第21話 『戦匠』との戦い

 俺と妻、そしてバリントスが向かい合って立つと、一辺十メートルほどの光の壁が俺たちを覆った。


「お三方の周りには結界を張りました。存分に力を振るってください」


 レトラ氏の言葉が終わるかどうかというタイミングで、妻と俺は動き出していた。壁の外から何やら聞こえてきていたが気にしてはいられない。


「はははっ!先手必勝って訳か!」


 当のバリントスが驚いていたのは刹那の間だけで、すぐに例の獰猛な顔へと戻っていたのだから。

 側面を突くべく彼の左方へと足を踏み出した俺に対して、妻は正面から向かって行くことを選択していた。

 強敵に怯むことなく進むその姿は勇者の名に相応しく神々しいものに見えた。


「いくわよ!」

「やっぱりお前はそうくるか、アリシア!」


 当然ながらそんな彼女に臆することなく、戦匠は手にした大剣を目にも止まらない速さで大上段へと持ち上げると、天が落ちてくるかの如く勢いで振り下ろす。

 型などまるでないように見えて、それはまるで剣術のお手本のような一撃だった。

 武器の扱いなど素人に毛が生えた程度の俺ですらも、美しく完成された動きだと理解させられたほどだ。


 いくら妻でもこれを凌ぐことはできないはずだ。――その足場が強固たるものでしっかりと踏みしめることができていたならば。


「モグラの悪戯!」

「ぬおっ!?」


 踏み出した右足が俺の魔法によって作り出された穴に呑み込まれるように沈んでいく。大きさ、深さ共に三十センチ程度のものだから、足を捻ることを含めて怪我らしい怪我はないだろう。

 だが、その動きを崩すことはできた。


「何だと!?」


 流れてしまった体勢を立て直した時、正面から迫っていたのは妻ではなく俺だった。そう、側面を取るように見せかけておいて、その実俺は妻の背後に隠れるように動いていたのだ。

 そして土魔法で邪魔をした後、彼女と入れ替わるようにバリントスの正面へと躍り出たという訳だ。


「はあっ!」

「舐めるな!」


 たった数メートルではあるが、走り寄った際の運動エネルギーを加えた渾身の突きは大剣の腹で呆気なく払われてしまった。

 格が違う。背筋にゾワリと冷たいものを感じた時には全てが終わっていた。


「そこまでよ」


 俺たちの勝利という形で。


「…………」


 俺への追撃を行おうとしていたバリントスの首筋には、彼の側面へと移動していた妻の剣先がぴったりと添えられていたのだった。

 つまり、俺はあくまでも囮であり、本命は妻の方だったのである。


「……だあー!負けた!」


 悔しそうな顔をしたのもほんの束の間、ニカッと笑ったバリントスは大声でそう宣言したのだった。


「がっはっは!まさかアリシアがあんな面白い手を使ってくるようになっていたとはな!これもその男と一緒になったお陰か?」


 奇襲に近い先制に、嫌がらせのような魔法、更には入れ替わりによる囮と本命の役割の交換と、自分でもなかなかに手段を問わない攻撃だったと思う。

 人によっては卑怯だと捉えることもあるだろう。周りで見ていた村の人たちの大半もどことなく釈然としない顔をしているしな。


 少なくとも『勇者』と呼ばれるような人物が進んで取るべき方法とは言い難いだろう。

 どんなに敵が卑怯で卑劣な手を使ってきたとしても、それを真正面から正道で打ち破る。物語性が強く現実味のない話だが、それができてこそ『英雄』や『勇者』として認められる部分があるように思う。

 きっと妻は過去の戦いでバリントスを含む仲間たちとそれを体現してきたのだろう。


「作戦を考えたのはヒュートだけど、私たちはただあなたの好みに合わせただけの話よ」


 バリントスは一貫して戦いとだけ言っていた。試合ではなく戦いだ。つまり勝つという目的のためにどんな方法をも認めるというものだった。もちろん超えてはいけないラインというものは存在するだろうが、それはどちらかと言えば人として、理性ある生き物としての側面が強いと思う。


 ただ、彼は元々の力量がとんでもなく高いので、どんな搦め手を使われたとしても苦戦することなく粉砕してしまっていた。俺だって妻の協力がなければ手も足も出なかったに違いない。

 そして逆に策を巡らせなくては勝てないような事態に遭遇することもなかったのだろう。


 結果、『勇者』の仲間であることと乗算されるような形で、民衆の中には立派な『戦匠』像ができ上がっていったのだと考えられる。


「正々堂々が悪いとは言わないが、戦場に出るからには意地汚くても生き残ってやるくらいの気概がないといけねえ。だが、俺に合わせたって言う割には随分と気合が入っていたじゃないか」

「そりゃあ、人が秘密にしていたことをペラペラと話されたりしたら怒って当然よね」


 妻が笑顔のまま怒気を溢れさせると、周囲の気温が一気に下降したかのような錯覚を受ける。


「……わ、悪かったよ」


 これにはさしもの戦匠もすぐに白旗を上げることになった。

 残念ながら俺も何度かその矢面に立ったことがあるので分かるのだが、あれは本気で怖いのだ。

 つい先ほどまで本気で戦い合っていた相手にもかかわらず思わず同情してしまっていた。


「これに懲りたなら、今度から口を開く前に少しでも頭を使うようにすることね」


 冷ややかな妻の言葉に、バリントスは小さく「はい……」と答えていたのだった。

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