第4話 「下層に潜むもの」 (中編その1)
ティアイエルの左足には矢が一本突き刺さっていた。
それを見て、レイチェルは初めて自分の周囲にも幾つかの矢が落ちていることを知ったのであった。
彼女の腿は血まみれで、傷口からはまだまだ真新しい血が流れ出ている。矢は思ったよりも深く刺さっていた。
レイチェルは身を屈ませて、神聖魔法で傷の治療に当たろうとしたが、ティアイエルは素知らぬ振りを装うように歩み始めた。
「ティアイエルさん、待って下さい! これは治療しないといけません!」
レイチェルは慌てて彼女に追い付き必死に訴えた。
「そうだぜ、魔法で治して貰った方が良いって」
サンダーもレイチェルの隣に並び同調したが、ティアイエルは涼しげな顔で二人に答えた。
「このぐらいなら問題ないわよ。それよりも、さっきの奴らがここで何をしてるのかが気に掛かるのよ」
「姉ちゃん、治して貰った方が良いって!」
サンダーが再び声を上げると、ティアイエルはその顔をゆっくりと手で押し退けた。
「アイツら、ベルラゴンの苔を使ってるって言ってたわよね?」
ティアイエルがレイチェルに尋ねてきた。
レイチェルは彼女の怪我のことを思い、困惑しながら答えた。
「確かに言ってました」
「だとすれば、何らかの研究をしていると考えるのが妥当よね。しかも、人目につかない迷宮の奥で」
レイチェルは彼女の脚の具合を盗み見ながら頷いた。動いたためか血の流れが治まる気配が見られない。心配だが、しかし、ティアイエルは頑なに神聖魔法での治療を拒否するであろう。
強がっているのか……いいえ、私の力を温存させたいのだと思う。だけど、これは重傷なのよ。
レイチェルは決意し、先程の連中の言葉を思い出して言った。
「袋のネズミって言ってましたよね?」
「言ってたわ。ここは、あいつらの家みたいなもんよ。この先が廊下と繋がっていれば、待ち伏せてるだろうし、行き止まりだったら飢え死にさせる気ってことでしょうね」
彼女は冷静な口調で言った。
「クレシェイド兄ちゃんと、おっちゃん大丈夫かな。俺らと同じ目に合ってなゃ良いけどさ」
サンダーが言うと、ティアイエルは横目で少年を見た。
「自称優秀な魔術師と、自称最強の戦士が組んでるらしいし平気でしょ。今頃紳士的な話題とやらで盛り上がってるんじゃないの」
彼女は皮肉を交えて言った。
その時レイチェルは意を決して行動に出た。屈んで矢に触れぬようにして、傷口に軽く手を触れる。
「ちょっと、レイチェル!?」
ティアイエルが驚いてこちらを見るが、レイチェルは既に詠唱を口ずさみ、魔法に集中していた。
すぐに手の平が白い光りを帯び始め、自分の身体の底から、腕へ向かって緩やかな水流のように力が流れてゆくのを感じた。
そして矢が徐々に外に押し出され始め、深く食い込んでいた鏃をも露にさせ床に落ちた。同時に血は乾き、傷口は塞がった。
レイチェルが魔法を終えると、ティアイエルは呆れ顔で溜息を吐いていた。
「レイチェル、アンタ全然解ってないみたいね。ああいう輩の研究ってのはね、大体が化け物を作ろうとしているもんなの。その中には聖水じゃどうしようもない強力なアンデットだっているかもしれないのよ。そうじゃなくても、ヴァルクライムの奴の言ってたことだけど、普通に強力なアンデットがいるらしいじゃない。アンタの神聖魔術でしか片が付けられない相手なのよ」
「わかってました。ティアイエルさんは私の力を使わないように気遣ってくれていたんですよね」
そしてレイチェルは表情を改め、真剣に相手に訴えた。
「でも、あのままだとティアイエルさんの脚は酷いことになっていたと思います。私は神官です。傷ついてる人に対し、神の使いとして恵みを与えることも役目なんです」
レイチェルは、なるべく謙虚な言葉を選んで言った。
「良い神官になれるわよ」
ティアイエルはまるで皮肉混じりに言って歩き始めた。
「それとジミー、後味悪いからアンタに十点やるわよ」
その声を聞いて、サンダーは唖然としていた。彼が喜びの声を上げた時には、ティアイエルの背は大分離れたところにあった。
そして一行は、道が続く限り歩んで行った。
廊下の広さは変わらず、途中に扉も分かれ道も見当たらなかった。ただ時折現れた石段を下っていたので、更に地下へ向かっていることだけは間違いなかった。
延々と続く石畳の床と壁は、過ぎ去った歴史の割にはしっかりとしていた。
レイチェルは在りし日の館主であったラザロッソのことを考えていた。ヴァルクライムの話しからすれば、最後は邪教の祖となってしまったが、それでも彼女は長らく善の神に仕えた神官である。戦乱の中、絶望に至るまで追い込まれながらも、信徒を率いておそらくは民衆のために戦ったに違いない。
ラザロッソに対する自分の心境が揺らぐのを感じていた。
彼女は立派な神官だったんだ。愛用の槍であるソリュートを振り翳し、果敢に軍隊に抵抗したんだもの……。こうして人同士の戦争の無い世の中で、ただ勤勉に祈りを捧げている自分なんかに、彼女を蔑む資格は無い。
程無くして、地下に入ってから初めて開けた場所が現れた。
よく見えないが、天井がとても高いようであった。
「ここ、今までよりも遥かに闇の精霊の力が強いわね」
ティアイエルが言ったが、その口調には穏やかではない響きが含まれていた。
「俺が、カンテラ置いてこなきゃなぁ、分かれて調べられたのによ」
「そう言って上からカンテラが落ちてきたら、アンタに四十点やるわよ」
バッグに手を入れながらティアイエルは言った。
そして彼女が取り出したものに、新たに二つの炎が灯ったとき、レイチェルとサンダーは思わず感激の声を上げていた。
「分散して道を探すわよ」
ティアイエルは松明をそれぞれに渡すと、頭上を見上げた。
「上を見てくるわ。通風孔でもあれば良いけど」
彼女は翼を羽ばたかせ飛翔して行った。
ティアイエルの持つ灯りが随分小さくなっていった。その光りが壁際に動くの見て、レイチェルとサンダーもそれぞれ反対側の調査に向かった。
どうやらこの広間は、内側が階段の一段分ほど低くなっているようだ。
それから石造りの外壁に沿うように調べて行った。時間をかけたが結局扉は見当たらず、この部屋が円い形だということだけがわかった。
「何か見つかった?」
サンダーが呼んだ。
「いいえ、こっちには何もないみたいだけど……」
レイチェルは少年を振り返って言ったが、ふと視界に違和感を覚えた。
松明を持ったサンダーの後ろの暗闇が揺らいでいるように見える。目を凝らすと、彼の足元から影のような蒸気が吹き出ている。そして次の瞬間、床からは片方の腕が突き出てきた。
その手首はまるで灯りの熱でも求めるかのように蠢いた。
「サンダー君、下よ! 足元!」
レイチェルは声を上げた。
サンダーは、視線を落とし、ようやく異変に気付いた。彼は悲鳴を上げ、両足をバタつかせると、僅かばかり後退して剣を構えた。
床からはもう片方の腕が伸び、恐ろしい頭部も現れた。
それは髑髏そのものの顔であったが、穿たれたはずの眼窩には真っ赤な光りが宿っていた。そいつは干乾びた胴体と両足を、霞のように床から引き抜いた。
不浄なる者だ。レイチェルは緊張しながら、得物の鈍器を置き、浄化の祈りの文句を唱え始めた。
すると、不浄なる者の体を生きた暗闇が包んだように見えた。
「火だ! 黒い火だ」
サンダーが声を上げ、松明を向けながら後退する。サンダーの言う通り、不浄なる者は、身体に黒のような紫色に輝く炎を纏っていた。ティアイエルがその隣に降り立った。
「ソイツ、ここいらの闇の精霊の殆どを味方につけてるわよ!」
レイチェルの利き腕が、白く輝く光りに包まれた。それと同時に、腕にはかなりの重さが圧し掛かってきた。
「闇の炎を甘く見ない方が良いわよ! これは触れる者の精神を尽く汚染するんだから!」
こちらを振り返ってティアイエルが言った。
そう告げられ、レイチェルは思わず殴り掛かることに躊躇した。この手に宿る光りは都合よく闇の炎を中和しながら裂けるだろうか。
「ジミー、アンタそいつを引き付けて。アタシは自由な闇の精霊を掻き集めるわ」
ティアイエルは隣の少年にそう言うと、その場で魔法の詠唱に入った。
「合点! そういうのは得意なんよ!」
サンダーは不浄なる者に向かって、剣を滅茶苦茶に振り回して挑発して見せた。
敵は彼を見た。サンダーは、ゆっくりとティアイエルから離れ始め、再びその場で剣を振り翳し相手を誘った。
不浄なる者は真っ赤な眼光で彼を追い、そちらへのそりのそりと歩み始めた。
敵が片腕を少年に伸ばした。すると、手を包んでいた真っ黒な炎が突然怪しく渦を巻く、そして脱ぎ去るように渦の口を広げ、彼目掛けて放たれた。
サンダーは悲鳴を上げて脇へ飛び退く。黒い炎の渦は、間一髪で彼の隣を抜け、後方の壁にぶつかった。
闇の炎を脱ぎ去ったため、不浄なる者の片腕には本来の萎びた腕が露になっていた。
レイチェルは思った。あれなら、断てる!
「そらぁ! もう一つ撃って見やがれってんだい!」
サンダーが声を張り上げ松明と剣を振り回して挑発する。その隙にレイチェルは忍び足で敵の後方に回り込み始めた。
不浄な者は少年に向かって、もう片方の腕を振り上げる。纏っている黒い炎が膨れ上がり。少年は動いた。敵の腕が振り下ろされると共に、闇の炎は今まで彼がいた床を広く穿ち、同時に周囲を激震させた。
レイチェルは揺れに足元を取られたが、この機に乗じて強襲した。敵の両腕に黒い炎が消えているのが見えた。やれるところから削っていかなければ!
彼女は駆け、浄化の光を帯びた腕を振り上げた。
相手が振り向きませんように!
しかし、赤い眼光は彼女の方を見た。一瞬、心臓が止まったような気がしたが、レイチェルは露になった敵の肩口に向かって聖なる一撃を叩き付けた。
だが、突如萎びた腕が黒い炎によって包まれ、レイチェルの腕はそれに阻まれた。聖なる力を前に、相反する闇の黒い炎は強固そのものでまさに鎧であった。
「姉ちゃん!」
サンダーが焦って叫んだ。
レイチェルは素早く敵から離れる。不浄なる者はその貧相な中身とは裏腹に、両手を激しく床に突き立てた。
途端に稲妻が走るように床に亀裂が入り、破片を四散しながら迫り、レイチェルの周りを回った。
ティアイエルが彼女の隣に飛び込んできた。
深い溝から黒い炎が勢いよく噴出し、二人を高々と取り囲んだ。
だが、ティアイエルは周囲に精霊魔術の壁を築いた。黒のような紫色の闇の壁である。
周囲の黒い炎が地を削り、強烈な渦を巻きながら、押し潰すように距離を縮めてくる。
「耐えられる!」
彼女の言う通り、闇の壁は闇の炎によって激しく揺さぶられたが、炎が勢いを失くすまでしっかり凌ぎ切った。
目の前にはサンダーと対峙する不浄なる者の赤い目が見える。サンダーが松明をそいつの足元に投げた。
すると、そいつの亡骸のような全身が灯りに照らし出される。今、奴は鎧の様な黒い炎を纏っていなかった。
「レイチェル、今の内にアイツを浄化して! アンタしかできないことよ!」
ティアイエルが彼女の尻を叩いて押し出した。
レイチェルは急いだ。不浄なる者の赤い目がこちらを見る。彼女は跳躍し、浄化の光りを帯びた腕を力の限り、その顔面目掛けて叩き付けた。だが、軽く煙が上がっただけであった。
街道でゾンビと対峙した時の様子を思い出した。
殴一階で駄目なら、殴って殴って、殴りまくれ! そうするしか生きる道は無い!
レイチェルは続いて肩口に一撃をぶつける。敵はよろめいた。が、突然その首が伸びた。真っ赤な瞳が一挙に眼前へ迫る。干乾びた口を裂けんばかりに開いて、そいつはレイチェルの肩に噛み付いた。
肩が砕けそうなほどの、凄まじい顎の力であり、突き立てられた牙で法衣が破れるのがわかった。
不浄なる者は猛獣のようにレイチェルを顎で振り回そうとする。
松明が足元に落ちた。恐怖や驚きは一瞬で終わり、感情の前面に出てきたのは必死さであった。
レイチェルは浄化の祈りを声高に唱えながら相手の頭部を光りの腕で殴り続けた。
サンダーが駆けつけたが、彼の正面の床から黒い炎が吹き上がり、その行く手を阻んだ。
ふと、レイチェルはもう片方の手に違和感を覚えた。重くなっている。まさかと思ったが、浄化の光りが煌いていた。
レイチェルは、敵を殴るべく振り上げた左右の腕を一瞥し、勘が告げるまま両手の拳を組む。そして敵の頭に重なった拳を全身全霊を籠めて振り下ろした。
神々しい光りの尾が視界を霞め、木の葉のように灰塵が舞い散った。
不浄なる者は、頭を失い、身体を左右に裂かれていた。二つの胴体は地面に倒れると灰となって広がった。
役目を果たせた。そう思うと共に、それぞれの拳の光りは消え失せていった。
「姉ちゃん、パワーあるなぁ。喧嘩とか強かったんじゃないの」
サンダーが感嘆しながら歩いてくる。
レイチェルはその場に腰を下ろした。これが肩の荷が下りた気分なのだろうか。今は苦笑いを返せるほどの余力すら無いように思えた。
「御疲れ、レイチェル」
そう言われ、レイチェルはティアイエルの顔を見上げた。
彼女からの労いの言葉は珍しいのかもしれない。レイチェルは嬉しさに思わず笑みを漏らしてしまった。
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