第4話 1枚の絵

 ソーヤが戻ってからまた少し話をした。

 お代わりのお茶がなくなりかける頃、津鷹の「そろそろ出ようか」という言葉に春野は顔をあげた。もう行くのかと思った。

 いったいここへ来てからどのくらいの時間が経ったのだろう。思わず目を壁に向けるが、そこには時計もなければ外の世界を知るための窓もない。時の経ち方がこの空間は曖昧だ。だからここへ来るとその感覚を忘れてしまいそうになる。


「今度の旅もどうか気を付けてね」


 マリラは席から立ち上がって、また猫足の机に腰かけた。バイバイ、と振られた手に春野は小さく手を振った。

 部屋を出てからソーヤを先頭に来た道を戻った。道なりにある蝋燭の灯が暗い廊下にゆらめいていた。

 扉の前に立つと、ソーヤは身を引いた。反対に津鷹が前にでて、取っ手に手をのばす。それを引こうとしたところで、ソーヤが「おい」とぞんざいに声をかけてきた。

 津鷹が最初に振り向いて、つられるように春野もソーヤを見た。彼は不機嫌な態度を崩さないまま、春野をにらみつけてきた。

 その態度に委縮していると、彼から思いも寄らない言葉をかけられた。


「気を付けていけよ」

「……あ、はい。ありがとうございます!」


 まさかいたわってもらえるとは思わなかったので、春野は驚きながらもお礼を言う。

 最後にソーヤは津鷹をにらみつける。


「あまり春野に無理をさせるんじゃないぞ。あとこれ」


 彼はポケットからピッと音をたてて、1枚の折りたたんだ紙を津鷹に渡してきた。


「ああ、ありがとう」


 津鷹は微笑みを浮かべながらソーヤからそれを受け取った。どうやら彼はその紙が何なのかわかっているのだろう。

 春野にはわからなかったから、あとで彼に聞こうと思った。


 春野はソーヤの背中の向こうにある、あの部屋に続く道をもう一度見つめた。この一本道には背後にある扉以外のそれがどこにも見当たらなかった。ただ、蝋燭によって寂しく照らされた闇があるだけ。

 いったい、ソーヤはどこの部屋でお茶を持ってきたのだろう。


 それとあと。1番の気がかりはマリラのこと。彼女はこんなところにいつまでもいて、寂しくないだろうか。

 ひとりぼっちのつらさや悲しみを、春野は知っている。誰にも相手にされず、誰にも存在を認識してもらえない。そんなつらさを。

 けれど大丈夫なのかもしれないと思う自分もいる。だってここにはソーヤがいるから。彼はいつもつっけんどんな態度をとってきて、マリラに逆らう人間には容赦しないけれど、今ねぎらってくれた態度を見るに、案外根は優しいのかもしれない。いや、きっとそのはずだ。


「春野、外に出たらきっと寒いよ。ちゃんとコートを着直した方がいい。マフラーもね」

「は、はい!」


 春野は慌ててうなずいて、津鷹の言いつけ通りにコートのボタンが全て留めてあるのを確認して、マフラーを口元が覆えるほどに巻き直した。キャスケット帽もしっかりかぶってあるか手を当てて確認する。

 最後に、春野はコートのポケットに触れた。固い物があたる。外から見ると少しだけ膨らんでいるそこには、先ほどマリラからもらったメガネの入った箱が入っている。

 これもお守りにしよう。大事な、大事なお守りに。


「準備はいい?」


 コートを着直していた津鷹がもう一度その目で春野を見てくる。視線を合わせた春野は緊張しながらも、「はい」とうなずいた。


「じゃ、行こうか」


 津鷹は左目にしてある眼帯の位置を直してから、ドアノブに手をかけた。


***


 それから2人は雪の国・ネゴから宿の国・ロガードまでの長い長い道のりを徒歩と馬車とで目指してきたのだ。

 津鷹は春野がいれてくれたコーヒーに口をつけながら、窓の向こうに沈むロガードの夕日を背景に1枚の絵を眺めていた。そこには先ほど津鷹たちをこの部屋まで案内してくれたシーナという女性の顔が描かれている。

 それが「協会」をあとにする前にソーヤが渡してくれたものの正体だった。


「春野」

「はい、何でしょうか?」


 部屋の隅でトランクの中から荷物をだしていた春野は顔をあげて、津鷹に応じた。

 津鷹は手にしていた絵を春野へと見せる。


「彼女、どう見る? 能力的に」


 春野は部屋が暗くなっていることに気がついて、まず部屋の電気を点けた。人工的な明かりがパッと部屋を明るくする。ここ最近ずっと見てこなかった明るさだった。あまりのまぶしさに視界が一瞬ぼやけたので、すぐさま両目をしばたたいた。

 それから春野は津鷹へと近づくと、彼がこちらに向けている絵をもう一度よく見てみた。そこには実物で見たのと同じシーナの顔がある。

 さすがソーヤだと春野は思った。描かれているシーナの似顔絵は実物と見紛うほどによく描けている。色は黒のみだったが、サラサラの髪に優し気にこちらを見つめている瞳、ふっくらとした唇は、先ほど帽子の鍔越しからわずかに見ることができた彼女そのものだった。

 春野はソーヤの才能の素晴らしさに思わず感嘆のため息をもらす。一度だけ、彼の愛用のスケッチブックを見させてもらったことがある。植物も人間も動物もまるで紙の上で今にも動き出さんばかりに丁寧に描かれていた。絵描きになるのが夢だったと、以前にソーヤ自身が教えてくれたことを思い出す。


 自分のときもこうやって見つけてくれたのだろうかと、春野はそんなことを思った。


「そう……ですね。僕とは違って常時発動型ではない気がしました。もちろん目を合わせていないからなんとも言えませんが」

「それは俺が目を合わせてるから大丈夫。そうだね、春野の言い分は正しい」


 津鷹が肯定してくれたことに、春野はほっとした。


「だとしたら制御型ということでしょうか?」

「うん、その可能性はありだね。基本的にこの世界にある瞳は、制御型か。あるいは常時発動型の2種類しかないわけだから」


 言いながら、津鷹は眼帯で閉じられている自身の左目に指を添える。

 常時発動型であれ、制御型であれ。閉じているあいだは何の反応もないが、開いた直後に能力が発動してしまうのが前者だ。


「……仕掛けてみますか?」


 春野の問いかけに津鷹は静かに首を横に振る。


「いや、今日はよそう。まだどんな能力なのかもわからないのだから、返り討ちにあっては色々と面倒だし。それに」


 津鷹は窓に寄りかかっていた体を起こしてシワひとつ寄っていない清潔なベッドへと歩いていった。そして靴を乱暴に脱ぐなり、軽くダイブをする。

 ぼすん、と音をたてて津鷹はベッドに寝転がった。脱ぎ散らかされた靴も床に寝転がった。

 そして、津鷹はにやりと微笑みながら春野の方を見てきた。


「――久しぶりのベッドだ。これを満喫しない手は他にない」


 春野も思わず微笑んで津鷹の意見に同意した。


「そうですね」


 夕飯まではおそらくまだ時間がある。だったら今のうちに旅の疲れを癒しておいたほうがいいかもしれない。

 そう思った春野は、津鷹に倣って隣にあるベッドに同じようにダイブして気がつくと泥のように眠っていた。



 春野が再び目を覚ましたのは、太陽が完全に沈みきって月がその姿を現してからだった。


「もしもし、もしもし」


 そんな呼び掛けとともに体を軽く揺さぶられて目を覚ますと、目の前にはシーナの顔。


「わっ、わっわっわっ!」


 春野は慌てて目を閉じて、キャスケット帽を深くかぶり直すと壁まで一気に後退した。がつん、と頭を強く打ってしまったせいで少しだけ星が散る。


「……大丈夫ですか!?」


 シーナが驚いたような声をあげて近づく気配がしたので、春野はますます慌てて「何でもないです! 大丈夫です!」と必死に訴え、顔の前で両手をぶんぶん振りまくった。

 そして、すぐさま視線を下へと落とし、彼女と目を合わせないように心掛ける。

 今のほんの一瞬、シーナと目が合ってしまった。

 ずっと気をつけていたことだったのに……。とうとうやってしまった。彼女は大丈夫だろうか。なんともないだろうか。ああ失敗した。どうして自分はこうやって、いつもいつもこんなうっかりをやらかしてしまうのだろう。やっぱり、マリラの言いつけ通りにメガネをしておくべきだった。


 騒ぎに気がついたのか、春野の隣のベッドにいた津鷹が「ううん」と静かにうなって起き上がった。


「あれ、シーナさん? 春野も、どうした?」


 彼は寝ぼけ眼をこすりながら、春野とシーナを見て首をかしげた。

 春野を気遣っていたシーナが思い出したように「あ」と小さく声をあげた。


「そうでした。津鷹さま、それから春野さまも。夕飯のお時間となりましたので呼びに参りました」

「ああ、もうそんな時間でしたか。ありがとうございます」

「いいえ」

「すぐに行きますので、シーナさんは先に行っていてください」


 言いながら津鷹は先ほど自身が脱ぎ散らかした靴を履いて、階下へ行くための準備を始めた。


「わかりました」


 シーナは笑顔でうなずいて、何事もなかったかのように部屋をでていった。

 廊下を歩くぎしぎしとした音が階段を降りる音に変わっていくのを、耳をそばたてて確かめてから改めて津鷹は春野へと視線を向けた。


「大丈夫?」

「はい。……いえ。もしかしたら起きたときに、シーナさんと目があってしまったかもしれません……」


 あんなに人と目を合わせないように気を付けていたのに。とうとうやってしまった……。春野は帽子をますます深くかぶって、頭をさらに低くした。


「顔あげなよ」


 けれど反対に津鷹は明るい調子で春野を励ましてくる。

 言われたとおり、春野は恐る恐る顔をあげた。すると目の前には津鷹の笑んだ顔。その表情を見ていると不思議と春野は安心感を得られた。春野にとって、この世で唯一目を合わせても大丈夫な人間。それが津鷹という青年だ。


「彼女、なんともないようだった。大丈夫さ、春野」


 幾分か軽くなった心で「ですが」と春野は津鷹の考えを否定する。

 

「マリラがくれたメガネ。せめてあれをつけるべきでした」

「そんなに悩むことないさ。それに俺は春野が自分の意志でメガネをかけないって言ったとき、正直嬉しかったんだから」

「え?」


 春野は思わず目を見開いて、まじまじと津鷹を見る。彼の白い片目はまっすぐこちらを見返している。その瞳の強さに嘘も偽りもないことは明白だった。

「どうして?」という問いかけが口からスルリとでてしまう。

 すると何故か津鷹は、困惑したように笑った。


「どうしてって。今言っただろ? 春野が自分の意志でって。今までずっと自分の意志を隠してまわりの望む通りにしてきたお前が、そうやって変わろうとしている。俺はそれが嬉しいんだよ」


 津鷹はそう言って伸ばしてきた手で春野の頭を軽くポンポンとたたいた。そしてベッドから立ち上がる。


「さ、行こう。夕飯の時間だ」

「――っ、はい!」


 春野は不思議とこみあげてくる涙を必死になって止めながら、靴を履いて津鷹の後ろをついていった。

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