第44話 言葉にできない

 水源の確保の難しさや保存の難しさの関係から、この世界の広い地域では若くアルコール度数の低いワインが水代わりに飲まれている事は多い。

 常日頃から飲んでいて飲み慣れているようであるし、実際足取りや受け答えもしゃんとしている。妻たちや領主も何も言わないから問題ないのだろうとは思うのだが……。

 元の世界での記憶があるせいか、どうしても心配になってくるのだった。


「さあ、次は我々の分だ!どんどん焼いてくれ!」


 領主の台詞にわっと歓声が上がると、村人たちが一斉に動き始める。新たに肉を焼く者、皿の準備をする者、テーブルに置かれた料理を入れ替える者、そして肉を貰うための列に我先にと並ぶ者。

 ……おいこらバリントス、子どもたち相手に本気で列の順番取りをするなよ。


「はあ……。何をやっているのよ……」

 隣で妻も頭を押さえながら嘆息していた。あの姿だけを見たら、彼がこの世界最高峰の戦闘力の持ち主だとは誰も思わないだろう。

 予想もしないような人物が実は、という元の世界ではよくある話がこちらの世界でも適応されているとは思ってもみなかった。


 だが、これは俺にとって一番身近な人物、つまり妻にも当てはまることだ。そっと隣を覗き見ると、先ほどと同じ片手で頭を押さえながら肩を竦めていた。バリントスの奔放さには処置なし、というところか。

 しかし、こんな美人さんのどこに重量と体積が数倍もありそうな魔物を軽々と弾き飛ばすだけの力が収められているのやら。

 世界七不思議のひとつに挙げられてもおかしくはないような気がする。


 さて、肝心のドラゴンステーキだが……。


 美味かった。


 言葉にできない美味さというのはこの事かと痛感した。

 決して俺の語彙力が低いという訳ではないので勘違いしないように。貴族である領主だって驚きで声が出なかったのだから。

 俺たち用に数キロほど肉を貰ったのは大正解だったと、妻と二人で笑い合ったのだった。


「それにしても、算盤にマヨネーズと類まれな閃きを見せていたかと思えば、ドラゴンを倒すほどの武勇をも持っていたとは……。アリシア殿の連れ合いでなければ何としても我が配下に迎え入れようとしていたところだぞ」

「評価して頂けるのはありがたいですが、世間知らずな身の上ですので迷惑を掛けることになるのがオチですよ」


 と、マヨネーズのレシピを村に公開したことに対するバリントスたちとのやり取りを話して聞かせた。


「基本となるレシピは共有するものであり、その上で各個人のアレンジや工夫がなされていくべきだと思っていたのですけどね」


 元の世界ではある種当然とも言える考え方だな。こちらの世界に当てはめるのであれば、それぞれの家庭ごとに味や特色が異なる地元の名物料理、と言えば理解しやすいだろうか。


「確かにそういった料理は存在するが、ヒュートはそれを国単位、いや世界単位で考えているという事か」


 それほど大袈裟なものではないのだが、世界が違えばやはり考え方も変わってくるのだろう。それを考慮しなければ、思考や文化による侵略となりかねない。

 俺としても元の世界の考え方を押し付けるつもりはないのだが、領主くらいの立場であればそうした異なる感性が存在することを知っておくことは悪いことではないだろうとも思っている。


「領主さん、あまり深く考えずに「そんな捉え方もある」くらいに心に留めておけばいいと思うわよ」

「ふうむ……。早々に答えが出るものではないか。アリシア殿の助言に従うことにしましょう」

「せっかくの宴の席なんだし、それでいいんじゃないかしら」

「ははは!ですな。おっと、二人ともコップが乾いてしまっているではないか。さあ、飲んでくれ」


 あっという間に宴会モードへと戻った領主によって、俺と妻のコップにはなみなみとワインが注がれてしまうのだった。




 そして、酔っ払い連中をあしらいつつ家に帰り着いたのは深夜遅く、元の世界でいうと日付を跨いだ頃合いのことだ。

 まあ、俺の体感なので誤差はあるだろうから厳密に考えても仕方がない。そもそもこの世界では日の出と共に新しい一日が始まるという認識だから、実は先ほどの言い方をしたところで誰にも理解されなかったりするのだった。


「ああ、疲れた……」

「はい。お疲れ様」


 ほとんど崩れ落ちるようにして椅子に座り込むと、妻がコップに水を入れて持ってきてくれた。

 目を合わせることで礼を告げて、コップの中身を一気に煽る。


「ん!?冷たい!わざわざ井戸から汲んできてくれたのかい?」


 一緒に家に帰って来て、一緒にこの部屋に入ったはずだが、俺も今日はかなりの量を飲まされていたので、知らず知らずの間に意識が飛んでいた可能性があるのだ。


「違うわよ。第一、帰って来てからずっと一緒にいたじゃない」


 どうやら意識がなくなっていた訳ではないようだ。

 それでは、どうして?という疑問が新たに浮かびながらも、俺は醜態を晒していなかったことに安堵していた。


 ちなみに、なぜそんな思い違いをしたのかというと、家の中に置かれている水瓶は主に台所仕事用であり、毎朝俺が入れ替えている。そのため夕方から夜半にかけては温くなってしまっているのが常であるためだ。

 しかし、先程妻の差し出してくれたコップに入っていた水はひんやりと適度に冷やされていた。そのため、妻が急いで裏手にある井戸まで行って汲んできてくれたのではないかと思ったのだ。


「ヒュートの真似をして魔法で水を生み出してみたのよ。その反応からすると、上手くできていたみたいね」


 言いながら彼女は、自分の持つコップへと軽く握った拳の中に生み出した水を注いでいく。

 その顔にはちょっとした悪戯を成功させた子どものようなあどけない笑みが浮かんでいた。

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