第37話 古代魔法文明期

 あの後、じっくりと温泉を堪能した俺たちは、脱衣所の前にあった岩に座ってのんびりと涼んでいた。

 湯上りでほんのりと色づいた妻のお肌は温泉効果もあってか、しっとりでありながらすべすべという最上級のものへと進化している。

 「綺麗になったね」と褒めた後の彼女のはにかんだ笑顔を俺は一生忘れることはないだろう。とりあえず、下級竜を倒したことなど比較にならないくらいに感動したとだけ言っておく。


「基部に蓄魔石でも仕込んでいるのか、あの小さな建物だけではなく風呂の方も魔法によって補強されていました。恐らくは遠い昔、この地に繁栄した国の王侯貴族が建てさせた施設だと考えられます。アリシア様とヒュートさんが座っているその岩も、きっとその時に置かれたものですよ」


 そんな俺たちに調査を終えたレトラ氏が、そう説明してくれた。


「ああ、ちょうど良い場所にと思ったけれど、わざと設置したものだったのね」


 なかなかに至れり尽くせりの配置である。レトラ氏の説明を受けて、妻は腑に落ちたと言わんばかりにコクコクと頷いていた。


 そのレトラ氏だが、ドラゴン種族には湯に浸かったり水で体を洗ったりする風習がないらしく、せっかくの温泉に入ることなくここにいた。

 その代わり、ドラゴン族の身体は汚れや穢れ――恐らく病原菌のようなものだと考えられる――を寄せ付けないようになっているのだとか。便利ではあるが、ちょっとばかり風情がないなと思ってしまった。


「ぶっはー!……あー、思わず声が出ちまうなあ!」


 そんな訳で今はバリントスが一人で露天風呂を堪能中、なのはいいのだが喧しい。

 あのおっさんに風情とか情緒というものを求めること自体が間違いなのかもしれないが。


「ところでレトラさん、古いと言っていたけれど、あなたはどれくらい昔のものだと考えているのかしら?」

「短くとも数百年は前でしょう。緻密な設計や蓄魔石を組み込んだ維持機構から、もしかすると古代魔法文明期の遺産を引き継いだものである可能性すらあります」

「古代魔法文明期!?」


 おいおい、何だその中二心をくすぐりそうな単語は?妻も随分と驚いているぞ。


「一部の知識を引き継いでいたか、それとも解析に成功したかというところではないでしょうか」


 ……説明が入らないという事は、こちらの世界では子どもでも知っている常識的なことになるのだろうか?


「その根拠は?」

「残存状態が中途半端すぎます。本当に古代魔法文明期のものであれば、朽ちている部分があるのはおかしい」

「……そうね。少しの時の流れすらも感じさせない程の完全な状態か、それとも見る影もない程に破壊され尽くしているか。あの時代のものならばどちらか一つでしょう」


 どうやら元の世界で言う海に沈んだ伝説の大陸的なもののようだ。ただし、こちらの方は実在した確かな証拠がいくつも残っているらしい。どちらかというと四大文明を始めとした古代文明などに近そうだ。

 世界全体に広がっていたというから、その規模は比べものにならないようではあるが。


 これもまた後から聞いた話になるのだが、蓄魔石の利用法など現在でも使用されたり利用されたりしている技術や知識は数多いのだとか。

 その中にはいわゆる『禁断の技』的なものも存在しており、俺がこの世界へとやって来る原因となった異世界召喚魔法もその一つという扱いになるらしい。


 そんな古代魔法文明期であるが、栄華を極めていたはずなのに忽然と歴史の闇に消えてしまったという話だ。

 先に妻が述べたように大半のものは見る影もなく破壊されているため、文明を築いた人々には敵となる者たちがいたのではないかと考えられているが、その敵を含めて全くと言っていいくらいに、当時の事は分かっていないらしい。


「ういー、いい湯だったせえ。おお、ヒュート!風呂なんてと馬鹿にして悪かったな。こいつは間違いなく良いもんだ!」


 そこにいきなりバリントスが現れたかと思うと、上機嫌で俺の肩をバシバシと叩いてくる。


「いたい、痛い!」


 肩が抜けるかというほどの衝撃を受けて、思わず悲鳴を上げてしまった。自分の力が人外じみていることをいい加減理解してもらいたいものだ。

 そして同時に、妻たちの間にあった深刻な雰囲気も霧散していた。


「このままここで考えていたところで答えが出そうにもないわね」

「そうですね。この場所については『竜の里』に戻ってから少し調べてみることにします」

「この温泉のような施設ばかりが残っているのならば問題ないのだけれど、武器や攻撃に転用できるようなものがあると厄介だし、お願いするわ」


 生身で強大な力を持つドラゴン種族であれば、例え武器を発見しても利用しようとはしないだろう。むしろ自分たちに危険を及ぼす可能性があるため、処理や廃棄する方向で動いてくれるに違いない。

 問題は核兵器のようなものが見つかってしまった場合だ。さすがのドラゴン種族でも、広範囲を長期間に渡って汚染し続けるような代物は手に負えないだろう。

 ……まあ、それはその時になってから考えよう。俺たちに相談されると決まっている訳でもないからな。


「それじゃあ、お昼ご飯を食べて、もう一度温泉に入ってから帰りましょうか」


 確かに今から帰ったのでは、予定よりも早く着いてしまうことにはなるのだが……。

 どうやら妻は俺が思っていた以上に温泉を気に入ったようである。

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