第5話
レストラン・アロ。
正直に言うと汚い字で手書きにされたその扉の奥からは、カレーの匂いがしていた。朝から何も食べてなかったお腹がちょっときゅぅ、と痛む。だけど無事なんだろうか、その、アロと言う人は。裏口の方々にぴくぴくと痙攣している野良ネコ野良犬野良鼠が転がっているんだけど。まあでも食べられない匂いじゃないよなー、なんて思いながら、ドアを一番に空けたのはステちゃんだった。
「アロ様ー!」
「はいらっしゃい! っと、あれ、いつかクマに襲われてた」
「ステです! ステ・ゴ! 今日は後ろにサウルス付けてもらうために来ました! 手土産は旧友さん達でっす!」
コック帽にスカーフ、ちょっと長めの髪は後ろで三つ編みにくくったその人は、やっぱりティラ達と同じような年恰好だった。コックさんとしては修行中でも良いような。でも先の大戦ではなんでも調理したらしい。『何でも』と言う言葉の奥には気が向かないようにしよう、と思う。戦場に一番多くある食べられるものなんて、決まっている。まして彼らはプロトメサイアだ――と言ったら、偏見になるか。私も結構駄目な奴だ。我ながら、そう思う。
「ティラ! それにパラ! どーしたんだこんな所で!」
「相変わらず流行ってないな、と、偵察に来た」
ティラの言葉に思わず笑いを堪える。確かに昼飯時なのに、テーブルはどれも空っぽだった。んだよ、と紫っぽい目を細めてアロは腕を組む。どうでも良いけどカレーは混ぜなくて良いんだろうか。焦げたカレーは流石に遠慮したい。
「というのは冗談で――TITに対する情報がつかめたから、一応お前にも伝えておこうと思ってな」
ざわ、と三つ編みが乱れる気配がある。やっぱり機構の事はプロトメサイアの人達にとって重要なんだろう。重大なんだろう。そこに父母がいた私は、憎まれるべき存在だ。でもティラもパラも今は気にしていないようだった。パラは村で流離いの国語教師やってたのに、随分淡泊だった。もしかしたら村に根を下ろすつもりだったのかもしれない。その為には私一人に対する恨みつらみなんて、ちっぽけなものだったのかも。そう思うと救われるような寂しいような、微妙な気持ちだ。
「取り敢えず昼飯食ってくか? 三日目のカレーは流石にやばい」
「カレーは一晩寝かせる物ですよ! 二晩ぐらいどうってことないです!」
「そっかなあ? じゃあステちゃんやティラ、パラと――そっちのお嬢さんは?」
「あ、テミスです。アル・テミス。旅のおまけです。こっちはキュムキュム、果物が主食です」
「キュム!」
「果物か、リンゴくらいしかないけど良いかな?」
「大好物です」
「キュムー!」
「んじゃ適当に座って待ってろよー。ナンとライスはどっちが良い?」
「私ナンで!」
「ライス」
「僕もライス」
「私もライスで」
「へいへい、ナン焼くまでちょっと待っててな、ステちゃん。んで名前の後ろにサウルス付けに来たってどーゆーことだ?」
「アロ様!」
一人カウンター席に座っていたステちゃんが、勢い良く立ち上がる。
「私と結婚してください!」
…………。
ド直球かよ! ある意味すげえな!?
「えーとステちゃん、年は」
「一昨日十六歳になりました! 結婚可能年齢です!」
「俺が人間じゃないって事は」
「道中ティラ達から訊き出しました! プロトメサイアなんですよね!?」
「……子供ができる可能性の事は?」
さすがにそこまでは訊いてなかった。十六歳なんてまだまだ子供なんだから、子供の事なんて考えなくて当然だろう。
「俺達は特殊なナノマシンで形成されている。精子や卵子も奇形ばかりだ。まっとうに子作りで手来る訳じゃない。もし君が女性として幸せになりたいと願うなら、俺はそれに全く適した相手じゃない。それでも良いのかい?」
コトコトカレーが煮込まれる。アロは釜でステちゃんのナンを焼きながら、カレーに集中している振りをする。
「何か問題あるんですか?」
「へ」
ぽかん、と口を開けたアロに、ステちゃんは笑い掛ける。
「世の中子供のない夫婦なんてごまんといますよ! それに私は人間だから、アロ様に最期まで看取って頂ける。そんな幸せな事ってないですよ!」
幸せな事。
子供は本質を突くって言うけど、この子は本当にそうだな、なんて私は思う。
子供がいなくても、看取って貰えるなら幸せ。
本当、強くて勇気のある子なのか、ただ幼いだけなのか。
ナンの焼ける音がパチパチ言う。
カレーはとろ火なのか手が止まっていても、まだ焦げ臭くはない。
「……恋する女の子には敵わないな」
ぽつりと言って、アロはコック帽を下げ、顔を隠すようにした。
負けたって事だろう。
「アロ。ナンがそろそろ焼けてる」
「おっとやべやべ。サンキューな、ティラ」
「そう言えば」
二人の苗字の類似性から、私は道中パラが言っていたことを思い出す。
「ティラとアロでニコイチって言ってましたけど、どういう意味なんです?」
「うわ、久し振りに呼ばれた、ニコイチ」
カレーとライスの皿を一組ずつ持って来るアロは笑っている。と言うか、私達が来てからずっと笑ってるんじゃないだろうか。笑い上戸の人なのかな。それとも単純に再会が嬉しいだけなのかな。大戦を機に廃棄された、って言っても、まとめてポイだったのかあちこちの野山に捨てて来たのかは解らないし。でも山林って少ないんだよね、この『星』全体で見ても。それを焦土にした、って言うのもプロトメサイアの悪行の一つって言われている。貴重な資源を大量に破壊した、とかで。
……作った機構が、TITが、お父さんたちが責められる所だって言うのに。国が責められるべきだって言うのに。そのスケープゴートにまでうまく使わたのが、プロトメサイアだったって事か。
……なんか腹立たしいな、そう考えると。
ティラもパラもアロも。
こんなに良い人なのに。
サーブされたカレーを一口食べる。
…………。
「隣のおばさんが作ってくれたカレーの味だ」
「そうだな、家庭料理の味だ」
「レストランなんて看板掲げてる割りには、やっぱり普通の味だ」
「いっそ懐かしくなる味だ」
「エレメント・ソーサラー、分解せよ」
「何さもーみんなして! アロ様渾身の出来なんだから、誉めなさいよー! 私はカレーって食べたのこれが初めてだけど、美味しいですアロ様! ぴりっと辛くて、ナンが甘くて!」
「ステちゃん……! 出来る限り幸せにするからな!」
「はいっ、出来る限り幸せになります!」
……なんかなあ!
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