第45話 長い一日の終わりに (本編完結)

 ひんやりと冷たい水を魔法で生み出した妻が悪戯っぽい笑みを浮かべていたことには訳がある。

 実はこの世界、魔法という凄い力がありながらも、それらは普段の生活にはほとんど使われていないのだ。


 例えば明かり。

 俺たちの家や村を始めとしてほとんどの地域では、屋内では蝋燭、屋外では松明というのが一般的だ。一部の大都市でようやく魔法の街灯が本格的に稼働し始めているくらいなのだとか。

 一方、夜間での戦闘や暗所の探索などでは魔法によって照明――大抵は光る玉のような形状をしている――が作られて活用されている。


 最初にこの話を聞いた時、作るのが難しいか、それとも作成、維持共に大量の魔力が必要になるためではないかと考えた。

 しかし結果は見事に大外れ。難易度としては超初級であり、失敗しても危険がないことから魔法使いを目指す者たちが最初に覚える魔法の一つなのだそうだ。


 当然、使用する魔力もごく少量しか必要ではない。

 実際、妻から教わった直後の俺でさえ成功させることができたくらいだ。

 今では湿度等々の問題で蝋燭の使用が難しい風呂場の照明は俺の担当になっている。なぜ風呂場だけなのかというと、俺も妻も蝋燭の明かりというのを気に入っているから、というだけの話だ。

 ちなみに、俺の場合は元の世界でも様々な種類の電灯の記憶があるため、それを再現することもできるようになっているのだが、先の理由から使われる機会はほとんどない。


 以上のように、魔法は一般生活に使用されることは少なく、戦いのための技術の一つという扱いになっている。

 唯一例外として、回復系統の魔法は戦場のみならず町中や市民生活に溶け込んでいるようだが、それも基本的には『聖神教』なる世界規模の宗教団体が管理しているらしい。妻やバリントスのかつての仲間であったヒーラーも、その『聖神教』に所属しているのだとか。


 こうした事情から俺のように便利だからと魔法を使用しまくって生活している人間はごく少数なのだそうだ。

 ただ、元の世界でも軍事目的で開発されたものが、後に一般に公開されたという技術や代物は多いから、こちらでもいずれは普通の生活の中に魔法が活用される時代がやってくるのかもしれない。


 それに妻も元々は魔法を使わない派だったのだが、俺に感化されたのか近頃では頻繁に魔法を使うようになってきている。

 が、そのちょっとした調節、要するに適切なイメージを思い描くという事が難しいらしく、不発となることも多々あるのだが。


「へえ。上手くできている。ちょうどいい冷たさで美味いよ」


 そのため、成功した時にはできる限り誉めるようにしている。

 ちょっとばかり上から目線になっていることは見逃して欲しい。俺が妻に指導できる数少ない事なのだから。


「それにしてもどうして酔っ払いというのは、やたらと酒を進めてくるのだろうな……」


 思わず仲間を増やそうと生者に襲いかかってくるアンデッド共を連想してしまった。

 特に今回は下級竜を倒したのは俺だと妻がばらしてしまったこともあって、前回以上に大量の人に取り囲まれてしまった。

 危うくバリントスと一緒に武官たちの模擬試合の相手をさせられるところだった。


「うふふ。そんなお疲れのヒュートに嬉しいお知らせがあります」


 突然、妻が妙なことを言い始めた。俺と同じく酔ってしまって上機嫌になっているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「嬉しいお知らせ?」


 何だろうか?

 さっぱり思いつかない。


「もう!少しは頑張って考えてよ!……でも、あれだけ飲まされた後では頭も回らないか」


 イエス。時間が経ったお陰もあって随分と楽にはなってきているが、思考の方はまだ全快とは言い難い。


「それじゃあヒントその一、私はアイテムボックスを持っています。ヒントその二、ここには長旅用の水を入れていた大きな樽がいくつも入っています」


 ああ、さすがに液体をそのままアイテムボックスにしまう事はできないから、樽に入れていた訳か。

 だけど、今なら水も魔法で出すことができるから必要ないな。町や村に住む者もそうだが、それ以上に行商人など生業で旅や移動をしなくてはならない者ほど魔法を有効に活用すべきではないだろうか。


「そしてヒントその三、私たちは昨日温泉に入りました」


 そうだった、あれはいい湯だった。

 できればこの家にも温泉を作りたいものだ。

 地下千メートルくらいまで掘れば大抵の土地でも湧出してくるとかいう話を聞いたことがあったな。一度試してみるか?

 いやいや、あれは冷泉の話だったか?暑い夏場ならともかく、寒い時季に冷泉なんて御免被りたい。


 …………。

 ……。


「温泉!?まさかあの温泉を汲んできていたのか!?」

「大正解!……ねえ、寝る前にすっきりしたいと思わない?」


 揺らめく蝋燭の明かりに照らされた妻の顔は蠱惑的どころか淫靡な雰囲気に満ちているように感じられた。

 逆らう間もなくあっという間に彼女の魅力にのぼせ上ってしまった俺は、手を引かれるがままに立ち上がらされる。

 そして両手を繋いで風呂場へと足を進める事になるのだった。


 服を脱がされている最中俺は、


(まさか昨日できなかった混浴を、自宅に帰ってから楽しめるとは思わなかったな)


 ぼんやりとしながらもこの後の展開に胸を躍らせていた。

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