幕間

第14話 サラのモノローグ

 暗闇のなかを、くすんだ金髪の男――サラは、逃げるように走っていた。

 仲間の盗賊たちは皆、警察に捕まってしまい、残るは自分1人だけ。きっと警察は今頃、血眼になって自分のことを探しているだろう。

 サラは大きく舌打ちをした。


 わりの良い仕事があると、前金として渡された金貨500枚に目がくらんで、引き受けた仕事だった。何せ自分たちは盗賊だ。商人を襲ったり、時には夜の闇にひそんで盗んだりもしたし、女や子どもを売ることだって平気でやった。

 あの女。シーナを手に入れてあいつらに引き渡せばそれで済む話だった。何、簡単なことだ。ターゲットは華奢な女性。彼女を守るべき家族は何もできない、年老いたじじいとばばあ。簡単なことだった。

 宿泊客として宿に潜り込み、機会をうかがった。

 だが、いざとなったらあの女はしぶとかった。瞳を尋常でない輝きで光らせながら、その目で見つめるだけで物を投げ、人を投げた。なるほど。化け物みたいな力で一瞬怯んだが、たしかにこれは売買すれば金になる人間だ。

 もしかしたら雇い主たちは、それを知ってて彼女をさらうように依頼したのかもしれない。

 女でも、人ならざる力を持つのなら厄介だ。いっそあの老人共を人質にして無理にでも連行しようかと考えたが、隙をついた仲間が女を昏倒させた。倒れてしまえば、ごく普通の年頃の女だった。


 これで任務は完了だ。あとはこの女を雇い主に引き渡せばいいだけ。


 きっと自分たちは気が緩んでいたのだ。同時に疲労があった。まさか女をさらうだけで、これほど大がかりなものになるとは思わなかった。騒動の大きさによっては警察を呼ばれるかもしれない。だが、女を手に入れればこっちのもんだ。あいつらが人さらいに気づく頃にはとっくの昔にこの国をでている。

 さらに予定が狂ったのは、シーナがいつのまにか目覚めていることだった。

 仲間の1人が気絶させようとしたが、それに気付いたシーナが振り上げられた拳を瞳の輝きで方向転換させて返り討ちにし、逃げ出した。そこからは鬼ごっこのような状態だった。だが、すぐに捕まえられると確信していた。シーナは来たことのない場所だったためか、道に迷っている素振りをしていた。

 一方サラたちは、この仕事のために路地裏の地理は頭に叩き込んでいた。

 あと一歩のところで追い詰められたのに――。


「あの旅人共め!」


 左目に眼帯をした長身の優男と帽子を目深に被った少年の兄弟を思い出して、サラはまたも舌打ちをした。

 あいつらがいなければ。あいつらがいなければ、仕事は完了するはずだった。

 優男のほうは拳銃の扱いもうまく、武術にまで長けていた。逆に少年はシーナを先導するばかりで何もできないようだった。

 いや、だがサラは見ていた。その場から逃げ去る前に確かに見たのだ。

 大通りに向けて走ろうとした少年が帽子を脱ぎ去ったとき、その瞳が桃色に光りだした。その輝きに反射して帽子から落ちてきたのは長い髪だった。

 そうか。あれは少年ではない。女だったのだ、始めから。


 何故男の格好をしているかはさておき、瞳が輝いたということは、あいつもまたシーナと同じ力を持っていたということだ。

 なんなのだ、あの力は。何をさせようとしたのだ、あのうさんくさい雇い主は。


「お疲れさまです、サラさん」


 呼び止められ、サラは驚いて足を止めた。声のしたほうを見れば、暗闇から、今回の仕事の雇い主。その本人がいた。さらにその後ろから、何故か子どもがやってきた。背丈に似合わぬ、ぼろ布のようなものを着ていた。あれはたしか、東方の島国に由来する着物だか、浴衣というものではなかっただろうか。もしかしたら奴隷なのかもしれないが、それにしては自由すぎる。両目を包帯でぐるぐるに覆われている他は、手錠や足枷の類いがない。雇い主の仲間なのだろうか。

 いぶかしんでいると、雇い主は相変わらずうさんくささが漂う笑みを浮かべながら、1歩1歩近づいてきた。


「約束の時間になっても指定した場所に来ないものですから、方々ほうぼう探しましたよ。いかがしましたか?」

「て、てめぇ! 俺たちにどんな仕事をかぶせやがった!」


 仕事に失敗したのは屈辱だった。その怒りがたった今、雇い主を見て爆発した。

 雇い主はきょとんとして、首をかしげた。のりの効いたパリッとしたスーツは、彼の落ち着いた雰囲気によく似合う服装だった。きっと育ちが良いのだろう。ますますいらつかせる。


「どんなとは? 私はあなた方が人さらいも生業としている賊だと聞いたもので、仕事を依頼しただけですよ」

「っせぇ! あんなの。人じゃねぇだろうが!」


 雇い主は口をつぐんで、しばらく何も言わなかった。その沈黙の時間が余計にサラをイラつかせる。

 なんだ、この男は。


「いいえ、彼女は人ですよ。立派なね。そしてこの世界を変えうる力を持つ者の1人だ」

「世界を変えるぅ? それはあれか? あの、目が光ったやつか?」

「おや、魔眼をご覧になったのですね。それなら話が早い。あの力は文字通り、世界を変えうるものです。それを集めて手に入れて、私たちは世界を掌握しようと考えています」

「はっ、尊大な計画だな。頭湧いてんじゃねぇのか?」

「いえいえ、いたって正常ですよ。私たちは」


 雇い主は笑みを絶やさずに答えた。

 その笑顔がなおさらうさんくさい。これはあれだ。人を騙すための笑いかただった。


「おめぇは、俺たちと同じだ。賊の目をしていやがる。数えきれねぇくらいの人を騙してるだろ」

「仕事上そうならざるをえなかっただけですよ」

「ふんっ、どうだか。そういや、お前がさらうように頼んだ女の他にも、同じようにマガンとかいう力を持つ奴がいたぞ」

「おや。そうですか」


 サラはこくりとうなずいた。なんだか、不思議と気分が高揚している。仕事は失敗し、仲間は警察に捕まって。明日からどうやって生きたら良いかわからず、踏んだり蹴ったりのはずなのに。


「そいつは、帽子を被ってたな。目を覆うくらいに深く被っていた。その帽子を払ってみればびっくりだ。桃色の髪と瞳を持っていた」

「へぇ。どんな様子でした?」

「そいつは――、わからん。見たのは帽子をとったところまでだ。そこから俺は、逃げたんだからな」

「そうですか」

「だが、どんな奴かはわかるぜ。桃色の髪を持つ人間といったら、あそこしかねぇ。おそらく塔の国・トゥーロのお貴族さまだ。同じ宿の客だったから何度か見たが、とても育ちの良い感じだったぞ。飯の食い方といい、所作といい、本当のお貴族さまのようだった」


 気分が酩酊していくのがわかる。これは大酒をした感覚と同じだ。何故。だって今日は酒を飲んでいない――。


「そうですか、あの国のお姫さまが。どうりで……」

「……あいつが、あいつらが俺たちの仕事の邪魔をしたんだ! トゥーロのお貴族と、あと左目に眼帯をした奴だ! 黒髪の優男。銃と武術に長けたあいつ。あいつは変な奴だった。食事の前に、イタダキマスとか謎の呪文を唱えやがった。隣で聞いてた俺は、思わず笑いそうになっちまって」

「そうですか。話してくれてありがとうございます。もう良いです」


 サラはぴたりと黙った。もっと話したかったが、途端にどうでもよくなったのだ。


「大変なお仕事だったでしょう。どうぞ、こちらへ。貴重な情報をくれたお礼と仲間を失ったせめてもの償いに。報酬をさしあげます」

「あ? 金貨500枚はとっくの昔に受け取ったが」

「それ以上に価値のあるものを、あなたに捧げますよ」


 雇い主は履いている靴で石畳の地面をこつこつ響かせて歩いて、両目に包帯をした子どもの背後に立った。


「この子の前へ。この子の瞳をようく見てください」

「はあ?」


 わけがわからなかったが、サラは言われるままに子どもに近づいて目の前にしゃがんだ。


「いいですか? すごいものが見られますよ?」

「早くしろよ」


 雇い主は子どもの目を覆っていた包帯を解いた。あらわになったのは右目だけ。左目は閉じられたままだった。


 どこまでも白い綺麗な瞳だった。


「ふっ……!」


 不意に酸素が入らなくなった。いや、息ができない。何故だ。呼吸をしているはずなのに、していない。心臓がぎゅっと何かに握りつぶされるような感覚がして、さらに苦しさが増す。

 とにかく呼吸。呼吸をしなければ。だが、あれ? 呼吸ってどうやるんだ? そもそも心臓にどうして握られるような感覚があるのだ? だってこれではまるで。


 まるで、これから死ぬようではないか。


「がぁっ…………!」


 ドサッ、と。サラが前のめりに倒れる。しばらくぴくぴくと痙攣していたが、やがて数秒と経たずに動かなくなった。


 ふふっ、と小さな笑い声が響いた。


「金貨500枚より遥かに価値あるものでしょう。彼女の能力で死ねるのですから」


 雇い主だった男は、糞虫でも見るかのように軽蔑した目をサラへと注いだ。

 それから、連れの子どもの両目に包帯を巻き直す。


「無様ね。この程度で死ぬなんて」


 子どもが初めて発言をした。声だけでその場を凍りつかせるような、冷徹な響きだった。

 男はけらけらと笑った。


「ははっ、そう言ってやるなよ。君の魔眼に対抗できる人間なんて、居やしないんだから」

「でもあなたは対抗できてるじゃない。結局この盗賊の男は、新しい世界にふさわしくなかっただけでしょ? やはり無様なのよ」

「うん、そうかもね」

「ねえ、そんなことよりお腹が空いたわ。何か食べましょう?」

「そうだなあ。とはいえ、今は夜だし。酒を飲むバーみたいなところしかないよ、開いているところは」

「そこでもいいわよ」

「君は子どもだろう」

「うるさいわね。ほら、行くわよ」


 子どもが先に歩きだす。あんな薄汚い格好で夜の町中を歩かれてはたまらない。あくまで自分たちの活動は他に知られないことが肝心なのだ。


「わかったよ。なら私が用意しよう。だから町へ行くのはよしてくれ」

「わかればいいのよ」


 子どもは道を引き返して、男のもとまで戻ってきた。包帯の下にある唇がにっこりと弧を描く。


「さあ、行こう。次の仕事を探しに」


 男は子どもの手を引いて、暗闇のなかへ姿を消した。

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