第22話 『戦匠』との訓練
「ところで、負けを宣言したのだから、俺のことも認めてもらえたんですよね?」
放置しておくと有耶無耶になるどころか、どこか分からない方向へと話が進んでいきそうだったので、肝心な事を聞くために切り込んだ。
「うん?あー……」
おい待て、なんだその反応は!?
もしかして忘れていたりしたのか!?
「……これは完全に忘れていたわね」
悩むような動きをするオッサンに向けられる妻の視線が怖い。幸か不幸か絶対零度の視線がご褒美に感じられるような特殊な性癖は持っていないのだ。
「ああ、そうだったそうだった!そんな話もしていたな!色々と面白いことや、驚かされることがあったからどうでもよくなってしまってたぜ!」
しばらく悩んだ後でようやく思い出したのか、バリントスは爽やかにそう言い放った。
ここまで開き直られるといっそ清々しさすらも感じられてしまう。
「で、お前さん。ヒュートだったか」
俺へと向き直った瞬間、バリントスは大真面目な顔に変わっていた。いや、変わっていたのは顔だけではない。雰囲気そのものが真剣なものとなっていた。
それに合わせて周りの空気も、下手に動くと怪我をしてしまいそうな程にピンと張り詰めていく。
「……合格だ。お前なら一緒にいたとしてもアリシアの邪魔になることはないだろう」
その言葉を聞いた瞬間、不覚にも安堵で腰が砕けそうになってしまった。
「まあ、魔王を倒すにはまだ力不足だろうがな!」
場の雰囲気を切り替えるためか、茶化すようにバリントスが何やら物騒なことを口にしている。しかし、元よりそんなことをするつもりはないので問題ない。
いや、それ以前におかしなフラグが立ってしまいそうなので止めて頂きたい。……大丈夫だよな?
最後の最後でどっと疲れてしまった。そんな俺の左手をそっと妻の右手が包み込んでくれていた。
「お疲れ様。ありがとう、アリシアのお陰で何とかなったよ」
「ううん。ヒュートが頑張ったからだよ」
素直に感謝を伝えると、柔らかな労いの言葉が返ってきた。その口調はいつもより少し幼く感じられる。それは妻が甘えたい時にやる癖の一つだった。
恥ずかしいのか家の外ではほとんど見られない仕草なのだが、懐かしい顔と再会したことで気持ちが緩んでいたのかもしれない。
できれば今すぐと言いたいところだが、俺にも人並みの羞恥心というものがある。繋いだ手の指をこっそりと絡め合うくらいで我慢してもらう。
これは家に帰った後でしっかりと甘えさせてあげないと。こういう時は村から外れた場所にあって本当に良かったと思う。
さて、薄氷ものだったが何とかバリントスから勝利をもぎ取ることはできた。
できたのだが……、周りを囲む村の人たちから不満げな視線がビシバシと突き刺さってきていた。
どうやら今回の突発的なイベントは俺が思っていた以上に期待されていたらしい。娯楽の少ない所だから仕方がないと言えば仕方がないのだが……。
異世界物の定番になりつつあるリバーシでも作るべきだろうか?それともチェスか将棋の簡易版でも開発するか?
おっと、思考が横道にそれてしまった。とりあえず、今のこの状況をどうしたものか。
悩んでいると妻も同じことに気が付いたようで、その綺麗な柳眉が少しだけひそめられて……、
「せっかくバリントスが遠い所からわざわざ来てくれたのだから、ヒュート、模擬戦でもして稽古をつけてもらいなさいな」
いたのも束の間、突然笑顔になった彼女はとんでもないことを言い出した。
「お?何だ?模擬戦か?」
いち早く反応した戦闘狂がやる気をアピールするように大剣をぶんぶんと振り回し始めていた。砂埃が舞うから止めて頂きたい。
「ええっ!?どうして!?たった今戦ったばかりじゃないか!?」
そして俺はと言うと、当然のごとく驚愕の叫びを上げていた。
「だって、最後のあの動きは私から見てもダメダメだったもの。囮になる必要性はあったけど、やられる必要はないんだから。あのくらいの攻撃、軽々と避けるか受けるかできるようにはなってもらいたいわね」
手加減はされていただろうが、世界最高峰の攻撃をいなせるようになれと妻は仰せになられたのだった。
ああ、そういえば彼女もまたその世界最高峰の一人だったな……。
あまりにもご無体なお言葉に軽く現実逃避をしそうになっていると、妻は私の耳元へと口を寄せてそっと囁いてきた。
「愛する妻のお願いなんだから、そのくらいは頑張れるわよね、旦那様?」
ガバッと体ごと彼女の方へと向き直ると、小悪魔のような悪戯っぽい笑みを浮かべている。ただ、その頬が完熟リンゴ並みに真っ赤に染まっていたので、小悪魔にはなりきれてはいなかったのだが。
ふう……。恥ずかしいのを我慢して妻が発破をかけてくれたのだ、それに応えなくては彼女の連れ合いだと胸を張ることはできないだろう。
それに、先ほどの一戦で妻やバリントスとの力量差を改めて思い知らされたということもある。合格はもらったが、あくまでも「邪魔にならない」というものでしかない。
妻と並んで立つ、どんなことでも彼女と支え合える関係になる、という俺の目標とする地点にはまだまだ遠い。その場所へと少しでも近付くための努力は惜しむべきではないのだ。
しかしながら、子どもたちの歓声に応えて剣を振るだけでつむじ風どころか小型の竜巻といって差し支えのない規模の旋風を発生させている戦匠の姿を目にすると、注入したなけなしの気合が呆気なく霧散してしまいそうな気分にさせられてしまう。
「チート、ダメ、絶対」
思わずネット対応の多人数参加型ゲームの約束事のようなことを口走ってしまったとしても、ある意味当然のことだと言えるだろう。
その後のことは……、できればあまり思い出したくない。
妻の勧めにやる気になっていたバリントス、そして期待に満ちた村人たちの熱い視線に抗えるはずもなく、俺は延々と模擬戦を繰り返させられることになったのだった。
唯一、レトラ氏の結界をアレンジした盾を魔法で作りだした時には驚かせることができた――バリントスだけでなく、妻やレトラ氏も驚いていた――のだが、それでも勝ち星を得るには至らなかった。
結局その日の模擬戦は、全敗というブラックな歴史を俺の中に刻み込むことになったのだった。
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