第11話 反撃

 30分ほど前。


 シーナが目を覚ました場所はどこかの路地裏だった。目に映るのは地面だったからわからなかったが、厨房の隠し扉を開けるといつもするカビくさい匂いにそれはよく似ていた。

 自分は今、どこにいるのだろう――。体を起き上がらせようとしたところで、頭の後ろに鈍痛が走った。きっと気絶する前に殴られたせいだ。仕方なく体から力を抜く。

 今、ここで暴れても何のメリットもない。体が宙を浮いていて、さらにお腹のあたりに硬い感触がある。おそらく、自分は誰かに担がれているらしい。


 鼻につくようなすっぱい臭いと、鉄の臭いがうっとうしかった。


 いったい自分はどうなったんだろう。おじいさんは? おばあさんは?

 何か考えようにも、頭が痛いせいで何もまとまらない。だからこそ、変に冷静でいられた。怪我を負わされて気絶した2人の「両親」のことばかりが頭のなかをよぎる。


 本当は今すぐにでも、彼らを助けにいきたい。無事を確かめたい。打ち所が悪くて死んでいたらどうしようという、不安要素が消えなかった。だって彼らは、結構な年寄りだ。本格的に仕事ができなくなる前に、そろそろ隠居したらどうかとこのあいだ提案したとき、おじいさんは頑固にも「まだ大丈夫だ」と言っていたけれど。その上、「お前はまだ子どもだから、お前が一人前になるまで続ける」と言い切っていたけれど――。


 でもここで暴れたら、もっとひどいことをされる。


 どうして自分はこんなところで無様につかまっているのだろう……。


 これではあの旅の人たち――津鷹と春野の言った通りになってしまった。

 あの2人は言っていた。


 ――このままではねらわれる。

 ――人さらい、あるいは敵。


 敵とはなんだろう。津鷹という、眼帯の青年が言っていたその言葉がどうにも気になる。

 まさかこいつらが、その敵……だったりするのだろうか。


 どうしよう。もしも敵だったら自分は助かるの? いやだ死にたくない。売られたくない。「両親」のもとへ帰りたい……!

 誰か見つけてほしい。


 そう願っても、助けが来ないのはなんとなくわかっていた。

 待ってばかりでは駄目なのだ。シーナは自分が「両親」に拾われたときのことを思い出す。

 ずっと、待っていた。両親が迎えに来るのを。「ちょっと待ってて」と言われた言葉を素直に信じたばかりに。

 まだ物心がつきかけた子どもが「待ってて」なんて大人に言われたら、そりゃ素直に従うだろう。だってそこにいる大人は――産みの親は、子どもにとっては世界の全てだから。

 でも、待っていたから迎えに来なかった。待っていたから独りになってしまった。


 ――でも、待っていたおかげで「両親」が助けてくれた。


 自分はもう、大人だ。「両親」がいくら「子ども」扱いしたって、大人なのだ。

 助けをただ待っているだけでは駄目だ。それだけでは自分は、何の進歩もなくなってしまう。


 シーナは気づかれないように自分のことを担いでいる男を盗み見た。鼻をひくつかせると、先程からわずかに香る鉄の臭い――。

 臭いのもとをたどろうとすれば、男の手にはわずかな血が流れていた。先程の攻防で切ったか、切られたか。

 シーナは落ちていく血液を見つめながら、ゆっくりと両目に意識を集中させていく。

 ぽとり、と血が地面に落ちた。

 男は気がついていない。

 シーナはもう一度両目に意識を集中させる。

 血がまたもぽとり、と落ちる。

 そうして歩いてきた道のりの目印をどんどんつけていく。


 誰かに見つけてもらえますようにと、願いながら。



 そのうち、男たちは立ち止まった。シーナは気づかれてしまったかと慌てて目を閉じて、気絶したふりをする。誰かが地面をコツコツとたたく音が聞こえた。

 何をしているのだろうと、シーナはうっすらと目を開ける。暗がりの地面にわずかに空洞があるのが見て取れた。――いや、違う。そこから人の姿が見えている。下水道だろうか。なんともいえない異臭がそこらにただよいだし、シーナは思わず息を止めた。

 地下から顔をあげた人と、シーナをここまで連れてきた男たちの1人が何事か話している。声が小さくてよく聞き取れない。耳をすましてもっとよく聞こうと男たちの口の動きなどに注意していると、会話はそこで終わった。

 男たちが地下への移動を始める。


 もしもこのまま地下に行ってしまったら、ここまでの目印も無駄になってしまう。


 シーナはすぐさま瞳を光らせて血を落とそうとした。

 そのときだった。


「おい、こいつ目が覚めてるぞっ!」

「――っ」


 シーナの瞳の、わずかな輝きに気付いたのか仲間の男が声をあげる。その声に気付いて他の仲間たちがいっせいにシーナを見てきた。

 シーナを担いでいた男が拳にした手を彼女へと振り上げる。


「っ」


 反射的にシーナは男の腕をにらみつけて、向かっていく拳を反転させた。

 突如、拳は無理やりに進路を変えられて男の鼻へと飛んでいく。


「がっ……!」


 男は自らの拳を強く受け、鼻から血を流して倒れた。

 男の腕がゆるんだその隙に、シーナは地面に足をつけて走り出す。


「待ちやがれっ!」

 

 立ちふさがる男たちの1人をねらうようににらみつけ、シーナは片手をあげてそのまま勢いよく振り下ろす動作をした。

 男はシーナの手の動きに合わせるように空中に浮かび、それから地面へひどくたたきつけられ、ぐしゃっとつぶれたような音をたてる。

 開けた包囲の隙間を通り抜け、シーナは走る。


「こいつっ!」


 後ろで男たちが追いかける気配がする。けれど振り向いている暇はなかった。

 喧噪に目を覚まされたのか、野良犬の遠吠えがどこかで聞こえた。だが人の気配はない。いったいここがどこなのかわからないが、生きているものの気配が感じられなければ、そもそも人気もない。

 どこか明るい場所に出なければ、きっと自分に気付いてもらえない。

 自分が果たして来た道を戻っているのか、それとも違う道を走っているのか、シーナにはわからなかった。足元においた血の目印を見ている暇さえない。

 近くに見えた曲がり角を曲がろうとしたそのとき、発砲音とともにシーナの鼻先を何かがかすめた。


 ジリッと焼かれるような痛みに驚いて振り返ると、男たちが拳銃を構えている。初めて目にする拳銃にシーナの足は石のように固まってしまった。


 どうしよう、どうすればいいのだろう。

 曲がり角はすぐそこだった。きっとあそこを抜ければ表の通りにでられるかもしれない。もう、目と鼻の先なのに……!


 男たちはじりじりと距離を詰めていく。その瞳は「勝った」と言いたげにぎらぎらと輝いていた。


 ここで逃げようとしても、彼らが引き金を引けば命はない。

 彼らの気分次第で、いくらでも。


 誰か、誰かいないのか。自分を助けるために手を伸ばしてくれる誰か。

 せめて、あの目印に誰かが気付いてくれたら。


 シーナは素早く周囲に視線をめぐらせる。何か、せめてこの場を切り抜けるための打開策はないか。石ころ1つでも良い――。

 シーナの目の動きに気が付いたのか、カチャ、と銃を持ち上げる音が聞こえた。


「おっと。妙な動きをしたら、こいつでぶち抜くぞ」


 その声は聞き覚えのあるものだった。暗闇になれた目をこらすと、そこにはくすんだ金髪の男――サラが立っていた。


「サラさん……、あなた、どうして……」


 絶句するシーナに、サラは下卑た笑い声をあげる。


「俺は商人なんだ。後ろにいるのは仲間たち。そりゃ、ここにいるのは当たり前だろう? ま。商人は商人でも、人間を売買するための商人だがな」

「――っ!」


 では、サラが今まで宿に泊まっていたのは自分をさらうための算段をつけるためにしていたということだろうか。


 体じゅうに悪寒が走る。

 まずい。恐怖で体を震えさせては。私が身につけているこの魔眼というものは、自分で制御することができる代わりに感情の振れ幅で発動できなくなってしまう。


 落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け――!


「おい、引き金は引くなよ。依頼人からはなるべく無傷で連れて来いと言われているんだからな」

「へいへい、わかっていますよ」


 後ろにいる仲間に注意をされ、サラが面倒そうに答えた。

 目線が自分からわずかにそらされたのを見て、シーナは咄嗟に身をひるがえして駆け出した。


「――っ、待ちやがれ!」 


 気付いたサラが引き金を引く音――。

 続いて、パァン、と渇いた音が夜闇に埋もれた路地裏に高く響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る