第3話 魔法図書館協会②

 これは自分で決断しなくてはいけないことだ。春野は深い呼吸を2回ほど繰り返した。

 ――産まれてこのかたずっと外界から閉ざされた世界に住んでいて、津鷹と出会ったことで「外の世界」が素晴らしいものであることを知った。たくさんの人の反対や非難を押しきってまで彼についていこうと思ったのは、で一生を過ごし続けるのが嫌だと気付いたからだ。

 これからは自分の意志で自由に生きていけるのだ。

 春野はそっとマリラの様子をうかがう。そろそろ「答え」を伝えなければ。いつまでも黙っていたら不自然に思われるだろう。マリラは真剣な眼差しでこちらを見ているし、ソーヤは無言のままいつまでも彼女の背後に突っ立っていて、津鷹はというと春野の意志を尊重しているから黙っている。

 春野はゆっくりと息を吸った。


「マリラさま。せっかくの申し出なのですが、断ってもよろしいでしょうか……?」


 声は震えていたかもしれないし、心臓はバクバクと激しい鼓動が止まなかった。

 マリラはちょっと驚いた顔をして、それからにこりと笑いながら「どうして?」と聞いてくる。


「……僕は――いえ、僕の瞳はたしかに未熟です。自分では制御が効かない代物だと津鷹に聞きましたし、実際そういうモノだったからこそ、あの場所に閉じ込められていました。だからこそ、そのメガネは僕の助けになることも……理解、してます……」

「うんうん」


 マリラはうなずいた。それは「だからこそ私の意見は正しい」という首肯というよりは、「春野の意志を尊重する」首肯であった。

 春野はもう一度深く息を吸って、吐いた。先ほどから体の震えがとまらないのに、キャスケット帽を握ったままの両手には汗をかいてきた。

 自分の判断は正しいのかどうか。

 春野はそっと帽子をとる。その帽子はくすんだ黄緑色をしている。その色の名をウグイス色と知ったのは最近だ。

 この帽子は津鷹との信頼の証。だからこそ、どんなものよりもたしかな温かさを持っていた。


 あの日、津鷹からもらった――。


「だからこそ僕は、この帽子を手放したくないのです」

「ふぅん。なるほどなるほど」


 隣で津鷹がわずかに微笑む気配がした。

 先ほどまであんなに緊張していたのに、津鷹のことを意識すると途端にそれが和らいでいくように感じた。春野は帽子をかぶりなおしてから、帽子の鍔越しにマリラを見る。


「――それに、メガネははずすのにほんのちょっと時間がかかると思うのです。一方で帽子はただ鍔に手をかければ簡単にとれます。もし津鷹が危ないときにすぐに臨戦態勢をとれるなら、これほど素晴らしい制御装置は他にありません」


 よどみのない口調で全てを言い終えると、部屋には静寂が訪れていた。春野は思わず我に返る。

 相変わらず津鷹は黙っているが、目の前のマリラとソーヤは春野に向けて、驚きの感情を表すように目を大きく見開いて見つめてくる。


「と、いうのが僕の意見です……」


 生意気なことを言ってしまったかと、慌てた春野は逃げ道を探すように小さな声でそう締め括った。


「ふっ、アハハハハハハハハハハハッ!」


 直後、マリラが図書館に響き渡るくらい大きな声で笑いだした。その声は本に囲まれた広い部屋に大きく響いた。

 マリラのそんな笑い声を、春野は聞いたことがなかった。春野はともかくいつも一緒にいるソーヤさえも、開いた目をそのままマリラに向けている。驚いていないのは、津鷹だけだ。

 豪快な笑い方なのにそこに品が失われることはない。やはり綺麗な人はどんなに人並みはずれていても、綺麗なままだ。マリラの小さな細い肩が笑い声に合わせて上下に揺れているのを、春野はぼんやりと見つめた。


「うんうん。いいわ、全然。春野がそうしたいのなら私はそれを尊重するわ」


 ひとしきり笑い終えたマリラは、手にしていたメガネの入った長方形の箱を閉じると、それでも何故かそれを春野の前に差し出した。


「だけどそしたらなおのこと、これを持っているべきよ春野。あなたの目は目を合わせたものに対して能力が効いてしまう、いわばなのだから。もしもの時のことを考えて、ね?」

「…………」


 春野は目の前に置かれた箱をしばらくのあいだ、手に取らずに見つめた。


「受け取っておくといいよ、春野」


 津鷹を見ると、彼はいたって穏やかな表情のまま春野を見てうなずいた。

 彼がそう言うのならばと、春野はそっと木の箱に手をのばしてそれを取った。もう一度箱を開けて中身を確かめる。

 中にはメガネ1つだけ。だというのに何故かそれは春野にとって、やけに重く感じられた。


「――さて、じゃあマリラ。そろそろ次の任務について知りたいんだけど」

「ああ、そうね。そうだったわ。ソーヤ」


 マリラはソーヤにまたも目配せをした。ソーヤはうなずいて、ズボンの後ろポケットから何重にも折りたたまれた古びた紙を取り出した。それを破らないように気を遣いながらゆっくりと広げていって、テーブルクロスのようにテーブルへと広げた。

 紙に描かれていたのは世界地図だった。ところどころ、黄ばんだり汚れが目立ったりしているため、それなりの年代物と思われる。

 ソーヤは地図の一点に指を添えて、そこを大きく丸く囲った。東西に大きく広がった、地図上で最も北にある国。その中央には「ネゴ」という文字。


「能力で探ってみた結果、ネゴから約1万キロ南にある、宿の国に新たな魔眼の反応があることがわかった」


 彼の指がすっと動いて南下する。そこには「ロガード」の文字。ネゴと比べるとネコの額ほどの大きさしかない、海沿いの国だ。


「どんな能力の人間がいるかはわからないが、大した噂も聞かないからおそらく心配はないと思う」

「まあそれは、実際に現地で確かめてみるよ。意外にとんでも能力だったりすることもあるからね」


 津鷹の目が地図へと注がれる。今、自分たちがいる雪の国・ネゴ。そこから宿の国・ロガードまでの道を、目で一直線に結んだ。地図で見る限りきっとロガードは、ネゴに比べれば遥かに温暖な地域だろう。

 だが春野には1万キロという距離はとても途方もないように感じた。ネゴは1年じゅう雪が降っていることで有名な国で――だからこそ「雪の国」と呼ばれているわけだが――下手をしたら一晩で民家の屋根ほどの高さまで雪が積もるこの国での移動方法は、基本的には徒歩か橇だった。春野の出身国にあった、車なんて便利な乗り物がこの国にはない。

 まずはこの国からどうやって出るかが問題だ。

 そのことを津鷹に伝えると、彼は「そうだね」と顎に指を添えながらうなずいた。


「橇だってこんな町の中心地では動けないから、この町を出るまでは徒歩になるわけだ。それから橇を使ってネゴをでて、さらにそこから馬車というのが1番手っとり早いだろうけど……。まあかなりの時間がかかることは確かだね」

「この協会から、宿の国に直接道をつなげることはできないのでしょうか?」


 無理とわかっていながらも、春野は駄目元で聞いてみた。

 するとマリラは困ったように眉間にシワを寄せて、立ったままのソーヤも渋い顔をしてしまった。


「それができたら苦労しないんだがな。あいにく、向こうから入館してくれないとこちらから道をつなぐことはできないんだ」

「……そうですか。すみません、無理をいってしまって」

「気にしないで」


 落ち込む春野にマリラは優しい声音でそう言った。

 もしかしたら任務の遂行は難しいかもしれない。春野は途方にくれていたが、しかし隣にいた津鷹は反対にその表情をいきいきとした。


「案外、馬車で行けるかもだよ」


 何か発見があったのだろうか。「本当ですか?」と問いかけると彼は「うん」とうなずいた。

 津鷹は人差し指で地図上にある、ネゴの首都のある一帯を丸く囲った。


「ネゴは雪の国なんて呼ばれてるけど、実を言うと雪が多いのは首都から以北のところまでなんだ。首都から以南は比較的雪も少なくて、馬車も使える。つまり、橇を使わずとも宿の国へ迎えるはずなんだ」

「そうなのですね。ああ、よかったです……」


 春野はほっと胸を撫で下ろした。

 津鷹は地図からマリラへ視線を移す。


「じゃあとりあえず、今回の任務の報酬をさっさと受けとりたいな」


 ソーヤが目を剥いて怒りを露にする。


「貴様っ! さっきからマリラさまにその口の利き方はいくらなんでも無礼だぞ!」

「私は気にしないわよ」


 ソーヤが言い終わる前にマリラはきょとんとした顔を彼に向けて、平然とそう言ってのけた。

 ソーヤはしばらく悔しそうな顔をして、津鷹のほうを向くと「命拾いをしたな……」と震える声でそう言った。

 津鷹とマリラ、反対にソーヤのあいだにそれぞれ流れる温度差に、春野は委縮してしまう。

 初めて出会ったときも思ったが、やはり津鷹とソーヤは仲が悪いのかもしれない。


 だが、当のマリラはというと「相変わらずソーヤは元気ねぇ」と、まるでたしなめるわけでもなく穏やかに流している。


「報酬はわかったけれど。その前にもう1杯、お茶のお代わりはいかがかしら」

「じゃあもらおうかな。春野はどうする?」

「……あ、いただきます」


 お茶の当番はソーヤの担当だ。彼はいったん全員の分のティーカップをさげて――その際津鷹をひとにらみしたが、彼はまるで知らん顔だった――、その場を離れた。そのあいだにマリラは津鷹の手にいくらかの給金と何か色々入っていそうな布袋を手渡した。

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