濁った渦

さとこは執筆中

序章

ー伸枝の記憶ー

もう随分、昔の話だ。



 


 高校を卒業した年の4月のよく晴れた日だったと思う。


私は親友のまゆ子の引っ越しを泊まり掛けで手伝うことになった。


まゆ子は色白のすっきりとした顔立ちの美人だ。

背もスラリと高く、高校時代は男子からモテていた。


何度か告白もされたようだが、結局誰とも付き合わなかったようだ。


まゆ子はA市のデザイン事務に事務員として就職した。


そのため実家を出て、職場から程近いアパートに引っ越すことになったのだ。


そのアパートは家賃が格安らしいが、とても古くてカビ臭かった。


私はその部屋に入った瞬間、嫌な感じがした。しかし、まゆ子が気にしないなら余計な口出しはするべきではない。


夕暮れ時、ショッピングタウンにあるイタリアンレストランへ行こうという話になった。


林を抜ける砂利道を通れば近いらしいが、そこにまつわる噂を耳にした私は絶対に、そこを通りたくなかった。


幸い、まゆ子のおばあちゃんが物騒だから通らないようにと釘をさしてくれたため、まゆ子はその道を選らばなかった。


私はホッとしていた。


ショッピングタウンに続く国道はとても明るかった。

両脇はきらびやかな店舗が軒を連ねて建ち並んでいる。

その光景に私は少し安心した。


ショッピングタウンはホームセンターやアパレルショップ、飲食店がひしめき合い賑わっていた。


まゆ子がこれから住む部屋とは、まるで時代が違うと感じた。


なぜ、まゆ子はあの部屋を選んだのだろう。

私だったら、どんなに家賃が安くてもあんな古くて気味の悪い部屋には住まない。


私達は話していたイタリアンレストランに入った。


店内は流行のインテリアで揃えられ、聴いたことのない洋楽が静かに流れていた。


店員に案内され、窓際の席に着く。


窓からは電飾に彩られた店舗と行き交う人達の姿が見えた。

年度初めなこともあり、随分と混み合っていた。


私達はボンゴレビアンコのパスタの大皿とLサイズのピザを1つずつ頼み、シェアして食べることにした。


料理が来るまでの間、自然と話が弾む。


まゆ子が言った。


「なんだか寂しいな。伸枝とは中学も高校も一緒だったから。」


私はこの春から大学生になる。

生まれ故郷の町から車で3時間かかるB市で1人暮らしをする。


私が住む部屋は少し家賃は高いがセキュリティがしっかりしており新しかった。

私が選んだというよりは両親が決めた部屋だ。


家賃も生活費も学費も全て両親が出してくれる。

私は真面目に大学へ通い、勉強していればよい。


まゆ子が進学を諦めた時の事を思い出した。

高校2年生の夏休みまでは、まゆ子は保育士になりたいと言っていた。


しかし、進学先の学費や住む部屋の家賃、生活費などがどれくらいかかるのか調べた彼女は、あっさりと進学を断念した。


悲しそうな顔は見せなかった。

むしろ、清々しかった。



私は先程のまゆ子の言葉に答える。


「うん、本当に寂しい。

離れても、たまに遊ぼうね。」


心から言った。

でも、すでに私達はわかっていたと思う。


それぞれが各々の場所で新しい世界に所属し、それを中心に日常が進行していくことを。


だから、仮に私達が疎遠になったとしても致し方ないことなのだ。


まゆ子は当たり障りのない話を始めた。

好きな俳優や流行りの音楽について話し、屈託のない顔で笑った。

私もそうやって笑った。


そのうちに料理が運ばれてきたが、それでも私達は食べながら話をした。


時間はあっという間に過ぎた。


帰り道、互いに食べ過ぎたことを後悔しながら太ると言って笑った。

ふたりとも、ちっとも太っていないけど。



 深夜、伸枝は胃の痛みで目を覚ました。

パスタやピザを食べ過ぎたのかもしれない。


隣では、まゆ子の穏やかな寝息が聞こえる。

よほど疲れているのだろう。

熟睡しきっているように見える。


伸枝はトイレへ行こうと布団から出た。


こうやって1人で夜中に起きていると、この部屋は昼間のそれよりも一層気味悪く見えた。


それは古いというだけの理由ではない気がする。


考えすぎかな、、、。

そういうことにしておいた。


玄関横にあるトイレへ行くため、自分たちが寝ている部屋の襖をゆっくりとあける。




ススーーーッという音がやけに大きく感じられた。



街頭の明かりが玄関のたたきに射し込み、私とまゆ子のスニーカーを照らしていた。



トイレのドアノブを廻すと、ゴヂャッという耳障りな音がした。




照明スイッチを押して扉を閉めると、少しだけ緊張が解れる。


まゆ子のおばあちゃんが買い揃えたピンク色の便座カバーや花柄のスリッパが、伸枝の気持ちを落ち着かせた。



用を済ませトイレを出る。




ゴヂャリと不愉快なドアの閉まる音が響いた。




トイレの正前には3畳の和室がある。





伸枝は気づいてしまった。



その部屋の引き戸が僅かに空いていることに。


その僅かな隙間から街頭の光が漏れている。



さっきまで、こんな光はなかったはずだ。





先ほどまで扉は完全に閉まっていたのだ。





伸枝は背筋をザワザワと虫が這うような感覚に襲われた。



伸枝は1歩も動けずにいた。


正確には足を誰かに捕まれているかのように自由が利かなかった。





突然のことだ。





バシンッ バシンッ ドッ


ガゴッ ドッ


ガゴッゴッゴッ ドッ ドッ


     

    

    ガゴンッ





え!?




隙間の空いた3畳の部屋から大きな音が聞こえてくるのだ。



え、、、何!?



寒気が止まらない。


冷や汗が滴り落ちる。



え?






ズッ、ズッ、ズル、ズル


ベタンッ ズル、 ベタンッ


ズル ズル ズル ズルズルズズズズズズ




伸枝の方に何かが近づいてくる




イヤ、イヤ、、、来ないで、、、。


嫌だ、怖い、来ないで、、、。


イヤ、イヤ、イヤ、ア、ア、ア、、、、。


来ないで!!





しかし、、、。







「、、、ケテ、、、タ、、、ケテ、、、、。」




 



  タ   ス   ケ   テ






「い、いぎゃあああああああああああ!!!」







伸枝の叫び声を聞いたまゆ子が血相を変えて廊下に飛び込んできた。



「伸枝!?どうしたの!?大丈夫!?」



まゆ子によって照明がつけられ、辺りは明るくなっていた。






その時にはもう、、、。






目の前の引き戸は、隙間なくピタリと閉じられていた。





 それから1週間程経った頃だと思う。


私は、まゆ子の部屋で起こった出来事を振り返った。


あの時、私はまゆ子に本当の事を言わなかった。


寝ぼけていたのだと嘘をついた。

無理があるのはわかっていたが本当のことを言えば、まゆ子を怖がらせるだけだ。


まゆ子は特に追及してこなかった。



私は以前、クラスメートから恐ろしい噂話を聞いていた。


「A市のショッピングタウンに続く近道の話、知ってる?

うん、そう。細い砂利道。


そこで起こった事なんだけど、、、。


ある男がね、大きなスーツケースを両手に持って引きずりながら歩いていたそうなの。



ゾゾゾゾゾゾゾゾ、、、ゾゾゾゾゾ、、、て。




深夜2時、小雨が降っていたわ。



スーツケースがとても重たかったのね。


やがて男は立ち止まり、その場に腰を下ろしたの。


そうしたらね、、、。





「お手伝いしましょう。」




女の声がしたのよ。




男は立ち上がり、辺りを見回した。



そうしたら、、、。


目が合ったんだって。



真夜中、木の影に立ち尽くす真っ赤なワンピースを着た少女と。


少女の腰まで伸びた長い髪は雨に濡れ乱れていて、裸足にボロボロのサンダルを履いていたそうよ。


全身ずぶ濡れで、異様に大きな目を見開いてたの。


男は恐怖のあまり動くことができずにいたわ。


でもね、近づいてくるの。



ペタリ、ペタリ、、、。



ペタリ、ペタリ、ペタリ、ペタリ、、、、。



少女は男の至近距離まで近づくと、2つのスーツケースにもたれかかるようにしながら言ったの。



「何人入ってるの?」って。



翌日、男は死体で発見されたそうよ。


男の側にあった2つのスーツケースからは親子と見られる2人の遺体が入っていたんだって。


ほら、ニュースになったでしょ?


親子の身元はわかったけど、男の身元はまだわからないらしいじゃない?」


伸枝は友人の話を思い出し、体に寒気が走るのを感じた。


あれから何度かまゆ子と連絡を取り合っているが、特に怖い思いをしたという話は聞いていない。


伸枝は気にしない方がよいとは思ったが、怪談話に出てきた実際に起こった事件についてネットで調べていた。


スーツケースの中から発見された2人の遺体は30歳の女性と、その女性の6歳の長男のものだった。


2人には首を絞められた跡があったという。


女性は離婚しており、親子は2人で暮らしていたらしい。


しかし、男の身元は今もわかっていない。


年齢は50代から60代くらいで胸に刺し傷があったという。



私はこれ以上、この事件について調べるのも考えるのもやめようと思った。


しかし、何故か時々思い出しては調べることをやめられなかった。



伸枝は自分がどうかしてしまったのだと思った。


大学に通うため親元を離れ、初めての1人暮らしをしているのだ。

環境が大きく変わった事で、自分でも気づかないうちにストレスを溜め込んでいるのだろうと考えた。


その頃の伸枝は、夜眠る時、明かりを消すことが出来なくなっていた。




いまだに、あの頃の事を考えると寒気がする。

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