第3話 「魔術師と迷宮」 (中編その2)
皆が私を嘲笑う声が聞こえる。
彼らが何故、私に対して執拗な嫌がらせをするのか、あの時の私には全くわからなかった。
結局原因はアネットから聞かされる事になる。
私が何事にも生真面目すぎること。それが彼らには不快だったようだ。私は先生に気に入られたいから、お手伝いを頑張ったわけでもないし、教室の掃除だって、当番の責任を果たすためだけに取り組んだつもりだった。
ある日、クラスは一変していた。皆から向けられる目はとても冷たくなっていたのだ。
やがて居ないような存在として扱われるのに続き、机を汚されたり、お弁当を捨てられたりして、私は動揺し、苦しんで、独りぼっちになった。
それは地獄だった。私は学校に居るだけで極度に緊張し、やがては勉強にもついていけなくなった。
私に対する扱いは次の年になっても続き、私はようやく悔しさと強い憎しみを抱くようになった。
彼らに理解されたい、許してもらいたいなどという思いが消え去り、逆に私の全てを台無しにしようとする横柄な態度が鬱陶しくなったのだ。
全てを滅茶苦茶にした奴らを追い詰め、顔を何度も平手で打ちつけ、内臓が破裂するまで足で蹴ってやりたい。冷たい教室の中、私を蝕み続けた極度の緊張も、新たな感情との芽生えと共に感じなくなったが、その代わりに君臨した敵意の心は、今思えば凄まじいの一言に尽きるものだった。
その後も時々恐れや緊張に襲われるときもあったが、何とか耐えることが出来た。だが、この憎悪だけは抑えることができなかった。
更に年が明け、彼らは以前ほど私に興味を抱かなくなったようだが、爪痕は彼らにも刻まれていたようで、とりあえず私をただの異端な存在として見ていたようであった。
「レイチェル、あなたどうしていつも皆を睨んでるの?」
敵意の塊だった私は、いつの間にかクラスに転校生が来たことすら気付けなかった。それにもうその頃は他人に興味は感じられなかったし、大人以外と話すことが億劫であった。
大人以外で久々に話しかけてきたのは、桃色の髪の女の子だった。
私は彼女を! またも、あいつらの下等な好奇心と下劣で身勝手な誇りのせいで、私はやってしまったのだ!
「何をやったかは知らないが、そろそろ起きて頂く時間だ」
ああ、この声は確かヴァルクライムさんのだ。
そう思ったときに、急激な熱が身体中を駆け巡るのを感じた。その温かさはとても心地良かった。
木々とその隙間から見える陽光がゆっくりと通り過ぎてゆく。
レイチェルは、茶色の布にしがみ付いていた。それがヴァルクライムの背中だとわかると、彼女はひたすら慌てた。
「すまんな、私ももう背中が厳しくなってきたところだ」
魔術師はそう言うと屈み込み、レイチェルを地面に下ろした。
「アンタ、また倒れたのよ」
ティアイエルが呆れ顔を向けて言った。
その言葉で、レイチェルは浄化の祈りの一件を思い出した。
彼女は恥ずかしくなった。魔法の消し方を忘れて絶望していたことと、こうして倒れてしまったことをだ。
「ヴァルクライムさん、すみません。御迷惑をおかけしました」
自分を背負い続けてきた男に彼女は慌てて謝った。
「まぁ良い。おかげで一生見られないようなものも見ることができた。浄化の光りを直接ぶつけにいくとは、頭の固い神官達ではまず思い付きはしないだろうよ」
ヴァルクライムは笑いながら答えた。
レイチェルは再び恥ずかしくなったが、魔術師は続けた。
「勘違いするな、あれは大有りだ。同じ行程で苦しんでる神官達は、きっと死ぬ直前まで魔法を飛ばすことしか考えられやしないだろう。命を護る為に格好なんて気にするな」
ヴァルクライムは機嫌良く語り、レイチェルは初めて、自分がこの魔術師を信頼に足る人物であると認めているのに気付いた。
前方の茂みからサンダー顔を出した。
「神官の姉ちゃん、おはようさん!」
サンダーは笑って見せると、ティアイエルに視線を移して言った。
「また古い足跡を見つけたぜ。しかもしばらく続いてそうだ。これで何点だい?」
「一点よ。迷宮まで続いてればもう一点あげるけど、途中で消えてるようなら帳消しになるから」
有翼人の少女が答えると、サンダーは血相を変えて茂みの中へと飛び込んで行った。
「一人で行って大丈夫なんですか?」
ゾンビと呼ばれる、彷徨える死者達のことを思い出しながらレイチェルは尋ねた。
「心配ないわよ。クレシェイドの奴もいるから」
彼女の言葉で鉄仮面の戦士がいないことに気付いた。ふと、ティアイエルの言葉に驚いて、レイチェルは思わずその顔を凝視した。
「まだ信用してないわよ。それにアイツの方は、まだ持ち点も無し。このまま増えないことを願ってるわ」
ティアイエルは慌てたようにソッポを向いて苛立たしげに答えた。
ああ、余計なことしちゃったな、私。
レイチェルは溜息を吐いた。
茂みが揺れ、再びサンダーが飛び出してきた。彼の歓喜に満ちた笑顔を見れば、何があったかは言われるまでもなかった。
「へへっ、見っけてやったぜ、ラザロッソの迷宮をさ」
レイチェル達は、サンダーの後に続いて、茂みを進んで行った。
草木の隙間から、建物の黒い影が少しずつ見え始めてくる。
だが、不意に目の前を死者が横切り、一行はその足を止めた。
二体のゾンビ達は、腐臭を漂わせ、ただ当てもなくヨロヨロと彷徨い茂みに入って行く。しかし、彼らはまたすぐ目の前へと戻ってきた。
レイチェルが浄化の祈りを唱えようとすると、サンダーが誰にともなく尋ねた。
「こいつらさ、放っておいても実際害は無いんじゃねぇの? ただ強烈に臭くて気味悪いだけでさ」
「だったら、あいつらの真ん前に飛び出してみると良いわ」
ティアイエルが冷ややかに答えると、言葉を続けた。
「あいつら、アンデットには特殊な毒があるのよ。噛まれたらそこから身体が腐ってくの」
サンダーは表情を強張らせて、レイチェルとヴァルクライムを見た。
「そのお嬢さんの言うとおりだ、少年」
ヴァルクライムが愉快そうに答える。
「神官の姉ちゃん、あいつらを浄化してあげて下さい」
真っ青になってサンダーが言った。
レイチェルは頷いた。今度は二体だけだ。力を使い果たすことにはならないだろう。
「神官の仕事に割り込むようで悪いけど」
ティアイエルがバッグから小瓶を取り出しながら言った。
「今は依頼の真っ最中で、神官はアンタだけしかいないの。あんな雑魚なら、これでも十分なのよ」
彼女の持つ小瓶には水のような透明な液体が入っていた。彼女は短槍を立てると、切っ先に瓶口を傾ける。
液体が流れ出し、短槍の上から下までが水に濡れた。
神官であるレイチェルには、それが何なのかようやくわかった。
有翼人の少女は不浄なる者達に歩み寄り、纏めて槍で薙ぎ払う。腐った身体は瞬時に綺麗な灰となって空に舞い散った。
小瓶の中身は聖水に間違いない。教会で数日の間、正しい儀式の段取りで清められた水である。だが、実際にこれほどの力を秘めていたとは、彼女は思いもしなかった。
「聖水か、準備が良いな」
「当然よ。この子が成長するまでは持って行くつもりよ」
ヴァルクライムが言い、ティアイエルが答えた。レイチェルは少々居心地の悪さを感じたが、それはティアイエルの気遣いなのだと考え直した。何故なら、自分の役目は浄化だけではないと気付いたからだ。傷ついた仲間を癒す魔法も使う機会があるかもしれない。
更に進むと、薄気味悪い暗緑色をした石壁が一行を出迎えた。
その壁は、均等な長方形に切られた石が詰まれて造られ、その殆どが張り付いた蔓や、伸び放題の蔦に覆われていた。
とても広くて高い建物だった。
こんなところにある意味は何だろう。レイチェルは古びた建物を見上げて考えた。
大富豪のお屋敷の跡かな。でも、こんな森の中にあるのは変だし危険だ。他に思いつく大きな建造物と言えば、昔のお城か、聖堂か……。
「聖堂?」
レイチェルは首を傾げた。こんなところに聖堂があったとすれば、それは善の神ではなく、対立する邪悪な神々を祭り、それを崇拝する者達のための密かな集会所の建物ということになるだろうか。
「ほぉ、冴えてるなレイチェルの嬢ちゃん」
ヴァルクライムが隣に歩み寄って来る。
「どういうこと?」
ティアイエルもこちらに来ると、興味深げに魔術師の横顔を見詰めた。
「大昔の話しだ。ラザロッソというが、これは人の名前だ。私の本名のようにラザ・ロッソとするのかは知らんが、その女は優秀な神官だった。だが、この大陸は当時戦乱の真っ盛り、当然、各地は口で言うほど簡単ではないが大いに荒れていた。ラザロッソは槍の達人でもあって、愛用の得物である神槍ソリュートを手に取り、信徒達を率いて戦った。彼女が何を信仰していたのかはわからない。だが、その名の下に戦った彼女らに神は奇跡を齎しはしなかった。多くの同胞を失い、彼女はこれまでの生涯を捧げて信じていた善の神に失望した。……後のことは大体察しがつくだろう。その後ラザロッソは、彼女同様に己の主神に裏切られたと憤り、憎しみを持つ者達を率いて、今度は邪な神々を崇め始めた。ここはその拠点だ。そしてやがてその集団は、軍団以上の規模となり、統率も乱れ、私欲に支配された牙獣の群れとなった。ラザロッソがそうなることを望んだかは知らないが、討伐に訪れた軍勢は、ここを占拠し多大な犠牲を払いながら反乱を鎮圧できたが、亡骸や降伏する者の中に彼女の姿だけは見つけることができなかった。あくまで言い伝えの仮説だがな。これも一説では、彼女はこの迷宮の隠し部屋で自決し、その身体を邪悪なる神々の贄としたと言われている」
ヴァルクライムは二人の少女を交互に見て、ゾッとさせるような薄ら笑いを浮かべた。
「ラザロッソがどうなったにしろ、ここは大勢死んだ墓場には違いない。かと言って、ここいらを徘徊してる奴らは、探究心のために最近ここで犠牲になった者達だろうが、この不穏な場所でそいつらを尖兵としている奴がいるということをくれぐれも忘れないでほしい」
レイチェルとティアイエルは驚いた顔で見合っていた。
「誰かいるってことですか?」
レイチェルが尋ねると、魔術師は小さく笑った。
「外か中かは知らんが、ゾンビどもを徘徊させているのだ。来訪者を強烈に嫌っていることだけは確かだ」
レイチェルの背筋を悪寒が駆け抜けていった。誰か知らない人がいて、その人はこちらに気付いているのだろうか。
彼女は周囲に目を走らせた。
壁がずっと続き、その一方からクレシェイドが歩み寄ってくるのが見えた。
「兄ちゃん、そっちはどうだった!?」
サンダーが声を上げ、レイチェルは吃驚した。少年の声はとても甲高く、静寂に染まったこの森の中ではとてもよく通っていた。
「サンダー君、叫んじゃ駄目よ!」
レイチェルが呼びかけると、壁を調べていた少年は不思議そうな眼差しを向けてきた。
「もしかしたら誰かがいるかもしれないのよ?」
レイチェルは少年のもとに駆け寄って囁いた。
「ええ、こんなところにかよ?」
サンダーは呆れたような驚いたような顔を見せた。
「ヴァルクライムさんの推理なんだけど、ほらさっきのゾンビだって、そもそも誰かが偽りの命を与えなければ動くはずが無いでしょ?」
こちらの必死な訴えに、少年は多少思案して、合点するように目を見開いた。
「確かにそうだよな。姉ちゃん、意外と賢いんだな」
「ヴァルクライムさんの考えなんだけどね」
互いを慰めあうように、二人は心細い笑顔を向け合った。
クレシェイドが歩み寄って来た。
「レイチェル、大丈夫そうだな」
彼はレイチェルを見て安心したように言った。
「御心配をお掛けしました」
レイチェルが言うと、相手は頷いた。そしてサンダーに向かって言った。
「入り口は無かったが、こちら側に妙なものを見つけた」
サンダーが先を促すと、クレシェイドは壁に張り付いた植物を掴み上げた。
「これだ」
彼が指差すところには、暗緑色の石壁の中に一箇所だけ茶色の石が敷き詰められていた。
「入り口を出す鍵なのかもしれんが、これがこちらが側の壁だけに幾つかあるようだ」
サンダーが真剣な眼差しを見せた。
「何箇所あったの?」
「草の下に六つ見つけた。反対側までは調べてないが、この正面だけだ。側面の壁には見当たらなかった」
サンダーはクレシェイドの来た方角とは逆の方向を見て言った。
「向こう側にもあるかもってことだよな……。これが入り口を開く仕掛けだとして、本物は一つだとしたら……」
ティアイエルと、ヴァルクライムも傍に現れ、少年に注目している。
レイチェルは、仲間達がこんなに近くに揃ったことを嬉しく思った。
「ちょっと待ってて、とりあえず全部見つけてから考えてみるから!」
サンダーは調べていない方角へ歩み始めた。そして彼は短剣で張り付いた草を動かしながら、丹念に調査し始めていた。
「また日が暮れるわよ」
ティアイエルがうんざりするように言うと、サンダーは更に急いで取り掛かり始めた。
レイチェルは考えた。本物の石が一つだけだとしても、それを見分けることはできるのだろうか。それに間違った石を動かした場合は、例えば空から岩でも降ってきたりするのだろうか。
傾斜している屋根を見上げながら彼女はぼんやりと考えていた。そんな彼女の目に映ったのは、壁の遥か上の方にも当然の如く植物が被さっている光景である。
あんな高いところにも残りの仕掛けがあるのだろうか。そうだとすれば、カエルの様に、壁に手を貼り付けて上って行くしか方法はない。
「あそこにもあると思いますか?」
レイチェルは、頭上の草の塊を指差して尋ねた。
「可能性はあるな」
真っ先にヴァルクライムが答えた。
「鉤付きのロープを持って来るべきだったか。……それとも、木を切り倒して丸太で棒をこしらえるか」
クレシェイドが珍しく落胆した気色を窺わせる様に言った。
サンダーが駆け戻ってきた。
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