第10話 追い出されて
荷物をまとめて宿をでるあいだ、ずっと老夫婦たちの監視の目があった。彼らは常にシーナの前に立ち、それが彼女自身を春野たちから守るせめてもの抵抗のようにも見えた。
宿泊客の何人かが騒ぎを聞き付けたのか、野次馬のようにやってきたので、春野は帽子を目深にかぶって顔を隠さなければならなかった。
宿をでると、その扉は強い音をたてて閉められた。まるで建物そのものから「拒絶」されているような気がして、春野は深く傷ついた。
津鷹が歩きだし、春野は追いかけた。津鷹は何も言わない。春野のせいで任務に失敗したのに、それをとがめることさえしなかった。
おそらく自分は舞い上がっていたのだ。雪の国・ネゴでの一件で初任務をうまくこなせたから、きっとシーナのところでもそれほど苦労せずに終えられるだろうと、楽観視していた。
これは大事な任務なのだ。この世界にいる、魔眼を持つ人たち全員を救うための。津鷹やマリラたちの恐れる「敵」というものがまだ自分にはよくわかっていないけれど。でも、自分のことを故郷の塔から救いだしてくれた恩人である彼らのためになることを、春野はしたかった。
春野は意を決して津鷹を早足で追い越すと、彼の目の前で立ち止まって深く頭をさげた。
「すみません……。僕が、しくじったせいで……」
頭をさげてから、あげられないことに気が付いた。
春野としては、本当はこんなつもりではなかった。ちゃんとわかりあって、互いの気持ちを尊重しあって、その上で今後どうするか話し合うつもりだったのだ。
もしも自分がシーナのたった一言で心を乱さなければ、あんなことにはならなかったのに……。
津鷹の口が開く気配がしたとき、何を言われるだろうかと春野は目をつぶって身構えた。
「――気にすることはないさ」
しかし津鷹は責めることなく、むしろいたわるように。春野の頭にぽんと手を置いた。
さらに頭を優しく撫でまわされたため、春野の頭はぐるぐるまわる。帽子までもがずれてしまって、春野は「わっ、わっ、わっ」と小さく叫んだ。
津鷹はしゃがみこんで、春野の顔を覗いてくる。
その白色の優しいまなざしは、まっすぐ春野を見つめていた。
「俺の作戦にも穴があった。もっと他に平和的なやり方もあったはずだ。むしろ春野には余計な負担をかけてしまって、すまないと思ってる。悪かった」
「い、いえ……」
春野は反射的に目そらした。
それは別に、彼と目を合わせたことを恐れたからではなかった。ただ、恥ずかしかったのだ。
彼との距離は、いつだって心地よい。目をあわせるということに恐怖を覚える自分に、唯一安らぎを与えてくれるのが津鷹という存在だ。
だって彼は、どんなに見つめあっても石にならないから――。
「さて、これからどうしようか」
立ち上がって歩き出す津鷹のあとをついていきながら、春野も「どうしましょうか」と同じ言葉を繰り返す。幸い、この国は「宿の国」と呼ばれているだけあって、宿ばかりが存在している。きっとこれまでみたいに野宿の心配をする必要はないだろう。
夜もだいぶ更けてきたが、どの建物にもいまだにほのかな明かりが灯っていた。そのおかげで比較的安全に歩くことができる。
「図書館に行ってみる、というのはどうでしょうか? 今の時間なら閉館中ですし、巻き込まれる人もいません」
「そうだね、それもありだ」
人気のない夜の道を、津鷹と春野は歩き続ける。あたりは2人が石畳を踏みしめる音があるくらいで、いたって静かだ。時折虫の声が聞こえている。
ロガードの図書館の場所がどこにあるかは、昼間のうちに確認を済ませてあった。あとは向こうにいるマリラの許可さえ得られれば、道を繋いでもらうことができる。
「でもまだ頼らないほうがいいだろうな。この状態で行ったら、マリラはともかくソーヤがどんな顔をするかわからない」
苦笑いを浮かべる津鷹の横顔を見ながら、春野は、ボサボサ髪に藍の目をのぞかせた少年のことを思い出していた。彼――ソーヤはいつもぶっきらぼうで、特に津鷹にはとても冷たい態度をとる。
たぶんそれは、津鷹がマリラに対していつも軽い調子で接しているからだ。ソーヤはきっとそのことが気に食わないのだろう。だって彼はマリラのことを「マリラさま」と呼ぶくらいだ。尊敬しているのだろうなというのはその呼び方と雰囲気だけで充分に伝わる。
でも、春野はちょっとだけ不満だった。だって津鷹は自分にとって。ソーヤにとってのマリラみたいな人なのだ。きっと自分とソーヤは似ている。だから大切な人を目の敵にするようなソーヤが苦手だった。
「あれ?」
不意に津鷹が、ポケットに手を入れたまま立ち止まった。
「津鷹?」
いつの間にか津鷹が隣にいないことに気が付いて、春野はすぐさま戻った。彼はポケットに入れていた拳を取り出した。それを開くと、そこには鍵があった。
「それは?」
「鍵だ。宿の部屋の」
「えっ」
津鷹は鍵を握ってポケットにしまうと、「戻る」と言った。そのまま彼は回れ右をする。
「ぼ、僕も行きます!」
「待ってていいよ」
「いいえ、行きます」
頑固に首を横に振ると、首だけわずかに振り返った津鷹は、「わかった」と言うなり、どんどん歩きだした。春野は慌てて津鷹のあとを追った。
石畳の道は足への負担がひどく、すでに走るには疲れていた。日がのぼっているあいだずっと歩いていたから疲労が余計にあったのかもしれない。けれど急いでいる津鷹に向かって、「待って」なんて言えない。正直、またシーナにあって大丈夫なのかという不安はあった。
ただ津鷹の背中を追い続けた。彼はいっさい春野を振り返ってこなかった。
もうすぐ宿のあるあたりに着くというところで、人々のざわめく声が聞こえた。
こんな夜に? いったいどうしたのだろう。
いぶかしんでいると、津鷹の足がようやく止まった。春野も止まろうとしたところで思わず「あっ」と叫んでしまう。
人々のざわめきの中心は、シーナの宿の前だった。何かあったのか、そこには昼間の騒動で見た警官たちもいた。
「いったい何が……」
津鷹は近くにいた野次馬の女性に事情を聞いた。
「何かあったんですか?」
「……それが、強盗にやられたみたいなの。中にいた宿の主人と客が何人も怪我をしたって」
シーナ! とっさに春野は彼女のことを思い出した。
もしかしてあの人も、強盗にやられたのだろうか。春野は唾を呑み込みながら、津鷹と女性の会話に必死に耳を傾けた。
「皆さんは無事なんですか?」
「宿の主人の奥さん――年老いた女の方なのだけど。彼女は頭から血がでて重症みたい。でも、命に別状はないみたいよ。ただね、どうやら人もさらわれたみたいで……」
「ちなみに、誰が?」
野次馬の女性はあたりをキョロキョロ見渡してから、こそっと内緒話でもするかのように津鷹の耳に口を寄せて言った。
「この宿の主人の1人娘よ。たしか名前は――、シーナって言ったかしら」
「シっ……!」
思わず叫びそうになって、春野は慌てて口を両手でおさえた。女性がこちらを見てきたので帽子を深くかぶり直して津鷹の背中に隠れる。
「わかりました。ありがとうございます」
津鷹は女性に礼を言うや、人混みを掻き分けて前に進みだした。
「ちょ、ちょっと!」
「津鷹!」
女性と春野が慌てて止めに入ろうとするが、津鷹は人混みをずんずん進んでいく。春野は慌ててあとを追いかけた。
やがて人混みが晴れ、春野の視界には宿の前に門番のように立つ警官と津鷹の姿が発見できた。
無理にでも宿に入ろうとする津鷹に、警官が彼を止めに入る。
「何してるんだ! ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
「俺たちは関係者です。ここの宿に宿泊していました」
怒鳴る警官に津鷹は落ち着いた声で返す。春野は津鷹の後ろに走っていって、警官に向かって「宿の鍵を、返しにきたんです!」と告げる。
しかし警官は「入っちゃいかん!」と頑として聞き入れない。
正直な理由を告げたのに通じないのだったらと、春野は警官のあいだを縫って強行突破に踏み切った。一刻も早くシーナのことを知りたかったからだ。
「ちょっと! こらっ!」
警官は春野を慌てて連れ戻そうとするが、それより早く彼女は宿に足を踏み入れる。そして彼女に気をとられているうちに津鷹も一緒になって宿に入った。
視界に入ってきた宿の惨状を見て、春野は愕然とする。先ほどまで泊まっていた宿と同じとは思えないくらい、中の様子は異常なほどに様変わりしていた。
壁や床は切り刻まれた痕が複数残っていてぼろぼろ。さらに机や椅子やらが倒され、あたりには割れた花瓶や本などが散乱していた。よほどひどい乱闘でもあったのか血の痕も見られる。
津鷹と春野がこの場を離れたのはほんの20~30分くらい前のはずだ。だというのに、ほんの短時間でこの場でいったい何が起こったのか。
実地検分をしていた警官たちが、入ってきた春野たちに気がついて、慌てて駆け寄ってくる。
「こらっ、入っちゃいかん!」
しかし彼らを無視して、津鷹はずかずかと遠慮なしに宿を歩きだす。何か目的があるのか、宿の惨状にはいっさい目を向けず、向かってくる警官たちを押し退けて部屋の奥まで歩いていった。
警官たちはあまりの図々しさにあっけにとられている。その隙に春野は津鷹のあとを追いかけた。
彼は厨房にいた。
「津鷹」
声をかけると、彼はこちらをわずかに向いたまま、厨房の壁をとんとんと叩いた。
するとそこがわずかに開いた。
「あっ」
春野だけでなく、あとを追ってきた警官たちも驚く。
「俺たちがここに来るまでの時間、あるいは警官たちがここに着くまでの時間。そんな短い間に誰の目にも触れることなく、表の道から抜け出すのは無理だ。だったら別のドアからでればいいだけだ」
言うなり、彼は外へと歩きだす。春野はすぐさまあとを追いかける。ある意味で部外者であり関係者である彼らを咎めていた警官たちも、我に返ってそのあとに続いた。
外はどうやら建物の裏の道に続いているらしく、あたりはひどく真っ暗だった。月明かりさえも入ってこないため、周囲がどうなっているのかまったくわからない。
春野は不安になって「津鷹」と彼の名前をまた呼んだ。
「こっちだ」
声があがったほうに近づいていくと、だんだんと目が暗闇に慣れてきて、そこから津鷹が姿を現した。
春野はほっと息をついて彼の手を握った。
「これが見えるかい?」
津鷹が足元を指差す。つられて春野とついてきた警官たちがそちらに目を向けると、そこには倒れたゴミ箱があった。
さらに、中にあったと思われるゴミはあちこちに散乱している。
「誰かが倒したのでしょうか?」
「もっとよく見て」
春野は、鼻をひくつかせた。なんだか、嗅ぎ慣れないにおいがしたのだ。それは鉄っぽいにおい。金属のゴミでも落ちているのかと思ったが。
津鷹は春野から手を離すと、ポケットからマッチを取り出してそれに火を灯した。ぼうっとした小さな明かりがゴミ箱のあたりを照らす。
照らし出されたあたりには、何かの染みがあった。――いや、これは血の痕だ。しかもついさっきつけられたものなのか、だいぶその赤は濃い色をしていた。
「あっ!」
警官たちも血痕に気がついて、春野の小さな声に「これはっ!」と声を重ねた。
驚く春野たちを前にして、津鷹はやはり冷静に告げた。
「もしかしたらまだ近くにいるのかもしれない。急ごう」
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