第9話 「家族」

 シーナにとって「両親」とは、「おじいさん」と呼んでいる老人と「おばあさん」と呼んでいる老婆だった。


 シーナにとっての1番古い記憶というのは、どんよりと曇った空とその空を隠すように視界に立つ、若い男女だった。若いといっても、10代ほどではない。大人だけどまだ大人になりたて、くらいの頃だったと思う。あまり覚えていないけれど、彼らがならば、大人になりたての大人は、ある程度的を射ていると思う。


 そしてある日シーナは、その「本当の両親」に捨てられた。たまたま訪れた国で「ちょっとのあいだだけ待っててね」という両親の言葉を当たり前のように受け入れたばかりに。


 幼いうちは、世界じゅうのあらゆるものが自分を愛してくれていると錯覚している。本当はそんなことあるわけもないのに。だから幼いシーナは「両親」が自分を愛してくれていると思っていた。

 しかしだからこそ、「両親」の本当の気持ちは常にシーナを恐怖の対象として見ていたことをシーナは気づいていなかった。


 何故怖いのか。それはシーナが物を見つめるだけでそれを動かせる能力を持っているからだった。


 人間が本来持つべきでないものをシーナは持っている。つまりそれは「人間」の皮を被った「化け物」にすぎないのだ。

 だからシーナは捨てられた。とある国のとある場所で。寒い冬にコートも羽織らせてもらえず、どこにでもあるようなシャツにスカートといった状態で。

 けれどシーナは待った。待ち続けた。風の強い日も、雪の降る寒い日も、熱い日差しが照りつける日も。ただただ「両親」の「ちょっとのあいだだけ待っててね」という言葉を守るためだけに。


 ある日、声をかける者があった。


「お嬢ちゃん、1人かい?」


 しわくちゃの顔をした老人と老婆が目の前に立っていた。

 シーナは首を横に振って、「ママとパパをまってるの」と答えた。

 老人と老婆は顔を見合わせている。どうしてだろう、とシーナは首をかしげる。だって2人の顔はまるで、シーナの言葉が意外なものと感じているかのようだったから。

 再びこちらを見た老婆は、にっこりと人の好い微笑みを浮かべていた。


「よければお嬢ちゃん、私たちと一緒に来ないかい?」

「しらないひとについてっちゃダメって、ママが」

「じゃあ、ママとパパが迎えに来るまで、うちに来ないかい? ここじゃあ昼間は暑いし、夜は冷える。屋根のある場所で待っていたほうがいい。このままでは風邪をひいてしまうから」


 たしかにそれもそうだ、とシーナは思った。何せここには雨宿りをするための屋根もない。昼間は暑いし、夜は寒いし。電気だって街頭しかないから暗くて寂しい。

 シーナはうなずいた。


「儂らの家は宿をしている。遠慮せずにいくらでもいるといい」


 それまで黙っていたぶっきらぼうな老人が最後にボソッとつぶやいて、シーナの小さな手をとってきた。


 本当の「両親」は、結局迎えになんて来なかった。

 自分は捨てられたんだと知ったのはもっとしばらくあとのことだったけれど、それでもシーナは寂しくはなかった。

 だってここには厳しいけれど優しい「両親」がいたから――。


***


 宿をでていく津鷹たちの背中を思わず追いかけようとしたシーナは、おじいさんの「シーナ!」と呼ぶ声に足を止めた。

 振り向いておじいさんと目が合うと、彼のいかった顔が少しだけ和らいだ。


「大丈夫か?」

「……ええ」


 この人たちは自分を守ってくれているのだと、シーナは知っている。悪い人たちから自分を守って、そして血が繋がらないのに「家族」として見てくれて、「娘」と言ってくれた。


 騒ぎを聞き付けてやってきた他の宿泊客たちにおばあさんが相手をしてくれている。「お騒がせしてすみません」という声が聞こえた。

 おじいさんは杖をつきながら扉に近づいて閂を差す。

 それからシーナのほうへ向き直ると、彼にしては珍しく優しい目をシーナに向けてくれた。


「早く寝なさい」

「――おじいさ」


 シーナが口を開いたそのときだった。

 扉をドンドンと強くたたく音が聞こえた。拳で強く、やけに焦っているかのようなたたき方だった。おじいさんの顔がしかめ面になる。

 もしかして津鷹たちが引き返してきたのだろうか。シーナは身をこわばらせて、扉を見つめる。扉をたたく音はやまない。けれどシーナもおじいさんも扉を開けようとは思わなかった。

 

「お客様かもしれませんよ」


 宿泊客たちをさがらせてから、おばあさんが声をかけるが、その声は扉の向こうにいる誰かに聞かれまいと小さくささやくような声だった。彼女も津鷹たちが戻ってきたかもしれないと危惧しているのかもしれない。

 シーナは口のなかが乾いていくのを感じながら、おじいさんの横を通り過ぎて扉に手を置いた。緊張しながら「どちらさま?」と声をかけると、扉の向こうからダミ声が聞こえてきた。


「客だぁ」

「あ、は、はい。ただいま」


 声は津鷹のものでも、あの春野という少年のような少女の声でもなかった。そのことにホッとしながらシーナは閂をはずして扉を開けた。

 扉の向こうにはみすぼらしい格好をして、ボサボサの髪と無精ひげを生やした、目のよどんだ男がいた。彼だけじゃない。彼の後ろにも似たようなみすぼらしい格好をした男たちが3人ほどいた。身なりがちゃんとしていないせいなのか、まるで泥を頭からかぶったようなにおいがしてシーナは一瞬、顔をしかめかけた。

 しかし相手はお客様だ。そんな顔をしては失礼きわまりない。シーナはお客様に向ける笑顔を、いつものように顔に貼り付けた。


「よ、4名様……ですね」


 声は震えていたかもしれない。


「そうだぁ」


 シーナは後ろにいるおじいさんとおばあさんに目配せをする。彼らはそれぞれうなずいて、おじいさんは厨房に歩いていき、おばあさんは2階への階段を昇り始めようとした。そのときだった。

 男がシーナの髪を乱暴につかみ、強く後ろに引いてきた。


「キャアッ!」


 思わず悲鳴をあげたシーナの声に気が付いて、おじいさんとおばあさんがほぼ同時に振り返った。シーナの体は強く床にたたきつけられ、その隙にドカドカと他の男たちが宿の中へ入ってくる。


「シーナっ!」


 駆け寄ろうとしたおばあさんの顔を1人の男が強く殴る。おばあさんの小さな体は壁まで吹っ飛びそこに激突した。


「おばあさんっ!」


 壁にあたって床に落ちたおばあさんは静かにうめいて、それきり何の反応も示さなかった。


「貴様らっ!」


 肩をいからせ、顔を真っ赤にしたおじいさんが杖をつきながらおばあさんを殴った男に向かっていく。しかしそれを他の男が杖を蹴飛ばしておじいさんを転ばせると、肘で強く彼の背中をたたきつけた。

 おじいさんは床にのびた。


「――っ!」


 シーナにとっての、2人の大事な「家族」が。


 一瞬にしてシーナの頭には血がのぼる。その怒りに呼応するように彼女の瞳が強い輝きを帯びた。


「おいっ!」


 シーナの変化に気が付いた男の1人が慌てて仲間に声をかけるが、一歩遅く。すでに「家族」に怪我を負わせた仲間の2人は宙に浮いていた。


「ひぃぃぃっ!」


 何としてもこの男たちを倒さなければいけない。シーナの心にうまれたのは、怒りだった。こいつらは敵だ。だったらそれを倒すためにすべきことは――!


 情けなく悲鳴をあげる男たちを、シーナは手を振りかざして横に薙ぎ払うような仕草をする。すると男たちはそれに操られるかのように、次々に体を壁にたたきつけられた。

 騒ぎを聞きつけて、再び他の宿泊客たちがドタドタと激しい音をたてて階段を駆け下りてくる。


「ば、化け物ぉっ!」


 悲鳴に似たような叫び声が響き渡る。だが、シーナの怒りはおさまらない。

 自分が化け物ならば、突然現れてシーナの大切な「両親」に怪我を負わせたこいつらはいったい何なのか。


 こいつらこそ、化け物だ。


「こいつっ!」


 背中に携えていた斧を振りかざそうとした男にも目を向ける。瞬間、彼から引っ張られるように斧が手から離れ、それは宙をぶんぶん回りながら、床にささった。

 それを「目」を使って床から引き抜き、男たちにふりかざそうとしたそのときだった。


「どうしましたかっ!」


 やってきたのは宿泊客の1人だった。くすんだ金の髪を持つ男。名前はサラ――。

 彼は玄関のありさまにあっけにとられる。

 そして何より、宙に浮いている斧と、瞳を輝かせてそれを注視しているシーナを見て驚いていた。

 思わず動きを止めるシーナ。斧は床に激しい音をたてて落ち、再び刺さる。


 その隙をついてシーナの瞳が塞がれ、後頭部に強い衝撃がくわえられた。

 狭まった視界に、わずかながら星が散る。


「――かはっ」


 塞がれた視界の隙間から、わずかにおじいさんとおばあさんの姿が見えた。


 この2人を、なんとしてでも助けなければ。


 だが、そこから抜け出そうにも視界は狭まっていくばかりで、もうそれ以上何も考えることができなかった。

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