第5話 「護衛の依頼」 (前編)

 仲間達の視線は、クレシェイドに向けられていた。

 彼は椅子に座り俯いている。部屋の中でも兜と鎧を脱ぐ気配は全く無かった。

 レイチェルと、ラザは、用意されていた椅子に座り、ティアイエル達の三人は立っていることを選んだ。

 全員が集まってから、しばし時が過ぎていた。その間、クレシェイドは押し黙ったままである。そろそろティアイエルが苛立ってくる頃合いではないだろうかと、レイチェルは気が気ではなかった。彼女は彼に対して良い印象を持っていないからだ。しかし、クレシェイドから口火を切らせることも少し難しいことなのかもしれない。きっと、自分なんかでは思いもよらない事情を抱えているのだろう。

 数人で交代しながら彼を介助しつつ迷宮を脱出した。彼が意識を取り戻したのは最初の野宿のときであった。

 しかしそれは、ティアイエルと、ヴァルクライムのそれぞれの闇の魔術が効いたということになる。誰もが困惑し、他愛の無い会話すら憚られるような気配が漂っていた。

 自身に起こったことを、クレシェイドは後ほど説明すると言い、離れた木陰に身を置いていた。

 そして町までの道程では、自分の足で滞りなく歩んで行った。

 走る親父亭に到着すると、彼は仲間達を自分の部屋に招いたのであった。

「みんなヘトヘトなのよ。アタシだってお風呂に入りたいんだから、やるならやるでさっさとしてくれない?」

 やはりティアイエルが口火を切った。

「すまない。考える時間は多く貰ったとは思っている。だが、どこから話すべきか……」

 クレシェイドは即座に応じ、声を落としながら言った。

「だったら、こっちから質問するわ。まず、アンタの年齢を教えて」

「約三百程ぐらいになるか」

 クレシェイドが応じる。その答えに当然ながらレイチェルは驚いた。サンダーも、ラザも同様であったが、ティアイエルとヴァルクライムはまるで見当がついていたように表情を変えることはなかった。その魔術師に至っては、まるで全てを悟ったかのように、軽い笑みを浮かべている。その目が穏やかな光りを放っていることが、レイチェルを安心させた。もしも、ティアイエルとクレシェイドが本当の意味で決裂しそうになれば、きっと彼が場を治めてくれるだろう。

「アンタの本当の名前はあるの?」

「クラッドという」

 クレシェイドは淡々と応じ、ティアイエルもただ頷いた。

「クレシェイド、クラッド、アンタがどのぐらいまでアタシ達に話してくれるつもりなのかは知らないけど、アタシはあくまで自分の好奇心を満足させるためだけに質問するから、嫌になったら拒否してくれて結構よ」

 ティアイエルは冷静な口調で言い、幾分、柔らかな物腰になって相手に臨んだ。

「まず、アンタの鎧の下はどんな具合なの?」

「死んでいる。死体が鎧を着ている状態だ」

「腐ってはいないのね?」

 ティアイエルは少々語気を鋭くして尋ねた。

「ああ。この鎧は闇の力を内側に蓄える力がある。それは死体となった俺の身体の周囲を厚く覆い、空気はおろか、身体に現れるであろう時の流れすら遮断するようになっている。だが、闇と相反する神聖な光りに晒されれば、俺を覆う闇は脆く中和され、不完全な闇を鎧は留め置こうとはしないようだ」

 レイチェルの隣で、ラザがハッと息を呑んでいた。彼女はおそらく自分が槍を託したことに責任を感じてしまったのだろう。その彼女が身を乗り出そうとしたところをティアイエルは手で制した。

「アンタが浄化されるのを嫌う理由って何なの? つまりヴァンパイアみたいに、永遠に生きようとしている理由は何?」

 すると、鎧の戦士は大きな衣装棚をゆっくりと指差した。

「ヴァルクライム、悪いが棚の扉を開けてくれないか」

「良いとも」

 魔術師は快く応じ扉を開いた。

 そこには暗い色の大きな外套が幾つか吊るされているだけであった。

「外套を払ってくれ。彼女がよく見えるように」

 レイチェルも仲間達も思わず彼へ目を向けていた。確かに「彼女」と彼は言った。誰かが隠れているのだろうか。いや、匿っているのかもしれない。

 ヴァルクライムが外套を左右に寄せると、そこには大きな茶色の布を掛けられた何かがあった。椅子だろうか、それとも小さな棚か、レイチェルは大いに困惑した。それは彼女と呼ばれたものに布が掛けれているからだ。

「彼女って、まさか、か、棺桶!?」

 突然サンダーが狼狽し声を上げていた。

「その表現も正しいのかもしれないが、彼女は死んではいない」

 クレシェイドは落ち着いた様子で魔術師に頷いていた。ヴァルクライムが応じて茶色の布をゆっくり払い取った。

 現れたのは黒っぽい置物であった。しかし、それは目を凝らさなくとも銅像のように見え、少女の姿をしていることにも気付いた。

「いや、これが生きてるの?」

 サンダーは今度は相手の正気を疑うように恐る恐る尋ねた。

 レイチェルは像をよくよく見詰めてみた。

 少女の像は目をギュッと結び、腰を屈め、まるで頭を護るかのように両手を掲げている。その必死な表情から、ただの向かい風に逆らっているというような状況ではなさそうであった。むしろ、予期せぬ攻撃を受けたという感じに思える。

 レイチェルはハッとした。少女の像の耳は尖っていた。先の依頼で、出発前に階段でクレシェイドが見せた似顔絵が脳裡を掠めた。そっくりかもしれない。

「確か、リルフィスさん?」

 レイチェルがその名前を思い出して言うと、クレシェイドは頷いた。

「彼女は石にされた。俺をアンデット、不浄なる者にした男によって……」

 クレシェイドは静かに言葉を続けた。

「その男の名はマゾルクという。人の姿をしているが、それは仮の姿なのかもしれない。そいつは俺の故郷の奴らを皆殺しにし、アンデットへと変えて使役した。ただ俺だけは、しばらく死の呪いに耐え凌ぐことができた。無論、どちらせよ時間の問題だったが……。俺は、奴に殺された一方、奴によって生かされた」

 クレシェイドは力無くそう言った。レイチェルも、他の面々も、彼に対する慰めの言葉などは掛けられなかった。しかし、ティアイエルは彼女なりに気遣うように、一呼吸だけ間を置いて、再び質問を続けた。

「アンタと、そのリルフィスって子の身体を戻す方法はあるの?」

 クレシェイドは首を横に振った。

「この三百年、大陸を歩き回ったが、具体的な方法は未だにみつかってはいない。勿論、神官の呪いを解くあらゆる神聖魔術も、その他の裏の秘薬や方法も噂が出る度に全て試したが、少なくともリルフィスには無駄だった。俺の身体は諦めているが……リルフィスだけはどうにか戻してやりたい。何にせよもう手掛かりは、マゾルクを追う以外には無いと決めている」

「その娘はお前の妹なのか?」

 ラザが尋ねた。

「いや違う。だがそのつもりで接してきた。……彼女はハーフエルフだ」

「つまり捨てられていたってことね……」

 ティアイエルが険しい表情を見せて言った。つまりってどういうことだろう。レイチェルがそう思っているのを見越すように、ティアイエルはこちらを見て説明した。

「人間とエルフの間に生まれた子供をハーフエルフっていうのよ。……ようは純粋じゃない血筋ってこと。特に北の方のエルフはその血を嫌って差別的な態度を取るのよ。たかが子供でも平気で、奴ら流に冷淡に迫害までするんだから」

 ティアイエルが言い、クレシェイドは彼女に対して頷くと、再び話しを始めた。

「百年ほど前に、俺は、運良くマゾルクを探し出したことがある。だが、今後訪れない好機を俺は自分の力不足のために台無しにした。奴には勝てず、リルフィスは石にされた。悔やんでも悔やみきれん……」

 サンダーが意を決するように表情を険しくして尋ねた。

「なぁ、そのマゾルクって奴は今も生きてるの?」

「……生きていると思いたい。リルフィスのためにも、俺自身のためにも」

 クレシェイドは声を震わせて言った。

 ラザもそうだが、クレシェイドも重い過去を背負っている。それはこのレイチェル・シルヴァンスという小娘には到底想像がつかない規模のことであり、今後何年人生を送った上で、傷つくことになっても、それは決して彼らの悲惨な運命には及びはしないだろう。何を言っても相手にしてみれば気休めにすらならない。だけど、何か声を掛けて上げたかった。心を少しでも癒すような言葉を考えてあげたかった。

 ラザが呟くように言った。

「私が軽率なことをしなければ……すまない、戦士よ」

 後悔の言葉にクレシェイドは被りを振った。

「いや、誰のせいでもない。それに言ってみればこれは良い機会だと俺は思っている。……お前達といる以上、いつまでも得体の知れない男で通すわけにはいかない。……俺は不安定な存在だ。闇と言う危険な力にしがみ付く様にして生き長らえてる」

 クレシェイドは仲間達を見ながら真剣な口調で言葉を続けた。

「だが、聖なる光りの前ではこの命は容易く崩壊してしまう。……俺はリルフィスのため、マゾルクと決着をつけるまでは、消滅するわけにはいかない。……流れ流れてこのサグデンの地に最後の希望を求めてきたが、手掛かりの有無がわかるまでの間だけで構わない、お前達の世話になっても良いだろうか? 俺もこの身を惜しまず盾にも剣にもなることを固く誓う」

 仮面の下にある戦士の熱い眼差しをレイチェルは感じた。仲間達もそうだろう。そして誰もがティアイエルへ自然と目を向けていった。

 有翼人の少女は漆黒の戦士の意志を確認するように凝視し、頷いてみせた。

「悪い取引じゃないわね。寝ずの番も任せられるわけだし」

「そのぐらいはするさ」

 クレシェイドは生真面目そうに答える。重い話題だったが想定したよりも穏便に済んだと感じた。レイチェルは二人の間に少しでも絆のような存在が確認できたことも嬉しかった。

 それから、一行は彼の部屋を後にした。

「魔術師ギルドに向かう前に、ラザ、冒険者の登録をしてくるか」

「そうだな。お前達を見ていると、冒険者というのもなかなか面白そうだ」

 ヴァルクライムが言い、ラザは頷いた。

「姉ちゃん良かったじゃん、さっそく俺達に後輩が出来たぜ」

 サンダーがレイチェルに向かって言い、二人は思わず微笑みあった。が、レイチェルは、ティアイエルが何か言うのではと思って慌てて彼女を見た。

「何、レイチェル?」

 相手が訝しげに尋ねたので、レイチェルは首を横に振って誤魔化した。どうやら、彼女はヴァルクライムとラザを歓迎するということらしい。

「そういえば、アンタ達はどこに泊まるつもりなの?」

 ティアイエルがヴァルクライムに尋ねた。

「ひとまずは、私が身を置いている魔術師ギルドの借家に共に住むことにする。まだ、何があるかはわからんからな」

「そう言って貰えると私も助かる。私自身も、この身体がどんなものなのか、把握しきれていない。考えたくも無いが、連中の手が加わっていることだけは肝に銘じておかなければならない」

 そして二人は階段を下りて行く。去り際にラザが「では」と短く挨拶を述べた。

「さて、じゃあ俺も部屋に戻るわ。またね、姉ちゃん達」

 サンダーがそう言うと、ティアイエルの手が素早く彼の肩を掴んでいた。

「お待ち。ちょっと、引越しするから手伝いなさいよ」

 そう言うとティアイエルは少年を引き摺りながら廊下の奥へと消えて行ってしまった。


                  

 2


 

 どんな夢を見ていたかは忘れたが、温かな余韻からすれば、あの陰惨な夢では無かった気がする。

 レイチェルは目を擦りながら大きく背伸びをした。とても気分よく目覚められた。上半身を起こすと、そこには日光が待ち構えていて、眩しさのあまり小さく悲鳴を漏らした。

 窓が開いている。だが、彼女は驚きはせず、すぐ隣を見た。

 そこには間を開けてもう1つのベッドがあった。しかし毛布は綺麗に畳まれており、既に主の姿はそこにはない。

 たぶん食堂にいるのだろう。その考えに釣られるように自分の腹も低く催促の悲鳴を漏らし始めた。

 よし、私も朝御飯を食べに行こう。

 レイチェルは着替えるためにクローゼットを開けた。すると部屋の扉をノックする音が響いてきた。

 レイチェルは慌てた。寝巻きのままだなんてはしたない。着替えなきゃ!

「ちょっと待って下さい!」

 レイチェルは扉に向かって答えながら、急いで着替えを始めた。

「レイチェル、私だ。すまない、まだ寝ていたのか」

 ラザの困惑するような声が聞こえた。

 どうして、皆、こんなに早起きなんだろう。レイチェルは服を着ると、大雑把に皺を伸ばしつつ、ノブを開いた。

 当然そこにはラザの姿があったが、レイチェルは嬉しくなっていた。自分でもよくわからないが、新しい友達ができたという気分に似ているように思う。そしてラザの髪型が少しだけ変わったようにも感じた。

「ラザさん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 彼女の髪型が変わったように見えたのは、長い髪を後ろで1つに結っているからであった。

 ラザは少々上の空という具合で答え、気持ちを落ち着けるように一呼吸していた。

「私は今日からライラになった」

「え?」

 意味が分からず、レイチェルは思わず尋ね返していた。

「以前の人生と罪の深さを忘れるつもりはないが、万に一つの確率で得られた新たな生を無駄にするなと、ヴァルクライムに言われてな。姓名もあのままでは、要らぬ誤解が付き纏うかもしれぬし、名前を変えることにしたのだ」

 レイチェルは、ぼんやりする起床後の頭を精一杯回転させながら、相手の言葉を理解しようと努めた。

 彼女が新しい第一歩を踏み出そうとしている。いや、もう既に踏み出したということだ。

 相手は心配そうに表情を歪めて尋ねてきた。

「正直に言ってくれ。ヴァルクライムが考えてくれたのだが、変な名前かライラって? 私には似合わないか?」

 レイチェルは微笑んで被りを振った。

「そんなことはないですよ。明るい感じがして、素敵なお名前だと思いますよ」

「そうか、なら一安心だ」

 相手は多少頬を染めて恥ずかしそうに笑って見せ、それを見て思わずレイチェルは彼女を抱き締めたい気分に駆られていた。

 これはたぶん親しい友人に対する気持ちではないように思う。そう、妹に対する姉の心情か……いや、可愛い姪に対する親戚のおばの気持ちなのかもしれない。

 しかし、ライラはレイチェルよりも年上であった。背がずっと高く、威厳もあって、生真面目そうで、自分よりもよっぽど頼りになる。こんな気持ちを抱くのが不思議であった。

「ティアイエルはいないのか?」

 相手の問いにレイチェルは頷いた。今は空だが、もう1つのベッドの持ち主が彼女であった。

 クレシェイドの一件の後、サンダーに手伝わせ、自室の荷物を全てレイチェルの部屋に運び入れてきたのである。

 そして呆気に取られている自分に対して彼女はこう言った。

「ライラのための部屋よ。いつまでもあの魔術師と一緒にしておけるわけがないじゃない」

 ああ、そうか。レイチェルはふと疑問が解けたような気がした。目の前の彼女は言ってみれば生まれたばかりなのだ。そして思った。やっぱりティアイエルは優しいのだと。

「そうか。実はヴァルクライムに金を用立てて貰ったのだが、それで私の装備を整えたいと思ってな。だから、良ければお前達に手伝って貰えればと思って来たわけなのだ」

 彼女は少々残念そうに答えた後に言った。

「レイチェル。すまないが、良ければ店に一緒に来てくれないか? 無論、朝食を食べてからで良いぞ」

 真剣そうな表情で気遣われ、レイチェルは自分に対して苦笑いをするしかなかった。

 それから、二人は街へと出掛けた。

 レイチェルも当然ウディーウッドでは新参であったが、それを忘れていたことに気付かされた。つい先輩風を吹かせてしまったのかもしれない。浮かれちゃ駄目だ。レイチェルは自省し、ライラと共に、活気と人に溢れ過ぎる大通りを行き、そして時には細々とした路地に入ったりと、苦労して店を探し回った。

 結局二人は行き交う人々の波に翻弄されながらも、紛れもない武器と防具の店の旗を見つけたのであった。

 それは剣と盾が並んで描かれていて店の軒先に吊るされていた。そして店の主と思しき男性が、身の丈よりも大きな鎧を苦労しながら外に展示していた。

 2人は頷き合って店まで歩み始めた。

 正面から見ると思っていたよりも広い建物であった。店の前にはまるで守備する兵隊のように、上から下まで一式揃った鎧達が整然と居並んでいて、店内へと続く通路には赤い絨毯が敷かれているのが見えた。

 ちょっとしたお屋敷のようだとレイチェルは息を呑み、緊張も覚えていた。自分達には場違いな店なのかもしれない。

 店の屋根と入り口の間に「オルンドム商会」という看板が取り付けられている。大きな単語の一つ一つが踊るような形をし、色もそれぞれ違うもので派手目に塗られている。それだけ見れば、そもそも武器と防具を模した玩具の店ではという疑問も抱かれる。

「おはようございます。失礼ですが、お嬢様方は冒険者の方々でしょうか?」

 そう声を掛けてきたのは、身奇麗な格好をした痩せた中年男性であった。

「そうだ。色々揃えに来たのだが」

 ライラが答えると、相手は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「それでしたら是非とも当店を覗いて行って下さい。質の良さも保証しますが、何と言っても品物の種類だけは豊富ですので、きっとお気に入りのものが見つかるかと思います」

 店主と思われる男は穏やかな口調で促し、二人は店の中へと入ることに決めた。

 中は明るくて広く、そして整然と棚が列を連ねていて、まるで物語で出てくるお城の宝物庫を思わせた。

 入り口を潜ると、まず二人を出迎えたのは鞘に収まった短剣であった。それらは大きなテーブルに、散りばめられるように展示され、がっしりとした握り手と、艶やかで分厚い皮で出来た鞘は、思わず手を伸ばしてみたくなるほど魅力的であった。

「うちの家内を呼んでおきますので、何かあれば色々遠慮なく訊いてやって下さい。それではどうぞ、ごゆるりと」

 店の男性は丁寧に一礼を残すと去って行った。

「さて、目が回りそうだな」

 店の奥へ目を向けるとライラが言った。

 武器と防具の陳列棚が幾つもの広い通路を作っている。迷子になりそうだとレイチェルも思った。

 不意に金属の甲高い音が背後から聞こえてきた。

 振り返ると、そこには中年の女性が立っていた。

 軽装の金属鎧に身を包み、左手には小型の丸い盾、足には鉄の靴を履いている。そして腰のベルトには一振りの剣と、3つの短剣が鞘に収められ提げられていた。

 女性は明らかにそれらを見せびらかすように、腰を左右に傾けてみせた。

「重くは無いのか?」

 相手をまじまじと見ながらライラが尋ねた。

「そう思うだろう? でもこれが見た目ほど重くはないのさ」

 一見すれば強面そうな顔を、その女性は得意げにニヤリと微笑ませる。

「ふむ、日々の修練の賜物か」

 ライラが感心して言うと、相手は口を広げて大笑いした。

「いやぁ、お姉ちゃん、アンタなかなか面白いね」

 二人が唖然としていると、相手は苦労して発作を抑えるようにして、微笑みの名残りのある顔で言った。

「まぁ、現役の冒険者の時は、毎日勝手に身体が締まってったもんだけどね。まぁ、つまりは私が身につけているこの装備の全てが軽いってことさ」

 ライラが口を開こうとしたが、相手の女性は唇に人差し指を立て、言葉を続ける。

「時たまだけどね、懇意にしている鍛冶職人が気合と思考を凝らした一品を送り届けてくれることがあるんだよ。そういう品物は驚くほど精巧でね、強度を殆ど落とさずして多大に軽量化されたものばかりなんだよ」

「それは器用なことだが、俄かには信じ難い話しだな」

 ライラが言うと、女性は腕に身につけていた丸い盾を彼女に差し出してきた。

「持って御覧よ。たぶん、実感できるだろうさ」

 ライラは丸い鉄の盾を手にし軽く持ち上げてみた。

 彼女は思案するような顔をしていたが、それは徐々に驚きと感心へと変わっていった。

「素晴らしいな。時代は進んでいるということか」

 彼女は盾を返しつつ尋ねた。

「ところで、あなたはこちらの店の奥方ということでよろしいのか?」

「奥方だなんて、渋いこと言ってくれちゃって。とりあえず、そういうこと。私の名前はゾーナよ。さっきも言ったけど、昔は冒険者だったのさ」

「私はライラ。そして仲間のレイチェルだ」

 紹介され、レイチェルは挨拶し軽く一礼した。

 ゾーナは笑って応じ、二人を奥へと促した。そしてレイチェルに向かってからかう様に囁いた。

「アンタ、苦労してそうだね」

 それがライラの生真面目そうな気性のことだと悟ると、レイチェルは微笑んで首を横に振った。

「そんなことないですよ。頼りになる方ですし、とても優しい人です」

「謙虚だね。だけど、不思議と他人の私でもそんな風に感じるよ」

 ライラは棚を眺め品定めしている。そしてこちらを向いた。

「ひとまず身動きが取りやすい鎧が欲しいな。斬り込むつもりだから、鉄で出来たものがあればと思うのだが」

「それならこっちだね。ついといで」

 ライラと店の女将のゾーナは奥の方へと消えて行く。

「こっちは大丈夫だから、お嬢ちゃんも自分の見てゆくと良いよ」

 去り際に店の女将はそう言った。

 装備かぁ……。

 今の自分は鎧と、武器をティアイエルに借りていた。お金も入ったし、このまま好意に甘えるのも良くないかもしれない。

 そして何気なく目の前の棚を見まわすと妙な物が目に付いた。近付いてみると、それは木でできた人形の上半身であることに気付いた。それは展示品の模型であった。その証に木の人形は木目細かな鎖で編まれた服を着ている。

 側にその服に関する案内板があり、上着や鎧の下に着ることができる旨が記されていた。

 そして左右の棚には様々な丈と重さ別に鎖の服が畳まれて置かれている。今は皮の鎧を借りているが、特に使い心地について気になることはなかった。しかし、神聖魔法の出番が無ければ自分は前衛に出るべきだとも思い、気持ちの憂いを無くすには、鉄でできているということだけでもかなりの自信と安心に繋がりそうに感じた。

 試着はご自由にどうぞ。

 そう記された札が棚同士の境に貼られているのを見て、レイチェルはちょうど良さそうな丈の物を手に取り、上着の上から頭を突っ込んでみた。

 金属の冷たい感触が首を霞め、ほんの少しだが身体が重さを感じた。これなら身体の上半分と、首下までを安心して任せられる。

 手持ちの金にも多少の余裕があったので、レイチェルはこれに決めることにした。

 彼女が品物を畳んでいると、ライラとゾーナが戻って来た。

 ライラは白い神官の服の上に鉄の鎧を着ていた。それは胸部から腹部までを、彼女の綺麗な背筋に沿うようにピッタリと覆っている。そしてもう一つ、彼女の手には新しい武器が握られていた。

 鉄の長柄の先には鋭く太い突起と、頑強な槌が左右にあり、天辺には分厚い刃があった。

「私はこれにしたぞ」

 彼女は満足げに言った。

 二人は買い物を済ませ、店の女将のゾーナに見送られながら外へと出た。

 そのままギルドへ向かうつもりだったが、奇妙な叫び声がその足を止めさせた。

「そこの者達! わらわを助けんか!」

 それは子供の声であった。前方で通りを歩いている人々が慌てて左右に避けている。そこにできた道を、一人の小さな女の子が一目散にこちらを目指して駆けて来ていた。

 二人は訝しげに互いを顔を見合わせていた。

「レイチェル、お前の知り合いか?」

「いいえ、違います」

 女の子は息を弾ませながら、二人の後ろに回り込み、レイチェルの腕をギュッと掴んでいた。

 金色の髪と、大きな二つの真っ赤なリボンが目に入った。

「どうしたのかな?」

 レイチェルは困惑しながらも、優しく問い質すが、続いて聴こえて来た男達の声を聞いて早急に事情を理解した。

 軽装の鎧姿の男達が、通りの方から六人も駆けつけてきた。そして彼らは二人の前で一斉に剣を抜いたのであった。

「その子を渡すんだ!」

 一人の男が怒鳴り立て迫ろうとする。すると、ライラが買ったばかりの得物を向け声高に応じた。

「いつの時代にも人攫いはいるものだな、嘆かわしい。この子供は渡さぬ。早々に立ち去れ!」

 丸腰だが、レイチェルも子供を庇うべく身構えた。

「荒事は避けたかったが、仕方が無い。やるぞお前ら!」

 一人の声を合図に男達が一斉にライラに斬りかかった。

 しかし、彼女は素早く踏み込むや、新品の得物の槌の部分で忽ち全員を薙ぎ払ってみせていた。

 剣を落とす音を響かせ、男達は地面に倒れていた。

「見掛けだけだな貴様ら。修練が足りん、剣も鎧も泣いているぞ!」

 ライラが怒鳴りつけると、彼らは慌てて後ろ手で這いつつ後退りした。

「居ましたか?」

 男の低い声がし、正面の人込みが更に左右に離れて行く。

 その正体を見て、レイチェルは愕然とし、一気に緊張していた。

 現れたのは迷宮で戦ったリザードマンと瓜二つの姿をしていたのだ。

 黄色の大きな目が細められ、縦長の瞳孔が鋭くこちらを観察している。

 そいつは大きな身体を甲冑に固め、頭には何本もの羽飾りのついた兜を被っていた。片手には斧と、鉄製の丸い盾があり、剥き出しの広い足には太い指と爪があった。無論、尻尾の姿も見える。身体全体の皮膚は薄茶色をしていた。

「貴様が親玉か?」

 ライラが声を鋭くし尋ねると相手は突き出た鼻面を頷かせた。その行為がレイチェルには肩透かしに思えた。やけに落ち着いているようにも見える。戦う気が無いみたいだ。

「シャロンお嬢様、いい加減にして頂かないと、私も強硬手段を取るしかなくなります。旦那様と、奥方様に恩を仇で返すような真似だけは、何卒させないで頂けないでしょうか」

 リザードマンはレイチェルの後ろに居る少女を見詰めながら、無表情な顔のまま懇願するようにそう述べた。横に大きく裂けた口と、居並ぶ牙からは予想できないほど、口調は滑らかであった。

 ここでレイチェルには二人の関係が解ったような気がした。この女の子とリザードマンはおそらく主従なのだろう。

「何だ? どういうことだ?」

 ライラが困惑したように、女の子とリザードマンを交互に見ていた。

「その方はシャロンお嬢さんです。サグデン領主、スコンティヌウンス・サグデン様の御息女のシャロン様です」

 リザードマンは彼女へ目を向けると、沈着冷静な声で説明してみせた。

 ライラは女の子へ目を向けた。

「この連中は、お前の従者で間違いないのか?」

「うむ、その通りだ」

 相手は誇らしげに胸を張って答え、ライラはその態度に面食らいつつ、従者達に向かって言った。

「まったく、主従揃って紛らわしい真似をして。危うく斬り殺すところだったのだぞ」

 彼女は呆れながら得物を地面に下ろした。

 シャロンはリザードマンの方へと駆け寄って行った。

「なぁ、ロブよ。あの女、実に凄かったぞ。武器を一回振るっただけで忽ち全員を倒してしまったのだ。我が領地の将軍に是非とも欲しいぞ」

「お嬢様、いい加減にお屋敷に出立しますよ。旦那様と奥方様が御心配をしてお待ちしております」

 リザードマンのロブは慣れた様に淡々と述べる。

「さあ、参りましょう」

「観光にも飽きたし、仕方が無いのお」

 そして倒れていた者達と共に一足先にシャロンは去って行った。

「お騒がせして申し訳ない。お怪我は無いですか?」

 リザードマンのロブが尋ねてきた。

 レイチェルは首を横に振ると相手は頷く。

「では、今は急ぎなので、申し訳ないですがこれで失礼させて頂きます」

 そして踵を返して走り去って行った。

「平和な時代だな」

 主従の消え去った方角を見てライラが声を漏らした。

「そうですね」

 レイチェルも同意し、ふと、彼女達がサグデンと口走ったことを思い出し驚愕した。

 この地を治めるサグデン伯爵のことにまず間違いないだろう。そうするとあのシャロンは領主の娘となる。そしてそれらをリザードマンのロブがしっかりと告げていたことも思い出した。

 もはや手遅れだが、もう少し畏まるべきだったのかもしれない。そして今更ながら気持ちがあたふたし始めていた。

「さぁ、戻るぞ」

 ライラが言い、二人はギルドへと戻った。

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