第13話 崇高な目的。そして新たな旅へ――
戻ってきたソーヤによって振る舞われたお茶を、マリラは背を伸ばしたまま腕のみの動きで、さっと飲んだ。その自然な動きにシーナが見とれていると、ティーカップ越しから彼女と目が合った。
シーナは慌てて彼女から目をそらす。
「まず、あなたには今から言う2つの選択肢からどちらかを決めてもらわなければならないの」
マリラはカップをソーサーへ置きながら言った。そして、シーナの目の前で指を2本たてる。
「ひとつは津鷹や春野のように各地を旅する役割。もうひとつは自分の国に残り続けるのか。どちらかよ」
「旅……というのは、私が津鷹さんたちのように、不思議な瞳を持つ人たちを探す。……ことになるのでしょうか?」
「つまり、そういうことね」
隣に座っていた春野は、そっとシーナの横顔を見つめた。
シーナは目を伏せたまま、思い悩んでいる様子だった。だが、あまり驚いている様子はない。もしかしたら彼女は、こういうことになるのをある程度理解していたのだろうか。
同じ質問をされたとき、やはり春野も迷った。でも最終的に津鷹についていくことに決めた。この世界には「外」があり、そこは自分の知らないものがあふれるほどに存在する。それが魅惑的だったのだ。
別に、自分のような瞳を持つ人間たちを探して、保護しようなんて。津鷹みたいな崇高な目的があるわけではない。
「私は、」
シーナが口を開いた。
「この国に残ります」
「そう」
マリラは特に声のトーンを変えずにうなずいた。そこに残念という気持ちはないのだろう。あくまで、シーナの気持ちを優先させるようなやり方だ。
「あの……ごめんなさい」
「謝る必要はないわ。平気よ。よくいるのよ、そういう子は」
そしてまた、マリラはカップを持ち上げてさっと飲んだ。
「けれど、別にそれであなたを見限るわけではないの。この国に残ってまた今回みたいに盗賊に狙われたらということも、考えねばならない」
「……はい」
「だからあなたには、この図書館への入館権限をあげるわ。そこにいる、津鷹や春野と一緒よ。もし危ない目に合ったらいつでも頼ってらっしゃい」
「……はい」
「ただし、こちらが助けてほしいときは手伝ってもらうわ。そうでないと、割に合わないし」
「いえ、それは当然のことです」
それから、シーナは目線を津鷹と春野へ移した。
ぺこり、と頭を下げられる。
「ごめんなさい」
「え」
謝られるとは思わなくて、春野は呆気にとられる。
「どうして?」
同じく謝られた津鷹は、冷静に問いかける。
「あなたたちに助けてもらったにもかかわらず、その恩をこんな形で返すなんて」
「気にしていないよ」
津鷹はテーブルに置かれた皿から、クッキーを1つつかんで口に放り込んだ。
もぐもぐと口を動かしながら、話を続ける。
「俺たちの今回の目的は、あなたを保護することだった。あなたを仲間に引き入れるわけではないよ」
「そ、そうです! 私たちはシーナさんが無事ならばそれでいいのです!」
春野は津鷹の言葉に賛同するように、何度も首を縦に振った。
シーナはわずかに両目を潤ませ、「ありがとうございます」と言った。
「このご恩は一生忘れません。いつか必ずお返しします」
春野は帽子を目深にかぶり直した。
それは、いつもみたいに瞳を隠すためのものではなかった。ただ単純に、シーナに感謝の気持ちを向けられたことが恥ずかしくて嬉しかったのだ。
津鷹は、そんな春野の頭を帽子越しから優しく撫でてきた。
「シーナの決意はわかったわ。あなたのことは図書館に登録しておいたから、いつ来館しても大丈夫よ」
「登録って何かしたんですか?」
「この図書館は私で、私はこの図書館なの。だから私があなたを認識すればもうあなたはこの図書館協会の一員なのよ」
「はあ……」
もはや別次元の話だ。シーナはとりあえず「すごいですね」と締め括る。自分には縁のない世界だ。少なくとも、この魔眼と呼ばれる瞳を持っていなかったら、一生かかわることもなかっただろう。
さて、とマリラはソファから立ち上がる。
「話は済んだわ。シーナのお見送りをして、ソーヤ」
「はい」
マリラの後ろに控えていたソーヤは命令にうなずいて、シーナの隣まで歩いた。
「津鷹さんたちは戻らないのですか?」
「いや、戻るよ。けどその前に、おそらく次の任務の話だ。終わったらすぐに出発かもしれない」
「では、ここでお別れですか?」
春野は思わず津鷹を見た。ここでお別れとなると、次いつ会えるかなんてわからない。いや、もしかしたら雪の国・ネゴで体験したときのように、一生会えない可能性だってある。
せめてお別れだけでもしておきたいというのが、春野の本音だった。しかし決定権はおそらく津鷹にある。だから春野は黙って彼の指示に従うしかない。
「いや、そうでもないよ」
彼のその答えを聞いた瞬間、春野は自分でも気づかぬうちに安堵のため息をもらしていた。
「もう夜もだいぶ更けてるから、出発は明日になるだろう。夜盗の危険もあるわけだし」
津鷹は最後に、チラッと春野へ目を向ける。
もしかしたら自分の心のうちを、彼には見透かされていたのかもしれない。秘密がばれた気分で、春野は思わず視線をそらした。
マリラがくすくす笑う気配がする。
「というわけだから、もしかしたらシーナのところにお伺いするかも。一晩だけ泊めてほしい。宿泊代は払う」
「いいえ、そんな。命の恩人の方に宿泊代なんて」
「いや、払わせてほしい。どのみち宿の修繕費とかで大変だろう」
「ですが」
津鷹とシーナのあいだで何度か、払う、払わないの応酬が続いた。ソーヤはそんな2人を見てイライラしていて、マリラは笑ったまま何も言わない。
春野も宿代はしっかり払うべきだと思っているけれど、口を挟む余裕さえなかった。
そしていくらかのやり取りの末、結局シーナが折れた。
「わかりました。ですがいつか必ず、お礼をさせてください」
「ああ、もちろんだよ」
ようやく話を終えたところで、しびれを切らしたソーヤが口を挟んだ。
「おい、もういいか?」
「あ、はい。大丈夫です。すみません」
「ソーヤ、威嚇しちゃダメよ」
マリラが即座にソーヤに注意をする。
「してませんよ」
ぶっきらぼうに答えながら、ソーヤは先を歩いていって部屋の扉を開けた。シーナが先に部屋をでて、そのあとをソーヤが扉を閉めながらあとに続いた。
部屋が静かになってから、マリラは再びソファに腰を下ろした。
「次の任務を、言い渡すわ」
一変した空気に感化されるように、春野は思わず背筋をぴんとしてマリラに向かい合った。
***
宿へ戻ると、ロビーのカウンターでシーナが待っていた。
「おかえりなさいませ」
その挨拶に答えるべく、春野は慌てて頭を下げた。
「何か夜食でも作りましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
傷んだ床の上に置かれた長椅子に、津鷹と春野は腰をおろした。
宿の修繕はまだ終わっていない。血痕などは拭き取られているが、乱闘のあとを思わせるような
「あの、任務についてお聞きしても大丈夫ですか?」
シーナはカウンターからでてくると、春野たちの座っている席の正面の椅子に腰かけた。
「部外者だとは承知しているのですが」
「大丈夫だよ。何が聞きたい?」
「……そうですね。始めから終わりまで、といったら長くなるでしょうか。あなたたちは私のような不思議な瞳を持つ人たちを保護するために、旅を続けているのですよね?」
「うん、そうだね」
「そして春野さんは、あの塔の国の?」
その質問に、春野は一瞬戸惑った。だがもう隠す必要もないだろうと、自分に言い聞かせる。
春野は帽子越しからシーナの鼻のあたりを見つめながらうなずいた。
「……はい。僕は、シーナさんの推察通り、塔の国・トゥーロ出身です。そこを津鷹に保護されて旅を続けています 」
「では、その桃色の髪。やはりあなたはトゥーロの第一皇女さまですか?」
「はい」
「どうりで。食事の召し上がり方といい、振る舞いといい。庶民とは程遠い様子でした」
「あ。でももうあの国の皇女でもなんでもないのです! 敬語もなくて平気です」
「…………」
シーナが困惑したような気配を見せる。
隣にいた津鷹が口を開いた。
「そうしてあげてほしい。それが春野の望むことだから」
「……わかったわ。けれどどのみちあなた方はお客様ですし」
「そういうのも気にせず。今はあくまで対等な立場として話をしているから」
「わかったわ」
シーナが一度、深呼吸をした。
「他にも色々な国をまわってきたのね」
「うん、そうだね」
「僕はまだ全然です」
「それでもすごいわ。私はそんな勇気なんてなかったから……。私は本当の両親を見つける勇気さえなかった。捨てられたのよ、昔」
捨てられている。
その一言は、春野の胸を強く打った。似たような経験を持っていたからだった。
ただ、シーナとは違う。自分は塔のなかに閉じ込められていただけ。両親の顔を見たことはあまりなかったけれど、それでも国の庇護下。あるいは両親の庇護下にいたのだから、捨てられたわけではなかった。
「私は両親が迎えに来るのを、ずっと待っていたわ。でも迎えに来なかった。だからもしも大きくなったら、両親を探す旅にでようと考えていたの。何年かかってもいい、いつか本当の両親に会って、産んでくれてありがとう、こんな娘でごめんなさいと言おうと思って」
でもできなかった、とシーナは続けた。
「ここにいる両親が大切だったからというのもあるけど、きっと本当は怖かった。もし本当の両親に会ったとして彼らは私のことを覚えているかしら。あるいは私のことを記憶から抹消したのではないか。色々と考えて、怖くなって。旅にでることを諦めてしまったの」
「シーナさん」
思わず春野は名前を呼んだが、その先をどう言えばいいのかわからなくなって黙り込んだ。何が言える? 何も言えない。春野が旅にでた理由はただ1つ、自分の知らない世界を見てみたいがゆえだった。
だからそこに崇高な目的があるわけではない。
「もし」
春野が何も言えずに消し去った言葉の続きを、何故か津鷹が続けた。シーナはもちろん、春野も思わず彼を見た。
「俺たちが今後行く国にシーナさんの両親がいたら、娘さんは元気にしていると伝えておくよ」
「……ありがとうございます」
シーナは苦しげな顔のまま、ゆっくりと頭を下げた。
寝室へ向かう前に、シーナから「次はどこの国へ向かうの?」と聞かれた。
「鍵の国だそうだよ」と、津鷹は隠すことなく答えた。
「――そう、ですか」
シーナが一瞬、戸惑ったような気がしたことに春野は気がついた。
おそらく津鷹も気がついたのだろう。「どうかした?」と聞き返す。
「いえ。大したことではないのだけど」
シーナはしばらく黙ってから、口を開いた。
「その国には気を付けた方が良いわ」
「何故?」
津鷹の質問に、今度は間を置かずにシーナは答える。
「鍵の国・シュロジーロは、入国したが最後、決してでられない国と言われているから」
ナザール暦 3100年4月
fin
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