第4話 「下層に潜むもの」 (前編)

「私とレイチェル。あとはジミー、アンタも来るのよ」

 そう言うとティアイエルは、颯爽と右側の入り口へ歩み始めて行く。

 レイチェルは残った仲間達を見た。

 ヴァルクライムは、もう一方の入り口へ向かっている。サンダーは、レイチェル同様に、有無を言わさぬ人選に戸惑っているようだが、誰も意見が無いことを見てか、ティアイエルの後へ続いて行った。

「待て、俺は反対だ。明らかに合理的ではない」

 クレシェイドが鋭い声で仲間達に言った。

 レイチェルもサンダーも驚いて彼を見た。

「何なの?」

 ティアイエルが不機嫌そうに応じる。

 クレシェイドは彼女を見据えて言った。

「この人選についてだ。戦力に偏りがある。ヴァルクライムと俺を基点にして分けるべきだ」

 二人は互いに睨み合った。

 レイチェルはクレシェイドの意見に文句無しで賛成であった。先程の様子からサンダーも恐らくはそうだろう。そしてサンダーには悪いが、パーティーの中で完璧に前衛をこなせる者はクレシェイドただ一人であり、対照的に強力な魔術を幾重にも会得しているヴァルクライムも、まさしくパーティーの要であると考えられる。

「自惚れてるわね」

 ティアイエルが冷たく言った。

「そうかもしれない。俺は自分の力に対して絶対的な自信を持っている。だが、この鎧が頑強であること、そして剣が折れれば、敵に対して素手でも十分挑むこともできる。それが解らないとは思えないが」

 すると、ティアイエルが声を上げて相手を嘲笑った。

「そういうことじゃなくてね。あくまで信頼の問題よ。残念だけどアタシ達三人じゃ、有事の際アンタに太刀打ちすることはできないわ。例え三人揃っててもね。だから、アンタも理解している通り、ヴァルクライムに抑えを任せたのよ」

 その返事を聴き、クレシェイドが肩を震わせたので、レイチェルは更に驚愕した。彼に限って怒りという文字は全く予想できなかったのだ。それも仲間に対してである。

「確かに知り合って間もないが……そちらの危惧するその有事について聴かせてくれないか」

 クレシェイドの声には彼らしくない自棄的な不穏な気配を感じた。

 ついに見兼ねてレイチェルは仲裁に入ろうとした。

 だが、その前にヴァルクライムが動いていた。

「まず何を言うべきか……。お互い元気があって結構というところか」

 彼は愉快そうに言うと、甲冑の戦士の肩に手を置いて言葉を続けた。

「しかしだな、これ以上の意見のぶつかり合いは、ただレイチェル嬢ちゃんを泣かすだけのようだぞ」

 誰もがレイチェルに目を向けたが、彼女は気にせず魔術師の次の言葉を待っていた。

「あなたにも解るはずだ。合理的ではない」

 クレシェイドが落ち着き払った声で、ヴァルクライムに訴えた。

「ああ、そうだとも。だが、ティアイエルのお嬢さんを納得させるのは、死者を本物の生者に変えるよりも難しいようだぞ」

 魔術師がクレシェイドを凝視する。そして彼は言葉を続けた。

「若い奴らは奴らで何とかやるだろう。こちらは大人の男同士、紳士的な話題でも嗜みながら、迷宮観光へと洒落込もうじゃないか」

 ヴァルクライムが言うと、多少思案するような間を置き、クレシェイドはこちらに背を向けた。

 とても寂しげな背中に見えたが、彼はティアイエルに示された方向へ黙々と歩み出して行った。

 ヴァルクライムがレイチェルを見て言った。

「心配は要らん。私を当てにしてくれて結構だ」

 狼のような厳しい表情が頼もしく微笑んでいる。しかしすぐに笑みを引っ込めると彼は言った。

「だがクレシェイドの言うとおり、そちらの戦力が純粋に心許無いのはわかるな?」

 レイチェルは頷く。魔術師は満足げに応じると、サンダーの方を見た。

「そういうわけだ少年、君が騎士になるしかないぞ」

「お、おうよ。まぁ、やるだけやってみらぁ」

 サンダーは顔を強張らせて答えた。

 魔術師は頷くと、クレシェイドの後に続いて、入り口の底へ跳び下りて行った。

 二人が居なくなっただけで、周りが急に静かになった気がした。心細さではなく、まるで彼らの幻影とでも話していたような虚しさを感じていた。

「ほら、レイチェル行くわよ」

 ティアイエルが声を荒げて呼んだ。

 サンダーが慌ててそちらへ駆け出し、レイチェルも気持ちを割り切り、走って後に続いた。

 そしてレイチェルは、床下から現れた入り口を、今、初めてじっくりと覗き込んでいた。

 屋根の切れ目からの狭い日光が差し込んでいたため、薄暗くだが足元の様子を見ることができた。そこには石畳が敷き詰められていて、その先には広い石段が闇の中へと続いている。足元の床まで多少の段差があり、跳び下りる必要もあった。

「まず俺が行くから、姉ちゃんカンテラと火を貸して」

 サンダーがティアイエルのバッグを指して言うと、彼女はカンテラを取り出しながら答えた。

「アンタの稼いだ五点分と引き換えよ」

 レイチェルは二人の声を耳で聞きながら、迷宮の底の闇から目を離せなかった。

 ギルドでヴァルクライムが言っていた事が、ちょうど脳裏を掠めたのである。彼が言うには、この迷宮には手強い不浄なる者がいるらしい。

 不浄なる者にも種類がある。大雑把にすれば、ゾンビのように肉体を持つものが一つ。そしてもう一つは、強力な怨恨と負の力から生み出されたゴーストのような、剣で斬れない存在である。時に後者は、亡骸ではなく、生きている者の身体の中へ侵入し、その意識を乗っ取ることも多いと一般的に言われている。

 故郷エイカーの獣神の神殿は病棟にもなっているのだが、定められた身分の神官や、医者しか出入りできないフロアが存在していた。そこに入院している患者達は、精神を病んでしまった者や、中にはゴーストに心も身体も支配されてしまった人もいると噂されていた。

 不意に階下に新たな灯りが割り込んだので、レイチェルは物思いの世界から現実に引き戻された。

 サンダーがカンテラを提げながら、下の様子を覗き込んでいる。彼は足元から石の塊を拾って底に落とす。石は乾いた音を立てて段上に転がってそのまま停止した。

「姉ちゃん、これ持ってて」

 サンダーはレイチェルにカンテラを渡すと、入り口に跳び下りた。

「ありがとう」

 サンダーはこちらを見上げて手を差し出す。レイチェルがカンテラを渡すと、彼は安全だと頷いて見せた。

 レイチェルも跳び下りた。顔を上げると、前方に広がっている闇が、意思のある霧のように蠢いて迫っているような気分になった。

 そして三人はサンダーを先頭に、カビと土埃の臭いが立ち込める階段を降り始めた。

 まずレイチェルが驚いた事は、石の壁に靴の音が反響してしまうという事実であった。いくら脚を忍ばせ、丁寧にぎこちなく踏み出そうとも、音は相応ぐらいに低くなるだけであった。

「分かれ道みたいだよ」

 カンテラを掲げたサンダーが後ろを振り返って言った。

「俺が片方の様子を見てくるから、姉ちゃん達ここで待っててよ」

 意見を仰ぐためにレイチェルは後ろを振り返る。今も槍に宿った魔術の炎が赤々燃え上がり、有翼人の少女の綺麗な顔を照らしている。

 ティアイエルは少年に頷いた。

 左側には少しずつ遠ざかって行くカンテラの灯りが見える。

 やがてサンダーは引き返して来た。

「向こうは壁で、行き止まりだったぜ」

 サンダーは心持ち声を落とすようにそう伝えると、言葉を続けた。

「ただあの壁、何だか少し新しいような気がするんだよね。石も色を似せてるだけの別物だし」

「じゃあ誰かが最近作ったということなのですか?」

 レイチェルがティアイエルを振り返って尋ねた。

「このガキンチョの見立てたが本当にそうならね」

「宝物庫かもしれないぜ」

 サンダーが僅かに期待するように言った。

「何にせよ、壁を動かせる仕掛けがあるのかもしれないわね」

 ティアイエルは行き止まりの方へ歩き始め、サンダーは慌てて後を追った。

「俺が調べるよ。いや、調べはしたけど何もなかったんだぜ」

 そのまま二つの灯りは揃って徐々に離れて行き、問題の壁なのかもしれない場所で動きを止めていた。

 レイチェルも二人のもとへ向かおうとした。

 だが、彼女は足を止めた。廊下の反対側の先から微かな物音が聞こえたのだ。それも足音のように思える。

 レイチェルは振り返る。心臓が凍る思いであった。

 廊下の闇は、例え目と鼻の先に何者かが居たとしても、その姿を完全に覆い隠してしまうだろう。

 レイチェルは緊張しながら、闇を睨み、耳をそばだてていた。

 ガコン。微かだが明らかに音を聴いた。それは廊下のかなり先からのようであった。

 レイチェルは武器を構えた。

 二人を呼ぶべきか、何者かに向かって声を掛けるべきか。あるいは、ただ偶然に壁の脆くなった部分が欠けて落下しただけなのかもしれない。

 後ろから二人の短い驚きの声と共に、とても重々しい、あの半壊の石像を回して床が動いた時と似たような、岩が擦れ合う音が聞こえてきた。

「アンタ、何かした?」

 ティアイエルの声がこちらに向かって尋ねた。

 レイチェルは反対側の廊下での音の件もあったため、ここは合流すべきだと判断し足を急がせた。

「レイチェル?」

 ティアイエルが怪訝そうに再び声を掛けてきた。

 レイチェルは駆けた。

 私達は既に何者かに見付かっていて、その誰かがこっちに向かって来ている。

 それぞれの灯りに中に、警戒する仲間達の姿が見えた。

 ティアイエルと、サンダーの間にレイチェルは飛び込み、息を切らす間も無く迫る者に目を向けた。

「誰か来ます」

 レイチェルは言った。

「敵か? 灯り、消した方が良いんじゃねぇの? 的になっちまうかも」

 サンダーが二人に提案したが、ティアイエルは応じなかった。

 向かってくる足音にはいつしか他の音も混ざり合い、更にけたたましく膨れ上がっていた。中でも突出していたのは、ガチャガチャという金属が揺れる音であった。

「甲冑の音か?」

 サンダーが首を傾げ、レイチェルもそれだと納得した。そうだとすれば、駆けてきているのは鎧を着た人と言うことになる。

 クレシェイドさんだったら良いのに……。

 そしてレイチェルは決断を迫るようにティアイエルを見た。彼女も意を決すように小さく息を吸い込む。

「警告よ! それ以上近付くなら容赦はしないから!」

 ティアイエルの鋭い呼び掛けが、全ての音を上回って響き渡った。

「止まれ、しもべ達よ!」

 男の低い声が聴こえ、ややあって静寂が訪れた。

「アンタ達、誰なの!?」

「威勢が良いな。こんなところへ来るとすれば、冒険者ぐらいか」

 ティアイエルが闇に向かって問うと、相手は嘲笑うように応じた。

「そうよ、ギルドの依頼でベルラゴンの苔を採取しに来たわ!」

 ティアイエルは凛とした声を張り上げて答えた。

 炎に照らされるその横顔は美しく頼もしかった。

「ベルラゴンの苔!」

 声に不穏な笑いを含ませ、別の男が言った。

 レイチェルと、サンダーは思わず身構えていた。

「今日もまた、この迷宮の餌食となる者が増えるか。しかし魔術師ギルドも諦めが悪いな」

 最初の男が答える。こちらの方が声が低い。

「それはそうだ。ここら一帯の苔は既に我々が頂いたのだからな。当てがあるとすれば此処ぐらいなものだ」

 二人目の男が答えた。

「何かの研究をしてるって事?」

 ティアイエルが呟いた。

 サンダーが進み出る。彼は、レイチェル達を庇うように立ち止まった。

「なかなかの度胸だ小僧。だが、残念だ。お前の骸には殆ど価値が無い!」

 男の狂喜するような声が響いた。

「しもべ等よ、構えい!」

 あの甲冑の音が次々聞こえ出した。

「奥へ走って!」

 ティアイエルが言い、レイチェルの胸を掻き分けるように力強く押した。

 レイチェルは鬼気迫る彼女の言葉に促され、身を反転し奥へと走る。背後を一瞥し、ティアイエルがサンダーの襟元を掴んでこちらを目指そうとする姿が見えた。

 突然、近くで地鳴りがし、目の前の左右の壁から土埃の影が見えた。レイチェルは慌てて、かつてあったはずの怪しい壁のことを思い出す。

 左右から分厚くて高い岩の板が突き出てくる。

「レイチェル、伏せて!」

 その声と共に、火の槍を持ったティアイエルとサンダーは、懸命に駆け、こちらに飛び込んできた。レイチェルは素早く身を屈め、横目で二人の足先を見た。

「姉ちゃん、大丈夫か!?」

 サンダーがティアイエルに向かって言った。声には焦りがある。ティアイエルに何か災厄が降りかかったということだ。

 レイチェルは、彼女の顔を確認とした。

「伏せろって言ってんでしょう!」

 苦悶に満ちたような声と共に、レイチェルは頭を手で思いきり床に押し付けられた。

 目の前で岩の壁が滑るように横に動いているのが見える。それは意外に呆気ない音を出して互いにぶつかりあい、一枚の壁に戻っていた。

 こういう仕掛けだったんだ。

 そしてレイチェルは思い出した。壁が開く前に、奴らの仕業だと思うが、耳にしたあの音のことをだ。

「たぶん向こうに仕掛けの鍵があったんだ」

 レイチェルは思わず声を漏らした。

「そうみたいね」

 すぐ隣でティアイエルが立ち上がる。だが、彼女は小さく呻いた。

「大丈夫ですか!?」

 レイチェルはそう尋ね、同時に全身の血の気が引くのを感じていた。

「アンタは何とも無いの? 大丈夫?」

 ティアイエルはこちらの問いを無視して尋ねてきた。

「はい」

 レイチェルは頷いた。

「ジミー、アンタは?」

「俺も何とも無いよ……。けど、姉ちゃんのカンテラ置いてきちまった」

 暗くて顔が見えなかったが、すぐ側でサンダーが答えた。

「そう。なら良かったわ」

 ティアイエルは冷静な声でそう答えると、炎の槍を拾い上げた。

「二人とも急ぐわよ。また壁が開くわ」

 ティアイエルがそう言い終わると、壁の向こう側を叩く音が聞こえ、三人は揃って振り返った。

 突き出された炎の槍が壁を照らし出す。

「そうか、全員無事とは、まさに強運だな」

 壁の向こうから男の声がした。

「君達にとっては朗報なのかもしれないが、現状で我々は、しばらくこの壁を開くつもりは無い。まぁ、どちらにせよ袋の鼠ではあるがね」

 靴の音が響き始めた。

 三人が無言でいると、その音は徐々に遠ざかって行き、やがて聴こえなくなった。

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