第2話 魔法図書館協会

 時は、2か月前にさかのぼる。

 雪の国・ネゴでの仕事を終えた津鷹と春野は、最後にネゴにある国立図書館を訪れていた。

 それはある人物に会うためだった。


 この世界の都市伝説の1つに、どこにでもあってどこにもないような「図書館」の話がある。

 その図書館は別名「魔法図書館協会」名前からして魔法使いたちが使う図書館なのか、と誰もが思うだろう。しかし実在のほどは全く違う。

 その図書館に入館する条件はただ1つ。

 それは「ある瞳」を持っていることだ。

 その瞳を持ってさえいれば、どこの国の図書館に入館しても必ず「魔法図書館協会」に道が接続されて入館できるという。

 いったいどのような仕組みでそのようになっているのかは、誰にもわからない。

 わかるのは普通の人には絶対に入ることができない。それ1つのみだ。


 津鷹は訪れた国での仕事を終えると、出国する前にまず図書館を訪れる。春野は黙ってそのあとをついていった。

 雪の国、と呼ばれるだけあって雪は一面に積もっている。足を滑らせないように気を付けながら、春野は津鷹に問いかけた。


「本当にどこの図書館でも大丈夫なのですか?」

「うん。俺たちが入れば向こうから勝手につなげてくれるから、実質どこでもつながれるんだよね」


 だが、そんな不可思議な現象はいわば魔法の域だ。そういった概念がもはや人々の空想の話だという認識が定着してしまった世界で、どうしてこんなことが起きてしまうのか。

 不思議だと感じながらも、世間知らずな春野にとっては「≪外の世界≫ではこういうことも起こりうるんでしょうか」という認識だった。

 やがてネゴの国立図書館にたどり着く。

 そこはレンガで作られた立派な比較的大きな建物だった。急な斜面の造りをした屋根からは、積もった雪がドサドサと落ちた。

 ドアの前で津鷹は立ち止まる。そこの看板にはネゴの言語で「休館日」とある。「協会」とは関係のない人間が入ってきてしまわないように、津鷹はいつもあえてこういう日を選んでいた。

 後ろについてきている春野へ振り返ると、彼女は緊張しているのか顔を引き締めていた。

「準備はいい?」と聞くと、春野は何も言わずにこくこくと何度もうなずいた。


「じゃ、行くよ」


 津鷹はドアに手をかける。すると、向こうからガチャンと解錠の音が聞こえた。

 ドアを開くと奥の道は暗くて何も見えない。春野は思わず目を細めてその先を注意深く見ようとした。

 そのとき、その奥から鋭い声がかかった。


「寒い! 寒い! 早く閉めないか、ばか!」


 その声を合図に津鷹と春野は急いでドアの向こう側へ足を踏み出し、ドアを閉めた。

 すると、途端に視線の先にある道が手前から奥までだんだんと光りだした。壁にかけられてある蝋燭に火が灯ったのだ。

 やがてそこは、人が2人通れる程度の幅のある廊下であることがわかった。


「さっむ!」


 奥のほうからそんな叫び声と共に肩をぶるぶる震わせながら1人の少年が姿を現す。春野はかぶっているキャスケット帽越しからそっと、現れた彼の姿をうかがった。

 春野よりは頭1つ分ほど高く、しかし津鷹の胸ほどまでしかない背丈。ボサボサに乱れた黒髪は顔にかかるほどで、前髪から覗く藍色の瞳は鋭い眼光をしている。今まではその瞳をどのように形容すればわからなかったが、このあいだネゴのはずれにある森で見た、野生の狼。あれの瞳の鋭さによく似ていることに春野は今さら気が付いた。

 にらまれたら最後どうなるか。春野は怖くなって津鷹の背中に隠れた。

 少年は津鷹とその背中にいる春野に気が付くや、すっと目を細めた。


「なんだ、お前たちか」

「こんにちは。ソーヤ」


 ソーヤと呼ばれた少年は、ふんっと鼻をならして「こんばんはだ」とつぶやいた。

 どうやら「魔法図書館協会」では今は夜らしい。目の届く範囲には窓も時計も存在しないからたしかめようがなかったが。


「津鷹たちがいるのは今、雪の国だったか」

「そ、だから寒いんだ。とりあえず任務は終わったから案内を頼むよ」

「……ああ。春野のほうは大丈夫か? 初めての任務だったろ」

「あ、はい。おかげさまで」


 ソーヤは細めた瞳で春野のことをじろじろ眺めてから、「こっちだ」と言って廊下の先を歩きだした。

 だが、すぐに立ち止まって首だけわずかに振り返る。


「雪はそこで落としてけよ」


 津鷹は自身の服を軽く叩いて、ついている雪を払いだす。春野もそれにならうように自身の服に残った雪を払い落として、キャスケット帽に積もっている雪もはらってから、津鷹が歩きだすあとについていった。

 壁に設置された蝋燭の明かりを頼りに、薄暗い廊下を進む。外があんなに寒かったのに、ここでは寒さも暑さもいっさい感じなかった。つまりこの建物は外の世界とはいっさい隔絶された世界であることを証明していた。

 やがて廊下は終わる。突き当りにある扉の前でソーヤが、2人が来るのを待っていた。


「失礼のないようにな」


 そう津鷹たちに注意してから、ソーヤは軽くドアをノックする。


「マリラさま、津鷹と春野が戻ってきました」


 入って、と鈴のように軽やかな声が聞こえた。

 その声を合図に、ソーヤは扉の取っ手に手をかけてゆっくりと内側に向けて開いた。よほど重たい扉なのか、ギギギときしむような音がした。

 扉が完全に開けられると、中から香ったのは紙のにおいだった。その正体は壁にぎっしり詰めるように入れられてある本からするものだ。壁が全て本棚になっているため、部屋の壁は本の背表紙の集まりだと言っても過言ではなかった。

 春野は天井まで届く本棚を見上げて、その巨大さにため息を漏らす。こんなにたくさんの本に圧倒される経験なんてそうないだろう。

 ソーヤ、津鷹と続いて春野も部屋に足を踏み入れる。足もとにある臙脂色の絨毯は柔らかかった。


「いらっしゃい。津鷹、春野」


 部屋にさまよわせていた視線を、声がした方へと向ける。その声は先ほど廊下にいたとき、扉の向こうから聞こえてきたものだった。

 部屋の明かりを反射して黒光りした猫足の机に、少女の人形が座っている。――否、それは人形ではない。白い陶器の肌や絹糸のように細やかな金の髪、身に着けているゴスロリ風の黒ドレスはたしかによくできた人形を思わせるが、碧く輝く瞳には生が宿っていることがわかったし、唇は健康的な赤みを帯びている。

 碧い瞳はゆっくりと津鷹と春野をそれぞれ視界にとらえた。


「久しぶり、マリラ」


 津鷹は気楽な調子で人形のような少女に手を振る。ぎろっと横目で軽くソーヤににらまれるが、彼は知らん顔だ。逆に春野が身を縮めて津鷹の代わりに頭をさげてしまった。

 マリラと呼ばれた人形のような少女は、座っていた机の上から飛び降りた。その背丈は齢15の春野よりもさらに低い。マリラの年齢は果たしてどのくらいなのだろうか。まるで少女のような出で立ちをしているから、少女と呼称しているがそもそもそれが正しいのかさえも春野にはわからなかった。初めて会ったときは「永遠の15歳よ」なんて言っていたけれど、永遠に年をとらない人間なんて、本当に人形ではない限りありえないと思う。

 絨毯に降りたマリラは、真っ先に春野へと走り寄って抱きついた。


「春野、久しぶりねっ!」

「あ、はい……。お久しぶりです」

「うんうん。元気そうで何よりよ。あ、津鷹も」

「ああ、久しぶり」


 春野に抱き着いたまま、マリラの顔がソーヤへと向く。


「ソーヤ、お茶を用意してちょうだい。とびっきり美味しいのをね」

「はい」


 ソーヤはあきれた顔をしながらも、マリラの要望にうなずいてその場を離れた。

 彼の、ボサボサ髪の後ろ姿を春野は見送る。


「春野、こっちよ」


 マリラがうきうきとした調子で春野の手を引っ張っていって、部屋にあるソファに座らせた。腰を落とすと深く沈んだので、慌てて起き上がった。あまりしっかり座りすぎると、立ち上がるときが大変そうだ。

 春野の隣に津鷹が座って、2人の正面の席にはマリラが座った。マリラはまず、「お疲れ様」と春野たちの功績をねぎらった。


「今あなたたちはネゴにいるのよね? すっごい北にあって、ものすっごく寒いところ。雪も降ってるとかで」

「うん、そう。何なら寄ってく?」


 軽い調子で津鷹は問いかけたが、マリラはあっさりと拒否するように首を横に振った。細い糸をいくつも束ねたような金髪がさらさらと揺れる。


「いいわ。外は危ないもの」

「そうか、残念」


 津鷹は肩をすくめた。マリラは笑顔を絶やさないままその様子を見ている。

 春野はそんな2人を交互に見つめた。彼らの会話は古くからの友人のようなやり取りのようで、いまだ双方ともに付き合いの短い春野にはついていけなかった。マリラとはまだ2度しか顔を合わせたことがないし、津鷹とだって出会ってようやく半年を経たばかりだ。そんな短さで、自分よりも遥かに長い付き合いをしている2人の会話に割り込めるほど、春野はいまだ勇気をもてない。

 そもそも自分は津鷹と出会うまで、外の世界をいっさい知らずに育ってきた。自分の知っている世界は暗くて何も見えなくて、温かな太陽の香りと体を撫でる空気、時折聞こえる鳥の鳴き声。それが全てだった。


「――春野、どうかしたの?」

「え」


 名前を呼ばれて春野は現実に引き戻された。顔をあげると、今まであんなに幸せそうだったマリラの表情が硬くこわばっていた。


「さっきから何もしゃべらないわ。もしかして長旅で疲れちゃった?」

「そ、そんなことないです! なんか、ごめんなさい……」

「でも悲しい顔をしているわ。もし何かあったら相談に乗るけど」

「マリラさまと津鷹だけでずっとしゃべっているから、気後れしているんでしょう」


 ソーヤがお菓子とお茶を載せたトレイを持って戻ってきた。いつの間にいたのか。扉が開かれる音もしなかった。いや、そもそも部屋をでていくときも。いったいどうやってこの部屋に戻ってきたのだろうか。部屋のなかを見渡すが、春野たちが入ってきた扉以外に他の扉は見当たらなかった。

 ソーヤはトレイに載せられたお茶とお菓子を、ソファのあいだに置かれているテーブルに並べられていく。湯気のたったティーカップから漂う香りが春野の心にわだかまっていた緊張を少しだけやわらげた。


「さ、召し上がってちょうだいな。ちなみにお菓子は浩宇ハオ・ユーがお土産にくれたものよ。遠慮しないでどうぞ」


 春野はおそるおそるティーカップに手をのばした。白色のティーカップの縁に口をつけて、ゆっくりと傾ける。一口飲んで体の芯まで暖めてくれるようなお茶の熱とおいしさに思わずため息がこぼれた。


「おい、しいです……」

「本当だ、おいしい」


 隣で津鷹も満足げに笑った。

 でしょう? と春野たちの表情にマリラも満足そうな顔をしながら、自身もお茶を口にした。ソーヤもマリラの背後に立ったままお茶に口をつけてホッと息を吐く。先ほどまで厳しく光らせていた藍の瞳がほんの少しだけ和らいでいくのが、バサバサの前髪越しから春野にも見えた。彼はお茶を飲むときだけこうやって穏やかな表情を見せている気がする。


「お茶菓子もいただいてちょうだい。チョコレートよ」

「はい」


 茶色の板みたいな一口サイズのそのお菓子を、春野は見たことがなかった。まず鼻に近づけてにおいをかぐと、わずかに甘い香りがした。初めて食べるお菓子だからとどきどきしながら、試しに端っこだけちょとかじってみた。香りと同じくらい甘い味が口のなかに広がった。残ったカケラを春野はすぐさま食べた。

 

「これは苦くないね。ちょうど良い味だ」


 津鷹も幸せそうな表情でチョコレートを食べている。


 それからしばらくは今回の任務の成果について話が続いた。津鷹はネゴでの今回の任務を話し、反対にマリラは「協会」に属する他の会員たちがどのような任務を成し遂げてきたかを詳細に聞かせてくれた。春野も時折話に参加したが、一方でソーヤはお茶に夢中なのか。終始無言のままだった。

 津鷹の話すネゴでの成果を聞いたマリラは、先ほどとは打って変わった真剣な表情で耳を傾けていた。それに対して誰も口を挟める雰囲気でないのは春野にもわかっていたから、聞かれたことにだけちゃんと答えた。津鷹もいつになく真剣な面持ちで起きたこと全てを話し、そしてそれを終える頃にはマリラのその表情には陰が宿っていた。


「そう、だったのね……。それで? 最後にあのおじいさんは何か言っていたかしら」

「ありがとう、と言っていたよ。とても安らかな最期だった」


 マリラは顔を伏せたまま、ティーカップをソーサーに戻してしばらくじっとしていた。重苦しい空気がしばらく室内を漂った。

 春野は室内を見渡した。この部屋には窓がない。壁一面、全て本に覆われているために窓を設けるための余地なんてどこにもないからだろう。例え視界が遮られても窓があれば、外の音はよく聞こえるのだ。

 マリラは外の世界も見えないこんな場所で、助手のソーヤと2人きり。いったいいつからここにいるのだろう。寂しくはないのだろうか。苦しくはないのだろうか。

 外の世界にいる会いたかった人に会えない心情を、春野は汲み取ることもできない。


「……あ、そうだわ」


 不意にマリラが何かを思い出したように声をあげて、伏せていた顔をあげた。

 青色のビー玉のようにきらきらした瞳が春野をとらえる。


「実は春野に贈り物があるの。今朝、届いたのよ」

「……え?」


 マリラは隣に座ってチョコレートの味を堪能していたソーヤにそっと目配せする。すると彼は途端に表情を引きしめて、すぐさま回れ右をすると、マリラが使っていた猫足の机の引き出しを開けて、何やらごそごそ漁りだした。

 何をしているんだろう、と春野はきょとんとしながら津鷹に目を向ける。「何をしようとしているか知ってる?」という気持ちで見ると、津鷹は知らない風を装うように肩をすくめてティーカップに口をつけた。

 戻ってきたソーヤが手にしていた物は、長方形の木の箱だった。それを彼はマリラへと渡す。

 マリラは「ありがとう」と言ってそれを受け取ると、蓋を開けて中身を春野に見せた。中身はごく普通のメガネだった。


「実はちょっと知り合いに頼んでね。あなた用に作ってもらったのよ」

「メガネを、ですか?」


 マリラはうなずいた。


「そう。そしてこれはあなたの目の力を封じるものよ。私が持っているのと同じ」


 そう言って彼女は着ているドレスから、箱にあるのと同じ形をしたメガネを取り出してそれをいかけた。

 メガネをかけても人離れした顔立ちが劣ることはなかった。いやむしろ、人の手によって生み出されたものを身に着けることで、より一層人形度が増したように、春野には思えた。


「今回は私情を挟ませてもらった任務だったけれど、これからはもっと過酷な任務になるかもしれない。そのとき津鷹が傍にいない可能性だってありうるわ。誰の助けも借りず、自分の力で任務をこなさなきゃいけないときにこのメガネは必要になるのよ」

「そう、なんですか……」


 過酷な任務になるかも、なんて未来的な話をされたところで、まだ春野には実感が湧かなかった。


「これをかければ、あなたの瞳に宿る力はほぼ100パーセント封じられるわ。瞳を行使したいときだけはずせばいいもの」


 ほぼ100パーセント封じられる。それは春野にとって魅力的な言葉だった。うまれたときからずっと瞳の力に人生を狂わされ、自分の世界をでしか知らなかった春野には嬉しいものだった。

 けれど――。

 春野はかぶっていた帽子に手をあて、ぎゅっと強く握りしめた。

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