シデリアン洞窟編Ⅳ

 ロックイーターという生物がいる。

 これは魔物ではない。

 耕作に向かないとされる、岩の多い荒れ地に投入される、体長5~10センチほどの家畜化された環形動物である。

 その名の通り、硬い土や岩を強靭な顎で噛み砕き捕食し、柔らかい土として排泄する。規模にもよるが、通常20~40匹ほどを、耕作予定地に複数回放ち、1か月ほどかけて土壌改善を成す。ミミズとは違い、外皮を鱗状の殻で覆っている。寿命は2週間ほどで、雌雄があり、雌は雄よりも顎が二回りほど大きく、不格好である。また、雌は繁殖用にブリーダーが抱え込むため、市場に出るのは雄のみである。

 野生種のロックイーターは、体が非常に大きく、農業分野で危険益蟲と分類されており、生息地は耕作地として申し分ないが、移動、もしくは討伐されるまでは危険なため、接近が禁止されていた。市場に出ているものは、品種改良を施し、極力無害化したものである。

 またこの野生種は、国を挙げて行った討伐活動により絶滅しており、現在は、品種改良個体が人の手の下によってのみ、繁栄を許された生物になっている――はずであった。これまでは……。

 その個体は、寿命とされる2週間を過ぎても生きていた。岩を食み、体を徐々に大きくしていった。

 先祖返りというのだろう。野生種のそれと、何ら遜色ない姿へとその個体は成長した。

 ここまでならば一般人なら危ないが、軍や冒険者ならば余裕を持って駆除できる程度であった。が、この個体は地中で、ある日、地上で動き回る鉱物があることに気づいてしまった。

 目は光を感じる程度にしか使えない。耳はそもそも無い。だが、全身が、触覚が振動として伝えてくれる。鉱物などがぶつかったり擦れたりするときの振動、それらが自然界にない、一定のリズムで動いている。岩よりも硬い物の振動。一番大きかったものに真下から近づいて一口で。

 今までに食べたことのない食感だった。味などはさっぱり分からないが、固い部分は最初だけ、後は中に少し固いのがあるが、岩とは違う物だった。だが、外の固い物の質が良いからなのか、今までとは比べ物にならないくらいに体が成長した。

 それからはそういう振動を追って移動した。不定期的ではあるが、必ずその振動が通る場所を見つけ、縄張りというものを作った。

 最初は硬い物が付いた物以外の柔らかいだけの物が混ざっていたが、いずれ混ざらなくなった。

 そうして食べ続ける生活が一ヶ月ほど経ったころ、彼の体はかつてこの地にあった野生種のそれよりも大きく成長していた。そして、振動が音という形で認識できるようになり、目は、光と影の境界線から形を認識する程度まで機能が上がった。

 そこに、今までに無い、沢山の音がやってきた。

 いつものように彼は、食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べて喰べて食べた。

 だが、さすがに一度に食べ過ぎた。あと一つ音は残っている。飛び切り上等そうな鉱物の塊の音だが、仕方がない。今はこのお腹を落ち着かせなければ。

 彼はしばし眠りについた。

 目覚めた彼は再び音を聞いた。眠る前よりも少ないが、それでもたくさんの音。

 立て続けにやってきたご馳走たちと、丁度空腹になったばかりのお腹。その中でも上質な鉱物が一つ。とても小さいし、少ないが、気にはならない。すぐ近くにとても大きく上質な鉱物があるが、これは彼は嫌いだった。上質すぎるのか、なんなのか、それだけは今まで食べた鉱物の中でも特に固く、噛み砕けない物の音だから。

 目標が決まれば後は食べるだけ。彼はいつものように食事を開始した。


 本当に一瞬のことだった。地中にいる何者かへの警戒指示を出そうと声を張り上げた、その瞬間だった。まるで、落とし穴に落ちるかのように、足下の土が陥没し、体が落ちたかと思ったら、その下から何かが上ってきて体を押し上げ、そのまま天井に叩きつけられた。

 鋭利な物が腹部に突き刺さり、生物的に蠢いている。下半身は既に感覚が無い。ジンベイの意識は既に朦朧として何が起こっているのかの判断も出来ない。

 化け物の口が、ジンベイが叩きつけられた天井の岩ごと砕いて閉じる。朦朧とした意識の中で、やっとそこが死の淵であると気づいたジンベイは、この化け物がロックイーターであることに気づくも、それを伝えるための精も根も足りず、為す術もなく、天然の削岩機に岩と共に挽き潰された。


 特別仲が良かったわけでもない。知り合って数日の付き合い。だが、この洞窟に入って初めて出会った頼りになる大人。それがディティスにとってのジンベイの評価だった。

 洞窟を出ればそれっきりで、たまに顔を合わせても、お互い軽く挨拶して仕事の話を事務的にするだけのそんな関係になるだろうと、そう思っていた。

 戦闘技術はディティスより遙かに高く、彼女にはこなせないような依頼をバリバリこなして、一流の冒険者になっていくのだろうと、そう、思っていたのだ。

 ――この瞬間までは。

「あ、あ、ああ、ああああああああああああああ!」

 認識してしまったディティスは、現実に引き戻されて声を上げる。信じたくない、夢であれと、現実逃避したい心の叫び。

 そして恐怖の叫び。あの窪地の時よりも、より一層身近な死の臭い。あれほど身近なものは早々無いと思っていた中で起こった知人の生々しい死は、その恐怖を際立たせる。

 柱の端が閉じていく。天井にへばりついたジンベイと、天井の岩を諸共に抉り取りながら。

 柱は食事を終えると、ゆっくりとこちらへ鎌首を向ける。

 蛇のような長い身体に、岩の様にゴツゴツとした鱗、頭は大きく、口は四つ開きで、それぞれの顎の根本付近に目のような丸い宝石状の突起物がある。まだ地中にも身体が入ったまま残っており、現状ではその長さまでは判別できない。知らない者が見れば地竜の一種だと思うことだろう。

「ろ、ロックイーターだ、これ」

アイが呟く。

「で、でも、お母さんは、野生のは絶滅したって、い、言ってたのに……」

「たまたま残ってたってこともあるだろう。それよりもだ」

ロアはディティスに怒鳴る。

「呆けてんじゃねーぞディティス! しゃんとしろ! 死ぬぞ!」

 ロックイーターはじっとディティスを見ている。それにロアは気づいていたからだ。だが、ロアの予想は外れ、ロックイーターは、立ち尽くすディティスから視線を外し、一緒に来たほかの冒険者たちへと向けた。

 ロックイーターの聴覚と視覚は一番大きな音がして、一番大きな塊を指し示していた。この生き物の視覚は現在、大まかな形しか捉えられない。故に、寄り集まっている集団こそが彼にとって一番大きい獲物になるのだ。

 ロックイーターが蠕動する。それは、カメレオンの舌に捕まえられる虫のように一瞬のことだった。一度縮み、再び伸びた体は、集団の中央を文字通り分断した。冒険者たちは、その準備行動への警戒も虚しく、悲鳴を上げる間もなくその命を食い散らかされた。

 生き残った者も、五体満足の者よりも、片腕や片足が無くなったり、腹を抉られていたりと、まともな治療道具を失ってしまった今では、最早死を待つだけという状態の者の方が多かった。そういった人は苦痛で大きな声を上げ、地面に転がるので、こちらが介錯することなく、ロックイーターが丁寧に食っていった。

 食われる直前にまた大きな悲鳴が上がるのを他の冒険者たちはただただ聞いていることしかできなかった。

 ぽつぽつと、仲間が食われた跡が穴ぼこになっている。底に僅かに溜まった血液がまた恐怖をあおる。

 即死して物言わなくなった死体には目もくれず、次の獲物を物色するように首を振るロックイーター。冒険者たちと目があったような気がした。

 そこで恐怖で気でも狂ったか、空元気か、おそらく両方だろう。突撃をする者が現れた。

 ウォーハンマーを携えた小太りの青年に、槍を持った少年。

 皆で渡れば何とやらか、彼らに呼応するように突撃者は増えていく。やれ仇討ちだの、やれやってやらーだの、ただ雄叫びを上げる者もいる。

 近付く冒険者たちをロックイーターは補足し切れていない。彼らが発する大声と、無軌道な動きで個々の音が散ってしまっているからだ。

 そして彼らは、ついにロックイーターに取り付いた。

「デカいミミズが! 人間様を散々おちょくりやがって! ぶっ殺してやるからな!」

 取り付いた彼らは口々に罵詈雑言のような虚勢をロックイーターに浴びせてそれぞれの武器を振るった。

 一番効いたように見えたのは、小太りの青年のウォーハンマーだろうか。ピックの側を使って振るわれたそれは、ロックイーターの外殻ともいえる岩のような鱗を凹ませた。だが、それだけだった。他の冒険者の切断、刺突、打撃武器は悉く弾かれてしまった。

 冷静さを欠いた彼らが思いきり武器を振るったため、弾かれた際に武器を手から離してしまう者も多かった。

 一方、ロックイーターといえば、元々彼の聴覚は、振動を感じる触覚から派生した能力だ。そのため、彼に触れることそのものが彼に居場所を正確に報せることになる。

 冒険者たちの懇親の一撃は、彼が始めて受ける反撃らしい反撃ということもあり少しばかり驚いたが、お陰で彼は、餌の正確な位置が把握できた。

 武器を弾き飛ばされた冒険者が自分にかかる影に気づく。

 目が合ったように見えた。

「あ、ああ、ちょ、まっ――」

 バクン。バクン。バクン。

 攻撃を加えられた順番に身体を曲げたり、捻ったり、伸ばしたり、縮めたりしながら冒険者たちをスナック感覚に素早く口に仕舞っていく。口は、完全に噛み合ったアイアンメイデンのようで、仕舞われた瞬間には挽き肉になってしまう。

 彼らは悲鳴を上げることすらできずに、彼らのいた場所に僅かな窪みと血溜まりを作って消えていく。そこから離れれば助かる可能性もあるが、恐怖で竦んでしまった足は動かない。一つ、また一つと、血溜まりが量産されていく。

 あと、数名――。

 ガチャガチャガチャガチャ――。

 鉱物の音。近付いてくる。聞いたロックイーターは食事を中断してそちらへ振り向く。新しい餌が来たと。

 ガツンと、頭部に大きい、かつて無い衝撃。

 目が一つ見えなくなった。

 顎が一つ動かなくなった。

 カチャカチャと鉱物の音が聞こえる。獲物が動いたときとは違う。呼びかけるような音。だが、どんな音だろうと餌は餌。音が聞こえる方へ飛び込んで食べればいい。嫌いな音が混ざっていたって構うものか。多少顎が動かしづらいことなど関係ない、すぐ治る。

 ロックイーターは再び蠕動し、音を立てる餌へ噛みつくために飛び込んだ。

 シャオン――。

 嫌な音が鳴り響く。腱が切れたのか、歪んでハマってしまったのかで閉じっぱなしになった顎の方から。

 口の中には獲物はない。身体を持ち上げて捻り、見えなくなった目と動かない顎を上側に据える。

 目の前にいる、食べられなかった獲物を見る。

 獲物の両脇から嫌な音がする。固すぎて食べられない鉱物の音。

 彼にとっての天敵が、そこにいた――。



 呆けるなとロアの檄が飛ぶ。ディティスは、その声も上の空で、もうどうにも怖くなってしまって、その場に膝を抱えてうずくまって泣いてしまう。

「く、来るぞ! 警戒だ!」

 声が聞こえ、視線だけそちらに向けると、武器を構えた十数名の冒険者が固まって警戒していた。その視線の先にはジンベイを一瞬で無惨に殺し食ったロックイーターがいた。

 ロックイーターが身体を縮ませた。なにが起こるのか理解してしまったディティスは声を上げようとしたが間に合わず、冒険者たちは無惨に食い散らかされていった。

 苦悶と恐怖の声が聞こえる。もう聞きたくないと再び目を伏せる。

「「ディティス」」

見知った兄妹の声。顔を上げると、真っ直ぐこちらを見据えるロアと、ロックイーターを警戒しながらチラチラとこちらを見るアイがいた。

 苦悶の声が一つずつ消えていく。

「ろ、ロア、ど、どうしよう……」

「無理に動くな。警戒だけしてろ」

「何で二人はそんな平気そうなの……」

冷静に状況を見ているロアやアイを不思議に思ったディティスは不意に質問をする。

「やっと口利いたか。平気、じゃないぞ。ジンベイさんが目の前で殺されたのは流石にキツい。でも、人死に自体は別に珍しいもんでもない」

人死にが珍しくないと言うロアの言葉に困惑するディティス。それを察したのかロアは言葉を続ける。

「ディティス、お前、近しい人が目の前で亡くなったこと無かったのか? 婆ちゃんとか爺ちゃんとか」

「私、お母さんとお父さんがだいぶ若いときに出来た子で、おじいちゃんもおばあちゃんもまだまだ元気で」

「曾爺ちゃんとかは?」

「曾おじいちゃんとおばあちゃんは私が生まれる前に事故で亡くなったって」

「なるほど」

「村で亡くなる人もいたけど、大体が森に出た先で魔物や獣に殺されたとかで遺体が無かったし、うちの村、普通に亡くなった人もすぐ火葬しちゃって。死んだ直後の姿は家族にしか見せなくて、見られるのは骨だけであんまり実感無くって」

「いや、別にそれはいい。そこは重要じゃない」

「え?」

「直接交流のあった近しい人の死ってのを、お前は見る機会がなかった。そこが分かればそれでいい」

ロアはしゃがみこんで、ディティスの顔を真っ直ぐ見ながら話を続ける。

「いいか、ディティス。人の死ってのは結局のところ他人事なんだよ。お前自身には関係ない。近しい人が死んだからってすぐにお前が死ぬわけじゃない。お前は今、自分もいつか、次の瞬間にもああなるんじゃないかと、ジンベイさんという身近な人の死を見て、よく分からん恐怖にかられてる。俺たちも経験がある。婆ちゃんが死んだときだ。アイと一緒になって死ぬのが怖いと泣いて震えてた。昨日まで一緒に笑ってた人が一晩明けたら動かなくなってんだもんな、そりゃ怖くもなるだろ? 母さんや父さん、爺ちゃんに俺たちはまだ死なないかって二人で聞いて回って困らせた。でも、一晩二晩と時間が経つ内にそういう恐怖心は薄れていった。しばらくして爺ちゃんも死んだ。その時も悲しかった。でも、二人とも婆ちゃんのときよりショックは大きくなかった。何でだと思う?」

ロアの問いに、ディティスは彼の話を思い出しながら応えた。

「誰かが目の前で死んでも、すぐに自分が死ぬ訳じゃないから?」

「そうだ。時間があればそういうことに気づくんだよ。でも今はそんな悠長な時間はない。なぁ、ディティス。いつ来るか分からない死に怯えてるなんて馬鹿馬鹿しいだろ? 今死んでしまった人には出来なかったけど、自分なら死なないために出来ることが有るかもしれない。お前が今やらなくちゃいけないのは、ジンベイさんの死を自分に重ねて怯えることじゃなくて、ジンベイさんや他の冒険者みたいに死なないためにどうするかを考えることだ。俺は思いついてるけど、それにはお前がいなきゃダメなんだ」

「……私が、みんなを助けられるの?」

「そうだよ、ディティス。お前に助けてほしい! お前が上手くやればみんな助かる。お前も助かる。だから、立ってくれ! 一緒にあのミミズをぶっ倒そう!」

アイが話に入る。それは、ディティスにとってかけがえのない人の話。

「ディティス。そ、外で、ま、待ってる人がいるでしょ? と、とっても大切で、だ、大好きな、人。だ、だから、こ、こんなところで死んじゃ、だ、ダメ。一緒にが、頑張ろう!」

ディティスはそこでハッとした。なぜ今まですっかり忘れていたんだろう。彼女のことを思い出さなくなったのはいつからだろうか。自分には死ねない理由があったというのに。この洞窟の外で、自分の帰りを健気に待ち続けてくれている、大好きで大切な人。それを思い出した。

「そう、そうだよ。私は、必ず生きて帰らなくちゃいけない。待っててくれてるんだもん。シャルちゃんが!」

ディティスは立ち上がり、涙をぬぐい、二人に向き直る。

「ありがとう二人とも。ちょっと自分を見失ってたかも」

「ちょっとって感じじゃなかったが? というか、お前にはアイの言葉の方が決定的だったか」

「うん。私、難しいこと、ちょっとまだよくわかんない! でも、ジンベイさんの死を受け止めて悼むのは今じゃないってことは分かった。ありがとうロア」

「まぁ、今はそんくらい分かってりゃ十分だな。じゃあ、いいか?」

「うん」

「お前、ジンベイさんが殺される瞬間を目で追ってただろ? 何が起こってたか見えてた。違うか?」

「……な、なに……を……」

明らかに狼狽するディティスにロアはフォローを入れる。

「別に攻めてるわけじゃない。ありゃ完全に不意打ちだった。目で追えても体が間に合うかよ」

「なんで、気付いたの?」

「ジンベイさんが死んだ後だ。あのミミズが連中に食いつく瞬間をお前は目で追ってたように見えたから、ひょっとしてってな。ま、今答えをお前が言ったわけだが」

「ロア、今、カマをっ――――!?」

まんまと言わされてしまって言葉に詰まるディティス。そこにアイが入ってくる。

「か、鎌、いる?」

「いや違う、そうじゃない。要るけど今じゃない」

「ぷふっ」

青天の霹靂とでもいうべき天然のやり取りに、思わず吹き出すディティス。緊張はあっという間に解けた。

「ロア。聞くよ、作戦」

「あぁ」

 それは作戦と呼ぶにはあまりにもお粗末なものだった。

 なんてことはない。ディティスが正面から殴りに行って、ロックイーターの鱗を力ずくで引き剥がし、剥き出しになった箇所を残った者たちで攻撃するというものだった。だが、ロックイーターの一瞬ともいえる攻撃時間を目で捕捉できるディティスでないとできないことでもあった。

 こうしている間にも、冒険者たちは無謀な特攻を仕掛け始めていた。時間がない。

「いいかディティス。あいつはどうも視覚情報よりも、耳……がどこにあるかはわからんが、とにかく音を最優先で追うらしい。できるだけデカい音を出せ。声より鎧とかの装備の音の方がよさそうだ。話し声結構上げてるこっちはほぼ見向きもされてないからな」

「分かった」

「どこ行くんだお前」

 言うとディティスは、今まで場の空気に徹していたユニエラに近づいた。ユニエラはロックイーターの這い出した穴の直ぐ傍で微動だにせずそこにいた。まだロックイーターの体はその穴に繋がっている。

「なんですの」

キッとディティスをにらみつけるユニエラ。この場所、この状況でこの態度ができるのは逆に大物だなとディティスは思った。だが、本人には今用は無いので用件だけ話し、行動に移すことにした

「鎧を貸して」

「はい? ちょ、ちょちょっと! 何しますの!? これはお兄様から頂いた大切な――あっ! そんな無理やり、なんてこと!」

有無を言わさず、その怪力で壊れかけの鎧を引っぺがす。余計な音が立たないように慎重に、かつ素早く、かつ力ずくに。

「ありがとう、じゃ借りてくね」

「借りていくなら、ちゃんと返してくださいましね!」

鎖帷子とインナーだけになったユニエラが憎々しく睨みつけてきたが、ディティスは、はいはいと軽くいなしてロックイーターに向き直した。

 残りの冒険者は、もう残り数名となって、人がいたであろう箇所には窪みと血溜まりが点々としていた。

 ディティスは、ユニエラから拝借した鎧を両手で持って、それを割り、それぞれをぶつけて音を出しながらロックイーターへと突撃を始めた。

 金属の音に気付いたのかロックイーターの動きが止まり、こちらを向く。

(馬鹿め、もう目の前よ)

 ディティスは手に持った打楽器を捨てて、間抜けにもこちらを見たロックイーターの顔面を思い切り殴りつけた。

 今までにない硬さの感触であったが、手応えは確実にあった。

 すかさず捨てた打楽器――鎧を拾い上げて音を出す。こっちだ、こっちを見ろと。

 ロックイーターは明らかに頭部が変形しており、ディティスの攻撃の効果がはっきりと見て取れた。狩りのための蠕動の兆候をディティスは見逃さない。すぐに鎧を自分の右側に捨てる。ロックイーターはそれが地面に落ちた音に合わせて突っ込んできた。

 シャオン――。

 綺麗な音がする。ディティスが好きな音。盾で攻撃を受け流す音。

 やることは何も変わらない。受け止め、流し、弾き、隙を見て殴る。いつも通り。ただ相手が今まで以上に硬くて大きいだけ。

 やはり、少し怖くて手が震える。両手の盾がそれに呼応してカチャカチャと少し音を立てる。

「大丈夫、やれる。やらなきゃ……」

 これまで必殺だった一撃をいなされてしまった敵が、こちらをじっと見ている。砕けた顎は、体を捻って上側に移動させたらしい。

「まずは、あの口だね」

 ロックイーターが縮んだ。蠕動の兆候。口を左右と下側に大きく開けて突撃体勢。ディティスが砕いた上側はぴくりともしていない。

 先ほどは、砕けて閉じきった顎に合わせたので受け流せたが、今度は開いた顎が正面から突っ込んでくる。それならばと、ディティスは正面に盾を構える。

 バネ状の体が疾駆し、襲いかかる。そこへディティスは、真っ正面から、思いきり、開いた顎へシールドバッシュをお見舞いする。

 ロックイーター自身の勢いと自重と、ディティスの怪力とで、向かってきていたロックイーターの顎は、完全に、本来なら曲がらない方へ、根元からへし折れた。

 痛覚があるのかはわからないが、ロックイーターは傍から見ても苦しそうにのたうっている。

 へし折れた顎はゴトリと地に落ち、黄色い体液が零れ出る。

 口の内部構造が垣間見える。ヤツメウナギのようで、口に入れ、潰した獲物を引きずり込むような歯の動きを絶えずしている。

 噛みつく手段は封じたに等しいと言えるが、何せ打点が高く、また、突っ込んでくる瞬間を狙わざるを得ない以上、ディティス以外に攻撃できる者が未だいない。

 みんなが攻撃しやすいように、地面に近い胴体の鱗を引き剥がさなければならない。

 今度はこちらから仕掛ける。

 ディティスは爆ぜるように加速した。

 ロックイーターの捕捉が間に合う前に懐へ潜り込んで、鱗に渾身の一発をお見舞いする。

 だが、鱗は大きくたわみ、へこみはしたものの、砕けるにはいたらず、未だ健在であった。

すかさずロックイーターの嘴が襲いかかってくるのを、ディティスは盾で流して少し距離をとる。

 そしてディティスは思案する。

「手応えはあるけど、奥に柔らかくて弾力のある物が控えてて勢いを殺してる感じが……うーん。あれを剥がすには鱗の隙間に何とか手を入れたいけど、どこもかしこもピッタリしてるし、一点集中的に大きな力を加える必要があるよね。盾の角くらいじゃちょっと足りない。というか、私の筋力が実際のところ足りてない。一カ所でいいから穴でも開けてあれば手が入って引き剥がせるのに! この盾じゃ穴開けるなんてこ、と……あ!」

 ディティスはそこで、洞窟に入る前、この盾を借りたときに受付の男から聞いた話を思い出した。

「たしか、おじさん言ってたな。人間の筋力で受けきれない攻撃を受けるときに杭を壁や地面に打ち込んで盾を固定する装備だって。使う機会がなくてすっかり忘れてた。でも、そんな強力な杭が打ち出せるならさ、それを敵に当てた方がよくない?」

やってみよう。ディティスはこれまで全く使ってこなかった杭打ちの機能を、ぶっつけ本番どころか、本来とは違う使い方をしようとしていた。だが、これがダメなら恐らくもう本当にこいつの餌になるしかないのだろうとディティスは考えていた。

 ロックイーターの動かなくした顎が少しずつ動いているのが見えた。再生能力が高い。もたもたしていられない。

 この一撃に望みを託して……。ディティスは走った。

 先ほどと変わらず、懐に入り込む。同じ箇所を殴るが、やはり大きな手応えとは裏腹にダメージは極めて軽微。

 ロックイーターがすかさず攻撃を加えてくるも今度は弾く。再生と立て直しを少しでも遅らせるのが狙いだった。

 ロックイーターは弾き飛ばされて体勢を崩す。

 その隙に、再びディティスは外皮を思い切り殴る。今度はトリガーに手をかけながら。

 ググッと盾の先端をロックイーターの体にめり込むだけめり込ませて、トリガーを握り込む。

「ぶち抜けぇえええええええ!!!!!!」

祈るような叫び。心の底からの願望を込めて――。

 手元で起こった閃光と衝撃波に爆発音。盾上部の隙間という隙間からからバックブラストが発生して反動を殺す。

 オリハルコン、ミスリル、ヒヒイロノカネなど、あらゆる固い金属の合金で作られた杭が、音速を超える速度で初めて外界に出る。

 爆発の威力が、もうこれ以上めり込むことのないよう押さえつけられたロックイーターの鱗の、その中央一点にのみそそぎ込まれる。

 それは、今までの堅牢さは何だったのかと思ってしまうほど呆気なく、いとも容易く、城塞とも言うべきだった鱗を穿ち貫いた。

 ロックイーターが先ほどのように苦しんでいるのがわかる。

 これはチャンスだ。なんとしてもここでこの一枚は引き剥がさなければならない。

 ディティスは、防御のために空けていたもう片方の手の杭を今穿った穴の隣に打ち込む。

 二度目の衝撃。再び悶えるロックイーター。

 ディティスは両の腕を持ち上げるように、全身に力を込める。

――ブチ、ブチブチ、ブチブチブチ――

 肉がちぎれる音。洞窟内で反響するほど大きな音。発生源はロックイーターだった。

 ディティスに持ち上げられている箇所から肉がちぎれ、剥がれていく音が聞こえる。次第に大きく、早くなる。

「ぬぅうぅぅうあああああああああああああああああ!!!!」

それをかき消すような叫び。

――ブチブチブチブチブチンッ!

 音が鳴り止み、両腕を上げてジャークの形を完成させたディティスの腕の先には、ディティスの盾よりも一回りは大きい、ロックイーターの鱗が掲げられていた。

 鱗をはがされた傷口から、とめどなく体液が流れ出てくる。

「よくやった、ディティス!」

荒い息のディティスにロアが剣を抜きながら走ってくる。後ろにはアイが随伴している。

「おい、切れるところをディティスが作ったぞ! こっからだ! 続け!」

声に再び奮起した、残りの冒険者(太った青年と槍を持った少年だけになっていた)が、力を振り絞って、ディティスの明けた突破口へと向かった。

「ディティス。こいつがこっちに攻撃しようとするのを守れ! あと、隙を見て鱗をもっと引っぺがせ!」

「わ、わかった!」

息を整えながらディティスはロアの指示に応えた。

 ロックイーターの顎は、潰した上顎が再生を終えて動くようになっていた。へし折り落した顎も、すでに新しい顎の先端が傷口から覗いている。

「ロア、思った以上に再生がはやいよ!」

「くっそ、化け物め……そうだ、テコになるものを貸してくれ! 隣から鱗剥がしていくぞ!」

ロアが言うと、太った青年がウォーハンマーを持ってきた。

「こいつでいけるか?」

「あぁ、頼む」

青年はハンマーのピックを、勢いよく鱗と肉の隙間に叩き込んだ。

 せーのの掛け声でロアと青年が柄に力を入れる。アイと槍を持っていた少年が反対側から鱗を引っ張る。

 ミシミシと鱗とハンマーが双方悲鳴を上げる。だが――

ブチブチブチブチ!

金属と肉。金属が負けるはずもなく、鱗が剥がれていく。最後の方は抵抗する力を失った鱗が引き剥がされた勢いで、引っ張っていたアイたちが尻餅を搗いてしまう。

「2枚目だ! おら次行くぞミミズ野郎!」

青年が叫ぶ

そしてロアがディティスへ叫ぶ。

「ディティス! お前、とにかく頭を潰せ! たいていの動物は頭を潰されたら死ぬ! だから、頭を完膚なきまでに破壊しろ! こっちはこっちで傷口増やしたりして、こいつの回復をできるだけ遅らせる! 頼んだ!」

「やってみる!」

とは言ったものの、ロックイーターの頭は持ち上がったまま打点が高く、突っ込んでくるのを待たざるを得ない。

 この状況で一番音が大きいのは胴体に群がっているロアたち。

 であれば、ロアたちを守りつつ、カウンターでもって頭をカチ割るしかないと、ディティスは判断した。

 生え掛けの顎を上側に移動させて、再び三つ顎になったロックイーターがこちらを、ロアたちを見ている。

 ロアたちが傷口に刃を突き立てるたびに、怯むように体を痙攣させる。ダメージは通っている。

 我慢ならないと嘴が飛んでくるのをディティスは地面へと叩きつけるように、両手を組んで上から殴りつける。

 顎の先端をひしゃげさせて地面に激突するロックイーターにディティスはすかさず杭を打ち込む。

「おとなしくしてろ!」

 横倒しになっていたロックイーターは、左右の顎を貫かれて地面に釘付けにされた。

 地面に縫い付けている方の盾をディティスは腕から外して、まだ生えかけで半分ほどしか出ていない顎に、残った盾の杭打ちを使う。

 そして、杭を刺した、生えかけの顎を無理やり引き抜いた。

 体をくねらせ、どんどんと自らを地面に叩きつけながら、洞窟中に響くほど大きな悲鳴のような音が上がる。

 ディティスは念のためと、こいつを地面に縫い付けている盾を、上から数度叩き、一層強く地面へと食い込ませる。そうした後、わずかに残った荷物の中から、油の入った缶を持ってきた。

 顎を抜き取った大きな痕。すでに再生が始まりそうに肉が蠢いている。体液は既に分泌を終えているようだ。

「ここまで再生がはやいと、物理ダメージなんて、いくら与えても焼け石に水だね。だから――」

持ってきた缶の中身を傷口へとぶちまけた。

「こういうときは焼いてしまいましょう」

メタルマッチで油に火をつける。

 点火した火は勢いよく傷口を焼いて、広がる。この油は水や水を多く含んだ土などをかけるまで消えない。それどころか、水気を帯びた物をかけられるまでは半永久的に燃え続ける。体液でどうなるかはわからないが、少なくとも、肉汁がかかって消えることは無かったと、これまでの旅路で覚えている。

「あ、そうか!」

ロアが気づき、同様に油を持ってきてロックイーターにかけて点火する。そうして残りの者も、亡くなった人の荷物からも、かき集めるように油を持ってきてかけ、点火した。

 傷は焼け、体液は止まり、再生もまた止まった。今まで散々苦しめてきた鱗は、熱でどんどん赤熱化して、内部をじっくりと過熱している。この頃にはもうロックイーター自身ピクリとも動かなくなって、ディティスも盾を回収していたが、火は当然消えない。

「な、なんか、暑いね」

ディティスが汗を拭いながらつぶやく。

「あ、このままじゃ酸欠と一酸化炭素中毒で死ぬ。俺らが」

太った青年が言った。

「なにそれ」

ディティスがぽかんとした顔で聞く。

「呼吸するための空気が無くなって、代わりに出た毒ガス吸って死ぬってこと!!」

青年はディティスにもとてもよくわかる言葉で説明してくれた。

 この洞窟はこの程度の火で酸素が無くなるほど狭くはないが一酸化炭素で死ぬことは、万が一にもあるかもしれない。

「そりゃだめじゃん! 水!!」

「おらよ!」

バシャッと水がかかり、火が消えていく。ロアだった。

「鍛冶道具にはバケツも含まれますってな。火遊びする時は必ず水を用意しとくもんなんだぞ。知ってたか、ディティス」

心底馬鹿にしたような口調でバケツを肩にかけたロアが言った。

「そのくらい知ってます~。山火事になったら大変だもん」

「そうか、意外だった」

「私、今回最高の功労者なんですけど、そんなセリフ吐いていいのかな?」

「最初の方うずくまって泣いてたくせによく言うよ」

「泣いては、ないし……」

「あの、私の鎧は……」

ユニエラがおずおずと話しかけてくる。

「あ、ごめん。返すね。はい」

「あ、あ、あああああああああああっ!?!? な、ななな、なんですのこれは!!」

無惨にも中央から割られてしまった鎧を前にユニエラは怒りと悲しみをない交ぜにした声で叫んだ。

「いや、ロアが直せるから、たぶん……」

「直せなくはないけど、先に言うことあんだろお前」

「うん、ごめんねユニエラ。でも緊急事態だったし」

「一言多いぞ」

「お、お兄様に、お誕生日に頂いた、大切な鎧が……こんな、酷いですわ」

そういうとユニエラは大粒の涙を流して泣き出してしまった。

「あぁ、本当にごめんなさい! ユニエラ、鎧はちゃんとロアが直してくれるから!」

「おい、俺はまだ直すとは――」

「ほ、本当に直せますの? 庶民の鍛冶師崩れ冒険者風情が?」

「大丈夫だよ、腕は確かだから」

「おい」

「え、ロア、ひょっとして直せない? しょせん庶民だから?」

「お前もその庶民様だろ。あーもう、やってやるよ! そのくらい直せるわ! 待ってろよ、元より性能も見た目も上げてやるからな! オーダーを聞こうか、貴族のお客様!」

「ほら、やる気になってくれたから好きなように注文付ければいいよ、ユニエラ」

「グスン……はい」

ユニエラは鼻をすすってロアとその場を離れていった。

 ユニエラは、今だいぶ情緒が不安定なようだ。優しくしてあげようとディティスは思った。



「そういえば、ユニエラはなんで俺が鍛冶師だって知ってたんだ?」

道すがらロアは先ほどの会話の疑問点を問うた。

「グスン、自分で鍛冶道具がどうだと仰っていたでしょう? ですから鍛冶師なんだと推測しました。あと、呼び捨ては止めてくださる?」

「あぁ、すみませんね、ユニエラ『さま』……あー、なんだ、そんなに泣いて水分を出すな。俺たちが来るまでまともに食事も摂ってないんだろ? 干し肉が少しあるからかじってろ」

ほらと干し肉とハンカチを手渡した。

「固い……味が薄い」

「よく噛め。そういや、ディティスもユニエラ様のこと呼び捨てしてたけどそっちはいいのか?」

「そういえば……私の鎧を壊しておきながら、あまつさえ呼び捨てなんて、あの平民……あ、少し味が出てきました」

「そりゃよかった。それでどう直す、鎧。元々ところどころ欠けていたから完全に元通りってわけにはいかないぞ」

「その前に、いいかしら?」

どうぞと促す。

「私、サラッと付いてきましたけど、別に離れる必要無いんじゃありませんの?」

「無いんだかあるんだか、微妙な言い回しだ」

「茶化すんじゃありません!」

「はいはい」

少し間をおいてロアは話す。

「あー、まぁ、なんだ。やたら明るく振る舞ってるけどな、結構アレもしんどいんだよ、たぶん。喪に服してる暇もなかったし。……戦う場なんてきっとそんなもんだろうなってのは俺とアイはここに入る前から話してて覚悟はしてたからな。話を聞くに、顔をつきあわせてた知人が目の前で死体になるってのを経験したことがなかったそうだから、人の死っていうもの、それ自体に耐性がないんだ。だから少し、悼んでやれる時間と場を作ってやろうとな」

「あの窪地でも人死にが出たんじゃありませんの? そっちは大丈夫だったんでしょ?」

「まぁ出たには出たが……。言っちゃ悪いが、あそこでは交流なんてしてなかったからな、ジンベイさん以外とは。そんな暇もあんまりなかったし。だから誰々が居なくなった、死んだっつっても実感そのものがねーんだよ。目の前で引きずられてくのを見るのはキツかったが。誰か知らない人と見知った人とじゃショックの大きさはだいぶ違うだろ?」

「そうですわね。私も部下が亡くなったといっても数字でしか見てませんでしたもの。流石に、最後に亡くなった執事の今際の際の顔は覚えてますし、ショックは大きかったですけれど」

「いや、お前。それはそれでどうなんだよ。お貴族様はせめて自分に命預ける部下の顔と名前くらい覚えとけよ」

「ぐ、ぐうの音も出ませんわ……。私も追悼の祈りくらいはしませんと」

「そうだな。それでご注文は? ユニエラ様」

「お任せします。どうせ、ろくに材料もないのでしょう。見栄を張って何でもできるなんて言うものではありませんわ。あの鎧は確かにお兄様から頂いた大切な品ですけれど、私の代わりに壊れてくれたんだと思えば、お兄様が守ってくれたようで、少し気が楽になりました」

「そう聞くと、なんか、お兄様が亡くなったみたいに聞こえるな」

「無礼ですわよ。聞いていたのが私でなかったら打ち首ですわね」

「貴族との会話なんて庶民はしたこと無いからな。するとも思ってないし、悪かったな。材料のことはまぁその通りだ。だが、あのロックイーターのが使える……と思う」

「? あの鱗ですの?」

「あぁ。ありゃ金属が含まれてる。精錬すれば上質な材料になると思うんだけど、ここじゃ加工出来ねぇから、外に出て、アレが回収されるまでは、その鎧、今回は簡単に繋いだやつで我慢してくれねぇか?」

「まぁ、今回はそれで良いでしょう。鱗の必要なところに自分の名前でも彫っておくことですわね。生きてここを出られたら便宜を図ってあげます」

「頼むわ、まぁ死なんように頑張れ。」

「あの、その……」

「なんだよ。まだなんかあるのか?」

「な、名前を彫れというのは……じょ、冗談ですわ」

その言葉に一瞬ぽかんとしたロアは、その言葉があまりにも意外だったので思わず笑い出した。

「ぷふ、フフフ、お、お前、冗談とか、ハハ、い、言えるんだな、は、ハハ、ワハハハハ!」

「冗談くらい言いますわ! 私をなんだと思っているのかしら、どこまでも失礼な方ですわね!」

カラカラと笑うロアの顔を見て、自分も自然と笑顔になっていることにユニエラは気付いていない。


 ロアが大きな声でディティスを呼ぶ。

「ディティスー! もういいか?」

ディティスは目元を腕で拭って、赤くなった目で応える。

「なにが? いつでもどこでも、私は……大丈夫、なんですけど!」

声も震えている。少し早かったかとロアは少し罪悪感を覚えたが、今は残った面子の装備の補修が必要だ。

「そうかよ。じゃあ、ちょっと先まで行って油取って来てくれ。修理のための火がない」

「自分で行けばいいじゃん」

「体動かしてれば余計なこと考えなくて済むぞ。アイも一緒に行ってくれるか?」

「わ、わかった」

アイの目も少し赤かったが、二人は連れ立って、洞窟の少し奥へと走って行った。

「大丈夫か? 二人だけで」

太った青年が言った。

「うん、まぁ大丈夫だろうけど、心配なら付いて行ってくれないか? えーっと――」

「あぁ、名乗ってなかったな。クガルーアだ」

「クガルーア、何?」

「ただのクガルーアだ。名字は捨ててきた。色々あってね。良さそうなの思いついたら教えてくれ」

この時点で貴族臭いと判断したロアは、これ以上の追求をやめた。

「そういや俺もここにいる奴らに名乗ってないな。ロア=キールだ。ディティスっていう泣きべそ脳筋女に付いてったのが双子の妹のアイだ」

「やたらざっくばらんに会話してらっしゃいましたけど、恋人なのかしら?」

「誰と? ディティスと俺が? ハハ! ないない。脳筋に興味ないの、俺は。それに、アイの話を聞くに、外にもう良い人がいるらしいしな」

「あら、意外ですわね。あんなガサツが服を着て歩いているような方がいっぱしに恋愛などしてらっしゃるなんて」

「ロア! ユニエラ! 聞こえてるんだけどー!」

そこまで大きな声で話していたわけではなかったのだが、ディティスからの返事が飛んできて、驚いた一同、その場で声のする方を怪訝な顔で凝視してしまった。実は近くにいたのではないかと。

「盗み聞きしてる余裕があるって事は、油は集まってんのか?」

「盗み聞きとか人聞きが悪いよ。話聞ける余裕があるくらい魔物が湧かないの! もう少し奥に行ってみようかなって思ってたところ!」

「いや、いい。戻ってこい。奥に行くなら全員でだ」

「わかった!」

ロアは普通の大きさの声で話していたのだが、ディティスはそれに当たり前のように返事をして、アイを伴って戻ってきた。

「全然湧かないよ」

「まだこいつのテリトリーってことか」

ロックイーターの死骸を蹴りながら話すロア。

「再生能力高かったし、生き返ったりしないよね?」

「怖いこと言うなよ……」

じゃあと、クガルーアが提案する。

「念のためバラバラにしよう。流石に切り刻まれて生き返りはしないだろ」

「そうですわね、万が一なんてことあったら大変ですもの」

ユニエラに続いて一同も頷く。

「じゃあ、鱗剥がしてぶつ切りにしますか。ディティス、よろしく」

「よろしく?」

「鱗一番早く剥がせるのお前じゃん?」

「なるほど。一人でこれ全部やれと? 殴ろうか?」

「全部とは言ってねーだろ! 指を鳴らすな! 胴回り半周くらいを何カ所かやってくれって話だ」

「それでも結構キツと思うんですけど?」

「これを貸してやる。テコ使えば幾分楽になるだろう」

言ってクガルーアがウォーハンマーを手渡した。

「あぁ、なんか、どうあっても私がやる流れなのね……」

受け取りながら独りごちるディティスだった。



 先ほどの戦闘で剥がした箇所を最初にする。

 ハンマーのピックを、深く、鱗と肉の間に突き入れて、先に剥がしていた鱗を支点になるようにハンマーの下に入れる。あとは柄を思い切り引っ張り倒す。

 すると、意外にもすんなりと剥がれていった。

 生きていた頃とは雲泥の差だった。

 鱗を剥がした後の肉からは何とも香ばしい匂いと湯気が立ち上ってきた。

 人を食っていた化け物であることは重々承知していたが、それでもこの匂いを嗅いでしまうと、人はどうにも涎が止められないのだ。

「ねぇ、この肉美味しいのかな?」

ディティスはつい、ぽつりと言ってしまった。

 ぐぅ~と、腹の虫も一緒に鳴いていた。

「正気ですの、あなた。つい今しがたまで人を食っていた化け物ですのよ? それをあなたも見ていたでしょう?」

「そいつにジンベイさんも食われて、お前さっきまでベソかいてたじゃないか。それを……」

さすがにどん引きしているユニエラとロア。無理もない。死闘を繰り広げた人食いのモンスターを、今度は逆に食ってやろうなどと、どんな蛮族なのかと二人の目はそう語っていた。

 だが、クガルーアとアイは見解が違った。

「信じられないという二人の気持ちは分かるが、実際、食糧不足は深刻だ。備蓄を粗方持ってた奴も、さっきそいつに荷物ごと食われちまったしな。気色悪いとか言っている余裕は、今この場にはない。嫌悪感が勝っていようが、味が悪かろうが、今はそいつを食えるのなら食うべきだと思う」

「も、もしも、この先、こ、このロックイーターのせいで、ま、魔物が出なくなっていたら、そ、それこそ飢えて死んじゃう、よ? み、水はあるけど、そ、それだけじゃ動けない、から……。す、好き嫌いは、で、できない……」

うーんと、考え込むロアと狼狽するユニエラ。そして今にもかじり付きそうなディティス。

 動いたのはディティスだった。

「賛成3、反対2ってことで、食肉加工で決定です。アイちゃん、クガルーアさん、手伝ってくれますか?」

二人は頷いて作業の手伝いに入った。

「味は一応みとかなきゃいかんだろうな」

クガルーアはナイフで一口大の大きさに肉を切り取ってアイとディティスに分けた。

「では三人で、いただきます」

三人は同時に、ロックイーターの肉を口に入れた。ユニエラはそれを気持ち悪そうにみていた。ロアは、まだ悩んでいた。

 さて味は――。

「ぉお! これは……」

「!!」

「う、うまぁぃ」

三人とも目を輝かせた。

 怪訝な顔で怪しむユニエラとロアにクガルーアがもう一切れずつ切って渡す。

「まぁまぁ、騙されたと思って」

「ど、毒見役を任せますわ、ロアさん?」

「いや、もうあいつらが食ってただろう。覚悟決めろ」

「うぅ……」

しぶしぶ二人は肉を口に入れた。すると。

「な、なんですの!? こ、こんな上質なお肉、久しぶりに食べましたわ!」

「俺は生まれて初めてかもしれねぇ、美味いなこれ!」

二人は驚天動地ともいえる衝撃をその肉から受けたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パリィ!バッシュ!バンカー! 浮脚ダツ @HoverLegAdmiral

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る