黒い花

まきや

黒い花



 病院。桜の蕾がはち切る直前まで膨らんでいる。たくさんの希望が開花しようとする季節に、その少年は絶望を口に訪れた。


「これは何だ?」医者は患者がまだ小さな男の子だというのに、隠しもせずうなった。

「ほょんにゃにひろいんれふは(そんなにひどいんですか)?」

 翻訳用の芋は不要だった。医者には少年が何を言いたいかが、分かったからだ。

「正直に言うよ。前例がない症状だ。逃げようとしても駄目だ。後ろのその扉は開かない。御両親、カバンから財布の御用意を。すぐに入院です」


 最初に検査から始まった。少年は何日も冷たいベットに縛り付けられた。口を開けられては器具を突っ込まれ、照明を当てられた。彼には見えない光もたくさん。


「ここに患部があり、喉を塞いでいます」

「ポリープですか?」母親が訊く。

「かもしれない。血腫か結節けっせつの可能性もある。しかし前例に無いと言ったのは、その形が棒状である事、そしてそれが平行線のように二本、見える事なんです」

 母親はショック受け青い顔になった。

 医者は思った。悪いが彼女には半分も意味が分かっていまい。

 父親は呆然としているが、彼の頭の中はきっと乳の事で一杯だ。SSSランクのたわわな乳キャラ出現イベントの事が、頭から離れないでいるに違いない。

 スマホのアクセサリーを見れば、そのゲームに取り憑かれている事はすぐわかった。それに奥さんは巨乳だ。


「喉の奥にある二つのすじ。この平行に走っているものが、とても厄介なのです。手術しようとして片方を引っ張ると、なぜか引き合うように、もう片方も引っ張られる。無理にやればどちらかが千切れ、大量出血は避けられない。

 すべてを同時にやる方法が必要なんです。内側から一気に押し出すような事ができれば良いのですが、私には思いつきません。それに患者さんはまだ小学生の男の子だ。患部が小さいと言うことが、全てを難しくしています。かといってこのままでは、食事も摂れずに、ますます衰弱してしまうでしょう」

「方法は無いのですか!」

「あるかもしれません……あるかも」伝えるかを悩んでいた医者は、ついに意を決した。「お金、かかりますよ?」



「できるわよ」その女医は唇を歪ませると、自信満々に言い放った。医者だというのに、白衣の裏側に潜むあまりにも黒い所業の数々。だからついたあだ名が『ブラッククイーン』。

 彼女は患者とその家族を前にして、値踏みするようにめ付けた。なぜか父親の顔にだけ興味を惹かれたようで、長めに視線を注ぐ。

「現金で五千万」彼女は軽い口調で命の値段を査定した。


 人命が対価とはいえ、尋常では無い金額だ。思わず夫を見る妻。その時、女王がニヤリと笑って身を屈ませ、胸元を思い切り引っ張った。豊かな乳の乗ったブラを指でずり下げ、ピンク色の中身を存分に見せつける。


「わ、わあああああああああ!!」患者の父親が突然叫んだ。母が驚いて乳、いや父を押さえにかかる。「も、申し訳ありません。夫はパニック障害で、時々叫んだりするもので」

「息子さんも?」

「ええ、実は…」

「でしょうね」女医は意味ありげに微笑んだ。


 しばし待たされたが、いくら話し合っても結果は同じ。両親は女王の申し出を受けるしかなかった。


「OK。すぐやるわ」

「え、手術ですか? 患者は今は痛みがひどいので、薬で眠っています」医者があわてて言う。

「ちっ、余計なことを。すぐに手術室へ運んで頂戴」


 これからオペが始まる。誰しもそう思っていた。

「せ、先生。術衣スクラブは?」

「このままでいいわ」

「え! 麻酔器を使わないって?」

「はいはい、下がって頂戴」

 閉め出された助手たちがざわめくなか女医は、他に患者しかいない手術部屋のドアを施錠した。

 だだっと足音が鳴り、すぐにガラス張りのモニタールームが、見学の人影で満室になる。


「手術を始めないのか?」

 誰かが言った事は、誰もが思っていた。

 手術室の内部を見ても、何かが始まる気配がしないのだ。そこでは患者が寝ていて、部屋のあるじたる女王クイーンが、足を組んで机の前に座している。あろうことかタバコをふかして! 灰を捨て、また吸う。繰り返される光景は、いつまでも続くかのように思えた。

「おい」誰かが気づいた。「このままだと睡眠薬が切れてしまうぞ!」


 その言葉が目覚めの合図だった。ベッドの上に動きがあった。患者の子供が起きたのだ。

「どうするんだ! どうなるんだ!」当惑する複数の叫び声は、悲鳴にすら聞こえる。


 待っていたかのように、女医がタバコを消して立ち上がった。うーんと伸びをする子供をよそに、彼女はモニタールームの方へ歩いてきた。コツコツと背の高いヒールを鳴らし、胸と尻を不必要に揺らしながら。固唾と生唾を飲み込む男たちの目の前に立つ。女医は手を伸ばし、内側からブラインドをさっと閉めてしまった。


 ああっという男たちの声は、事態が把握できなくなった困惑のせいか、褒美を無くした失望のせいか。その後は小さくなる女医の靴音だけが聞こえてくる。

「しーっ!」アシスタントのひとりが注意した。

 かすかに、さらさらと布の擦れる音がした。患者に外科の医術を施すつもりなのか? 相手は起きているというのに。


「あ、あ……」突然、戸惑うような声がした。声質は高くても、女性の物ではない。患者の子の声だった。


「え……わ! わあああああああああ!!!!!!!」


 病院内のどこにいても聞こえる叫ぶ声がした。そうしてばっという、何かが吹き出す音。普段は驚かない医師たちだが、声に度肝を抜かれていた。それは普段聞かない、あまりにも衝撃的な声だったから。


 誰もが呆然としている中で、不意に室内のブラインドが揺れ、さっと視界が開いた。部屋の奥で、患者の少年がベッドにぺたんと座っていた。遠目に見ても、目が見開かれ激しいショックを受けた様子がある。うつむいて、肩が激しく上下しているのがわかった。


『手術中』のランプが消え、ドアのロックが外れた。女医が入室時と変わらぬ服装で姿を現した。よく見ると握った右手が血だらけだった。


「それは……」

 主治医が尋ねると、女医はその手につかむもの・・を差し出した。「どうぞ」

 医師がこわごわと両手で受け取ると、血に包まれた棒状の肉塊がそこに現れた。

「こ、これはもしかして! あの血腫ですか? ま、まさか手術もせずに!?」


 医師が患部を確かめようとした時、女医の後ろから、少年が自らの足で進み出てきた。右手で口と鼻を、鮮血に染まる布で覆っている。

「咽頭から出血はあるけれど、大きな血管が破れたわけじゃない。その血は平気。すぐにおさまるわ」


「ありがとうございます!!」母親が感謝の声を上げた。父親は感動と欲情のあまり女医に抱きつこうとしたが、きつく睨まれて退いた。


 彼女は近くの水洗で血だらけの手と口をゆすいだ。喉元から垂れる水を妖しい仕草で拭いとる。「報酬はいつもの口座よ。ああ、タバコが吸いたくなったわ」クイーンはざわめくその場を気にもかけず、ひとり外に通じる廊下に出た。

 振り向いて、追って来ようとした医師たちに、冷たく言い放つ。「治ったことを喜びなさい。私が、どうやったか・・・・・・なんて、探らないことね……医者を続けたければ」



「……何が起こったんだ? 私には理解できない!」

「確かにこれは患部から出たようだが、どうやって?」

 堰を切ったように議論が交わされる。

「坊や、何をされたんだい?」医師の一人が賢明にも患者に尋ねた。だが子供は答えない。術後で声が出ない事が恥ずかしいのか、ひどくうつ向いて顔を赤くしていた。

「手術撮影用のビデオシステム!」問題の解決法を提案したのは助手の一人だった。


 すぐに大勢が専用モニタの前に押し寄せる。これで答えが分かる――誰もが固唾を飲んで見守った。


 画面に数十分前の部屋の様子が映し出された。暗めの室内、背を向ける患者の前で、女医がカメラの方を向いて立っていた。やがて、女医の肩からスルスルと白衣が脱げ落ちた。誰かの椅子がガタンと倒れる音がした。そのまま目を閉じる間もなく、女医は一瞬で全裸になった。やがて彼女は床に白い尻を付けて座った。膝を立て、なめらかな長い脚をゆっくりと左右に開いていき……。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」


 室内に激しい雄叫びが轟きわたった。男たちの口から血の混じった何かが吐き出され、壁にびちゃりとぶつかった。それは彼らの声帯そのものだった。

『ぶ、ぶらっ……くぃ……ん…』主治医の口から声にならない音がした。



 外部の喫煙所の椅子に座りながら、女医はタバコの煙をゆっくりと宙に吹き出した。消えゆく煙を空に眺めながら、彼女はずっと五千万の使い途を考えていた。

 消える煙の先に、自らの蕾の重さでしなる桜のひと枝が目に入った。そこに咲いたピンクのしるしを見つけると、女医は独りささやいた。


「あの子たち、ようやく開花したのね」




(黒い花   おわり)

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黒い花 まきや @t_makiya

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