先の戦いの様な結果が待っているのは目に見えている。それを覆すことができるのは自分の動き次第だ。

「マゾルク!」

 彼はミノスの大太刀を振り抜いた。

 マゾルクは跳躍した。クレシェイドは即座に応じ、剣を振り被り、一刀の元に背中から斬り下げた。

 刃は敵の身体を半ばまで断っていた。傷口から半身がずれ落ち、真っ赤な血が噴き出した。

「神の悪戯だと! お前の様な神がいてたまるか!」

 地面に落ちた敵の身体目掛けて、クレシェイドが止めの一撃を振り下ろした。

 その時、マゾルクの腕が伸び、凄まじい力が剣の切っ先を掴み、抑え込んだ。

「あなたには、もはや切り札は無いようですね、クレシェイド。そうなると、後はひたすら怒り、憎しみ続けることにしか勝つ道は残されてはおりません」

 道化の仮面がそう告げた。途端に、マゾルクの全身が白く輝き、聖なる力がクレシェイドの全身を襲った。

 身体の内側に居る闇の精霊達が悲鳴を上げ、崩れ落ちて行く。身体を満たす闇の力という力が煙となって失われ外へと噴き出て行く。

 彼は倒れていた。

「では、あなたの怒りと憎しみを増やすお手伝いをして差し上げましょうか」

 真紅の屍術師の薄気味悪いが木霊した。

「やめろ……」

 クレシェイドは必死に自分自身に抗った。しかし、立ち上がるほどの力も気力も失われてしまっていた。



 六



 歩み寄って来る敵の前に、ライラは立ちはだかり、仲間達を振り返って叫んだ。

「二人とも逃げろ!」

 これは勝てない敵だ。己の本能がそう訴えかけていた。だが、逃げ切れる訳も無いだろうとも悟っていた。

 それにしても、奴は聖なる魔術を放っていた。僧籍に身を置くものなのだろうか。いや、神はこのような残虐非道な悪に力を授けたりはしないはず。

 ライラは咆哮を上げ、敵へ斬りかかった。

 真紅の屍術師の姿がどんどん近付いてくる。そして裂かれたはずの身体がすっかり元に戻りつつあった。彼女は槍先を腰だめに構えて渾身の突きを放った。マゾルクは避けたが、分断された左腕が宙に舞い上がり、地面に落ちた。

 間髪いれずその首目掛けて槍を繰り出す。敵は避けたが今度は左足を吹き飛ばした。体勢を崩し、敵が地面に横たわろうとした時、ライラは止めをくれようとしていが、ふと疑念が脳裏を過った。簡単過ぎるのだ。自分程度の戦士がこうも上手く、あの敵を追い詰めることができるだなんて。

「その通りです」

 道化の仮面がこちらを見上げて告げた。

 途端に背後で声が上がった。

 ティアイエルと、サンダーが、敵の分断された手足と戦っていた。それらは、どちらも空を漂い、魔術の光りに輝いていた。ライラはハッとして、慌てて向き直ったが、そこには屍術師の姿は無かった。そして彼女はもしやと思って振り返った。

 そこには空を行く敵の姿があった。腕と足とが主へと帰り、元の姿に戻っていった。

 敵はこちら振り返った。

「ラザ。いや、今はライラでしたね。あなたにクレシェイドの面倒を頼むことにしました」

 敵はそのまま腕をティアイエル達に向けた。その手がとても大きな魔力の光りに包まれ始めた。

「やめろ!」

 ライラは駆け出した。間に合うわけがない。だが!

 魔術は放たれた。広大な青白い光りの筋が二人の仲間を襲った。

「逃げろ、二人とも!」

 ライラは叫んだ。叫びながら駆けた。

 すると、ティアイエルがサンダーを突き飛ばし、その上に覆い被さった。光りは彼女を直撃した。

「ティアイエル! サンダー!」

 ライラは絶叫し、二人の名を呼んだ。

 すると、灰色に変わった有翼人の少女の下から、少年が這い出てきた。サンダーはティアイエルを見下ろし、茫然自失としているようであった。

「サンダー、逃げろ!」

 マゾルクの背にライラは槍を繰り出した。しかし、相手はあっさりと避けた。彼女が続いて斬りかかろうとすると、マゾルクは自分の掌を見せた。

「今はこれまでとしましょう。この結末をクレシェイドがどう受け止めるかわかりませんが、次を最後の戦いとしましょう。彼が私を殺すか、私に殺されるか。楽しみですね。あなた方には、港町バルケルに幾つかの希望の光りがあることだけをお伝えしておきましょうか」

 そう言い残すと、真紅の屍術師は姿を消した。

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