第34話 目的変更?

 うおっほん!先ほどの妄想はなかったことにして、俺は風呂に引き続いて温泉について話し始めた。


「それにこういう火山帯で自然に湧き出ている温泉は体の治癒能力を高めたり、お肌に良かったりと色々とお得なんですよ」


 と言った瞬間、ガシッと肩を掴まれた。


「うおっとお!?」


 一体何事だ!?

 などと言っても後ろにいるのは妻ただ一人なので、犯人は分かり切っているのだが。


「ヒュート、今の話、もう一度聞かせてくれないかしら?」


 後ろから抱きすくめられるようにして、耳元へと甘い声で囁かれると、ハイかイエスしか答えることができなくなる。

 ……実はハーフエルフではなくサキュバスか何かなのではないかとすら思えてしまう程の妖艶さである。


「あー、治癒能力を高めたり?」

「そ・の・あ・と」


 微妙に違う項目を言うという定番のボケで雰囲気を変えようとした俺の決死の作戦は、更なる追撃で呆気なくご破算となってしまった。


「温泉は、お肌に良いことが、多いですね」


 思わず敬語になってしまいました。


「レトラさん!ここから村に帰るまでどれくらいかかるの?」

「はい!?ええと、まあ朝日が昇り始めた頃合いから昼になる間くらいまでの時間でたどり着けるかと」


 早いだろうとは思っていたが、六時間くらいで着いてしまうものだったとは。

 竜の飛行能力とはなかなかに侮れないものがあるな。


「それじゃあ、今日の夕暮れくらいまではゆっくりしていても大丈夫ね!」


 これは、温泉を探すつもりだな。真横にあるので見えないが、きっと満面の笑みを浮かべているのだろう。

 突然の事態にバリントスとレトラ氏が呆気に取られていた。


「お、おい、一体どういうこと――」

「バリントスさん、諦めてください」

「はあ?」

「諦めてください……」

「お、おう」


 さすがは昔の旅の仲間というところか、こうと決めたら梃子でも動かない妻の性格はよく分かっているようで、俺が小さく頭を横に振りながら言うと、すぐに引いてくれたのだった。


「そうと決まれば急いで下級竜を倒さないとね!」


 決まったのではなく、決めた――しかも彼女が独断で――といった方が正確なような気がするが、それは口にすべきではないことなのである。

 今しばらくは抱き着いたまま浮かれた声を上げている妻を間近で感じるという役得に浸らせてもらうとしよう。

 余談だが、色々な感触が味わえなくなるので抱き着かれる時に鎧はいらない。俺はこの時心の底からそう思っていた。


 楽しい時間というのは過ぎ去るのが早いものである。至福の時間はすぐに終わりを告げ、俺たちは再び険しい山肌の道なき道を登り始めたのだった。

 問題はかなりのスピードアップがあったことだ。


「温泉、温泉♪」


 上機嫌で口遊くちずさんでいた妻がいつの間にか先頭に立ち、平地を行くどころかまるで下り坂を駆け降りるような勢いでスタスタと進み始めたのだからたまらない。


「アリシア、ちょっと早過ぎだ!?」


 と呼びかけてみても完全に意識が温泉へと向いてしまっているのか反応がない。さすがにバリントスは平然と付いて行っていたが、俺とレトラ氏はあっという間に息が上がってしまった。


 そしてそんな無茶な行軍を続けること数十分、辿り着いた山頂は遥か昔に噴火でも起こしたのだろうすり鉢状になっており、その中央付近に今回の討伐対象である下級竜が寝そべっていた。

 魔王を倒したという勇者たち四人の内の二人と、人の姿を取っているとはいえ格上のドラゴン種族のレトラ氏を前にしても態度を変えようとはしないその有様は、太々しくもそれなりの貫禄を感じさせられた。


 ……ように思う。

 通常であれば。


 妻たちに必死に追いすがるようにして登って来たレトラ氏と俺はそれどころでなく、山頂のへりに蹲ってぜえぜえと荒い息を吐くのが精一杯だったのである。


「ヒュート、大丈夫?やっぱりもう少し基礎体力をつける訓練をしなくちゃダメかしらね」


 そんな俺を心配してくれながらも、妻は恐ろしい未来計画をちらつかせていた。


「ひ、人の姿での、活動が、これほどに、苦しいものだとは、思っても、みませんでした……」


 切れ切れに呟かれるレトラ氏の言葉から推測するに、人に変じている時には竜本来の力が出しきれはしないようだ。

 普通ならば違和感や倦怠感などを覚えればすぐに変化を解くことになるのだろう。どの程度の制約になっているのかを正確に知らなくても仕方のない話だとは思う。


 そして当の下級竜はというと、俺たちのコントのような行動にも何の反応も示さず、惰眠を貪っていた。しかし、そんな下級竜の様子から妻やバリントスは逆に「小者だ」と断定したらしい。


 これは後から聞いた話なのだが、なんでも一流の武芸者が相対しただけで相手の力量を計れるように、例え野にいる獣の類であったとしても強者と呼ばれる存在ならば、同等のことをやってのけるものなのだそうだ。

 妻やバリントスという圧倒的な強者が迫っているにもかかわらず、そのことに気が付かないことから所詮その程度のレベルでしかない、と判断したらしい。


 一体どれほどの高みにまで登ればそのようなことが可能になるのやら。平々凡々な俺としては皆目見当のつかない世界である。

 が、いつかはそこにまで辿り着かなくてはいけない。かつての仲間たちと離れて暮らしている今、いつまでも彼女を一人ぼっちのままでそんな世界に置いておく訳にはいかないのだから。

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