第14.5話 断章3 「妖剣」
行軍は夜通し続けられた。
やがて空が白々と明るくなった頃、丘陵に聳え立つ都市の防壁が見えてきた。
馬に乗った大将が全軍を停止させ、一同を振り返って言った。
「ヴァンパイアは、陽の光を嫌うものだ。日中はどこぞ暗い場所へ身を潜め、寝入っているという話もある。ムジンリは広いが、手分けすれば日没前には彼の者の姿を発見できよう」
そして大将は僅かに表情を難しくさせ、町の方へ目を向けた。門扉は閉ざされているようだ。
不意に、都市の左右から幾つもの影が上空に舞い上がった。
「あれが、先遣隊の言っていた邪悪なる石像どもか!」
空気を孕んだ重々しい翼の音が聞こえてくる。空で展開するその影は遠目にはカラスの群れの様にも映った。
歩兵達がトネリコの槍から剣へと持ち替え、クレシェイドもミノスの大太刀に手を掛けた。すると、大将が言った。
「まずは、伯爵閣下のお知恵を用いてみよう。神官の方々、よろしく頼みましたぞ」
「皆、前へ!」
そう号令を掛けたのは、銀色の神官戦士エルド・グラビスであった。彼の大きな背を先頭に、大勢いる神官達が歩兵達の間を追い抜いて行く。そして再び集結した彼らは、一斉に神聖な魔術の調を詠み始めた。
「我々は少しばかり離れていよう」
ヴァルクライムに促され、クレシェイドは隊列の脇へと抜け出した。これほどの神官達の力が合わさるのだ。この呪われた身にも何らかの影響が及ぼされるかもしれない。
神官達から白い光りが放たれた。その眩しさにクレシェイドの内側で闇の精霊達が身を竦めていた。
神官達の光りは放射状に広がり空一面を埋め尽くす。それらが空を跋扈する悪意の影達に触れるや、それらは次々と身を崩し、墜落していった。
「伯爵閣下のお考えが当たったようだ」
大将が言った。命を失った石像が豪雨の如く地面に降り注ぎ、次々と砕け散っていった。
空の掃討はあまりにも呆気なく終わってしまった。
「ヴァンパイア恐れるに足らず」
と、隊列からは歓喜の声が上がった。
「障害は取り除いた。これで残すはヴァンパイアのみか」
大将が感慨深げに言うと、歩兵の一人が提案した。
「今の神官の方達の力で、町中を手当たり次第に、大まかに浄化してしまえばよろしいのではないでしょうか?」
「いや、真の平和を取り戻すには、確証こそ必須だ。そのためにはヴァンパイアの首魁の姿と、その最期を直接見届けなければならん。さあ、方々、参ろうか」
討伐軍は再び歩みを進めたが、程なくしてその足は止められた。
突如として扉が開かれたのだ。
何者が出てくるのだろうか。と、一行は訝りながら遠くの門扉を眺めやっていた。
二つに割れた扉の向こうから現われたのは、黒の甲冑に身を包んだ者であった。
その堂々とした歩みの後ろから、鎧をガチャガチャと揺らしながら、同じく黒一色の戦士達が続いて現われた。
「アンタのお知り合いかい?」
「いや、違う」
冒険者の一人の問いに、クレシェイドは上の空で否定した。
彼は思案していた。以前、サルバトールに負けはしたものの、その軍団を壊滅させてはいた。
では、この戦士どもは何なのだろうか。陽光を意に返さず出てくる様からすれば、ヴァンパイアとは違うらしい。あのマゾルクが用意した兵団だろうか。もし、そうならばこの先で奴と出会える可能性は高い。
彼は胸の高鳴りを抑えて、内側の闇の精霊の力を借りて黒金の一団を凝視した。先頭の者を除いて残りは同じ形をした甲冑に身を固めていた。
一方、大将と思われる先頭の者は、上から下まで一際立派な鎧兜に身を包んでいる。そいつが手を挙げ、付き従う者達の歩みを止めた。そして何を思ったか、たった一人でこちらへと足を進めて来る。
ある程度の間合いを置いて、その歩みを止めた。
「精鋭が来るものと期待していたが、蓋を開けてみれば、何とも貧相な軍勢ではないか!」
雲の中で唸る雷のような声がそう言った。
「我は暗黒卿だ。大将出でよ!」
敵の声が轟くと、こちらの兵達は思わず萎縮していた。
その中をこちらの大将は馬上で胸を張って先頭へ進み出て行った。その胆力からして、彼は決して間に合わせの指揮官では無いのだと、クレシェイドは感心した。
大将は腰に収めた将剣を抜き放って、敵を指した。
「貴様は闇の者か! そうでないならば、大人しく道を開けよ!」
「クハッハッハッハ。闇の者! そうよ、我らは闇より出でし者よ!」
「ならば、我らはお前達を討ち果たしに来たのだ!」
「勇ましいな。雷獣、行って奴らの酔いを覚ましてやれ!」
暗黒卿と名乗った敵の大将が言うと、敵の中から一人が進み出てきた。
暗黒卿も大男だが、その兵士は更に上をいっていた。恐ろしげな戦斧を肩に担ぎ、両腕でそれを振り下ろした。
地鳴りが響き、土煙が舞い上がった。見れば、地面に食い込む刃の周囲には幾重にも亀裂が走っていた。
「俺の名はカミュ! さあ、最初に死にたいのはどいつだ!」
大音声が空気をビリビリと震撼させる。その凄まじさは、こちらの神官達の数人が気を失って倒れるほどであった。
雷獣のカミュは大笑いして、中央へ歩んで行く。
こちらの大将が隊列を振り返った。
「さて、誰か腕に覚えのある方は居られるか? さもなくば、私が行くぞ」
大将の声に、神官はもとより、歩兵に冒険者の戦士達も互いに顔を見合わせて、気まずい様に目を逸らしあった。
「どれ」
大将が言い、将剣を振り上げ、敵目掛けて馬腹を蹴ろうとしたとき、クレシェイドは名乗りを上げようと口を開きかけた。しかし、その前に神官の列から銀色の偉丈夫が声を上げて進み出た。
「御大将、敵の挑戦、私が受けたく思う」
神官戦士のエルド・グラビスは、歩みながらそう口にした。
「グラビス卿か。よし、貴殿ならば」
大将は頷いた。
エルド・グラビスが腰に提げた剣を抜き放った。陽光が大きな刃を煌かせる。カミュと名乗った敵兵は岩盤のような斧を持ち上げた。
「我らが血祭りの最初の贄となれ!」
怒号し敵兵が駆け出した。大剣を下段に構え、エルドも駆けた。
両者が接するときに、敵のカミュが声を上げた。が、それは一瞬の間もなく天を裂く様な絶叫に変わっていた。
重々しく鉄を打つ音が聞こえ、敵兵の胴は鎧ごと真っ二つになり、空を飛んでいた。そしてたくさんの血と臓物を散らして地表を朱に染めた。
クレシェイドは神官戦士の力量に瞠目した。頑強な鎧ごと肉体を断ち切る力は並大抵のものではない。静寂の後、味方から歓声が上がった。
「エルドがやった!」
「エルド殿がやってくれたぞ!」
しかし、哄笑が場を沈めた。それは暗黒卿のものであった。敵はこちらを見据えて言った。
「人間めが、しかし良い余興となった! 戦だ!」
黒の歩兵達が各々の得物を手に横並びに突撃してくる。
「歩兵隊は前へ、そのまま一斉に駆けよ! 我に続け!」
大将の指示の下、こちらの隊列は速やかに入れ替わり突撃する。クレシェイド達も従った。
敵は小勢だが、侮れない相手だ。全員に先程のエルド・グラビスのような膂力があれば良いが、そうはいかない。堅固な鎧ずくめのため、器用にその隙間を狙い済まし、痛手を与える他に手段は無かった。
それに対して闇の者達はどうだろうか。おそらくは、先程のカミュとかいう者のような膂力を誇る者が揃っているのではないだろうか。
早くも敵の動きに変化があった。相手は駆けながら、手にした得物を投擲した。
それは空に向かって弧を描くどころか、風を切る鋭い音を発しながら、真っ直ぐこちらへ放たれたのだ。
その空を行く速さ、何と言う膂力だろうか。あっとした時には、こちらの歩兵達が貫かれ、バタバタと倒れていった。
「恐れるな! 敵は小勢だ! 一気呵成に攻め立ててしまえ!」
大将が兵達の怯んだ様を見てすかさず叱咤した。
先ではエルドが一人で敵の襲来を待ち受けている。
一方、向かってくる敵の間を、暗黒卿が物凄い速さで追い抜かし、あっと言う間にエルドに斬り掛かっていた。
クレシェイドは大剣と大剣が衝突するのを見たが、両者のぶつかり合う姿は歩兵達の中に消えていった。
彼の予想通り、敵兵の力はずば抜けていた。あちこちでこちら側の隊列が切り崩されて行く。
どこへ救援に入るべきか、逡巡していると、目の前でこちらの兵士達が空へと巻き上げられ、長柄の鋼の棍棒を手にした一人の敵兵が現われた。
「我らと同じ色を好むとは気に食わぬな。その鎧を引ん剥いて情けない裸を晒してくれるわ。行くぞ、人間!」
大喝と共に黒塗りの甲冑に身を包んだ相手はそう叫び、長柄の棍棒を振り回して襲い掛かってきた。
空を唸らせ、地を揺るがす一撃であった。これに当たれば、この鎧といえども、ただでは済まないだろう。大地を穿ち亀裂を走らせる一撃を避けつつ、クレシェイドは気を引き締め、ミノスの大太刀を抜き放った。
敵が繰り出した鋭い一撃をクレシェイドは踏み込みつつ、剣で跳ね上げた。内側で闇の精霊達が呼応するのを彼は聞いた。
彼はよろめく相手に向かって全身全霊を籠めて剣を袈裟切りに振り下ろした。
重厚な鉄が拉げて裂け、太刀は薄緑色の胴体の半ばまで切り裂いていた。
「おお……。き、貴様……この気配……人間では……」
相手はよろめき、自ら作った血の溜まりの中に倒れて、それっきり事切れた。
クレシェイドは一呼吸置くと、ヴァルラクイムを振り返った。そして彼は慌てた。
魔術師は杖から抜き放った剣を手にし、敵の戦士の二人がかりの相手を務めていたのだ。
すると、二つの大剣が同時に突き出された。クレシェイドは友の最期を予感し、慄きを覚えた。
しかし、二つの太い切っ先は、突如として阻んだ光りの壁を破り、また一枚、またまた一枚と破り突き進み、四枚目の壁でついに勢いを失った。
ヴァルクライムは大地を踏み鳴らした。
途端に敵兵の足元から真っ赤な火炎が噴出し、その身を呑み込んだ。
燃え盛る炎の中に二つの絶叫が響き、やがてそれは聞こえなくなった。
「さすがに難儀だった」
ヴァルクライムは火を凝視しつつ、しみじみと言った。
クレシェイドが声を掛けようとした時に、魔術師がハッと目を見開いて声を上げた。
「後ろだ、友よ!」
クレシェイドが振り返ると、大斧を振り被った敵兵がすぐそこまで迫っていた。
「オオオウッ!」
咆哮と共に振り下ろされた斧を、クレシェイドは悠々と避けた。
しかし、敵の追撃は素早かった。両刃の斧を横薙ぎにして素早い猛攻を仕掛けてきた。
眼前で太い風の音が幾度も鳴った。そして突然真っ直ぐに突き出された。
クレシェイドはミノスの大太刀で受け止めたが、その力に身体を押され、両肩が軋みを上げた。
彼はどうにか受け止め、今度は全力で押し返した。相手は、踏ん張った。クレシェイドはすぐさま刃を放し、剣を大きく横から薙いだ。精霊達が明滅するのを感じた。
黒塗りの兜が血を滴らせて空へと飛び、首を失った胴体は血煙を上げながらよろめいて倒れた。
彼が戦場へ目を向けると、そこは想像以上に悲惨な有様であった。
この短い間に、こちらの兵隊の列は次々と突破され、切り進む漆黒の敵達の後ろには累々とその亡骸が横たわっていた。
何処を見回しても、敵が魔人の如く暴威を振るい、人の兵達の鮮血が空を舞っている。
これは予期せぬ敵であった。
元々は陽のある内に、無力なヴァンパイアを滅するための軍勢であったため、奴らのような闇の荒くれ者どもを倒すためにはとても心許ない戦力であった。犠牲が増え続ける前に、潔く撤退すべき状況だと彼は考えたが、すぐに思い直した。
いや、背を見せれば、それこそ散々に追い立てられ、無用な死を招いてしまうだろう。
大将が列から抜け、馬を返して来た。
「ええい、早くも旗色が悪いか」
味方の呑まれる有様を見て、彼は撤退を視野に入れ始めているのかもしれない。
だが、敵の総勢は二十ほどの数だ。誰かが行って、その中の二、三人を蹴散らしてやれば良い。それで兵士達の意気が上がれば、突破は容易いものになるだろう。
その役は俺が!
クレシェイドは駆けた。後列の兵を押し退け、その間を急ぎ足で進んで行く。前方では兵達が敵の膂力を前に吹き飛ばされていた。
黒い影が得物を振り上げ、突貫してくる。新たに兵士達が脇へと弾き飛ばされ、その姿が目の前に曝け出された。
「どいてくれ!」
クレシェイドは声を上げ迎撃に躍り出た。
敵がこちらへ目を向けるや、彼は魂で咆哮を上げ、剣を振り下ろした。
頭上からの一撃は、身構えた敵の大剣を圧し折り、兜ごと脳天を打ち砕いた。
まず一人だ。
新手を探すべく目を向けると、付近で兵士達を相手にしていた闇の兵達がこちらに注目していた。
「いい獲物だ!」
「人間にも骨のありそうなのがいるじゃねぇか!」
二人の敵兵が斧と、剣とを引っ提げて、こちらへ襲い掛かってきた。
クレシェイドも敵目掛けて駆けた。
横合いから振るわれる戦斧を剣で弾き返した。
「侮れん、膂力だぞ」
そう呻く敵の後ろから、新手の大剣が突き出される。クレシェイドは剣を振り下ろして敵の手から得物を叩き落した。剣を失った相手は勢い余って地面に滑り込んだ。
戦斧が横合いから襲い掛かってくる。
彼は素早く相手の懐に飛び込み、ミノスの大太刀を突き出して凶刃を阻み、相手を押し返す。
背後で倒れていた敵が立ち上がるのを素早く感じるや、クレシェイドは全身全霊の魂の咆哮と共に大太刀を旋回させた。
竜巻が起こったかのように烈風が周囲に舞い上がった。そして両断された甲冑を纏った屍骸が空から降り注いだ。
彼は一息入れる間もなく、味方を振り返って声を上げた。
「恐れることは無い! 剣を集結させろ! 共同で決戦に挑め!」
身体中が熱に浮かされているのを感じた。この一瞬、彼は、血煙クラッドになっていた。
「おおう!」
兵士達が応じた。そして怪物の如く猛威を振るう敵に尻込みすることなく、次々に殺到して行く。敵の刃が数人を蹴散らしたが、兵士達は蟻の如く後から後からと殺到した。
戦線は持ち直すだろう。
クレシェイドは、中央で雌雄を決する二つの影へ目を向けた。
エルド・グラビスと、暗黒卿は未だに競り合いを続けていた。
ふと、暗黒卿が柄を握っていた片腕を放した。しかし、驚くことにエルドの力を腕一つで押さえ込んでいたのであった。
その自由になった左腕が、腰へと伸び、もう一振りの武器の柄へと伸ばされた。
いかん!
クレシェイドは駆けた。しかし、暗黒卿の不意の一撃が、エルドの肩に振り下ろされた。それは剣ではなく長柄の鎚であった。戦鎚はエルドの肩の鎧を破片として吹き飛ばした。
エルドの身が崩れる。しかし、銀色の偉丈夫は大剣を振るって牽制した。刃は迫っていた暗黒卿の顔を掠めた。
クレシェイドは横合いから暗黒卿へと斬りかかった。
こちらの刃を暗黒卿は戦鎚一本で受け止めた。
荘厳な黒い甲冑を見上げながら、彼は競り合いを挑んだ。
「見上げた力だ」
敵はそう言うと、横から剣を突き出そうとしたが、狙いを変えた。エルドが打ち込んできたのだ。それを受け止め、暗黒卿は両者の剣を物ともせずに凄まじい力で押し返した。
クレシェイドも、エルドも、よろめきつつ後退した。砂煙がその後を覆った。
「両者とも、我が期待を遥かに超えた力を持っている」
暗黒卿は二人を見ながら、不敵な笑いと共に言った。
「しかし、一人は人間だが、もう一人はそうではないな」
面の下りた顔がこちらを見るや、射抜くように凝視した。
「甲冑の色は偶然のようだが、お前からは、我らと同じ闇の気配がする」
クレシェイドは黙って相手を見据えていた。
「人間か、同族か、その正体を、我が前に曝け出してやろう」
暗黒卿が踏み込んだ。途端にその姿はクレシェイドの目前に現われ、既に剣と戦鎚とを振り被っていた。
クレシェイドは即座に剣を盾として身構える。すぐさま二重の殴打が剣を軋ませた。彼の手は痺れを覚えた。その激しい一撃に身体が押され、彼は必死の思いで踏み止まった。
彼の背中で木箱が揺らぎ、クレシェイドはもう一つの剣のことを思い出した。
ギラ・キュロスを使う時かもしれない。
しかし、暗黒卿は素早い上に、繰り出す一撃には凄まじいほどの破壊力が詰まっている。木箱を下ろし、蓋を開けている暇など無いだろう。
まるで意図を読み取ったが如く、猛攻が襲い掛かった。
懸命に二つの武器の軌道を見破りながら太刀で受けつつ、反撃の時を待つしかなかった。
「暗黒卿、お前の相手はこちらにもいるぞ!」
エルドが声を張り上げ、斬りかかった。
大剣が大剣を受け止めた。ミノスの大太刀と競り合っているのは戦鎚一本だが、それでも暗黒卿の腕は山の様に不動であった。
「慣れてしまえば、お前達の力に、目を見張ることなどもない。闇の世界には、これぐらいの男達はゴロゴロ転がっている」
強烈な力にクレシェイドもエルドも押し退けられた。
ふと、二人の戦士の間を一筋の稲妻が、駆け抜けた。
それは暗黒卿に衝突した。
「ぬうっ!? 小癪な魔術師が!」
「クレシェイド、今こそだ! ギラ・キュロスを抜け、クレシェイド! 私がその時を稼ぐ!」
ヴァルクライムの声が聞こえた。
稲妻が次々に地表の上を滑ってゆく。
暗黒卿は避けるべく動いた。
そこへエルドが身を捨てんが如く咆哮を上げて躍りかかり、敵と打ち合った。
今こそ好機だ。
クレシェイドは、すぐさま木箱を背から落とし、その蓋を開いた。
ミスリルに囲まれた中に妖剣は鎮座していた。
刃には黒々とした塊が宿り、それらは炎のように揺らめいていた。
手にしたらすぐに相手を斬りに行かねばならない。彼は先に一瞬にして気を失ったことを思い出していた。この妖剣の貪欲さは常軌を逸している。
柄へ手を伸ばす。途端に吸い寄せられるように、剣の方から身を起こし、その手に収まった。
太い柄を握るや否や、強烈な脱力感と、闇の精霊達の苦しげな呻きが聞こえた。精霊達の生み出す闇が、追いつく暇も無く、剣に貪り食われているのだ。
剣の闇は僅かばかり肥大した。まるで黒い深淵、あるいは奈落を眺めているような気分になる。
ヴァルクライムが、エルドの後方で魔術を発している。見れば、先程とは打って変わり、銀色の神官戦士の膂力が、敵に並び、時に圧倒していた。
さすがの暗黒卿も戦鎚を捨て、両手で剣を握り締めて応戦していた。
重々しい剣の唸りと、衝突する厚い鉄の音が戦場に木霊する。
クレシェイドは敵の横腹目掛けて駆け出した。
エルドが渾身の猛攻を続ける傍ら、暗黒卿の目がこちらの迫る姿を捉えた。
一歩足が行く度に、体力が失われてゆくのを感じた。そして何匹かの精霊が耐え切れず命を散らせる様を感じた。
「闇の戦士、貴様の操るは魔の剣か!」
エルドの膂力を果敢に押さえ込みながら、暗黒卿が叫んだ。
クレシェイドは妖剣を横薙ぎ構え、そして放った。
「面白い! 我が魔剣が勝つか、否か!」
エルドを押し退けると同時に、敵は大声を発し、クレシェイド目掛けて大剣を振るった。
闇を被った刀身が暗黒卿を横殴りに襲った。
甲冑の破片が幾つも空へ飛散し、そして分断された両腕が地面にボトリと落ちた。そして折れた刃が傍へ突き立った。
暗黒卿は遠くへ吹き飛んでいた。
クレシェイドは、その黒い影を見つつ、身体中の力が抜けて行くのを感じた。
彼は自分の異変に気付くと剣を手から放した。妖剣ギラ・キュロスは、クレシェイドと、暗黒卿の闇を喰らったかのように、更に闇は濃くなり肥大化していた。
「クレシェイド、剣を収めてしまおう」
ヴァルクライムが、木箱を抱えて現われ、それを地面に置いた。
「ああ」
クレシェイドは、もう一度だけ敵の姿を見た。相手が起き上がらないことを確認すると、ギラ・キュロスに手を伸ばした。
すると、やはり剣の方から浮かび上がり、彼の手に収まったのであった。
その途端に、鎧の内側で、力を吸い尽くされた闇の精霊達の断末魔の叫びが聞こえ始めた。
このままでは俺まで倒れてしまう。
彼は剣を鏡のようなミスリルの中に収めて、素早く蓋を閉めた。と、グラリと意識が混濁し、たまらず片膝をついていた。
ティアイエルはきっと、闇の精霊が減っていることを見抜くだろう。また彼女に面倒をかけてしまうな。
有翼人の少女の冷ややかな視線を想像し、虚ろになり始めた視界の中で彼はそう嘆息した。
隣で重たい足音がした。おそらくはエルドだろうとクレシェイドは察した。
「これが、ギラ・キュロスか。恐ろしいほどの破壊力を秘めている」
銀色の神官戦士の驚く声が聞こえた。
「エルド殿。それはこのクレシェイドだからできることなのだ」
「確かに、必殺の剣だ」
頭上で魔術師と神官戦士が言葉を交わしている。
背後から幾つもの足音が聞こえ始めた。
「御三方、怪我はござらぬか?」
大将の声が言った。
「我らなら心配無用」
ヴァルクライムが応じた。
大将は、クレシェイドを気に掛けた様で、物問いた気に咽を鳴らしていたが、諦めるようにして言った。
「さぁ、皆、闇の者は我らの手で一掃された。速やかにムジンリへ入ろうぞ!」
「ならば、先へ行かれるが良い。私はここで、友人の回復を待とうと思う」
ヴァルクライムが答える。
「それがよろしかろう。では、全軍前進!」
「フハハハハハハッ!」
突如として薄気味悪い高笑いが響き渡った。それは忘れもしない暗黒卿の声であった。
兵達の足音が止み、周囲に緊張が走った。
クレシェイドは目を向ける。朧気な視界の先に、ゆっくりと身を起こす影がある。もう一度、ギラ・キュロスを振るう事になるのか。彼は苦悶した。
「我と、我が精鋭達がこうも負けを見るとは予測できないことであった」
「ならば、潔く去るがいい、闇の者よ! 在るべき所へ行け!」
大将が怒鳴った。
「そうしよう。だが何時の日か、必ず戻って来るぞ。その時こそ、我々は、人間どもに決戦を挑むであろう。それまでに更なる強者どもを集めておくのだな」
そして相手は黒い煙と、青白い閃光の煌きを見せて消え失せていった。
クレシェイドは安堵した。今気付いたのだが、もはや完全に身動きができなくなっていたのだ。
「ヴァルクライム、相手はどんな様子だったか聞かせてくれ」
クレシェイドは不安を覚えて尋ねた。もしも、ギラ・キュロスの一撃が思った以上に通用していなかったならば、この身で抗うことさえ絶望的だと感じたからだ。
「両腕を失い、甲冑の大部分が損なわれていた。満身創痍の状態だ」
「そうか……」
ギラ・キュロスは通用したのだと、彼は納得した。そして急激に押し寄せる、まどろみの導きに身を委ねたのであった。
二
クレシェイドが目を覚ましたとき、空には真っ赤な夕暮れが現われていた。
夜が近い。ヴァンパイアはどうなったのだろうか。
彼は起き上がろうとし、そこで誰かが腕を掴んでいることに気付いたのであった。
「起きたか、クレシェイド」
ヴァルクライムは、目を瞑ったまま魔術に集中しながらそう言った。彼は魔術で闇を送り込んでいた。甲冑の内部を覆う闇の力は、多くの闇の精霊の犠牲と共に、妖剣ギラ・キュロスに殆ど吸い尽くされていたのだ。
夕焼けに染まり、聳え立つムジンリの防壁を、クレシェイドは見上げた。
「ヴァンパイアの方はどうなった? サルバトールは見付かったのか?」
「いや、皆からの報告は入っていない。しかし、そろそろ引き上げなければ不味いだろうな」
クレシェイドは闇の子爵サルバトールとの死闘を思い出していた。そして、この体たらくでは自分に勝ち目が無いことも解っていた。
彼は調査隊の心配をし、気が気ではなかったが、程なくして馬上の大将を先頭にし、一同が引き上げてきた。
「虱潰しに探したつもりだが、ヴァンパイアは見当たらなかった」
大将が告げ、沈む太陽へを目を向けた。
「今宵は、ひとまず町の外で夜明かしをしよう。捜索の方は、明日、改めてということで」
そして、一同は思い思いの場所に座り、火を焚いた上で、持ち合わせた粗食で夕餉を取り始めた。
犠牲者の事もあり、和やかとはいかなかったが、粛々とした時が流れていた。
クレシェイドは、闇の子爵サルバトールのことを考え続け、開け放たれた門の向こうばかりを見詰めていた。
今にヴァンパイアの影が過ぎるのではないだろうか。そう思いながらも、ヴァンパイアの首魁は既にここを去ったのではという考えにも耳を貸していた。
あの時、サルバトールも深手を負っていたはずだ。それに配下の者達も掃討されている。北にアルマンがあり、南には、アディオス・ルガーや、エレギオン神父など先に決戦を挑んだ人間達がいる。そのような状況でも、ここを拠点と定めるつもりなのだろうか。
だが、暗黒卿という敵の存在はどうだろう。おそらくは守備に着いていたのだろう。だとすれば、この町をサルバトールが諦めていない証拠ということになるやもしれない。
この町のどこかで、奴は生きている。
不意に、方々で座していた者の数人が立ち上がった。彼らは神官達であった。
「グラビス卿、どうなされた?」
暗がりの中で大将の声がした。
焚き火の灯かりが、偉丈夫の纏う銀色の鎧を赤々と煌かせていた。
「御大将、我ら神官は夜の捜査に移ろうと思います」
「しかし、今は吸血鬼の時間帯では?」
大将が困惑気味に尋ねた。
「それは承知しております。奴らが目覚めていれば、足跡や臭気の如く、微かな闇の手掛かりを残すものです。我ら神官ならば、それを察知できます」
「いや、それはちと性急過ぎるのでは。明朝、安全な頃合に再び捜査を開始しても遅くは無いと思うのだが……」
「では、我が考えを、お話ししましょう」
エルドは改まった様子で口を開いた。
「先のムジンリの戦いで、ヴァンパイアは首魁を残して全滅したと、伯爵閣下からは伺っております。クレシェイド殿?」
名を呼ばれ、クレシェイドは立ち上がった。ヴァルクライムのおかげで闇の力は半分ほど戻りつつあり、身体の何処にも異常は感じなかった。彼は生き証人として頷いた。
「首魁のサルバトールと、手下が一人。生き残りはそれだけのはずだ」
エルドは頷き返して、大将に向かって言った。
「つまりは、ここを都としても、守備する兵も居なければ、彼らに敬服する闇の血に染められた民衆すらいないわけです。そのような場所を根城として、注目すべき点が果たしてあるか否か……」
クレシェイドはエルドの言葉に引き込まれた。正に自分が考え、たった今、結論を下していたことだからだ。しかし、それでは気持ちが釈然としなかったのが事実だ。他に仮説があるならば、喜んで臨むところである。
大将が答えた。
「だが、暗黒卿とやらが守りに着いていた。それは、敵がこの町を未だに手放すつもりが無いという証拠ではないかと思うのだが?」
「精鋭といえど、たかが、数十名の守備隊でした。我らが彼の者達に比べ、非力とはいえ、彼らの都を守りに出てくるには心許ない頭数であり……」
「いや、すまぬが、グラビス卿。結論の方を聞かせてくれ」
「私が考えるに……。ヴァンパイアが見付からないのは、既にこのムジンリにはいないからでは無いかと思うのです。彼の者は、ムジンリをそうしたように、新たなしもべを得るために、この瞬間、他の都市へ魔の手を伸ばしたのではないでしょうか?」
その言葉に、クレシェイドは衝撃を受けた。最悪の結末へ近付いたと確信した。
「彼の者達は、既に我らが、彼らの難敵となる多くの神官を引き連れて、ここへ赴くのを察知していたのだろうと思います。そうなれば、奴らにとって都は手薄になったも同然。そして暗黒卿は、我らを引き付ける傍ら、あくまで機あらば、殲滅に持ち込もうとしていただけにすぎないではないかと思うのです」
エルドの言葉は、一同の顔色を蒼白にさせた。
「グラビス卿、つまり手薄になった都とは……」
色を失った様子で大将が口を開いた。
「我らがアルマンです」
エルドはきっぱりと応じ、続けた。
「しかし、真実は無論、解りかねます。ですが、もしもと考えれば、陽を待たず、今のうちに結論を下すべく動くべきでは無いでしょうか」
俄かに場が騒々しくなる中、大将は腕組みし、やがて頷いた。
「よし、貴卿の意見に賛成だ。我らには備えがあるし、暗黒卿と手下の精鋭を打ち破っている。自信を持って良い。油断せねば、たかがヴァンパイアの一体の歯牙などにかかることもないだろう」
大将は座を見回し、声を上げた。
「皆、トネリコの槍を持て。あとは松明も持つのだ。火には魔除けの加護があると聞いている。そして、神官を基点に四人組で町を回るのだ」
三
夜も更けた未明の頃に、一行は必死の思いで街道を駆け戻っていた。
懸命の捜査の結果、町には闇の者の存在は無しと決定付けられたからだ。
「火急のこと故、脱落者は置いて行く!」
大将自身も肩で息をし、自らの脚で駆けながらそう言った。彼の馬は、先の戦いでの怪我人を運ぶのに使っている。
神官も兵士達も必死の面持ちであった。彼らはアルマンの人間である。今、その町がヴァンパイアの脅威に晒されているかもしれないのだ。彼らはただ懸命に駆けていた。家族を、友人を思っているのだろう。
「ヴァルクライム殿!」
そう呼びかけてきたのは他の魔術師であった。
「ここは我らの魔術で、進軍を早めてみてはどうか!」
「やってくれ!」
叫んだのは大将であった。背中で緑色の外套が靡いている。
「ならば」
クレシェイドの隣で、ヴァルクライムが応じた。彼は杖を掲げ、か細い鼻息で魔術の節を詠んだ。
途端に、前を行く人々の背に淡い青の閃光が煌き、彼らとそれぞれの松明の灯かりは、見る見るうちに街道の夜の帳の中へと消えて行ってしまった。
そして、他の魔術師の旋律を読む声がし続くと、今度は二人の両脇を後続の者達が、勢いを上げて追い抜いて行った。
その背を見送り、クレシェイドはもどかしくなっていた。彼は仲間の面々が無事でいることを切に願っていた。ここで更に駆けなかった為に、ティアイエル達が間に合わなかったなど、想像するだけで恐ろしかった。
ティアイエル、レイチェル、サンダー、ライラ。彼に彼女達が、土気色の肌をし、目を真っ赤に光らせ、牙を見せて我らを出迎えるなど、あってはならないことだ。
「ヴァルクライム!」
彼は思わず声を荒げていた。しかし、魔術師はこちらを見て駆けながら言った。
「すまない、友よ、既に術はかけてあるのだ。残念だが、お前さんの力が本調子ではない。と、いうことだ」
闇の精霊達よ!
クレシェイドは、鎧の内側に漂う、小さな生命達に訴え掛けた。
俺の身体が壊れても構わん! どうか、今こそ俺の思いに応えてくれ!
彼の強い思いが、数少ない闇の精霊達の身体を締め上げるようにしている。彼自身も、それを感じていた。
そして身体中に力が流れるのを感じた時には、魔術師を置き去りにして、街道を韋駄天の如く疾走していた。
魔術師はすぐに傍らに追い付いて来た。彼は何も言わずに、黙々と隣を駆けている。
それは夜が明け、昼の太陽が昇り、夕暮れ間近まで続いた。
仲間達が息も絶え絶えに、遠くにアルマンの防壁を臨んだときには、魔術の効き目は薄れ去っていた。
緩やかな足取りの後、クレシェイドは、鎧の内側で幾つかの闇の精霊達が音を立てて弾けるのを感じ、途端に彼の足は重くなった。
「妙な雲が出ているな」
魔術師の声に、クレシェイドは初めてアルマンの異変を知ったのであった。
町の頭上を覆う黒々とした紫色の雲は、紛れも無く、サルバトールの呼び起こした闇の呪いの雲であった。
覚悟はしていたが、それでも彼は愕然としていた。
「サルバトールがいる。あの雲が証拠だ」
「ならば、急ぐとしよう」
二人は揃って走り出した。
四
禍々しい黒雲が防壁の上を厚く覆っている。
クレシェイドとヴァルクライムは、閉ざされた門扉の前で立ち往生している一行に追い付いた。
「何度呼び掛けても応じちゃくれない」
冒険者の戦士がお手上げと言わんばかりに二人に告げた。
根無し草の冒険者ならばいざ知らず、神官に、兵士達、町に身を置く者達は、声を枯らして呼び掛け、鋼鉄の門扉を何度も手で叩き、あるいは蹴飛ばし、体当たりして、内側へ訴え掛けていた。
「他の奴らは、東と西の門へ向かった」
戦士はそう言うと、扉を叩く列に加わっていった。
「壁を攀じ登るしか方法は無いということか」
ヴァルクライムが思案気に言うと、クレシェイドは止めた。
「あれは、強力な闇の呪いそのものだ。それに、あれの下で生き残るには、魔法力で身を覆うか、聖なる加護を身に帯びなければならない。さもなければ、呪いに浸食されて……」
クレシェイドは老魔術師グレン・クライムのことを思い出していた。
「死んでしまうのだな?」
ヴァルクライムが後を引き取った。
「ああ……。そうだ」
あれがもう一度起きてしまうのだろうか。彼は仲間達の無事を祈るも、落ち着かなかった。この身で彼らとしっかり再会の抱擁をするまでは……。
急激に辺りが暗くなった。
見上げれば、闇の黒雲がその帯を伸ばし、彼らの頭上をも覆い尽くしていた。
すると、方々で呻く声が上がった。
神官を除いて、兵士、冒険者達が苦しげに地面に伏している。
ヴァルクライムは短い旋律を口にした。
途端に人々は目が覚めたように、互いの顔を見合わせ起き上がった。
「上を見てくれ。この雲の下では、魔法力か、聖なる加護を身に帯びなければ生き延びられないのだ。先にヴァンパイアと手合わせした私の友がそう言っている」
ヴァルクライムが彼らに知らせた。
「では、この身を覆うのは魔法力か。ありがたい」
人々が安堵している。何人かが、西と東の門へそれを知らせに走った。
さて、如何にして中に入るべきか……。改めて誰もが思慮を巡らせていたときに、不意に頭上から地に降り立つ影が現われた。
「先程から、門が開かずにお困りのご様子で」
平服を纏ったその者は、こちらに背を見せ、門扉に集っている人々に向かって訴えた。
空から降ってきただと。クレシェイドはすぐさま危い気配を覚え、声を上げた。
「油断するな! ヴァンパイアだ!」
そいつは大笑いした。すると、次々に黒い影が地面に降り立った。身を屈ませ、そしてこちらを振り返る。真っ赤な双眸と、上顎から牙が覗いていた。
「血だ! 血を吸い尽くせ!」
そいつらの中の誰かが叫び、堰を切ったようにヴァンパイア達が躍りかかった。
クレシェイドは慌てて剣を振り抜いた。ミノスの大太刀は奴らの身体を纏めて打ち付け弾き飛ばしたが、斬った手応えが無かった。
トネリコだ。トネリコの杭さえあれば!
見回すも、既にそこは阿鼻叫喚の世界であった。
ヴァンパイアの爪に裂かれる者、一斉に組み伏せられ首の左右から血を吸われる者など、不意を衝かれた人々が断末魔の声を上げ死んでゆく。
「ええいっ!」
先程の冒険者の戦士がトネリコの槍でヴァンパイアを貫き仕留めていた。
戦士は叫んだ。
「トネリコの槍だ! それならば奴らに……」
しかし、壁を背にし、三方から踊りかかられ、彼は組み倒された。
ヴァルクライムがそちらへ杖先を向ける。すると、炎が風に広がる布の如く放射された。戦士の身体からヴァンパイア達が慌てて飛び退いた。
「私は大丈夫だ、吸われていない!」
戦士はこちらに合流するや、両手にそれぞれ握っていたトネリコの槍の片方をクレシェイドに差し出した。
「今の奴らの身体は鋼以上だ。剣じゃ、歯が立たないだろう?」
「ありがたい」
彼は槍を受け取るや、鬱憤を晴らすが如く勇躍した。
ヴァンパイア達は、新手に気付くが、その胸をトネリコで貫かれていた。
「皆、我が炎の周りに集え!」
背後でヴァルクライムが声を上げた。
ヴァンアパイア達は、血を貪るのを止めて、クレシェイドへ目を向けた。そして剣の様な爪を振り乱し襲い掛かって来る。
彼はミノスの大太刀を抜き、右腕で力いっぱい横薙ぎに振るった。
ヴァンパイア達は剣の刃に当たり、吹き飛んだ。
そして身を起こそうとするのを、後方から飛んできた炎がぶつかり、奴らを包んで浄化した。
しかし、見上げてみると、ヴァンパイア達は次々と防壁の上から降ってきていた。
クレシェイドは一旦トネリコの槍を地面に刺し、ミノスの大太刀を両手で振るって奴らを殴打し、四方八方に蹴散らした。
そのうち、勇気を取り戻した人々が、神官の聖なる魔術や、トネリコの槍を用い集団で敵に止めを刺しに動き始めた。
よし、ならば俺の役目は奴らを吹き飛ばすことだ。クレシェイドは人々を振り返ってそう心を決める。ヴァルクライムは、魔術の炎を四方に浮遊させ、怖気付いてしまった人々を護り通していた。
三方から跳びかかるヴァンパイアを弾き飛ばすと、西側から、エルドを先頭に人々が駆けつけて来た。
「こちらも襲われていたか」
エルドは大剣を抜き放った。彼の周囲には煌々と白い光りが円を描いている。彼がクレシェイドのもとへ合流しようとすると動くと、クレシェイドは光りに当たられることを恐れて慌てたが、幸いヴァルクライムが相手を呼び止めた。
「エルド殿、御無事か!」
「クライム殿、東側へ向かった者達は既に?」
「いや、まだのようだ」
ヴァンパイアの新手が降り注いできた。
地に下り立ち、身を起こし、爪を伸ばし、そして獲物達が炎と聖なる光りとに阻まれていることを知るや、苛立ち気に睨みを利かせた。ふと、その視線が聖域から離れているクレシェイドを捉え、敵は群れを成して猛然と肉薄してきた。
言ってみれば奴らは雑兵だが、何と言う速さだろうか。瞠目しつつもクレシェイドは横薙ぎに剣の腹で敵を吹き飛ばした。
さて東側はどうなったのだろうか。
すると、丁度、東側の角を曲がる影があった。
ヨロヨロと、壁伝いに身を預けて覚束ない足取りで歩んでいる。それは大将の姿であった。
クレシェイドが駆け寄ると、大将は素早い動作で将剣の切っ先を向けた。
「俺はヴァンパイアではない」
クレシェイドが言うと、相手は訝しげにこちらを見詰め、そして剣を下ろし、地面に崩れ落ちた。
「全滅だ。一瞬だった」
大将は声を振り絞るようにして言った。
「奴らが追ってくるぞ」
「とにかく、手当てを」
クレシェイドが肩を貸そうとすると、角からヴァンパイアが姿を見せた。
赤く光る目でこちらを凝視すると、来た方を振り返って手を振った。
「おおい! ここに獲物がうじゃうじゃいるぞ!」
そしてゾロゾロと、真っ赤な目が幾つも駆け付けて来た。
幾つもの牙が、冷ややかに微笑みを浮かべている。
「戦士として、将として、ここで覚悟を決めるとしよう……」
大将が苦労しながら立ち上がり敵に剣を向けた。
「あなたは下がっていた方が良い。ここは俺が」
クレシェイドは庇うように進み出た。彼の持つミノスの大太刀を見て、敵は僅かに慄いた。
その時、頭上で口笛が鳴り、続いて声が聞こえた。
「皆、戻って来い! 抜け駆けは止めて、持ち場へ戻れ! 包囲が崩れかかっているぞ!」
居並ぶヴァンパイア達は、上を見ると、不承不承の様子で壁に手の爪を掛け、するすると四つん這になって登って行き、厚い闇の雲の中へと消えていった。
「命拾いをした」
大将は片膝をつき、息を吐き出した。クレシェイドは相手の纏う外套がボロボロに引き裂かれているのを見た。そして、ところどころ鎧が剥がれ落ち、露出した肌が傷だらけであることにも気付いたのであった。
「大将、申し上げ難いのですが、咬まれてはいませんね?」
そう尋ねたのは、兵士の一人であった。
「ああ、私は問題ない。咬まれはしなかった。奴らの爪の応酬は受けはしたが」
「念のため、神官殿に見てもらいましょう」
「……わかった。連れて行ってくれ」
若い兵士に肩を借りて、大将は人々の待つ方へと向かった。
その様子を見送りながら、クレシェイドは防壁を見上げ、門扉を振り返る。そしてその前まで歩いて行った。
頑強な鉄の扉を仰ぎ、やはり中へ入るにはここしかないと確信した。
俺の力では無理だろう。だが、ギラ・キュロスならば……。
彼は背負っていた木箱を下ろした。
ふと、視界の端に、全ての人々がこちらに注目している様が映り込んだ。
「クレシェイド」
ヴァルクライムが歩み寄って来た。クレシェイドは魔術師が何を言いに来たのか察し、先に口を開いた。
「言うまでも無いが、今の俺がこれを握れば、全ての力を吸い出されてしまうかもしれない」
「それでもやるのか?」
「ティアイエル達のためだ。このたかが鉄板一枚の向こうに彼女達はいる。それにまた俺が妖剣に殺されるとも決まったわけではない」
「ならば、お前が死なぬよう、私も力を惜しまぬぞ」
ヴァルクライムは魔術の旋律を口にした。彼の両手に闇の光りが姿を見せる。彼はその手をクレシェイドの左肩に触れた。
クレシェイドは身体の変化に気付いた。まるで感覚が研ぎ澄まされていくようだ。力が溢れてくる。
「よし、いくぞ」
程無くして、クレシェイドは魔術師に告げ、木箱の蓋を開けた。
鏡のようなミスリルの輝きが、漆黒の塊となった妖剣の姿を反射し、映し出している。
彼が手を翳すと、柄が浮かび上がり、飛び込んできた。
彼は柄を握り締めた。
途端に全身の力が腕へ向かって無理やり流れて行くのを感じた。
僅かの猶予も無い。
「ヴァルクライム」
彼が促すと、魔術師は手を離し、後ろへと下がった。
クレシェイドは扉を睨み、剣を頭上へ振り被った。
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