シデリアン洞窟編Ⅱ
洞窟の中は存外広く、一番奥が袋小路になっているという話にもかかわらず、風まで感じられる。
天井には、光る虫なのか、苔なのかは分からないが、ビッシリと貼り付いていて、洞窟内を怪しく照らしている。
地面は、あちこちから湧き水が出ており、その影響で湿っている。岩場は滑りやすそうなので要注意だ。
湧き水は、天井からの淡い光を反射させて、辺りでキラキラと光っている。
そこかしこに大小の泉や池があり、大きめの泉からは小さな川が出来て、洞窟の奥へと流れている。
生活用水に困ることはなさそうだ。
「よし、まずは、薪の代わりになる魔物と食糧を確保しなきゃ。あー、あと、装備の締め加減も調節しなくちゃ……」
受付の男に言われたことを思い出しながら洞窟を進む。
10分ほど歩くと、目の前の空間に闇が浮かんでいた。天井からの光に照らされず、それの真下には影すらない。空間に穴が開いているような--否、事実、空間に穴が開いているのだ。
ディティスは、それが魔物の出てくる兆候だと知っていた。まだ村に居たころ、何度かあそこから魔物が出てきて、それを自警団が退治しているのを見たことがあったからだ。
これまでは自警団にやってもらっていたことを、今からは自分でやらなくてはいけない世界に来たのだと、気を引き締め、バックパックの肩紐のロックを外して荷物を降ろす。
穴から影が飛び出した。
穴は、破裂した風船のように、はじけて消えた。
飛び出してきたモノを注意深く見る。
大型犬くらいの大きさの、毛むくじゃら。イノシシのようにも見える。
呼吸は荒く、前足で地面を蹴り荒らして、既に臨戦態勢。いつ自分に突撃してきてもおかしくない。
盾を構える。とりあえず、姿勢を低く。自警団の人たちがやっていた姿勢を思い出しながら真似をする。
咆哮--魔物が突進を開始する。体を覆っていた毛は逆立ち、鋭利な棘のような形に変わっていた。
ディティスは咆哮と、棘の鋭さを見て腰が引けてしまった。
だが、魔物は容赦などしてくれない。真っ直ぐにディティスへと鋭い毛を向けて突っ込んでくる。
ガンと、鈍い音が衝撃とともに体に響き、そのまま尻餅を搗いてしまう。
盾と盾の隙間からは鋭い毛がいくらか覗き、盾に直撃した毛は歪み折れて、中から黒い油のような物が噴き出している。
一撃目を防がれた魔物は、再び助走をつけるためか、ディティスから一度離れていく。
ディティスは立ち上がって、構え直しながらチラリと盾の表面をみると、汚れはあったが、傷らしい傷は見当たらなかった。
人を貫くには十分だが、盾などを貫くには強度が足りないようだと分かり、焦ることはないと、自分に言い聞かせ、今度はしっかりと腰を入れ、地面を踏みしめる。
再び黒い固まりが突撃を開始する。
「今度は大丈夫。ちゃんとできる」
自己暗示のように呟き、真正面から盾で受ける。
衝撃――。腕から全身に響く。
――だが、倒れない。
「今度は、だいじょぉおおぶっ!」
声を張り上げ、全身から腕へ力を注ぎ、弾き飛ばす――。
魔物は自身の突撃の衝撃と、ディティスの力との相乗された衝撃でひしゃげながら吹き飛び、洞窟の壁に激突する--否、先程まで棘だった毛を戻し、クッションとして使い、ゴム毬のように壁を跳ねた。
地面に近づくと、再び毛を棘にして、今度はブレーキとして地面に食い込ませて制動した。
「そんなのあり!?」
想像以上に賢く動く魔物に、思わず声が出た。
魔物は未だ戦意高揚といったところか、地面を前足で蹴っている。
(確実に仕留めなきゃ、いつまでもこれが続いちゃう……。守っているだけじゃダメだ)
ディティスは片方の守りを解いて、フリーにする。
(腰はできるだけ低く、足を開いて、重心は前。衝撃を受けても体勢を崩さないように--)
彼女なりに考え、構えを作る。多少不格好であるが、それはいつの間にか、片手剣と盾を使う剣士の構え、それと同じ物になっていた。
片手になったとはいえ、ディティスの持つ盾は大きい。片手分だけでも十分体の大半を守れる。
魔物が突進を開始し、ディティスに棘が迫る。
(さらに身を低く、大地に根を張るように)
ガン!
真正面から三度目、盾で受ける。今度は弾かず、ぐっと衝撃を堪える。
(止まった瞬間が勝負!)
ずるずると、勢いを削ぐためにわざと押される。そして--
勢いが止まったそのとき、ディティスは、力任せに盾の角を、魔物の頭部に叩き込む。
「やあああっ!」
ペキャっと生木の枝を折るような音がした。
動かなくなった魔物をしばらく見つめるディティス。
本当にもう起き上がらないことを確認して、ホッと一息着いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ふぅ。初陣としては、なかなかな滑り出しじゃないかな、なんて。さてさて、この子は、食べられるのかな?」
うさぎや鹿、野鳥の解体なら経験があるので、その要領で魔物の検分をする。
「うーん。毛と皮と油が多いなぁ。過食部は少なさそう…… というか、血が出てないのはどういうこと?」
頭蓋を砕いたにもかかわらず、出血が見えない魔物の死体。暫く解体して、心臓と思しき器官を見つけたディティスは気づいた。
「あ、そうか。この油が血の代わりなんだ」
酷く臭うこの油は血液代わりということもあって、少ない過食部にもべったりと付着しており、とてもじゃないが、食べられたものではなさそうであることは容易に想像が付いた。
「油…… 油かぁ。あ、ひょっとしてこれが?」
何かを悟ったディティスは、近くの池で手とナイフを洗い、リュックから火起こしキット(マグネシウムマッチ)を取り出して、撒き散らされた魔物の体液の内の一つに使う。
すると、親指の爪ほどしかなかった魔物の体液は、驚くほど大きく燃え上がった。
「うわっ! あぁ、やっぱり、これがおじさんの言ってた『よく燃える魔物』か。というか『よく燃える』どころじゃない勢いだなぁ……」
他の撒き散らされた体液に引火するかと思うくらい大きく燃えているが、引火する気配はない。この体液は揮発性が低いようだ。
「すごい。火が柱みたいになってる……。少し怖いなぁ、これ。消そう」
そう言って水をかけた。
燃えた油に水をかける危険性を失念していたディティスは慌てたが、火はすんなりと、その場で消えた。
不思議に思い、そういえばと、油なら先ほど手を洗った池の表面に浮いているのではないかと池を見に行ったが、油が浮いている様子はなかった。底を浚っても見当たらなかったので、どうやら水溶性であるらしい。
黒く、油と同様の粘質で、揮発性はなく、水溶性。そしてよく燃える。不思議な液体だった。
火起こしキットとしてまとめられていた、袋の中にあった金属製の缶に魔物の体液を注いだ。
なにはともあれ、これで火の確保はできたといえる。
後は食料だと考えを巡らせたところで一つ思いついた。
「水で油が綺麗に洗い落とせるなら、あの肉も食べられるかも」
絞りカスとなった魔物の死体の内臓を除き、皮を剥ぎ取り、池の水で洗う。すると、先ほどまで、あんなにも酷かった臭いとともに体液は洗い流され、きれいな肉があらわれた。
「多少はまだ臭うだろうけど、野生動物には付き物だし、我慢できる。うん、これなら全然食べられそう。やったね、幸先いいぞ、私!」
岩塩をナイフの背で削って肉にかけ、揉み込んでおく。香草が欲しいところだが、欲は言っていられない。適当な布に包んでリュックに仕舞った。
「火も食料も水も確保できたし、進もう。一人より二人、昨日入った人に急げば追いつけるかもしれないっておじさん言ってたし、ひとまず、第二の目標はその先行してる人と合流ってことで、いざ出発!」
小走り気味にディティスは洞窟を進み出した。
道中、最初に倒した魔物や、また別の魔物、洞窟に住まう攻撃性の高い動物と遭遇した。
この間にディティスは、動かしづらい箇所の装備の調整を行いつつ、武器の扱いを学んでいった。
正面から筋力に任せて攻撃を受け止めるよりも、敵の攻撃にあわせて、盾で攻撃を逸らす方が、体力的にも、戦術的にも有効だとわかった。また、この『逸らす』際に、盾と敵の接触箇所から、とても綺麗な音が出ることがわかり、しばらくの間、その音を聞くために戦闘をしていた。
一見下らない動機だが、その思いでもって、細かな盾の扱いを修得したのは事実であり、彼女の今後にとって、とても重要な期間であったことは間違いないのだ。
2日ほどを過ごし、ディティスは一つの戦術パターンを無意識的に使い始めた。
まず、敵の攻撃を受け流し、盾を構えたまま体当たり、敵の体勢を崩したら思い切り頭を殴りつける。彼女の怪力でもって、盾の角で殴られた魔物や動物は、例外なく、一撃で息の根を止められた。
また、この洞窟では、火を絶やさずいれば、ある程度の魔物の出現や動物の接近を防げることがわかった。入り口の男が教えてくれなかったことだ。単に知らなかったのか、あえて教えなかったのかはわからないが、とりあえず、トイレ中、就寝中などに襲われる危険はこれでだいぶ減り、比較的安全に洞窟を進めるようになった。
そうして、進んだ4日目の朝。少し先で戦闘の音が聞こえてきた。
「や、やっと他の人の気配が! 急ごう!」
洞窟に入ったときよりも食料で重くなったリュックを背負って音の方に急ぐ。
余談だが、合流に4日もかかったのは、倒した魔物や動物を片っ端から食料に加工していたからだということにディティスは気づいていない。
だんだんと音が近づいてくる。
金属同士がぶつかるような高い音が複数聞こえる。1対1の戦闘ではなさそうだ。
視界を遮っていた大きな岩を迂回してついにたどり着いたそこには、二振りの剣を振り回す少年と、魔法の杖のようなもので殴る少女。そして、10匹ほどのゴブリンが見えた。既に周りには、別に10匹ほどのゴブリンと他の魔物が倒れており、二人とも息がだいぶ上がっているようだ。
このままでは、体力が尽きたところを嬲り殺しにされてしまう。
「いけない!」
荷物を咄嗟に下ろし、ゴブリンの群れに跳躍した。
群れの一番外側――自分に一番近いゴブリンを、最前線のゴブリンめがけて殴り飛ばす。
声とも言えない声を上げて、最前線で少年に切りかかろうとしていたゴブリンが、ディティスの殴り飛ばしたゴブリンに激突されて一緒に地面に転がった。
少年は、一瞬呆けた顔をしたが、直ぐに状況を飲み込んで倒れたゴブリンに止めを刺した。
ゴブリンたちは、少年よりも混乱状態に陥った様子だ。今、少年に止めを刺されたのがリーダーだったらしい。
先ほどまであった統率を失い、烏合の衆になったゴブリンを3人で各個撃破した。
「いやぁ、助かったよ。後少し遅かったら、俺たち死んでたかも」
少年が握手を求めるように手を出す。ディティスは応えて手を握る。
「間に合ってよかったよ。なんでゴブリンが急に統率を失ったかはわからないけど」
「え、狙ってやったんじゃないのか!? あの先頭のリーダー。あいつがちょくちょく指示出してるの見えたから、俺狙ってたんだけど、リーダーだけあってなかなか強くてさ、膠着してたんだ。そこをあんたが吹き飛ばしてくれて……」
「あ、そうだったんだ。私は先頭の一番君に近い奴ぶっ飛ばしたら目立つし、それで注意がそれて戦いやすくなるかなって思っただけだったんだけど」
「ははは! 面白いなあんた――」
「うーん、“あんた”じゃいつまでも悪いな。自己紹介しよう。俺は、ロア=キール。そっちの静かなのはアイ=キール。双子の妹だ」
アイと呼ばれた少女はペコリと頭を下げる。
「あ、アイ、です。助けてくれてありがとう、でした」
「私は、ディティス=アンカー。よろしくね、ロア君、アイちゃん。私は、二人の次の日に洞窟に入ったんだ。追いつけてよかったよ」
「次の日ってことは、4日も一人で、ここまで来たのか、すごいな」
「そうかな? 割と楽しかったけど」
「はは、こりゃ大物だ」
「あ、私、向こうに荷物置いてきたから、取ってくるね」
そう言って、荷物を回収して戻ってきたディティスが、開口一番で、二人のチームに入れてくれないかと提案し、二人は、二つ返事で了承した。
「あ、あの、武器を直してもいい、ですか?」
おずおずとアイがディティスに訊く。
「え? うん。でも、直す? それ魔法の杖じゃないの?」
「わ、私、魔法なんて、つ、使えないです。これは、その、鎌の柄で……」
「鎌? 農具の?」
「はい。使い慣れているので、受付で、む、無理を言って、貸してもらいました」
「いやさ、ディティスが来る前に、柄から刃の部分がすっぽ抜けちゃって、それで仕方なく柄で殴ってたんだよ、アイは」
「そうだったんだね。でも意外、アイちゃん、結構アグレッシブな感じなんだ」
「あぁ、アイは口下手で、喋るのは苦手だけど、大体、顔か行動に出るから。喧嘩とかするともう手やら足やら、雄弁に語りかけてくるよ」
「--!」
無言で頬を膨らませながら、アイはロアの横腹を、鎌の柄で小突いた。ディティスは、アイと喧嘩にならないようにしようと心の中で誓うのだった。
「それで、鎌を直すんだよね? そういうの出来るの凄いよね」
「俺たちの実家、鍛冶屋でさ、よく手伝わされてて、そういうのは覚えちゃったんだよ。アイは母さんと近所の人の家の農作業手伝ってたけど。あ、あった。こんなとこまで飛んでたのか」
鎌の刃は、ディティスたちが合流した箇所から10メートル程離れたところに飛ばされて、そこに偶然いたと思われるゴブリンに突き刺さっていた。
「アイ、柄、見せてみ」
アイは柄を手渡し、ロアはよく観察する。
「あー、締め付け用の金具が緩んでる。歪みも結構あるなぁ。まぁ刃がなくなった後ゴブリンとか殴ってたし、それは仕方ないか」
アイが後ろから、不安気に直りそうか訊ねると、兄ちゃんに任せとけと、ロアが返した。
その微笑ましい兄妹のやりとりに、数日ぶりの人の暖かさを感じるディティスなのであった。
「ディティス、アイ、火を起こしてくれるか? あと、そこらのゴブリンの死体から荷物漁って金属集めてくれ」
「はいはーい」「うん」
備蓄の油に火をつけて、ゴブリンを漁りに行く。だが、持ち物と呼べるほどゴブリンは物を持っていなかった。
「剣くらいしかなかったよー」
「ベルトの金具とかもなかったのか?」
「うん。ベルトはみんな革製だったよ。革に穴あけて、蔦で結んでるの」
「へぇ~、そんなもんか。ま、剣があれば十分か」
「鎌捨てて二人とも剣にするの?」
「それも少し考えたけど、ここまで来て得物変えるってのはちょっとリスク高いかなと思って止めた。アイも嫌がるだろうし。だから、鎌を直す方向でちょっと頑張る。兄の威厳を見せてやるよ」
「おう! 頑張れ、お兄ちゃん!」
「ぶふっ、お前がお兄ちゃんって言うなよ!」
クスクスと隣でアイも笑っている。
今日のところは、このままここで過ごすことになりそうだと思い、ディティスはアイに提案する。
「アイちゃん、周りのゴブリン片付けようか。今日はここで寝ることになりそうだし」
「う、うん。わかりました、です」
二人で大きな穴を掘って、ゴブリンを中に放り、油を撒いて火を点ける。
「酷い臭い……」「臭い……」
鼻を突く、食用のそれとは違う、肉を焼く臭いにむせ、二人はその場を離れた。
鎚を振るうロアを横目に、二人で野営の準備を整えて、食事だと伝えに行くと、『もう少しだから二人で先に食べていてくれ』と作業をしながら返されて、少しイラッとしたディティスだったが、アイは、作業中のロアのことをよく解っているようで、『いつものことだから』と、はにかみながら笑ってディティスを促した。
「へ、返事してくれる方が、珍しい……き、今日はツイてる、です」
その、嬉しそうな表情を見て、ディティスは、怒りの矛を収めた。
食事を済ませて、特にやることもなくなった二人は、ロアの作業を見学することにした。
「アイちゃんもこういうのできるの?」
ただ見ているのもなんなので、アイに他愛ない話を振る。ロアはおそらく、会話にならないと先程のやり取りでわかっているので選択肢にない。
「わ、私は、全然……。包丁、研いだりとか、家事ぐらいしか」
「じゃあ、花嫁修業が終わった感じ?」
「は、花嫁修業? そういうのは無いです。お、お母さんの手伝いを、していたってだけで」
「あー、アイちゃんはそういうお手伝いが自分から出来る子だったかー。私はね、村のしきたり? みたいなので花嫁修業させられてたんだ。それまではそういうのが嫌で嫌で……」
「そ、それまではってことは、今は?」
「うん。やってみれば割と楽しくってさ、今は家事マスターって感じ。でも、お嫁に行くのとかは御免だったし、好きな人もいたし、二人で村出てきちゃった。それで、今私は冒険者を始めることにしたの」
そこまで聞いて、アイが首を傾げながら問いかける
「す、好きな人がいたのならその人と結婚したらいいだけだったんじゃ……? ご両親が決めた相手とじゃなくちゃダメ、ですか?」
「あー、違う違う――」
思いがけず始まった、慣れない恋愛の話に、照れ笑いを浮かべながらディティスは答える。
「その辺は自由恋愛なんだけどね。その、私が好きな人、女の子なんだ。さすがに同性で結婚はできないし、好きでもない村の男の人と、本当の気持ち隠して適当にくっ付くことになるくらいなら、いっそ二人で出て行こうよって、私が誘ったの」
アイが隣で目を輝かせているのがわかった。
「す、すごいです! 大恋愛、駆け落ち!」
「そ、そこまで大げさなものじゃないよ。ただ、少し前から、彼女も何か悩んでるっぽいなぁって思って、ちょっと無理に聞いてみたら、私のことが好きだっていうの。それで、自分が変なんだって泣いちゃって。そんなことない、私だって好きだよって。まぁ、そういう流れで村を出てきました」
「そ、その彼女さんは、い、今、ど、どうしてるんですか!?」
今までにない大きな声で話しかけられて、近めに座っていたディティスは驚いた。
「急に大きい声出すなよ! ビックリしただろ!」
ロアも驚いた。
「あ、ご、ごめん。ロア、邪魔して」
「いや、別に、集中してたから邪魔じゃないよ。今まで聞いたことないような声の大きさで急に来たから驚いただけで…… 気をつけてくれればいいから」
アイ自身もそんな大きな声が出たことに驚いているようだった。
これ幸いと、ディティスは話を逸らすことにした。
「そういえば、二人はなんで冒険者に? 鍛冶屋の跡継ぎとかじゃダメだったの?」
「え、えと、それは……」
アイはチラチラと、再び鎚を振るい始めたロアを見ながら、言い淀んでいる。
「あ、無理に話さなくてもいいよ? 私と同じくらいの子が冒険者になるなんて、色々事情があるだろうし」
「う、ううん。は、話す、よ? ディティスさんだけ、話すのは、ふ、フェアじゃないから」
またチラリとロアを見て、大きく深呼吸をしてからアイは話した。
「そ、そんなに珍しい話じゃ、ない、です。私たちの家は、さ、3人兄妹で、3歳上の、お兄さんがいるんです。あ、跡継ぎは、もう、そのお兄さんに決まっていて、ま、魔王軍との戦いで増えた税金で、うちはちょっと、生活が厳しくなっちゃって。それで、口減らしに家から出されました。そ、それで、終わりです」
「そっか。なんか、私の話がバカみたいに思えてくるね。ごめんね、辛い話させちゃって」
そこで少し疑問を持ち、一呼吸をおいて、ディティスは聞いた。
「でも、戦時中は鍛冶屋って儲かるんじゃないの?」
「か、鍛冶屋さんは、その、ま、魔王軍にも武器を納めているという仮定で、税金が多めに取られてるんです。せ、戦場で放置された武器は、魔王軍に接収されて使われているだろうから、お、納めているのと同じだって、理屈らしい、です」
「なにそれ、負けてる軍が悪いのに」
「ぐ、軍は、王国直轄の武器製作所があるから、じ、実家みたいな、個人の鍛冶屋さんの作ってる武器は、せ、戦場に出ない、です」
「え!? なお悪いじゃん」
「は、はい」
「あ、ごめんね、アイちゃんに言ってるわけじゃないからね」
「は、はい。わかってます、です」
「おし、できた!」
気まずい雰囲気を切るようにロアの声が入ってきた。
「ほら、アイ。鎌、直ったぞ。壊れる前よりむしろ丈夫なくらいだ、兄ちゃん会心の出来だぞ! と言っても、研ぐのはお前の方が上手いからやってくれよな」
「う、うん。ありがとう、ロア」
アイは、鎌を大事そうに持って、刃を研ぐために、駆け足で泉の方まで向かっていった。
「で、何の話してたんだ?」
「何でもない、何でもない。女の子の内緒話を聞こうなんて、デリカシーがないぞ、ロア君」
「真横で話していたくせに何が内緒話なんだ……」
「細かいこと言ってると、女の子にモテないよ」
「わかったよ、もう聞かないよ。それより、腹が減ったなぁ。何か余ってる?」
「余ってるどころか、ロア君の分が丸々残ってるんですけど、お鍋や食器洗いたいから早く片付けてもらえます?」
「なんか、すいませんでした」
ロアに食事を片付けさせて、寝る準備をする。丁度、アイも戻ってきた。
「交代で見張りながら眠ろう」
「見張り?」
「そういえばディティス、お前ここに来るまで寝る時はどうしてたんだ?」
「どうって、火を多めに焚いて、こうやって、寝てた」
言いながら、ディティスは、寝袋に入ったまま、膝を抱えるような座り方をし、そこへ自分が使っていた盾を両側から立てかけた。
「背中は壁に預けてね、正面には焚火があるみたいな」
見た目は金属板の下敷きにされているようで非常に窮屈に見える。
「おまえ、それ苦しくないか?」
「少しね。でも安全と天秤にかけたらこれくらいは許容の範囲って感じ」
「今日からは交代で火の番しながら寝るから、それしなくてもいいぞ」
「火の番って言っても、消えることの方が稀じゃない?」
「俺たちも入ってからずっとやってるけど、消えたことは確かに無いな…… でも、火を怖がらない魔物が今後出てくるかもしれないし、習慣づけておいて損は無いだろ」
「百理ある」
「新しい造語を作るな」
ロアは周囲を見回して違和感を覚え、ディティスに訊く。
「なぁ、テントはどうした?」
ディティスはきょとんとした顔をして『テント?』と首を傾げ、ポンと手を打った。
「あー、そんな物もあったね。一度も使ったことないから忘れてたよ」
そう言うと、自分のリュックを漁りに行くが――
「あれ? どこいったんだろ、使ってないからあるはずなんだけどなぁ」
「おいおい、寝袋の外袋とセットになってるだろ、寝袋があるなら無くなってるはずないぞ」
アイと一緒に自分のテントを設営するロア。
「うーん。おっかしいなぁ。……あっ! 思い出した」
「どこにあった?」
作業しながら雑に訊くロア。
「ない!」
「は?」「え?」
ロアとアイの声が重なった。
「いや、無いってどういうことだよ!」
「いやー、来る途中に、加工した肉包んでおく布として切って使ったんだったよー。初日からテントで寝る選択肢とかなかったしね。必然、使い道のない物は有効活用という感じで」
それを聞いて、心底呆れたような表情でディティスを見やるロア。深いため息を吐いて『こいつ、家事はちゃんとできるけど、基本的に脳みそまで筋肉詰まってるんだな』とディティスへの認識を改めるのであった。
「な、なに? その目は、ちょっと悲しくなるんだけど……」
「なんでもない。まぁ、交代での見張りだし、3人だし、テントは2つあれば十分だろ。俺かアイが見張ってる時は、片方のテント使っていいから。じゃ、最初の見張りはディティスってことで、よろしく。アイ、寝るぞー」
去っていくロア、そして『うん』と返事をし、少し申し訳なさそうにディティスに会釈しながら自分のテントに向かうアイ。それを何ともやり切れないという表情で見送るディティスなのであった。
2時間程をめどに見張りを交代し、久しぶりに横になって眠ったディティス。結果的に、最初に見張りに付いたおかげで、通しで4時間も眠れ、起きると、これまでより明らかに疲労の取れ方が違っていた。2番目に見張りに付いたロアは、2時間を2回と中途半端だった。そのことについて『ひょっとしたら私を気遣ってくれていたのかもしれない』と思ったディティスは、起床時にロアに礼を言ったが、ロアは『なんの礼だよ』と笑って流すのだった。
余談だが、結局、3人とも、見張り中に焚火に油を足すことはなかった。
野営道具を片付けて、食事をとり、出発する、ディティスにとって5日目の朝。今日からは、3人での道行きとなる。ロアたちに出会った直後は気丈に振る舞ってはいたが、不安が無かったと言えば嘘になる。だが、今はその不安も、昨日よりは小さい。
道中の戦闘では、ゴブリンなどの人型の魔物が増えてきた。当然のように武器を持っており、戦い方は3日目までのそれとは大きく変わった。最初のうちこそ、今まで通り、各々の戦闘スタイルのまま戦っていたが、相手も集団になったので、当然、チームワークで対処してくる。そのため、一人や二人だけでは危なくなる場面が出てきた。そうした中、自然と3人で連携を取るようになった。
ディティスが文字通りの盾役として、敵の攻撃を受け、流し、隙を作って、ロアとアイがアタック。お互いの隙はお互いで埋め合う、連携の基本を学んでいった。
ロアの双剣は、いかにも我流といった荒っぽい立ち回りだが、左手の剣での防御が上手く、攻撃時も、日ごろ鎚を振るっていた右手の攻撃は重い。
アイの鎌は、ロアの魔改造ともいえる修理で、元々農具だったとは思えないほど、武器としてちゃんとした物に生まれ変わっており、アイ本人の習熟度から、危なっかしさは感じられない。彼女が自ら研いだ刃は鋭く、鎌を振るたびに魔物の首が2,3個同時に飛ぶ。
ディティスの盾は、今までは自分一人を守っていればよかったものから、チームを守るための立ち回りに変わってきてはいるが、攻撃に転じた際の、その一撃の重さは変わらないどころか、鋭さが加わって、より洗練された。防御から攻撃、攻撃から防御へ移るタイミングの見極めは、この数日でぐんと伸び、攻守揃ったオールラウンダーへと成長した。
そして、ディティスが入窟して9日目、三人は、剣戟の音を聞く。
音の方へ向かった三人が見たものは、本当に洞窟の中なのかと疑うほど広大な窪地と、冒険者と魔物が乱戦を繰り広げる、戦場だった。
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