第43話 ドラゴンステーキ、焼けました
網に置かれ遠火で焼かれている肉が、そして肉から溢れて火の中へと滴り落ちていった油がじゅうじゅうと良い音を立てている。
ようやく、ついに、やっと本日のメインディッシュであるドラゴンステーキの調理が始まったのである。
まあ、先に記した通り網焼きにするだけなのだが。ちなみに味付けは塩のみのシンプルなものになる予定だ。
一部の者たちにマヨネーズをソース代わりにしようという動きもあったのだが、それは全力で阻止した。
網焼きにすることで落ちているとはいっても、まだまだ肉にはたっぷりと脂がのっている。これ以上の油の摂取は味を台無しにするだけでなく、健康にもよろしくなさそうだったからだ。
「こ、これは!」
「香りからしてこれほどのものだったとは……!」
さて、焼けていくごとに立ち昇る香りに、広場のあちらこちらから興奮した声が上がっていく。なんと貴族であり舌が肥えているはずの領主ですら唸っていたくらいだ。
育ち盛りな子どもたち、とくに男の子たちなどは半開きになった口からだばーっと涎が垂れ続けている。
……会場を外にしておいて正解だったな。
平然としていたのは妻にバリントス、レトラ氏くらいなものだ。恐らくこの三名は過去に食したことがあるためだろう。
それでもバリントス辺りは微妙にそわそわと落ち着きをなくし始めていたのだから、竜肉の威力が分かるというものだろう。
「あら?あれだけ楽しみにしていたというのに、ヒュートは取り乱していないのね」
「残念そうに言われるとどう反応していいのか分からなくなるんだが……。まあ、元の世界での記憶や経験があるから、という事にしておいてくれ」
高級食材とはほとんど縁のない一般庶民な生活だったが、それでもたまの贅沢というものはあったからな。
それに調理法や味付けに保存技術などは、こちらとは比べ物にならないくらい進んでいる。俺としては十分に満足できる食生活を送っていたので、それほど動揺することはなかったのだった。
「むう……、なんだか悔しい」
「そう言われてもなあ」
子どもっぽい妻の言い分に思わず苦笑する。
「まあ、あれだ。この世界では珍しい香辛料や調味料、それこそマヨネーズとかが普通にある国だったから」
「それを言われると何となく納得できるような……?」
飽食の時代と言われて色々な問題も出てきていたが、誰もが食べるのに困らないどころか美味しいと感じられるものを腹一杯に食べられていたというのは、社会として一つの理想を体現していたのではないかと思う。
「焼けたぞー!」
そんな小難しいことを考えている内にドラゴンステーキが完成したようだ。
と、そうは言ってもまだ俺たちが食べられる訳ではない。
「ドラゴンを倒したヒュートやアリシア様方、それに村の皆よりも先に食べさせるのは申し訳ないのだが、ここは私も我慢するという事で大目に見て頂きたい」
領主が言うと村人たちから承知の言葉が返ってくる。その後、ちらりとこちらを見てきたので妻と一緒に大きく頷いておく。
さて、領主でも村長でも俺たちでもなく一番にドラゴンステーキを食べることになったのは、この後森の方々へ散って警戒の任務に当たることになる領主の部下たちだった。
「そ、それでは頂きます……」
周囲からの様々な感情――理解も納得もしているが、羨ましいという想いはなかなか消せないものなのである――が入り混じった視線を受けながら食べるという、普段では体験しえない状況の中に置かれたからか、それとも貴重な食材を口にできるためなのか、領主の部下として人目に晒されることに慣れているはずの彼らですらがちがちに緊張していた。
「うわあ……。あれだと味なんて分からないんじゃないかしら」
「そうだな。彼らには悪いけど、最初に食べるのを譲っておいて良かったよ」
元の世界での芸能人の食レポじゃあるまいし、衆人環視の中で食べるなんて御免だ。
俺たちがちょっぴりの罪悪感と大量の安心感に浸っている間に、領主の部下たちは意を決したのか、竜の肉を口へと運び始めていた。
そして、
「美味い!」
目を見開いて叫んだかと思うと、後は一心不乱に肉へと齧り付いていく。
「凄い迫力だ……」
「ふふふ。ドラゴンのお肉だから、ああなっても仕方がないわよ」
おいおい、ちょっと怖いぞ。もしかして経口でも効果を発揮する、しかも即効性の興奮物質でも含まれているんじゃないだろうな?
そんな俺の心配を余所に部下たちはあっという間に各々に配られたドラゴンステーキを食べ尽くしてしまった。
まあ、元々大勢に行き渡るようにと、一人当たり数口分しかなかったのだけど。そして今はその余韻を楽しむかのように、揃って呆然としてしまっている。
「……今さらだが、ドラゴンの肉というのは本当に食べても大丈夫なものなのか?」
「なあに、突然?あれは美味し過ぎて感動しているだけよ」
だからその反応が不安の元なのだが……。
だがまあ、中毒症状に陥る訳ではないようだし、気にするだけ無駄かもしれない。解毒の魔法が使えるように準備だけはしておこうかな。
「ははは。堪能したようで何よりだ。それでは大変だとは思うが周囲の監視と警戒の任に向かってくれ」
「はっ!」
領主が指示を出すと、呆けていた部下たちが一斉に敬礼をして動き出す。貴重で高級な竜の肉を食したこともあって士気は高い。
これなら安心して宴会を続けられそうだ。
うん?そういえば彼ら、結構な量のワインを飲んでいなかったか?
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